僕たちのこと、忘れないように






一人の男が、日の光が天頂から照りつける時刻に道の真ん中を歩いていた。
殺し合いももう五日目。ここに到ってもまだ自分たちの置かれている状況を把握していない者などいない。
その男も、他の参加者よりは時間はかかったが、何が起きているのかは何とか理解した。
だが、理解は出来ても納得は出来ない。
彼にとってこの殺し合いは、他の参加者たちにとってよりも何倍も信じられないものだった。
(……全く、気の滅入るものですね。自分たちの書いていたキャラクターに、殺し合いを強要されるとは)
男は心の中でそうつぶやくと、深いため息をついた。
それにしても、と思う。波平と直接の知り合いであるキャラクターならともかく、なんで自分まで殺し合いに参加させられたのかと。
あるいは、復讐のためなのだろうか。自分は確かに、波平たちを弄びすぎた。
恨みを買うには十分なのかもしれない。
しかし、自分にとっては所詮アニメの世界の住人に過ぎないキャラクターに殺されるというのは、どうにも実感が沸かなかった。

と、そんな男の耳に子供の悲鳴が聞こえた。それも一人のものではない。
悲鳴のしたほうに駆けつけると、二人の少年が逃げ回っていた。足元には血が滴り落ちている。
それを追っているのは……なんということだろうか。
彼女のことはよく知っている。世界で一番知っている人間の一人だと言ったっていいだろう。
だけど、なぜその彼女が刃物なんかを手にして、子供を襲っているのか。

「……やめろ!!」

そう叫ぶと刃物を持った少女は動きを止めた。流石に大人の男が相手では分が悪いと踏んだのか、踵を返して逃げていく。
その後を追おうとして、やめた。彼女を捕まえたところで、何を言えばいいのか分からなかったからだ。
それよりも優先すべきなのは、怪我をしている少年の手当てだろう。
「君たち、大丈夫か? 傷口を見せてみなさい」
最初は男を警戒していた少年たちも、おずおずと彼の言に従った。

怪我をしていたのは二人の少年のうちの片方だけだった。
しかしその背中の傷はかなり深く、今まで走れたことが不思議な程だった。
おそらく、もはや助からない。
本来なら病院で適切な応急手当を受けさせれば一命は取り留めるかもしれないが、今この、街ではそんなもの望むべくも無い。
「痛いよ……痛い……」
少年はただうわごとのように繰り返すが、その声はどんどん小さくなっていった。
「おい、しっかりしろよ!! おい!!」
もう一人の少年が懸命に叫ぶ。だが、怪我をした少年はそれに答えることも出来ず、弱々しく瞼を開閉するばかりだった。

どうしてこんなことになってしまったのか。
この街は、世界で一番笑顔に溢れた場所のはずでは無かったのか。
「キミ、しっかりするんだ!!」
そう呼びかけるが、彼は目の前の少年の顔は知っていても名前は知らない。
彼には名前など無い。もう一人の少年にも名前は無い。
彼らは、外見だけが設定されているが名前の設定は無い登場人物だからだ。
この番組の中では、カツオとワカメのクラスメートについては中島やホリカワなど一部のキャラクターを除いては、
顔だけは決められていても名前は設定されていない。
だから、彼には少年の名前を呼ぶことは出来ない。

ただ彼に出来るのは、自分たちが作り上げてきた、長年積み上げてきた幸福な世界が、目の前で崩れ去るのを黙って見ていることだけだった。

気がついたら、彼は上下左右も分からぬ暗闇の中にいた。
突然のことに立ちすくむ彼の前に現れたのは、和服姿の一人の男。
その姿には見覚えがあった。
「磯野、藻屑……」
「左様。流石は長い付き合いだな」
幕末の武士は、波平と同じ顔と声で、雪室をからかうように言う。
「此度は迷惑をかけてすまなかったな。そなたを巻き込んでしまったのは完全な手違いじゃ。
今すぐに元の世界に返してやるが、その前にちゃんと説明して直接侘びを入れたかったのでな」
藻屑のその言葉が終わらないうちに、彼は口を開いた。
「一体これは何の真似なんだ? 君たちの目的は一体何なんだ!! こんなことをして一体何になるんだ!!」
「……それをそなたが知る必要は無い」
藻屑の姿が徐々に薄くなっていく。
「次にそなたが目を覚ましたら、そのたの元いた世界に戻っているであろう。そして、こちら側で見聞きしたことは忘れるがよい」
徐々に遠ざかっていくその声に追いすがるように、彼は叫び続けた。

「待ってくれ、私はまだこっちの世界でやらないといけないことがあるんだ!!
みんなを笑顔にしないといけないんだ!! 私は……」


【五日目 午後1時】
【時空の狭間】

【雪室先生  生還】
残り33人


【磯野藻屑】
状態:健康
思考:
1・波平をサポートする
※主催側の人物です



公園の蛇口で血の付いた刃物を洗いながら、少女――磯野ワカメは苦々しく顔を歪めていた。
桜井マホの死体を埋めているところを見られただけでも失態だったが、その目撃者の二人を始末し損ねたことは痛恨の極みと言っていい。
とどめに、目撃者を襲っているところを見知らぬ男にまで見られてしまった。
顔をはっきり見られた以上、このままでは窮地に追い込まれてしまう。
一刻も早くあの二人と男を始末したいが、ノリスケの時のような奇襲でもなければ大の大人には敵うまい。

――ワカメは、途方に暮れて青空を仰ぎ見た。


【五日目 午後1時】
【磯野家近辺の路上】

【磯野ワカメ】
状態:健康
装備:支給品一式
武装:ワイヤー、文化包丁
思考:
1・家族以外の人間を皆殺しにする
2・目撃者をどうにか始末する



少年は呆然と立ち尽くしていた。
何しろ、さっきまで目の前にいた男が忽然と「消えて」しまったのだ。
そのために、彼は自分の背後にそっと忍びよる影に気付かなかった。

一撃で背中から肺を刺された少年は、そのまま倒れこむ。
襲撃者は、その首に二撃目を加えた。
完全に息が無くなったのを確信すると、地面に倒れているもう一人の少年の首も念のために切りつけた。
こうして名も無き少年たちは、自分たちを殺した者の顔すら分からぬまま、ひっそりと退場した。

そして、少年――ホリカワは、がっくりと地面に膝をついた。
人を、殺した。それも二人も。
それは年端も行かない少年にとってはあまりにも耐え難い出来事だ。
脚は震え、目からは涙が溢れだして止まらない。
だけど、やらないといけない。

ホリカワは、偶然にもワカメがマホの死体を埋める現場を見てしまった。
そして、ワカメが少年二人を刃物で襲う所も……
ワカメの殺人を知っている人間は、口封じのために殺さなければいけない。ワカメにそれが出来ないなら、自分が代わりにするだけだ。
自分はワカメを守らなければいけないのだから。
自分だけが、ワカメを守ることが出来るのだから。

「ワカメちゃん……何も心配いらない。僕が全部うまくやる……」

震えて上擦った声で、自分に言い聞かせるように少年は呟いた。
第一回放送の始まる、ほんの数分前の出来事だった。


【五日目 午後1時】
【磯野家近辺の路上】

【ホリカワ】
状態:健康
装備:支給品一式
武装:ワイヤー
思考:
1・ワカメを守る



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