遠い終わり






「誰か後をつけてきてる……」
「え?」
 呟き、L.A.R.は立ち止まる。袖を掴む赤目の力が、若干強くなるのを感じた。不安
にさせても仕方がないが、これは事実だった。心の準備が出来てないよりはいくらか
マシだと思う。
(しかし、まずいな)
 いくら森の中といはいえ、道からそう外れたところを歩いてるわけでもない。樹木
という障害物はあれど、見通しがそこまで悪いわけではないのだ。しかし気配はある
にも関わらず、周囲に誰の姿も確認することができない。刺すような視線を確かに感
じるのに。もしも相手が飛び道具を持っていて、その気があるのなら、間違いなく自
分は殺られているはずだった。今こうして生きているのは、相手にその気がないから
か。あるいは、より確実なチャンスを窺っているのか。何せよ、用心するに越したこ
とはない。
「じっとしててもしゃあないか。とりあえず、歩くよ。周り、充分気をつけて」
「……だい、じょうぶ?」
「正直そう言いきれないけど、とりあえず嬢ちゃんは守るから、安心していいよ」
 充分に慎重になって歩き始める。それでも変わらず、何者かの姿を見ることはでき
ない。
 十数分が経過し緊張感が限界を迎えたとき、
「!?」
 瞬時に赤目を後ろに庇い右方向に向き直る。
 追跡者が木陰から木陰に移動する瞬間を、L.A.R.の目は捉えた。
「誰だよ……さっきから人様の後ろをこそこそしてんのは」
 銃を構えると同時に、追跡者は今までの行動が嘘のように、あっさりと姿を現した。
 右手にサブマシンガン。左手にカードを持って。
「少しばかり勘が良さそうだったからな。警戒させてもらった」
 男が喋る。L.A.R.も赤目も、その姿に見覚えがあった。一番最初に名前を呼ばれた
人物。そう、この男は、
「命氏じゃないか。あんた、そういうキャラだったのか」
「あ、あの……お礼を……」
「嬢ちゃん、そんなこと言ってる状況じゃないぞ」
 ここで発砲するのは簡単だった。しかしそれは無意味だと悟る。
 奴に当たる気がしない。
 僅かな静寂の後、命は左手のカードを掲げた。
「この中から好きなカードを選べ。上から何番目だ?」
「何のつもりだ?」
「いいから早くしろ。俺は気が長い方ではない」
 命はこう言っていた。早く選ばないと、殺すと。
「……13番目」
 L.A.R.は答える。命は手元を見ずにカードを送り、13番目のカードを取り出した。
「……ふん。今は見逃しといてやる。そこのガキ。お前は?」
「え、ええと、えと……」
 何かを言いかけたところで、L.A.R.が静止をかけた。
「待て。俺のカードは嬢ちゃんにくれてやる。今から引くカードが俺のでいいか?」
 命は一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、すぐに元の無表情に戻る。
「勝手にしろ」
「勝手にするさ。8番だ」
 同じようにしてカードを取り出す。それに目をやり、カードをしまい。
 ――全く唐突に、右手を持ち上げた。

 ぱらららら、という音を耳に残したまま、L.A.R.は左に飛んだ。同時に赤目を逆方
向に突き飛ばす。離れる二人の間を、マシンガンの弾が通り過ぎた。
「あっぶねえだろ! 俺のカードはあの子にやったんだ。巻き込むような真似するな!」
 L.A.R.は応戦しながら叫ぶ。命はそれには答えずに言った。
「L.A.R.、馬鹿な真似をしなければ助かったのにな」
 続けてマシンガンを発射。L.A.R.は即座に近くの樹に隠れる。
(くそ! 分が悪すぎる! せめて、もう少し遠くへ……)
「嬢ちゃん、走れ! どこでもいいから遠くだ! 早く!」
 赤目の方を見ずに叫び、彼女とは逆方向に走り出す。命もすぐに後を追った。

 赤目の耳に、その言葉は届かない。
 命の一言。彼は、確かに『L.A.R.』と呼んだ。
 黒の牧師はそれを否定しなかった。
(あの人が……L.A.R.……私、騙されてた?)
 優しい背中が遠ざかっていった。それは森の中へ走るその背中のことではなくて。
 そんな気がした。

 女は歩いていた。
 道の途中で拾った、巨大な十字架を背負って。
 誰だったかが、この武器を貰っていた気がする。その人物は何故これを捨てたのか。
 もう生きていないかもしれない。
 とにかく、いい拾い物をした。武器としては申し分ないだろう。重いけど。
 どこかで銃声がした。多分、マシンガン。そう遠くはない。
 一瞬躊躇するが、その方向へと走り出した。
 自分が先ほど受けた恐怖。もし誰かが同じ目に遭っていたら、助けたいと思うから。


