偽善、いらん子






「美希さま! 美希さま大丈夫ですか!!」
 メイドの呼びかけに、しかし美希は答えない。
 階段の脇で嘔吐する美希のその目はうつろ。
 苦悶の表情すら浮かべず、無表情のまま吐き続ける美希の姿は異常だった。

(なんとかしなくては――――!)
 ケルヴァンにはすぐに部屋に戻るように、美希とメイドに命じた。
にもかかわらず、他の場所をうろついた挙句にあんな現場を見せてしまったのだ。
このことが上にばれてしまったら、どんな罰をうけることか。

 おまけに今の出来事のせいだろうか、人が集まる音が階下から聞こえてくる。
 この場にとどまるわけにはいかない。
 美希を休ませるにしても、何か適当な場所を見つけないと。

(そういえばこの近くに末莉様の部屋が……)
 食事の時にうひゃあと奇声をあげていた少女の顔を思い出す。
 末莉の部屋に食事を運んだのは彼女だ。鍵もまた持っている。

 迷っている暇はなかった。
 メイドは嘔吐を続ける美希を励まし、引きずりながら末莉の部屋に向かった。


「末莉様、よろしいですか!?」
「ひゃ、ひゃい!!」
 ノックもそこそこに押し入ってきた二人の女性に、末莉は素っ頓狂な声を上げて飛び上がった。
 入ってきたうち、一人の方には見覚えがある。確か食事を運んできてくれたメイドさんだ。
 そして、そのメイドに肩を貸す形で、無表情なままぐったりとした様子を見せるもう一人の女性をみて、再度末莉は驚いた。
「ど、どうしたんですか、その人!」
「この方は山辺美希様。貴方様と同じ、魔法の才能を見出されてこの中央へとお越しいただいた人です」
「わたしと同じ……?」
「申し訳ありません、末莉様。詳しい事情をご説明している時間がありません。
また貴方様に外部の様子を教えることも、禁じられております。
ですから、これはお願いになるのですが……美希様をこちらでかくまい、休ませてもらえないでしょうか?」

 チラリと首をめぐらし、廊下側を焦った様子でメイドは伺う。
「この騒動が収まり、私がご不浄の後始末を終えてお迎えにあがるまででよろしいのですが……お願い致します」
「は、はい分かりました! お願い致されちゃいます!」
 事情は飲み込めなかったが、末莉はコクコクとうなずいた。
 メイドはそれを見て、ペコリとお辞儀をすると、
美希をその場において扉を施錠した後廊下をパタパタと駆けていった。


「わたしと同じって……あの、大丈夫ですか? えっと、美希さん……?」
 返事はない。ただ美希はしゃがみこんだまま空ろな顔でブツブツと何かを呟いている。
「こ、こっちに横になってください! すぐ水とかもってきますから!」
 なんとか美希を引きずりベッドに転がすと、今度は庇の水をコップについで、
「うひゃん!?」
 絨毯に足を取られてずっこけて、

 ばしゃん

 お約束のように美希の顔面に水をぶちまけた。

「あ、あはは……すいません……」
 顔が引きつる末莉。その前で、ゆっくりとベッドの上で起き上がる美希。
 美希はぼんやりと部屋を見回した後。

「髪がわかめちゃん」

   そう呟いて、再度ドサリとベッドに寝転がった。
「……あの、なぜにわかめちゃん?」
「あー……わかめちゃんにしてやるーとか霧ちん言ってたにゃあー」
「はぁ……」
「何回も言われたなぁ……たまには別のこと言えばいいじゃん、とか思ってたけど、
やっぱりあれ行動が固定化されてたんだろうなぁ……」
「え……と……電波さん?」
「うん、そう。電波伝播。だってわたしは群青学園放送部であります、サー」
「はぁ……」
「つーかぁ……」

