彷徨う人の子ら
――二人で作った粥の味。わたしは多分忘れない――
『…ったく、かったりぃ。
聞こえるか、藤田浩之だ。ここ6時間の死亡者を発表するぞ。
5番、111。7番、林檎。9番、祐一&浩平。21番、遥か昔の(略)。23番、T.T。25番、訳あり名無しさんだよもん。
以上6人だ。
後1人で半分か。結構いいペースで進んでるな。
このまま殺しあってさっさと終わらせてくれ、以上』
「ったく。折角作った飯がマズくなるな……」
粥を口に運びながらL.A.R.は呟く。
その表情は硬かった。また一人、この島で出会った人間が死んでしまった。
(再会することはなかったな。林檎……)
ちらりと横目で『。』を見る。
彼女はL.A.R.と同じような表情を浮かべていた。
違っていたのは、彼女は箸を止めていたということ。
食事をとりながら途切れ途切れに会話を交わしていた二人であったが、
この瞬間からはお互い口を開くことはなかった。
食器を台所に放りながら、これからどうするとL.A.R.は訊いた。
「ボクはもう少し……できれば夜が明けるまではここで休んでいたいです」
薄暗い部屋の中――電気を点けると当然誰かに気付かれる――『。』は言う。
歳と外見に見合った体力しか本来持ち合わせていないのである。
森での追跡劇と転落が与えた疲労はかなり大きかった。今にも眠りたいくらいに。
彼女としては、L.A.R.も同じ意見であってもらいたかった。
同じ釜の飯を食べた仲というわけじゃないけど、多分この人はそこそこ自分を信頼してくれてると思う。
自分もこの人を信頼している。
自分の役に立ってくれるという、少し違った信頼の形。
「そうか。ならお別れだな。俺には俺のやることがある。立ち止まってるわけにはいかない」
言うより早くL.A.R.は立ち上がり、自分の荷物と傘を手にとった。
「俺の知り合いが、書き手としてあんたを慕ってた。殺されたけどな。
だが、そいつの代わりとしてあんたを助けたわけじゃない。
だから俺は最後まであんたを助けることは出来ない。悪いな」
背を向ける。
こんなに簡単に背を向けられる相手なのに、L.A.R.はまた一人で彗夜を追うことを選んだ。
当面の危機は救ってやった。自分の良心とやらも、これで勘弁して欲しい。
それに、そもそもこの少女は……見た目通りの少女じゃない。
「わかりました。ボクを助けてくれて、ありがとう」
立ち去る背中に、『。』は声を投げかける。
手を伸ばせば届く位置に自身の鞄があった。つまり、イングラムがあった。
それを何故とらないのか、何故L.A.R.を撃たないのか。
決まっていた。
彼が振り向き、自分が武器を取ろうとする所を見られたら、撃とうとする所を見られたらいけない。
そんなことは決まっていた。
決め付けた。
「この銃、さ」
手の中のコルトガバメントに視線を落とし、振り向きもせずにL.A.R.は言った。
「あ、それ……」
「俺にくれたりしない?」
ダメで元々だと思いながらも言ってみる。
「返して下さい」
「……そりゃそうだ。悪い」
ふっと振り返り、『。』に投げて寄越す。
放物線を描き、銃は彼女の胸に綺麗に収まった。
それを見届けるとL.A.R.は玄関に向けて歩き出す。
「じゃあな。お互い運がよけりゃまた会えるかもな。
あんたと食った粥、美味しかったよ。忘れないと思う」
――ああ、この人も、わたしと同じことを――
「待って!
ボクは今銃を持ってるのに。どうしてそんな簡単に背中を向けられるの!?」
止まらなかった。
思わず口に出してしまったが最後。もう止まらなかった。
「……ここで背中隠すようなら、最初からそうしてる」
「どういう……意味ですか?」
「俺はその鞄の中を知っているってことだ。
俺だって最初からあんたを信用してたわけじゃない。
最初慣れない料理に手間取ってた二時間、俺は最大限の注意をあんたに向けてたぞ。
そうじゃなきゃ、いくらなんでも粥作るのに二時間もかかるわけないだろ。
だけどあんたは、俺を狙うなんてことは全くしなかった」
『。』は唖然とする。
この目の前にいる男は一体何を言っているのだろうかと。
あまりにも物事を好意的に解釈しすぎている。
どうしたら、こんなお気楽な考えが出来るのだ。
それがわけもなく『。』を苛立たせる。
「そんなことで信用したとでも言うんですか!?