(くそっ! くそっくそっ! ちくしょうっ!)
 全身傷だらけのL.A.R.は、座り込み壁にもたれかかった。
 ここは森の中のログハウス。森の中で逃げ続けるだけではこちらが消耗し続けるだ
け。そう判断したL.A.R.は、都合よく発見したこの場所に避難した。何をどうしよう
が圧倒的に分が悪いのは自分だとわかっていた。それでも何かの変化があれば勝機を
掴めるかもしれない。苦し紛れなのは知っていた。
 武器の差は力の差。こちらの攻撃は、おそらく一発も当たっていない。対して自分
はこのざまだ。致命傷はなんとか避けているものの、また左腿と左肩に一箇所ずつ撃
ちこまれ、かなりの弾丸が体を掠めている。貫通しているのは、不幸中の幸いだと言
っていいかもしれない。
 建物の構造を考える。ドアが一箇所、窓が二箇所。床は底上げになっており、ドア
に続く階段からしか進入は不可能だ。おそらく。真正面から飛び込んできてくれれば
対処できなくもないが、そこまで馬鹿ではないだろう。また、相手が手榴弾の類を持
っていたら完璧に終わりだった。
 窓を覗き込む。命が歩いてくるのがわかる。外から見た室内は暗いはず。自分の姿
は窓越には確認できない。
(よし……)
 深呼吸一つして、窓から命を狙撃した。

 一発目。二発目。外れ。三発目がようやく命の脇腹を抉る。続いて四発目は外れ。
次の攻撃に移る前にL.A.R.は身を隠す。直後に銃弾の嵐が窓から室内を襲った。攻撃
が途切れる。
(しくじった……殺せなかった)
 噛んだ唇から、血が滲む。

 長期戦の予感がした。小屋から外に出る場所は三つ。玄関一つと窓二つ。それぞれ
が別の面についているが、三つをほぼ同時に監視できなくもない。相手はあれからず
っと同じ銃に頼っている。残弾数は知らないが、このまま撃ち合いをしたら、必ず底
をつく。しかしそのタイミングが命にはわからない。残弾なしと勝手に判断して、唯
一の入口である玄関に突入した瞬間に狙い撃ちされたらたまらない。相手を殺すこと
はできるだろうが、自分も無事では済まないだろう。玄関のドアをマシンガンで破る
ことも出来なくはない。が、あまり意味はない。どこから撃つにしろ、室内に死角は
ある。そこに逃げられて突入した所を狙われたらお終いだからだ。
 消耗戦を続けるか、ここは一旦諦めるか。

 予想外の攻撃が、予想外の方向からやってきた。

 誰かが小屋に立て篭もって抵抗を続けている。
 誰かがサブマシンガンを持って追い詰めている。
 遠目に見たこれだけの状況。
 とりあえず、サブマシンガンを持ってる奴は悪者だと思った。
 そう思った。
 だからT.Tは、背負っていたパニッシャーを構え、十字架の先を何者かに向け、
 マシンガンをぶっぱなした。

 その攻撃は命に当たることはなかった。が、明らかに命は、相手の射程範囲内に入
っていた。
「くっ!」
 急いで距離を置く。自分の武器もサブマシンガンであったが、何者かの武器は桁が
違った。秒間の弾数が違う。威力が違う。音でわかる。もっと暗くて重くて、深い、
そんな何か。この島で始めて、命は恐怖と対峙した。
 迷わず逃げを選択する。小屋の中のL.A.R.を仕留められないのは残念だが、自分が
死んでしまっては意味がない。この状況で真正面からアレと戦うのは愚かだ。
(いいさ、生き延びてやる。俺は生き延びてやる)
 銃弾の雨の中、恐怖と背中合わせのスリルを味わう。
 口元には楽しそうな笑みが浮かんでいた。


 命の武器とは違う銃声がし、それが次第に遠ざかってゆく。第三者の介入があった
のだろうか。自分は助かったのだろうか。
 L.A.R.は痛む体を起こし窓から様子を窺う。辺りに人気はなかった。当面の危機は
去った。まだ、なんとか生きている。
「ふぅ」
 しかし安心してもいられない。足を撃たれた。動かせないことはないが、今までの
ように自由に歩くことは出来ない。元より体力のない身である。このゲームの先にあ
る自分の姿が容易に想像できてしまう
「まぁ、諦めるつもりはないが……」
 そう。諦めるには早すぎる。諦めというのは、もっとこう……。
「いや、それよりも、嬢ちゃんはどうしたかなあ」
 それが気がかりだった。無事に逃げてくれたらと思う。不甲斐ない。誰かが守って
やらないといけなかった。あんな小さな女の子に、このゲームは重すぎる。そう、自
分が守ってやりたかったのに。