 寝転がったまま、美希はビシッと末莉を指差した。

「水ぶっかけやがったなこんちくしょう」
「な、なかった事になってない!?」
「ふっふっふ〜 そんなに世の中甘くないのだよ〜」

 美希は再度起き上がると、ちょっと顔をしかめた。

「咽喉、変な味するや。水もらえないっすか?」
「あ、はい!」
 今度はこぼさずに持ってこられた水を、ぐいと美希は煽ると、フウと息をついた。
「えーと、あなた誰かな?」
「私、河原末莉っていいます! えっと、美希さんですよね?」
「うん、そうだけど……っていうか、ここどこ? スキテキシュ(訳注:好敵手)どこいっちゃったかな?」
「ス、スキテキシュ? あのメイドさんの事ですか?」
「うん、そう。頑張れメイドさん。その名はステキシュ。ま、あんまり名無しなキャラ立てるのも微妙だけどね〜」
「そ、それは言っちゃダメな事です! 多分!!」
 パタパタと何かを振り払うように末莉は手を振ると、コホンと咳払いをした。
「えーと。ステキシュさん? が美希さんを連れて、ここまで来たんです。
何か外で騒動があって、それが収まるまでここでかくまってほしいって」
「ふーん、そっか。うん、確かにそれ賢いね。私があれ見ちゃったってばれちゃうとちょっとまずいし」
「あれ……ってなんですか?」
「たいしたことじゃないから、ひみつ〜 てか、私もよくわかってないし。
で、かくまってっていわれたってことは、末莉ちゃんはケルヴァンさんの部下じゃないんだ?」
「はい。魔法の才能があるからって言われてここにつれてこられました。美希さんも同じなんですよね?」
「ん。まあ、そんな感じ」

 しばらくの沈黙の後、末莉がおずおずと聞いた。
「あの、外で何があったんですか? 外、なにか騒がしいし」
「だから、たいしたことじゃないよ」
「でも、美希さんさっき変でしたよ……なんか普通じゃなかったし」
 美希は末莉の方を向いて、ニッコリと笑った。
「疲れがたまってたんだよ。ほら、いろいろあったから」

 その笑顔は雄弁に物語っていた。
 これ以上聞くな、と。

 だから末莉も黙るしかなく、しばらく沈黙が続いた。


 しばらくして、美希がポツリとつぶやいた。
「まあ、お互いにラッキーだったよね」
「ラッキー?」
「魔力あって、ラッキーだったなぁって。末莉ちゃんも、大体の事情は聞かされたんでしょ?」
「それは、聞かされましたけど……でも……」
 末莉は既に、和樹とケルヴァンから事の事情を二回にわたって聞かされていた。
「じゃあ、ラッキーだって思わなかった? なんか外は大変らしいけど、
こうやってわたしはベッドでぬくぬくゴロゴロしてられるんだし。ヒマヒマなのは勘弁してほしいけど」
「そ、そんな! それ、おかしいですよ!?」
「へ? なんで?」
「だ、だって! 人が死んでるですよ! それなのに……!!」

 激昂する末莉に、美希はさめた視線を返した。
「ふーん……でもそれは私達に関係の無いことじゃない?」
「か、関係ないって!?」
「そんな間違った事言ってるかなぁ、私? 自分の命を大切にするのって、間違いじゃないよね。
誰か他人が危ない目にあっているからって、自分までそれに付き合って危ない目にあう必要ってあるのかな? ないよね?」

「それ、は」
 一瞬言いよどむ末莉。
「それは……やっぱりおかしいです。だって……」
「だって?」
「だって……その……巻き込んでます、私。おにーさん、巻き込んでしまってます。
美希さんは誰かを巻き込んで無いんですか? それはどうなっちゃうんですか?」

 ドクンと、一瞬だけ美希の心音が高くなった。
 だがそれを無視して、美希はキョトンした表情を浮かべる。

「巻きこむって? 魔力のない人まで召還されちゃったのは私のせいじゃないよ?」
「ケルヴァンさんの話にあったじゃないですか……! 聞いて無いんですか?
召還された時にわたしたちは別の人を巻き込んでしまうって」
「あー……そうだっけ?」
「だ、だから私、許せないです! ヴィルヘルムさんって人だけじゃなくて、わたし自身も……!」
わたしが、わたしさえいなければ……!!
おにーさん、こんなところにくることなんて無かった筈なのに……!!」
「そっかー……残念だったね。巻き込んだのが大切な人で。私は一緒に召還された人、そんな大切な人でもなかったから全然OKだけど」
「え……でも……」
 しばらく末莉は沈黙した後、ポツリと呟いた。
「それは……おかしくないですか?」 
「ん? おかしい?」
「……だって、ケルヴァンさん言ってましたよね。召還された時に、魔力を持った人は他の人を巻き込んでしまう……」

