戦いの犬を野に放て
実は、セーラー服を着るのは初めてなんです、――そう少女は笑った。
「ブレザーなんです、うちの制服。WAのマナのみたいな奴」
そう言ってくるりと回る。ひらひらのスカートと真っ白な上着が自分が学生だった時代を思い起こさせる。
ただ、自分が中学生だった頃の事なんて、本当は欠片ほども思い出せないのだけど。
――しかし、残念ながら、あまり似合っていないと思う。ちうがくせいらしさ、と言う点では。
セーラー服を身に纏った彼女は圧倒的に可愛いし、激しく抱き締めたい。けれど、その可愛らしさは彼女を
年相応の学生には見せない。お姉ちゃんのセーラー服を勝手に借りて着込み、一人悦に入る小学生、が形容に
相応しい。
しかしその考えを口にすると彼女を傷つけてしまいそうなので、遥か(略)は敢えて黙って、彼女――「。」
に微笑みを返す。だが彼女もさるものだ、自分のそんな心のうちを読んだかのように、
「……どうせぼくには似合ってないなあ、とか思ってるんでしょ」
アンニュイに言葉を吐く。
「ははは、チャットじゃWAでは彰に一番共感した、とか言ってましたけど、本音はマナに大共感です」
酷く渇いた笑顔である。もう何度も何度も何度もこんな事を言われまくってきたのだろう。
「そ、そんな事ないです、激しく似合ってますよ嬢っ。ロリコンのL.A.R.氏が見たら鼻血出して卒倒ですっ」
ぐはっ、全くフォローになっていないっ。遥か(略)はすぐに弁解をしようとしたが、「。」の唇は不満げ
にとがってしまった。だがそれがまた可愛らしい、不謹慎にもそう思う。
それにしても。
ここで初めて、遥か(略)は違和感を抱く。
信頼できる大人がそばにいるとは言え――先ほど、一人旅立ったときに見せたあの顔が、ここまで変わるも
のなのだろうか。あれほど恐怖に怯え、
――おかしい、何かを見落としている。彼女は、
そんな風に思い悩む遥か(略)をよそに、「。」はひどく楽しげに喋る。
「ちぇっ、べっつに良いですけどね……あーあ、はるかさんは良いなあ、背も高くて、スタイルもよくて……
どうせぼくは激しくチビだし、某長女の如くに貧ny」
ちょうどその時、――ここまでの死亡者を告げる、折原浩平による第二回の定時放送がかかった。
それで台なしになってしまった。明るい空気は一瞬で壊れた。刺を刺せば割れる赤い風船のように。そして、
遥か(略)の疑惑思考も一瞬で停止し、霧散し、なくなってしまった。そんな事は瑣末な問題だった、たった
今、遥か(略)の耳に入った言葉に比べれば。
「セルゲイ、さん」
長身の彼女からは信じられない程にか細い声だった。がたがたと歯を噛み鳴らし、身体全部を震わせながら
――遥か(略)は、民家の木造の硬い床にがくんとへたり込んでしまった。
こんなに風が強かったのだろうか。どうしてここは、こんなに暗いのだろう。まだ真昼だというのに。違う、
これは私の周りだけがそうなのだ。遥かは一人そう思う。風の音だけが遥か(略)の耳に届くようで、それが
不思議と身体に冷たいものを齎した。
言葉もなく呆然と立ち尽くしている「。」は、遥か(略)よりはるかに早く事態を認識したが――それが衝
撃に換わるまでには、遥か(略)が悲しみに突き落とされるよりもはるかに多くの時間を要したようだった。
「何で、セルさんが……っ」
その恐慌に陥った顔は――最初に、国崎往人に名前を呼ばれたときの表情と、まったく同じであった。
本当の、恐慌とはこんなものなのだろう。そう思わせるに足る、表情。
何が起こっているか理解っていない、そんな顔。
これは一応ロワイアルなんだろう? メインキャラは最後まで残るって話じゃないか! セルさんのよう
な良心的なコテ――メインキャラ格が、こんなに早く死ぬなんて!
