明るい笑顔に幸せがついてくる?






「さあイクラ、お昼寝の時間よ」
タイ子はおやつを食べ終えて眠そうに目をこすっていたイクラに言い聞かせて布団に寝かせた。
イクラはここ数日は、ずっとノリスケとタラオはどこにいるのかと尋ねている。
まだ言葉も満足に話せないイクラに、死というものなど理解できるはずは無い。
タイ子はたった一人で肉親の死に向き合わないといけなかった。
夫のノリスケが死んだというのに葬式も出せず、それどころか遺体との対面すらも叶っていない。
そしてタラオも命を落としたという報を聞いて急ぎ磯野家に駆けつけたタイ子が目にしたのは、かつての楽しい磯野家を知る彼女にとっては忌まわしいとすら言える光景だった。
サザエは正気を失い、まだ息子が生きているという幻想を見続けている。
そのサザエにずっと寄り添うようしていたマスオと、すっかり表情が乏しくなってしまったワカメ。
そして壊れたような家族をいつもと変わらない暖かい眼差しで見守るフネの姿がそこにあった。

(ちがう……こんなの、間違ってる)

生きている家族が弔わなければ、死んでいった人たちは誰が弔うというのか。
タイ子はノリスケを殺したのは誰かといったことはそこまで知りたいと思わない。
それよりも、ノリスケがこの世界に生きていたことを忘れないでいようと思った。
磯野家がノリスケのことを忘れても、自分だけはずっと忘れないでいようと誓った。
そしていつかイクラが成長したときに、父親がどれだけ立派な人物だったか教えてあげよう。

「す、すいません!! 開けてください!!」

激しく戸を叩く音がした。それも尋常ではない慌て様だ。
「この声は、甚六さん!?」
知り合いだったこともあって、迷わずに鍵を開けた。どれだけ走ってきたのか、クタクタに疲れ果てている。
「どうしたんですか、甚六さん?」
「と、とにかく、水をぉ……」
タイ子は台所に戻ると水を一杯汲んで甚六に飲ませた。
「ふう……すいません、この近所で知り合いの家というとここしか思いつかなかったので……
あ、それよりも早く鍵を―――」

その時、甚六だけでなくタイ子も感じた。
目の前に存在する生命を全て破壊しようとするかのような、濃厚な殺意を。
それは空気に混じり、外から聞こえる音に混じり、二人を包み込んでいた。


「あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなたのために私は、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、
殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、
殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、
殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、
みんな、みんな殺す、みんな殺してやるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」


玄関先、開いた扉の向こう、甚六のちょうど背後にその女はいた。
一見するとどこにも変哲は無い普通の主婦だ。しかし、首から下は返り血に染まっていた。
「甚六さん!!」
女が血に塗れた包丁を振りかざすのを見たタイ子は咄嗟に彼の手を引いた。女の包丁は床に刺さった。
「ひいいいいいいいい!!」
少女のような悲鳴を上げて腰を抜かせる甚六。女は余裕すら感じさせる動作でゆっくりと包丁を手に取った。
タイ子は甚六とともに一歩ずつ後ずさりながら考える。
(あなた……あなたなら、こんな時はどうするの?)
喉を硬い唾が落ちていった。
女は絵画のような笑顔のままでこちらに一歩一歩近づいてくる。
「甚六さん……お願いがあります。イクラを連れて、窓から逃げてください。
甚六さんなら、イクラを抱いたままベランダ伝いに下まで降りることができるでしょう?」
「あ、は、ハイ!!」
甚六は何も聞き返しもせずに、言われたままに這うようにして奥の部屋に向かう。
タイ子のその言葉が彼女のどんな覚悟を意味しているのか、考えることすらもしないままに。


「ふふふふ、ふふふ、ふふふふふふふふふふふふふふふふ」

目の前の女が正気を失っているのは疑う余地も無かった。それもサザエのそれとは全く異質な狂い方をしているのも明白だった。
「あなた、ふふ、いますぐにこの私が、ふふ、助けてあげるんだからね……」
女は極めてゆっくりと、しかし逃げるのを許さない迫力で一歩一歩タイ子の元に歩み寄る。
もはや対話するのは不可能だと思われたが、彼女がうわごとのように述べるセリフからは、彼女を狂気に走らせたものの正体を類推することができた。
(この人は、自分の夫のためにこんな風になってしまったんだわ……)
一瞬、彼女のことを羨ましいとさえ思った。
自分もそうなれればどれだけ幸せだっただろう。亡きノリスケの無念を晴らすために誰彼構わず襲う修羅になれたなら。
イクラとの日常生活を守るよりも、それは遥かに楽なことだったかもしれない。

(違う!! ―――そんなの、間違ってる!!)