 ドクンと、もう一度、美希の心音が高くなる。
 聞いてはいけない。この先を言わせてはならない。
 美希の心の中の何かがそう、警告を送る。

「あはは……それ、さっきも聞いたよ、末莉ちゃん」
「……巻き込んでしまう理由は、元の世界に無理にとどまろうとして、他の人にしがみついてしまうからで……」
「なんかつまらない話になっちゃったね。って話ふったの私か、あはは、ごめんごめん」
「だから、しがみついてしまう人は……」
 言わせるな。これから先は言わせては駄目だ。
 今度はおそらく、嘔吐ではすまない――――

  「末莉ちゃん!!」

 鋭く名前を呼ばれて、末莉は顔を上げた。
「えっと……この話つまらないから、別の話しよ?」
「つまらないって……これ大事な話ですよ!」
「つまらない話だよ」
 静かに有無を言わせぬ声で、美希は言う。
「というより、むかつく話かな」
「むかつく、ですか?」
「うん、むかつく〜」
 ニッコリと、だけどどこか歪んだ表情で美希は笑った。
「むかつくよ、末莉ちゃん。だって末莉ちゃんの言う事、結局、全部奇麗事だもん」
「奇麗……事?」
「結局末莉ちゃんだって、安全なところでのんびりゴロゴロしてるもん。
自分だけ安全なところにいるのに、そんな奇麗事ばかりいうのって……なんか卑怯だよね?」
「あ……う……」

 末莉の顔から色が失われていく。
 それを見て、チクリと美希の胸を何かが刺した。

 これは、自分を守るための、ただのやつあたりだ――――

 だが、美希はその心の声を無視して、ドッサリとベッドに寝転がった。
「あーもう……なんだか眠くなってきちゃったよ〜」
「え……眠いんですか?」
「ステキシュが来たら起こしてね。おやすみ〜」
「そ、そんな……美希さん!?」

 眠かったのは事実だった。
 より正確にいうなら、心が外界との遮断を求めていた。
 だから、末莉に構わずに美希の意識は闇に落ちた。


「本当にねちゃったんですか……」
 末莉はつぶやくと、ふらつきながら立ち上がり、ヨロヨロとした足で鏡台の前に立った。
 青白い顔が鏡台に映る。
「奇麗事、なんですか……? わたしの言ってることって」

『もう悪いことしちゃダメですからね!! っていうか! 私が和樹さんに悪いことさせません!!』

 あの時は、自分の行動が正しいと思えた。
 でもそれは、安全なところから発せられたただの奇麗事、偽善でしかないのだろうか。

 誰も知らないことだ。末莉のあの行動が、フラワーズの片割れである霧を救った事など。
 フラワーズのもう一人の片割れが、今末莉のベッドで寝ている美希である事など。

   だから末莉は思ってしまう。

 ――――わたしがいたから、おにーさんを巻き込んでしまった。
 ――――わたしの言葉が、多分、今美希さんを傷つけた。
 ――――そして、わたしの偽善が、和樹さんを苦しめているかもしれない。


      ――――ワタシハ、キット、イラン子ナンダ――――


「く…………!!」
 思わず漏れそうになる悲痛な叫びを、末莉は口を押さえて耐えた。

(ダメ……! こんなふうに考えちゃダメ……! 強くなるんだ、強くならなきゃ、わたし……!
おにーさんは、命を賭けてわたしを助けてくれたんだから……!!)

 涙をこらえ、震えながら、末莉は鏡に映る己の姿を睨む。

(きっとあるはず……わたしにもできることがきっとあるはずだから……!
だから、考えなきゃ。今、わたしが、できることを……!!)
【山辺美希@CROSS†CHANNEL (招) 状態: ○(覚醒?)  装備:なし】
【河原末莉@家族計画 (招) 状態: ○  装備:エテコウ】



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