伊佐坂難物の災難
「やはり、ここもダメか……」
警官隊によって完全に封鎖された町境を見て、伊佐坂難物はため息をついた。
数日間かけて町を回って得た結果は、とてもここから脱出することなど不可能だという事実を思い知らされたことだった。
町境には隙間無く警官隊が並んでおり、正面突破は論外、隙をついてこっそり外に出るのもまず不可能だった。
ヘルメットを目深に被った警官たちの表情はうかがい知れなかったが、彼ら相手に交渉などしたって何の意味も無いだろう。
難物は人の壁に背を向けて、重い足取りで逆方向に歩き始めた。
(磯野さん、あなたは一体ここまでして、本当は何をしたいんですか?)
難物の胸に去来するのは波平との楽しかった思い出ばかりだった。
一緒に囲碁を打ったこと、一緒に花火を見たこと、一緒に酒を飲んだこと。
作家と会社員という違いはあったが、少なくとも自分はそんなものは全く気にならなかった。
それどころか、家族を愛し不正を許さない波平の生き様を尊敬すらしていた。
しかし今、難物は波平を許す気にはなれなかった。
彼が、自分からノリスケを奪っていったからだった。
ノリスケの鬼のような原稿の取立てを疎ましく思ったこともあったし、恨んだことさえあった。
しかし、彼がいなければ作家・伊佐坂難物の作品のほとんどは世に出ることさえ無かったはずだ。
実際にノリスケを手にかけた者が誰かはわからなかったし、それを詮索するつもりも無かった。
だがこんなことが起こるそもそもの原因を作った波平のことは、絶対に許すことは出来ないと思った。
(待っていてください磯野さん、私は必ずあなたに会いに行きます。もう一度あなたと話をするために――)
気がつくと伊佐坂難物は、いつも馴染みの三河屋の前に来ていた。
ただ通り過ぎようとしていた難物は、中から激しい言い争いの声が聞こえてくるのに気がついて足を止めた。
「バカ野郎、何を腑抜けたことを言ってやがる!! 殺し合いの最中だろうがなんだろうが、商売をしねえ通りがあるか!!」
「目を覚ましてくださいよ、そんな理屈が通用する時じゃないんです!!」
(この声は、三河屋のご主人のもの。それにもう一人は……)
息を殺して店の中を覗くと、三河屋店主と御用聞きのサブが今にも掴みかからんばかりに睨み合っていた。
「よく考えてくださいよ、ここにはこれだけの食料があるんですよ? いつまで普通に食べ物をお金で買ったりできるかわからないのに、
なんで他人にくれてやる必要があるんですか?」
「てめえ、それでも三河屋か!! 俺たちのやるべきことは、客に注文の品を届けることだけだろうが!!
大体醤油と味噌と酒だけで生きていく気かてめえは、食い物に関してはお互いに助け合わないとしょうがねえだろ!!」
「でも八百屋さんも肉屋さんも魚屋さんも死んで、スーパーだっていつまで営業してるかわからないんですよ!!」
「てめえ……もう今日は俺が御用聞きに行ってやるから、少し頭を冷やしてやがれ!!」
憤然とした顔でサブに背を向けて立ち去ろうとする店主。その背後で、サブが中身の入った瓶ビールを手にしたのを難物は目にしていた。
「いけません!!」
難物は店内に駆け込んだ。ちょうど店から出てこようとしていた三川屋とぶつかりそうになる。
驚く三河屋の体を右に押しのけた伊佐坂難物の頭に、三河屋の後頭部を狙って振り下ろされたビール瓶が激突した。
瓶が割れ、中のビールが散乱した。
【五日目 午後5時】
【三河屋】
【三河屋店主】
状態:健康
装備:支給品一式
武装:不明
思考:不明
【サブちゃん】
状態:健康
装備:支給品一式
武装:不明
思考:不明
(あれ……私は、死んでいなかったのか?)
次に目を覚ました時、伊佐坂難物は何故か路上にいた。
なぜ三河屋の店内からここに、と首をひねる難物は、続いて体のどこにも痛みを感じないことに気付いた。
頭から出血したような様子も無い。一体何が起こったというのか。
(とにかく、一度家に戻りますか)
そう思って歩き始める。
頭を強く殴られた後遺症のせいか、周りの家の屋根や塀や電柱がやけに高く感じた。
やがてしばらくすると、傍から聞きなれた声がしてきた。
「お父さーん、お兄ちゃーん!!」
「あの声はウキエか!!」
難物は急いで声のしたほうに駆け寄った。そこには父と兄を探すウキエと、妻のオカルの姿もあった。
「おおい、私はここだぞ」
そう言いながら彼女らに近付いた難物だったが、その足は途中で止まった。
おかしい。彼女たちの身長が、あまりにも高すぎる。錯覚で説明ができるような範疇ではない。
そして自分の姿をその瞳に入れたはずの二人の家族の口からは、耳を疑うような言葉が出てきた。
「あら、どうしたの? 迷子?」
「お母さんとはぐれてしまったの?」
そしてそこにあった床屋のガラスに映った自分の姿を見て初めて、伊佐坂難物は自分の身体が十歳ほどの年齢の少女のそれになっていることを知ったのだった。
【五日目 午後6時】
【駅前・床屋の前】
【伊佐坂難物】
状態:健康 体は10歳の少女のもの
装備:支給品一式
武装:不明
思考:
基本・ノリスケの仇を討つために波平を倒す(殺し合いには乗らない)
1・呆然
【伊佐坂オカル】
状態:健康
装備:支給品一式
武装:不明
思考:
1・難物と甚六を探す
【伊佐坂ウキエ】
状態:健康
装備:支給品一式
武装:不明
思考:
1・難物と甚六を探す
「ご先祖様……いらっしゃいますか?」
モニタールームで殺し合いの成り行きを見守っていた波平は、この異常な事態を見て直ちに協力者の一人を呼び出した。
「なんじゃ、どうした波平?」
波平の背後に、和装の波平と瓜二つの男が現れた。体は半分透けている。
「ちょっと、どういうことか説明してはもらえませんか?」
「なに、たまにこんな余興があってもいいと思ったものでな。伊佐坂先生にこんなに早く退場してもらうのも残念であるし、
彼の魂を、たまたまほぼ同じ時間に死んだ女の子の中に移し変えたのだ」
画面に映る、まあかわいい部類と言っていいだろう少女の呆けたような顔を見ながら波平はため息をついた。
「まあいいでしょう、本当は一度死んだ人間が復帰するのは反則ですが、確かにこれはなかなか面白いし今回限りということで……」
そう言いながら、手元の死亡者一覧の中の伊佐坂難物の名前を消した
【五日目 午後6時】
【主催本部】
【磯野波平】
状態:健康
思考:
1・殺し合いの完遂
【磯野藻屑】
状態:健康
思考:
1・波平をサポートする
※主催側の人物です
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