「。」は、そんな事を喚いていたかのように思う。――だが、遥か(略)のアタマにその言葉は届かない。
「わたしは、それじゃあ、どうすれば」
放心顔の「。」は、――冬の朝に溜息を吐くように、自然に、
――「わたし」と自称した。
*
感情的な言葉を吐ききったのか、呆然として「。」もまた床にへたり込む。
沈黙と、吹く風で僅かに建物が軋む音が、その狭い空間を支配した。
「私は、セルさんの事を尊敬していた――本当に尊敬してたんだ――」
へたり込んだまま、ずっと押し黙っていた二人の沈黙は――遥か(略)によって破られた。
「リアルで話した事はなかったけど、WAスレや感想スレでの振る舞いの大人らしさは知ってたし、それにあ
の人のサークルの本を買ったこともあった。優しい本を作る人だった」
淡々と、搾り出すように、彼女は掠れる言葉を吐き出す。泣いているわけでもないのに、やけに寂しく、悲
しい調子で。だからこそ、酷く、重かった。
「ここに来て、死ぬことが決定して、――そんな中で、最後の望みが、あの人に逢う事だったんだ」
願わくば、ハカロワでの冬弥と由綺のように、逃避行をしたかった。遥か(略)は淡々と語る。
鳴咽が僅かに漏れていた。隣で同じように目尻に涙を浮かべる少女にだけ辛うじて聞こえる程度の雨の音だ。
「好きだったんだ、こんな大人が言うには馬鹿みたいな言葉だけど」
「……ぼくも、逢いたかった。あの人に逢って、WAの話、いっぱいしたかった」
幼い少女は大人の女の肩を抱く。母親が子供をあやす様に。
「――私ね、あの人が弥生さん萌えだっていうから、スーツ着て、黒髪にして、髪まで伸ばしたんだよ……
あはは、……っ、馬鹿……、みたい」
掠れて最後は聞き取れなかった。まるで外では雨が降っているように、耳鳴りがした。遥か(略)は、顔を
上げ、窓の外に広がるのが広大な青だと知って初めて、己から漏れる嗚咽がその耳鳴りの原因だと気づいた。
「はるかさん」
うずくまっていた遥か(略)は、何やら台所で仕事をしていたらしい「。」の声で顔をあげた。
「コーヒーいれましたから、飲みませんか?」
そう言って微笑う少女の顔は、無理矢理に笑顔を作っているように、見えた。彼女も自分と共通の悲しみを
抱いているはずで、だから彼女の気丈な様子が、彼女を自分よりもずっとずっと強いように見せた。
柔らかな湯気の立つ真っ白なコーヒーカップがやけに優しそうに見えたので、遥か(略)の目には、それが
「。」という少女自身の魂の沸く姿のように思えたのだろう。
「ありがとね、嬢。ごめんね」
甘えるように、横に座った「。」の肩に凭れ掛かり、湯気の立つコーヒーカップに口をつけた。
僅かに苦みの残るコーヒーは、遥か(略)の好む味だった。ひどく、美味しい。
「ううん、気にしないで。あ、ほら、はるかさんまだ着替えてないでしょ、」
眩暈がする。ああ、少しだけ、眠りたい
「目が覚めたら、新しい服に着替えると良いですよ」
*
コーヒーに入れた多量の目薬が効いたのだろう、遥か(略)はぐっすりと眠りこけてしまったようだ。彼女
の頬を伝っていた涙を指で拭い、奥の部屋にあった毛布を被せると、少女は溜息を吐き立ち上がる。自分の鞄
の中のイングラムを取り出し、器用な手つきでそれを調整する。安全装置を外し、マガジンを装着させると、
髪を後ろでまとめて、出来るだけ強く縛る。
そして少女は、小さく呟いた。
「――仕方ない、もう始めよう」
遥か(略)は数時間は起きないだろう。取り敢えず彼女が目を覚ますまでに何人かは殺すつもりだが、それ
まで目を覚まさないとも限らない。
目を覚ましてなかったら、残念だが彼女の冒険はここでおしまいだ。美しい顔のままあの世に送ってやろう。
もしここに帰って来たときに遥か(略)が残っていても、彼女の敬愛するセルゲイの元に送ってやる。
いなかったら、それまでだ。出来るなら彼女には遠くに走り去っていて貰いたい、と少女は僥う。
本当なら、遥か(略)の裏で、か弱い少女をもう少し演じ、他の人と出会い、関係し、その上で人数が20人
を割ったところでやるつもりだった。序盤からマーダーになるものの末路は悲惨だ、そう判っている。
それが変更になったのは、先程の放送で――必ずしも、メイン格の書き手が生き残るわけではない、と理解
したからだ。
挽歌さん、L.A.R.氏、林檎氏、いつか氏、命氏、セルゲイ氏。この辺りのメイン格は最後まで生き残るだろ
う、そう踏んでいたのにもうそれが崩れてしまった。自分も量だけはたくさん書いたから、結構最後までいけ
るんじゃないか、そう踏んでいたのだけど、それも危うそうだ。
マーダーが殆ど生き残れないということは知っている。けれど、どうしようもない。仕方ないじゃないか。
わたしにはイングラムM11が支給されてしまったんだ。それならば、それを以って戦うしかない。
それに、世にあるバトロワパロディもので「桐山役」が生き残った前例がないわけではない。心を殺し、冷
静に、自身が中学生であるという武器も駆使して、すべてを壊せ。
心を殺せ。わたしは桐山和雄だ。ぼくは藤田浩之で、里村茜で、篠塚弥生で、鬼の彰だ。
その自己暗示の言葉で、「。」という少女の目からは穏やかさも優しさも怒りも熱情も消えた。
「狙うは、優しくて無邪気な、馬鹿なカップル」
騙し易いもの、他人を簡単に信じられる人たちは――
民家の扉を開け、少女はセーラー服を踊らせながら、空を飛ぶように駆け出した。全てのカップルを破壊す
る為に。その目には、氷のように冷静な剣が潜んでいた。
――ハカロワでカップリングマンセーだった少女は、
――この戦いでは、カップルマーダーとして暗躍するつもりなのだ。
その足は、百貨店の方向へと向いているように見えた。
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