タイ子は奥歯をかみ締めて自分の幻想を押し殺した。
ノリスケがそんなことをして喜ぶわけがない。自分がやるべきことはノリスケやイクラのために人を殺すことなんかじゃない。
ノリスケが守ろうとした家を、家族を守ることだ。
こんな正気を失った女性なんかに、負けはしない――

タイ子は玄関に置いてあったノリスケのゴルフクラブを手に取った。女はそれを見ても怯む様子を見せない。
いっそのことと、思い切ってゴルフクラブを振りかざして女に向かって突進した。
タイ子が渾身の力で振り下ろしたノリスケの遺品は、しかし空しく虚空を切った。
そして次の瞬間、タイ子の懐に飛び込んだ女は、瞬く間に彼女を八つ裂きにした。

「あは、あは、あははははははは!! うちの主人に近寄る人間なんかみんなこうしてやるのよ、あははははははははは!!」
女は哄笑しながら、抵抗もしない獲物の体に刃を次々と突き刺していく。
その意識を占めているのは、彼女の頭の中にしか実在しない夫という名の幻想だった。
一方激痛の中で意識を削り取られていったタイ子は、今際の際まで自分の愛した家族ことを思い続けた。
(あなた……イクラ……)
やがてその最後の祈りも殺人鬼の哄笑の中に失われ、タイ子は夫の顔を思い浮かべながら旅立っていった。

【五日目 午後5時】
【波野家】

【アナゴ婦人】
状態:健康
装備:支給品一式
武装:鉈
思考:
基本・アナゴ以外の参加者を皆殺しにする
1・甚六を殺す

【波野タイ子  死亡確認】
残り32人





「ふう……な、なんとかなるもんだなあ」
イクラを抱いたまま窓から脱出し、下の階の部屋のベランダに一階ずつ降りながら壁を伝うように移動していた甚六は数十分後、ようやく地上に到達した。
全力疾走の直後にちょっとしたアクションまがいのことまでやらされたせいで体力は限界に来ていたが、当面の危機は回避できた。
イクラがここに至るまで目を覚まさなかったことも幸いした。
「さて、今のうちに逃げないと……」
イクラを抱いたまま急ぎ足で車道に出た甚六は、ほどなく自分にまっすぐに向かってくる「殺意」を感じ取った。
振向くと、額に「あさひが丘駅」と表示した一台のバスが通常ありえない速度でこちらに突っ込んでくるところだった。
そのバスに自分への殺意があることは明白だった。
「う、うわあああああああああああああ!!」
甚六は抱いていたイクラを投げ出して一目散に路地裏に逃げ込んだ。
バスは速度も落とさぬまま、路上に無慈悲に投げられた幼児の体をいとも無残に引き潰した。

【五日目 午後5時】
【波野家の近くの路上】

【甚六】
状態:健康
装備:支給品一式
武装:なし
思考:
基本・アナゴ婦人から逃げる

【波野イクラ  死亡確認】
残り31人




「大人の男のほうは逃したなあ……どうする?」
バスのハンドルを握っていたのは見間違えるはずもない醜い顔を持つ男、アナゴだった。
そしてその隣に座るはノリスケの手による奇跡の発明品、グルグルダシトールである。
「深追いは無用。他のもっと狙いやすい標的を探すべきである」
「そいつぁ同感だあ。そいじゃ、マスオ君を探しがてらこのままドライブと行くかねえ」
「貴殿には格別の信頼を置いているが、勘違いされては困る。私の望みはノリスケ様の仇を打つことのみ、
貴殿の言うマスオという男もその対象だ。無論、さっきのようなノリスケ様の家族であってもだ」
「それはこっちのセリフでもあるよー。最終的にはキミだって、マスオ君を生き残らせるために死んでもらうしかないからねえ」
そして二人の男は、バスを走らせながら顔を見合わせて陰湿に笑った。

【五日目 午後5時】
【波野家の近く・バスの中】

【アナゴ】
状態:健康
装備:支給品一式
武装:いつもは毎朝マスオや波平を乗せているバス
思考:
1・マスオ以外の参加者を皆殺しにする
2・今はグルグルダシトールと共闘


【グルグルダシトール】(名簿外)
状態:健康
装備:支給品一式
武装:不明
思考: 基本・ノリスケの行方を捜しつつ、他の参加者を殺す
1・今はアナゴと共闘する



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