あなたは馬鹿ですか!? わたしがあなたを利用しようとして、あえて狙わなかったと考えないの!?」
「そう騒ぐな、考えないわけないだろう。だから思った。利用価値があるうちは狙われない」
たった一言で『。』の言葉を切り捨てる。
「それにそんなことはあまり関係ない。
次にあんたのところに言ったとき、あんた一緒に飯作るとか言っただろ。
あの時さ。ああ、こいつは信頼できるかもしれない。そう思った。
キッカケは些細なことなんだ。何にしたって」
「どうして、そんなことで……」
「それがわかれば、誰も自分の心について悩んだりしないんじゃねえか?」
今こうして話している間も、L.A.R.は『。』の方を向いていない。
『。』は銃を構えて引き金を引いた。
発射された銃弾は、L.A.R.の左腕の肉の一部を抉り取る。
衝撃で彼は前に倒れた。
左腕を狙ったのは、『。』のささやかな抵抗。
それは、心臓を狙うことへの抵抗か。
それは、銃を下ろすことへの抵抗か。
わからない。
それがわかれば、誰も自分の心について悩んだりはしない。
「状況は変わりました。わたしがあなたを『信頼』する時間はもう終わり。
ありがとうL.A.R.さん、おかげで随分と体調を持ち直すことができました。
もうあなたに利用価値はありません。死んでください」
銃口は未だしっかりとL.A.R.を狙っている。
変わりにその声が震えていた。
だけど何も問題はない。あとは殺して、自分は以前の自分に戻るだけだ。
強がって、虚勢をはって、そんな惨めな自分に戻るだけだ。
L.A.R.が起き上がる。『。』は心臓を狙い……L.A.R.がこちらを振り返った。
「……わかった。
あんたは俺と似ている。だけど俺よりも意地っ張りで強情みたいだ。
あんたは口だけの俺と違って本当に俺を殺すだろ。
でもな」
俺だって、そう簡単に殺されるつもりはない。
『。』に向かって全力で走る。
銃口が再び火を噴いた。
その寸前、L.A.R.は手持ちの傘を開く。
(葵の言ってたことが嘘だったら、俺はここで死んじまうな)
開かれた傘に銃弾が直撃し――そのままはじかれ、弾丸は地に落ちる。
『。』は驚きで一瞬反応が遅れ、その隙にL.A.R.は向きを変える。
そのまま部屋の窓ガラスに突っ込んで、外に躍り出た。
少しばかり地面に転がり、すぐに体勢を立て直す。
ガラスに突っ込んだ割には大した怪我もない。
ただ左腕だけが、強い痛みを訴えていた。
(信じる者は救われねえなまったく。俺もお喋りが過ぎたかな)
あのまま語ったりしなければ、彼女はそのまま見逃してくれたと思う。
しかし無理だった。
本当に信頼していたから、はっきりと言ってしまいたかった。
結果的にそれは彼女の心を揺さぶることになった。
強がってる人間にあんな言葉をかけたら、反発されるに決まっている。
(ったく、素直じゃないんだよ、どいつもこいつも)
急いでその場を離れようとする。
その前に、唐突に、全く唐突に誰かが立ちふさがっていた。
「!?」
悪寒が走り、体のバネを最大に使って体を横に捻る。
一瞬後に、ナイフの白銀の光がその場を貫いた。
捻った勢いで体が倒れる。少しでも距離を稼ぐためにそのまま転がった。
体を起こすため一瞬動きを止める。
L.A.R.はとっさに傘を開いた。
ゴオゥッ! という音がして、何かが傘に襲い掛かる。
攻撃を防ぎながら起き上がり、距離を取る。
横に避けながら傘をどけると、炎が一筋通り過ぎたところだった。
攻撃が止み、二人は対峙する。
辺りは完全に闇に覆われたわけではない。襲撃者の顔をL.A.R.は容易に確認できた。
若い男。完全に大人になりきれていない、やや幼さの残った顔立ち。
瞳には純然とした狂気の色を携えて。
頭の中で誰かがささやく。
――こいつだ。間違いない
ようやく、俺はこいつを見つけた――
「どうやって乗り込もうかタイミングを計ってたんだよ僕は。
だけど、そっちから出てきてくれるなんて好都合だよねえ。くっくっ……」
ナイフを持った手を口元にやり、ニタッとした表情で笑う。
「とりあえず名乗ったらどうだキチガイ。
もっとも予想はついてるんだがな。ちなみに俺はL.A.R.だ」
自己紹介は自分から。これは一般的な礼儀だと思う。
もちろんL.A.R.が目の前の男に礼儀など払うわけはない。
お互いの立場を明かすためにやらなければいけない、形式的なものだ。
男は少々驚いた顔をし、またいやらしい表情を作る。
「あなたがL.A.R.か。うん、聞いてるよ。
僕を狙っているらしいじゃないか。
殊勝なことだね。いまだに教会のことで僕を恨んでいるのかい?
僕は謝ったことがあるはずだよ? いつまでも粘着されちゃ不愉快だ」
おかしそうにしながら、一気にまくしたてる。
「いいから、さっさと名乗――」
「おお、愛しの『。』嬢!! ようやくこうして、君の前に姿を見せる機会が来たよ!!」
L.A.R.の言葉を遮り、男は歓声を上げる。
L.A.R.が振り返ると、そこには鞄とガバメントを持った『。』が立っていた。
「あなた――誰?」
氷のように澄んだ――そして冷たい声と瞳で、問いかける。
「ごめんごめん、あいつに名乗る名前は持ち合わせてないけど、あなたには知ってもらわないと。
僕の名は――」
彗夜
「嬢、僕は君を守るために生まれてきたようなものなんだよ。
君の言うことならなんでも聞くさ。大丈夫、僕が守ってあげるからね!!」
両手を広げる。オーバーアクション。
「……本当ね?」
冷たい声は変わらずに。
「僕は君に嘘なんかつかないよ。こんなにも愛しているんだ、当然じゃないか」
芝居のかかったような、その仕草。
「……そう、だったら――」
声に震えが混ざる。
「おい、あんた、まさか――」
かつて感じたことのない、絶望。
「……だったら」
薄く光る月が見下ろす、この大地。
躊躇うように、それでも、無理矢理にその言葉を搾り出す。
「……この男を……殺すのを……
手伝って……くれる……?」
星の輝く空の下、不自然なまでの静寂、作られたかのような舞台。
彼らは、どこまでも、彷徨い続ける。
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