 突然、玄関が開かれた。

 慌てて銃を向ける。油断した。一体誰だ?
 そこに佇む小さな影。
 赤目だった。
 俯き、何か呟いている。
 その手には、小さな小さな、銀色に輝くナイフが握られていた。
「……わ、私。あなたのこと、信じてました」
 震えていた。今すぐ駆け寄って、抱きしめてあげたかった。
 ほら、もう心配ないよと。
 自分に、その資格があるのなら。
「だけど、だけど、あなたはっ!」
 きっ! と顔を上げる。フードが外れ、赤色の髪が目に飛び込む。

 ――ああ、そうだ、バレたんだっけか。

 タッと床を蹴り、迫る。
 手に光るは銀のナイフ。
 遅すぎた。
 あまりにも遅すぎた。
 自分はもう、銃を構えているのだ。

 ――仕方がない。

 守りたいと思った。
 こんな子がこんなところにいるのは間違いだと思った。
 だけど、

 ――仕方がない。

 トリガーに指をかける。
 自分だって死にたくはない。
 ぐっと力をこめる。
 諦めるには早すぎるから。

 ――仕方がない。

 悪く思わないでくれ。
 ごめんね。
 本当に。


 ――ああ、本当に仕方がないんだ。
 ――諦めってのは、そう――


 握った手を解き放ち、
 銃は掌から零れ落ち、
 ゆっくりと微笑んで、

 輝くナイフを受け入れた。

 彼女の眼に光るものを見てしまったから、

 ――諦めってのは、こういうときに――

 撃つことができなかった。

「大嫌い!」
 ナイフが、
「私だって、私なりに頑張った!」
 刺さる、
「あなたはそれを否定し、罵って!」
 抉る、
「辛かった! 苦しかった!」
 抜き取られ、
「ネタだけの良作上げて褒められて、実力もないくせに!」
 その繰り返し。
「嫌い! 死んじゃえっ!」

 ああ、
 その涙は、
 怒りの涙か。
 俺は、てっきり……

 手を伸ばす。
 彼女はそれに気付かない。
 刺し、抉り、抜き取り、男の体が赤く赤く染まって。

 届いた。
 右手が、彼女の頭に届いた。
 びくっ、と体を震わせ、ナイフの動きが止まる。

 言いたいことはいろいろあった。
 赤目の書いた茜の感想。譲れないこと。今の自分と昔の自分。
 ――そう。もう恨んじゃいないんだ。君も、彗夜も、皆――
 伝えるべきことは、そんなことか?
 違う。
 そんなのはどうでもよくて、ただ一言。
 ごめん、と。
 口を開く。
 どうしたのだろう。声が出なかった。
 赤いものが零れ落ちる。
 嫌だ。死ぬのは嫌だ。
 何も伝えられずに死ぬのが嫌だ!
 右手で頭を撫でてやる。
 もう目も見えない。
 無力な自分が悔しい。
 彼女を怒らせている。それで泣かせている。
 こんな小さな子を。
 弱くて、震えて、傷つけられることに慣れてなくて、そんな子を。
 ああ、もう、これ以上は。
 一言、一言。

 ――ごめん……――

 右手から力が抜ける。床に落ち、目も閉じられる。

 赤目はナイフを取り落とす。
 彼は最期に言った。


 ――無事で、よかった。と。


 『ごめんね』よりも、温かい。『ごめんね』よりも優しい。
 それは、許しとか、謝罪とか、いろんな想いを詰めて、最期に、

「どうしてここで会ったあなたは! そんなに、そんなに優しいんですかぁっ!」
 喉がちぎれるくらいに、叫ぶ。
「どうしてそんなに! 私を悲しくさせるんですかっ!」
 既にもの言わぬ体にしがみ付いて、
「もっと嫌な人ならよかったのに! 私だって、こんなに辛くならなかったのに!」
 全身が血に染まっていく。そんなもの構いやしなかった。
「優しかった! 温かかった!」
 でも、自分勝手だった。
「どうしてなんですかぁぁぁぁぁぁ!!」
 L.A.R.は最期に取り違えた。
 彼女の涙の意味を。
 それは、
 彼が最初に思った通り、
 行き場のない悲しみの涙だった。

