世界の片隅の旅籠屋






この殺し合いの『舞台』である町を歩きながら、また私は考える。
この世界があの一家を主人公とした物語であれば、私たちはその物語の単なる脇役に過ぎないだろう。
どんな絵本でも人形劇でも、脇役にはロクに分量など裂かれない。増してや、主役すらもその日常生活などは描写されないのに、脇役の生活など誰も興味を持たない。
だからそんなのは最初から『無かった』ことにされるのだ。
同様に、主役たちが普段は使わない場所も緻密に『造られている』必要は無い。
その物語の中でほとんど使われないような場所は、本当はただ何も無い空間が広がっているのではないだろうか。
あるいは、私たちが普段から使っている場所も本当はいつもは何も無い場所で、私たちが使うときだけ書割のように急ごしらえで造られるんじゃないだろうか。
だとしたら今歩いているこの道も、道の両脇にある家も、本当に現実だと言えるものは何一つ無いんじゃないだろうか。
私は母を殺したが、あの人だって私の本当の母だという保障などどこにある?
ただ『私の母』という役目を演じていただけの他人かも知れないし、人間そっくりな――血の流し方までそっくりな、ロボットだったのかもしれないし、あるいは私の見ている時だけは母で、それ以外の時には全く違う何かに変わっていたのかもしれない。
ただの脇役である私には、この世界はわからないものだらけだ。
もしこの殺し合いの中で私が主役になれれば、そのわからなかったものたちが見えてくるんだろうか。

今この町を、幼い子供である自分が歩くことがどれほど危険なことかは承知している。
しかし母を殺してからずいぶん経ち、流石に食べるものも無くなってきた。どうやって食べるものを得ようかという考えは浮かばないが、ともかく動かなければいけない。
やがて私は、無意識に足があのタラオという男の子の家に向かっていることに気付いた。
まったく習慣というものは恐ろしい。しかし私は今はこの物語の主人公であるあの一家と顔を合わせたくは無いし、仲のよかったタラオはもういない。
苦笑して来た道を戻ろうとした私は、突然背中に強い衝撃を受けて地面に倒れこんだ。
胸と顎を強く打ち、痛みに目の前が一瞬真っ赤になった。
その隙に、私を突き飛ばした男は私の背負っていた荷物を奪って走り去っていった。
追いかけるどころか、男が視界から消えるまで立ち上がることも出来なかった私には、その男の後姿を見ることしかできなかった。
膝や腕をさすりながらよろよろと立ち上がり、まだ痛みに顔をしかめていると、
「あらまあ大変ねえ。うちで手当てしてあげるからいらっしゃいな」
そんな声が耳に届いた。顔を上げてみると、私を見下ろしていたのは磯野家から『裏のおばあちゃん』と呼ばれている老人だった。


その老人の家は磯野家よりもさらに古い旧家だった。
老人は私の傷を慣れた手つきで治療したのち、お腹のすいていた私に食事まで作ってくれた。
老人の態度にすっかり警戒心を解いていた私は出された食事を素直に口にした。文句無くおいしかった。
「でもうちに小さなお客さんが来てくれるなんて久しぶりねえ」
老人はそう言って朗らかに笑う。タラオが生きていた頃は、彼が毎日のように遊びに来ていたということだろう。
彼女は磯野家からも、この町の他の住人たちからも『裏のおばあちゃん』という呼称で呼ばれている。
彼女の側から見れば磯野家のほうこそ裏になるはずなのだが、彼女もまたこの世界が磯野家を中心としていること、自分が脇役の一人でしかないことを受け入れているかのようだった。
「おかわりはいかが?」

私が出されたものを食べ終えたのを見て老人が問う。
「ううん、もうお腹いっぱいだから。ありがとうございました」
私は感謝の意を込めて頭を下げた。
この家に入って驚いたのは、殺し合いの最中だというのに家の中が整然としていることだった。
隅々まで掃除が行き届いているというか、生活感はあるけれども家事が隅々まで行き渡っている、そんな印象を受ける。
「よかったら、うちでゆっくりしていってもいいのよ。今お外を出歩くのは危ないからねえ」
老人はそう語ったが、私はどうしても一つ気になることがあった。
この家にいたおじいさんはどうしたのか、ということだ。さっきから姿が見えないので、もしや……という思いが募る。
しかし、質問した結果まさにその通りだとしたら気まずいことになる。どうしようかと悩んでいた私は、ふと、自分が今まで使わせてもらっていた机の上に真新しい傷があるのに気がついた。
一つが目に入ると、他のものも次から次へと目に入ってきた。それは無視できるような数では無かったのだ。
机の上だけでは無い。畳の上に、障子に、襖に、仏壇に、窓ガラスに、庭に植えられた花にも。
丁寧な修復によってよく見ないとそれとはわからないほどになってはいるが、その『誰かが大暴れした』痕跡は家の中のそこらじゅうにあった。
そういえば、私に出された食器は大きさやデザインが揃っていなかった。多くの食器が割れたから、ありあわせのものしか出せなかったのではないか。
「あら、どうかした?」
老人は目を細め、口元に柔和そうな皺を寄せて問いかける。
その平穏さが、彼女の答えなのだろうと確信した。
この家で果たして何が起こったのか、これ以上詮索しようとは思わない。
しかし彼女はそれら全てを無かったことにして、この異常な世界の中でいつもどおりの生活を続けることを選んだのだ。
『裏の』という語を冠してしか呼ばれることのない世界のほんの片隅で、脇役としての生活を頑なに守ろうとしているのだ。
それは、世界の主役に憧れる私とは対極ではあるけれど、通じ合うものだ。そう思った。

「ごめんなさい、私はそろそろ帰らないといけないの」
「あらそうなの、でも荷物が無くなっちゃったから大変でしょう? ちょっと待っててね、おばあちゃんが役に立ちそうなものを持たせてあげるわ」
老人は席を立った。私は彼女を待つ間に、湯飲みの中に少し残っていたお茶を飲み干した。
もうぬるくなっていたけど、とてもおいしかった。


【6日目 午後三時】
【裏のおじいちゃんち】

【リカ】
状態:健康
装備:無し
武装:無し
思考:基本・この殺し合いの「主役」になる

【裏のおばあちゃん】
状態:健康
装備:支給品一式、不明支給品
武装:不明
思考:基本・何があってもこの家を守る
1:夫の帰りを待つ



その頃裏のおばあちゃんの家からそう遠く離れていない路上で、大工のジミーが泡を吹いて失神していた。
小さな子供を襲うとは卑劣なことだと思いながらも、リカから支給品一式が入った袋を奪ったジミー。
しかしその中に入っているのが、腐敗した女性の頭部だとは思ってもいなかったのだ。


【6日目 午後三時】
【裏のおじいちゃんち近辺の路上】

【大工のジミー】
状態:健康
装備:支給品一式×2(リカの分含む)
武装:大工道具一式(カンナ・金槌・釘・ノコギリ) 、斧、出刃包丁、リカママの頭部
思考:失神



前話   目次   次話