無題






俺は戦慄した。そして思い知った。奴の残した爪跡の深さを。
いや、正確に言えば、最初に湧き起こった感情はそれとは違うものだった。
憤り。胸の奥に淀むような不快感。俺の呼吸は早まり、マウスを持つ手が震えた。
この俺を、ただ疑問と予想を口にしただけの俺を、奴の自演だって?
思わずアンカーをクリックし、俺自身の過去の書き込みを読み返す。それから押し寄せたのは絶望だった。
……駄目だ。俺が奴でないと証明できる要素はどこにもない。
文体は何処にでもあるようなもの。内容も、奴を持ち上げているように取れなくもない。
あれは殆ど反語表現のようなものだった。そんな説を真面目に唱えるつもりなど微塵もなかった。
しかしその話題を持ち込んだのが俺である以上、邪推しようと思えばいくらでも邪推できる状況だ。
ただでさえ皆は疑心暗鬼に陥っているのだ。過敏になるのも仕方ない。
俺は溜息をついた。悪いのは俺だ。どんな言い訳をしたところで、この疑惑は拭い去れない。
弁解に必死になればなるほど、皆の疑惑は深まるだろう。
苛立ちを抑え、俺は今後の方策を考える。冷静にならねばならない。
このIDが奴の自演用の物だと思われれば、俺はこれから、思ったことを此処で吐き出すこともできない。
自分独りの胸に秘めて耐えられるほど出来た人間ではないのだ。此処から追い出されたくない。
では無実を証明するには、どんな方法がある?
管理人氏にIPを確認してもらう?――駄目だ、奴が串を使っていないという保証はない。
SSを投下した時の鳥を晒す?――駄目だ、此処は隔離スレなのだ。
俺が疑心暗鬼に取り付かれた哀れな男であると知れれば、過去の俺のSSまで物笑いの種になるだろう。
それは書き手として、人格を疑われ罵倒されるより耐え難いことなのだ。
……ふと思い付いて、最近見ていなかったカオスロワを覗く。
もし俺が此処で新たな鳥を晒して、同じ鳥でカオスロワに投下すれば無実は証明できるのではないか?
他のロワにこんな不純な動機で書いたSSを投下するわけにはいかない。それはロワ住人に対してあまりに失礼だ。
しかし、カオスロワならこんな俺でも受け入れてくれるのでは……。
そう考え、逸る心でスレに目を通した俺は、二度目の絶望を味わう。
普通に投下できる空気ではないのだ。完結ルートの投下後で、2ndの議論が始まっている。
本気で完結させたいという趣の住人が少なからず居ると思われる今、投下などしたら空気嫁と言われることは明白だった。
俺には道はないのか、このまま汚名を被って消えるしかないのか……次第に諦めが俺を支配し始める。
全て俺の責任なのだ。言い訳できない状況に追い込まれたのは、俺自身の考えの浅さゆえだ。
――いや、待てよ?
ふと俺は気付く。俺は愚かではあったが、間違ったことはしていないのだ。
自業自得とはいえ被害者である俺が自分を責める必要などないではないか。悪いのは全て、そう、奴だ。
一瞬、この考えはただの責任転嫁かも知れない、という思いも浮かんだ。
俺は自分の過失を棚に上げ、奴の所為にして責任から目を背けているだけなのでは、と。
吟味する。奴と同レベルにまで堕ちてしまってはならない。俺はそんな醜い男になってしまいたくない。
俺のしたこと。奴のしたこと。スレの住人たちが、それをどう受け止めたか。
それを考える内、俺は奴の恐ろしさを改めて認識したのだ。
恐らく現実には取るに足りない人間なのだろうが、その矮小な存在が、多くの人の心を歪めている。
いや、奴という一人の人間に対しては軽蔑すべき存在としか思っていない。恐ろしいのは、奴の影だ。
奴によって呼び起こされてしまった、住人たちの心の中の闇と言うべきかも知れない。
(これほど深い爪跡を残せて、他人に影響を与えられて、話題にもなって……満足だろうよ、キャプテン)
俺は呪詛の言葉を吐き出した。自分の醜さを完全には否定できない、その苛立ちも憎悪を煽る材料になっていた。
気付かぬ内に俺自身も奴に毒されているのか。それとも、俺の醜い本性が暴かれただけなのか。
いくら考えても答えは出ない。答えを出すことを、俺は恐れているのかも知れない。



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