 命を取り逃がしたT.Tは、再びこの場に戻ってきた。
 気になっていた建物のドアを開け、小屋の中を覗き込む。
 呆然と座り込んでいる子。
 傍らにはナイフ。
 血塗れの男の死体。
 覚えている。この武器の最初の所持者だったはずだ。
 何が起こったのかはわからない。
 いくつかの事実関係が推測できる程度。
 しかし、
(……妙に、悲しい風景)
 それだけが強く印象に残った。

「……」
 女の子が何か言っている。
「何?」
「……それ、この人の武器でした」
「うん」
「……それで、私を撃ってください……」
 沈黙。
「もう嫌です。何もかも……」
 女の子がこちらを向く。
 泣きはらした目。赤い目。虚ろな目。暗い目。涙の筋、いくつも。
「……辛すぎるんです。何もかも。もう逃げたいんです。ここから……」
 ここ、とは何処だろう。
 この島のこと? そうじゃない。そういうことじゃない、気がする。
「私には耐えられないんです」
 新しく、涙の筋。
「私が殺したこの人の武器で、私を殺して下さい」
「……」
「だめならいいです。自殺の方法くらい、まだ、考える余裕が……」
 本気だった。
 きっと自分がここに来なくとも、彼女は遠くないうちに命を絶っていただろう。
 無言でパニッシャーを構える。これ以上の痛みを感じる間もなく、死ねるはず。
 綺麗な死体にはならないけれど。
「ありがとう、です」
 女の子が目を閉じた。
 怯えもなく、震えもなく。僅かな躊躇いさえ見せたなら、撃たなくて済んだ。
(どうしてかな)
 トリガーに指を。
(どうして、こんなことしなくちゃいけないのかな)
 やりきれなかった。何かが、許せなかった。
(どうして、こんなことになっちゃったのかな)


 銃声がした。
 二発。
 銃声がした。
 軽い音。単独で二発。
 銃声がした。
 明らかに、パニッシャーのそれではなかった。


 赤目は目を開いた。
 スローモーションで女が倒れてゆく。
 胸から血を流して、目を見開いて。
 目線の先に、顔を向けた。
「……え?」
 自分が最後に見たあの人は、右手に銃を持ってなかったと思う。
 手は床について。

 カチッ カチッ

 僅かに手を浮かし、銃口をT.Tに向けていた。
 そんな力はないはずなのに、引き金を何度も引いている。
「……なんで……?」
 カチッ  カチッ
「もう、やめて……」
  カチッ   カチッ
「もう、いいから……」
   カチッ    カチッ
「ねえ、もう……」
  カチッ
「ねぇ……」
        カチッ

 壁にもたれていた体が大きく傾く。
 どさっと音をたて、仰向けに転がる。
 それが、本当の最期だった。


 声も出せずに、赤目は泣いた。


 海岸線を少し離れた場所。
 111といつかがその影を見かけたのは、空がもうじき紅くなる頃だった。
「あれは?」
 巨大な十字架を背負った黒服の子供。
「いつかさん、あれ何に見えますか?」
「巨大な十字架を背負った黒服の子供」
「です、よねえ」
 見ているのも危なっかしいくらい、力なく、よたよたと。
「あ、こけた」
「どうします?」
「……ほっとくわけにもいかなそうですよねぇ?」
 一応の同意を得て、二人は人影の元へと走り出した。
 すぐに人影は立ち上がり、次に二人の方を向く。
 十字架を持って、その頭を二人に向け、
「え?」
 何かが飛んできた。


 命さんに、影絵のお礼、言ってなかった。
 歩く。
 お礼、言わないと。
 歩く。
 お礼を……。


 気付いたのは、あれからすぐのこと。
 周りから何もなくなって。
 自分を殺そうとしてくれた女の人も死んでしまって。
 殺したのは私が殺したはずの人で。
 その人は私を守ってくれたんだと思う。
 そして、その人もやっぱり死んだ。
 自分が何をしたのか教えて欲しかった。
 もう何もわからなかった。
 死ぬことも生きることも。
 だから私はそれにすがりついた。
 命さんに影絵のお礼を言おう。
 何もわからないから、与えられた目標に、機械的に従うだけ。
 何もわからない。何も知らない。何も出来ない。何も見えない。
 うん、とりあえず、お礼……。

 誰かが走ってきた。
 命さんじゃなかった。
 だから撃った。
 パニッシャーの先。マシンガンとは逆側。グレネードというのかな?
 爆発。
 誰かがばらばらになるのが見える。

 背負い直した、この十字架。
 また少し、重くなったような気がした。

【L.A.R. 死亡】
【111 死亡】
【いつか 死亡】
【T.T 死亡】
【残り32人】




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