ボクが手に入れたもの
あれから何日が経ったのだろう。まるで覚えていない。
人との繋がりを失ってしまった自分には、ヒトの世界で生きていくのに必要な知識も、ヒトのぬくもりさえも忘れてしまった。
たった一人の友人を失い、一体何が自分に残ったというんだろう。
全てを捨てて無に還りたくても、機械の体では死ぬこともできない。
(タラチャン……タラチャン……)
誰一人立ち寄ることもなくなった公園で、全自動卵割り機はただ一人幸せな夢を見続けていた。
タラちゃんが死んだという事実から目をそらし、ずっとこのままここでこうしていれたらどれだけいいだろう。
あるいはいっそうのこと、誰でもいいからこんな自分を殺してはくれないだろうか。
呆然と虚無の中で幻影だけを見つめていた全自動卵割り器の耳に、遠くから人の足音が聞こえてきた。
ここに誰かがやってくるのは、タラちゃんの亡骸を引き取っていったサザエさんたちが帰って以来。
果たして殺し合いに参加している誰かだろうか。だったら自分を一思いに殺して欲しい。
あるいはただ気まぐれにここに立ち寄っただけの人間だろうか。
そんなことを考えていた全自動卵割り機の耳に届いたのは聞きなれた声だった。
「君は……磯野さんの家にあった機械じゃないか?」
それは磯野家の隣に住む伊佐坂家の長男、甚六だった。
「こんなところで何をしているんだい?」
優しい声でそう問いかける。
「……何も……」
もう自分にとっては何もかも終わったんだ。ここにはもうタラちゃんはいない。だからもう生きている意味などない。
なのに、どうして、ただ声をかけられたというだけでこんなに胸が詰まるんだろうか。
「もう、僕には、何も……」
なんでこんなにどうしようもなく、泣きたい気分になってくるんだろうか。
ただこの人が、タラちゃんと同じく、自分のことを道具ではなくて一人の人間と同じように扱ってくれた、それだけのことで。
「そうか……それは辛い思いをしたね」
全自動卵割り機の話を聞いた甚六はまるで自分のことのように悲しんでくれた。
「俺の家は幸いみんなまだ無事だけど、そうだよなあ、もう何人もの人が亡くなってるんだよなあ……」
「甚六さんは、なんでこんな時に外出なんか?」
「俺はハチを探しにきたんだよ。昨日から帰ってこなくてさあ……それより君、ひどい怪我じゃないか。ちょっと待ってな」
甚六はそう言うとポケットからハンカチを出し、全自動卵割り機のボディを拭きはじめた。
「え……」
全自動卵割り機が戸惑っているうちに、甚六は彼のボディについた泥や汚れを綺麗に拭き取った。
「壊れている部分は直さないとしょうがないな……よし、うちに来るといいよ」
甚六は全自動卵割り機を抱きかかえた。
「……おい? 何を泣いてるんだ?」
全自動卵割り機は返事も出来ずにしゃくりあげ続けた。
甚六の手の暖かさ、抱きかかえられた腕の柔らかさに。
そういうものに、自分はもう、一生関わることなどあるまいと思っていたから。
だから人の温かさなど、もうとっくに忘れてしまったと思っていた。それは少し手を伸ばすだけで手に入れられるものなのだと、気付くことすらも出来ないままに。
初めて自分の友達になってくれたタラちゃんはもういない。
でも、タラちゃんが教えてくれたことは、残してくれたものは、確かにここにあった。
(タラチャン……ボクは……ボクは……)
生きていく。
たとえ生まれて初めて出来た友達はもうこの世にいなくても、この温もりをもう一度手に入れるために、自分にこの温もりをくれた人を守るために、もう一度生きていく。
もう一度、今度こそ、友達を守るために―――
「なんだ、この嫌な気配は?」
最初にそう口にしたのは甚六だったが、全自動卵割り機ももちろんそれには気付いていた。
それはまるでその場にいる者を全て空気ごと凍りつかせるかのような、圧倒的な負の存在感だった。
そして二人は間もなく、目の前にその気配を発している張本人を発見した。
「あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、
―――――」
そこにはいないはずの誰かに絶え間なく呼びかけながら、震える手で鉈を握り締めている一人の女。
その鉈に、手に、顔に、服に、夥しいと形容するしかない量の血がついている。
そしてその女はその眼球に二人の姿を捉えると、全くの躊躇も無く血の滴り落ちる鉈を振りかざして無言のまま駆け寄ってきた。
「う、う、うわあああああああああああ!!」
甚六は子供のような悲鳴を上げ、そして彼女に向かって全自動卵割り機を投げつけた。
(え?―――)
呆然としたのは一瞬、甚六の狙いは外れ、全自動卵割り機の体は地面に叩きつけられた。
アナゴの妻はそれを邪魔そうに蹴り飛ばすと、逃げていった甚六の背中を凄惨な笑顔で追いかけていった。
(そ、んな――どうし、て――)
右腕が折れ、頭も凹んだ全自動卵割り機の脳裏に浮かぶのは、ただその言葉のみだった。
【五日目 午後4時】
【町の北部の路上】
【アナゴ婦人】
状態:健康
装備:支給品一式
武装:鉈
思考:
基本・アナゴ以外の参加者を皆殺しにする
1・甚六を殺す
【甚六】
状態:健康
装備:支給品一式
武装:なし
思考:
基本・アナゴ婦人から逃げる
【全自動卵割り機】
状態:破損(命に別状なし)
装備:なし(支給品焼失)
武装:なし
思考:
1・………
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