血の通った生き人形
「ぐっ…がっ…くそっがっっ!!」
痛みはそれほど感じなかった。ただ気持ち悪い。目の前の景色がグニャリと歪んだ。
右肩から下、右半身から徐々に力が抜けていく。
特に右腕は、脳で動けと命じてもまったく動いてはくれなかった。
ただぬめるような暖かい液体の感触だけが体の表面を伝わった。
左手で右肩を押さえながら、辺りを見渡した。
――遠くで声が聞こえる。
「――っ…行くわよ!」
訳あり名無しさんだよもんと名無しさんなんだよを急襲した男は二人を一瞥すると、
そのまま再び百貨店入り口へと消えた。
(なんや、なんでとどめ刺さなかったんや…?)
頭のどこかでそんな不可解な疑問が浮かんだものの、すぐに消えた。
「う、うう…」
突然飛び出してきて最初の犠牲となった男の死体の下から這い出てくる女。
(ワシは…まだ死なん)
女と、自分の肩の出血を交互に見やって、そしてゆっくりと立ちあがった。
彼女と違って足に怪我はないが、とても立てるような状態ではない出血量だった――が。
(――ここで根性出さんでいつ出すんや!)
歯を食いしばり、上体を持ち上げると、しっかりと両の足で大地を踏みしめる。
「…はぁ…はぁ…」
名無しさんなんだよは、その訳ありの動きを目の端で確認すると、逃げようと背を向けた。
だが、足を撃ち抜かれた為立ちあがることができず這いずるだけだ。
(やれる時にやる…鉄則や)
訳ありは積極的にゲームに乗りすぎたのだ。このゲームは殺しの数を競うことではなく、
いかに最後まで生き残るかなのだ。少し訳ありはそこを履き違えていたが、それに気付けない。
転がっていたショットガンを左腕で引っつかむ。
途端、それまで押さえていた傷口から、間欠泉さながらに赤い血が溢れ噴出する。
(大丈夫や。弾は貫通しとる。目の前の女を殺って、一時退却して手当てして…それで終いや)
本当は貫通などしておらず、背中側には傷がなかったのだが。
そうでなくても、今の時点ですでに助かりそうもない、と思える位の出血量だったのだが。
そう心に強く念じ、未だ這いずっていた女に銃身を向けると、足で大地を踏ん張りながら引き金を引いた。
(…なんや!畜生っ!)
撃った時に予想された左腕への反動の衝撃はまったくなかった。当然だ。弾は発射されなかったのだから。
弾切れだった。両腕が無事なら即座に詰めかえることもできただろうが、左腕一本ではそれは叶わない。
「……っだよっ!」
一方のなんだよは、必死で手をのばすと、転がっていた武器に手をのばした。
先程彼女が投げ飛ばした武器――鉈だ。この足では逃げ切れないと悟ったなんだよは
一縷の望みを賭けて戦うことを選んだ。
訳ありは、雄叫びをあげながら、彼女に突進した。
突進とは名ばかりで、実際は何度も転びそうによろけながら近づく、といった形ではあったが。
とにかく、訳ありは突進した、のだと思う。それほどの気迫をもって彼女に迫った。
片手で器用に――それは訳ありの傷の深さを考えると奇跡的なほどの動きではあったが――
ショットガンを回転させ、柄から銃身の部分に持ちかえると、大きくそれを振りかぶった。
訳ありから噴出する血と、足で跳ね上げられた血しぶきが霧のように舞い、小さな虹が二人の間に浮かんだ。
「ざっ――せいっ!」
その架け橋を踏み散らすかのように、最後の一歩を踏みしめると、目の前へと振り下ろした。
狙うは――なんだよの後頭部。
なんだよの手が鉈に届いた。
「――っ!!」
そのまま水平に鉈を凪ごうと腕を振るうが、
「あっ…」
訳ありの方が早かった。
わずかに首を後ろに動かしたため、後頭部ではなくこめかみのあたりにショットガンの柄が叩きつけられる。
なんだよの視界が一瞬ブラックアウトし、目がぐるりと半回転した。
それでも握られた鉈は放さない。
意識が飛びそうになりながらも必死に鉈を強く握りしめる。
(とどめや!)
すでに真っ赤に染まる左腕を再度振り上げると、狙いを定めながらもう一歩間合いをつめた。
ズルリ――
「なぁっ!」
その瞬間、予期せぬ何かに足を取られ、訳ありは大きくバランスを崩した。
踏み出した足がそのまま血の池を滑り、上体が大きくのけぞる。――視界に蒼い天井が広がったのが分かった――。
その時間は、訳ありにとって――そんな空に吸い込まれるかのような長い長い空白の時だった。
額をピクピクと引きつらせながら、頭をもたげた。血で潤った髪を振りまわしながら体を翻し、
無言で鉈を振り上げる彼女の姿があった。その表情はよく見えない。
「――っ!」
声にならない叫び声を発しながら、なんだよの鉈が大きく弧を描いて訳ありの脳天に迫った。
「ひっ……!!」
彼は咄嗟にショットガンをその軌道上に割り込ませた。
カコン、と小気味よい音が耳に響いた。
訳ありが最後に踏み出した足の下から2体で一対の人形が飛び出して宙にふわりと浮いた。
少し遅れて、ショットガンを握った左腕が2体の人形を追いぬくと物凄い勢いで舞いあがっていく。
それは激しく回転しながら空へと。
およそ、窓の割れた6階あたりの高さまで届いただろうか。
――名無しさんなんだよが畏怖し、そして縁起をかついで持ち続けた、あのハカロワの秋子が使った武器。
確かにこの鉈は大した切れ味だったのだ。差し出された左腕を寸断し、そのまま頭部へとめり込んだ。
そこにはあの名雪のように貼り付いたきれいな笑顔はなく、およそ人とは形容しがたい物体があるだけだった。
頭蓋ごと眼球が衝撃に割れ、ポトリと地面に落ちた。
パカリと砕けたその頭部からは、血というにはあまりに粘着質などろりとした液体が滴っている。
未だに出血を続けている肩と比べれば、それはあまりに少ない量で。
まるでもう――そこに血が行き渡っていなかったかのように。
訳ありの肩から溢れ出る血で、彼女の視界が、服が、全身が赤いクレパスに染まった。
撃たれた足よりも、頭が痛んだ。視界がぼやけ、赤一面に変わる。
断ち消れそうな意識の中でなんとか脳裏に浮かんだのは殺ったという結果だけ。思考というにはおざなりなものだった。
全身に降り注ぐ雨の暖かさを感じながら――そこに充実感はなかったが――彼女の意識は今度こそ本当に闇へと沈んだ。
訳ありはしばらくそんな彼女を見下ろすような格好でそこにいたが、やがてゆっくりと仰向けに倒れ、空を見上げた。
ややあって、バチャッという小さな水音を立てて左腕が地面に転がった。
絶対に放さないと言わんばかりにショットガンが握られている。
左腕が跳ね飛ばした血の一部が、これまた程よく水分で膨らんだ人形に引っかかったが、
限界まで水を含んで赤くなったその人形は、もう定員オーバーですよ、と言いたげにそれらを弾いた。
【25番 訳あり名無しさんだよもん 死亡】
【残り 21人】
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