笑顔を見せたかった
いつからだろう。
人の前で、上手に笑えなくなってしまったのは。
いつからだろう。
自分の料理を食べてくれる人たちに、素直に感謝の気持ちを伝えられなくなったのは。
いつからだろう。
そんなことを、寂しいとすらも思えなくなってしまったのは。
がんこ亭の店内は惨状を極めていた。
几帳面に並べられていた椅子や机はひっくり返り、店主が心を込めて準備した調味料や箸の入れ物が砕けて中身を散乱させていた。
ガラスの破片が床一面に散らばっている。
そして、一台のバスが厨房の真ん前に停車していた。
「……何のつもりだ?」
店をめちゃくちゃにされたがんこ亭店主が、怒りを隠さない口調でバスに乗った二人組に問いかける。
ハンドルを握る唇の厚い男と、鉛筆削りのような奇妙な機械。
殺意を持っているのは明白だった。が、答えようとしない。
「おい大将!!」
テーブルの下に逃げ込んで難を逃れたハチが甲高い声で叫ぶ。
「相手にするな!! この隙に逃げるぞ!!」
戦って勝ち目があるとは限らない、そう判断しての発言である。
そしてそれは、がんこ亭店主にとっても同様だった。バスの力になど敵うわけは無い。
例え悔しくても、ここはバスが追いかけてこれないルートで逃げるのが得策なのは判りきっていた。
相手はバスを降りて追ってくるかもしれないが、そうなればバスの中から引きずり出したも同然、互角以上に持ち込める。
少しの沈黙を挟んでがんこ亭店主は言った。
「店の奥にもう一人いる。そいつは怪我をしてて動けねえ」
「わかった。じゃあ俺がなんとか時間を稼ぐ。あんたはそいつを連れて、裏口からでも逃げてくれ」
「なんでお前が……」
ここには自分が残る、と言おうとして気がついた。
ハチの体格では他の参加者を連れて逃げることは出来ない。ハチがここに残り、自分は全自動卵割り機を連れて逃げるというのが得策なのだ。
(なんで俺はこう、助けられてばかりなんだろうな)
だがそんな悲痛は顔には出さず、店主はハチに目配せだけをして、店の奥へと入っていった。
一方、バスの中の二人、アナゴとグルグルダシトールもまた、相手の出方を窺っていた。
バスを店に突入させるという大胆な行動に出たにも関わらず、店内を荒らしたのみで店内の戦力を削れなかったのは想定外だった。
「どうする、グルグルダシトール」
「知れた事。こうなった以上は打って出るしかあるまい」
彼らがここを標的にしたのは、ここが名簿に記された参加者の溜まり場になるのを恐れてのことだった。
マスオはアナゴと一緒にこの店に来たことがあるし、サザエやタイコらも来たことがあるはずだ。
営業が不可能になるまで店内を破壊することは出来た以上、当初の目的は達成したとも言える。
しかし、
「ノリスケ様の命を奪った者が奴らである可能性がある以上……そうでなくても、奴らが誰がノリスケ様を殺めたかを知っている可能性がある以上、手ぶらでは帰れぬ」
「同感だあ。俺も、目の前に獲物がいるのにおちおち逃げるのは気が引ける」
ノリスケの敵を討つことだけを考えるグルグルダシトールと、マスオを生かすため彼以外を全員始末したいアナゴとの思惑は、利害以外の見解で一致した。
「だけど、車外に打って出るのは賭けになるな。向こうにもどんな武器があるかわかったもんじゃない」
グルグルダシトールもそれには同意する。迂闊に動くことが出来ず、車内でじっとチャンスを窺う二人。
その時、店内に居た店主とハチのうち、店主が厨房の奥へと引っ込んでいった。
残ったのはハチのみ。またと無いチャンスと言っていい。
「殺さず、捕らえて欲しい。ノリスケ様を殺害したのが誰なのか、拷問してでも聞き出したい」
「わかってるさぁ〜」
アナゴはグルグルダシトールを抱えると、バスのドアを開けて車外へと飛び出した。
厨房の奥に戻ったがんこ亭店主は、布団に寝かせていた全自動卵割り機をゆすって起こした。
「おい、逃げるぞ」
細かい説明は後で、という意味も込めた簡潔な言葉だった。
だが帰ってきた返事は、
「もう……ボクなんかほっといてよ。ここで死んだほうが、ずっといい」
「何を言っている?」
「だって、死ねばタラチャンに会える。生きていたって、一人ぼっちになるだけじゃないか。
僕はタラチャンさえ居てくれればいいよ。だから、タラチャンのところに行かせてよ、ねえ、お願いだからさ」
店主は無言で、全自動卵割り機の体を抱き上げ走りだした。
(ったく、俺って奴は。なんだってこんな時に……)
どうして、人と本音で話すことを避けて生きてきたんだろう。
どうして、笑えなくなってしまったんだろう。
どうして、要らぬ意地ばかり張ってきたんだろう。
(こんな時に、気の利いた言葉の一つも言えなくてどうするってんだよ……俺は……俺は……!!)
一人ぼっちはイヤだって?
バカやろう、その歳で俺みたいなことを言うんじゃねえ。
全自動卵割り機を抱えて、がんこ亭店主はただただ走った。
【六日目・午後十時】
【がんこ亭店内】
【がんこ亭店主】(名簿外)
状態:健康
装備:支給品一式
武装:不明
思考:
1:全自動卵割り機を連れて逃げる。べ、別にただ怪我をしてるのに放っておけないだけなんだからね!!
【全自動卵割り機】
状態:破損(命に別状なし)
装備:なし(支給品焼失)
武装:なし
思考:
1・………
【ハチ】
状態:健康
装備:支給品一式
武装:不明
思考:基本・自分の家族を守る
1:アナゴとグルグルダシトールを足止めする
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