月の水面に







 殺し合い。
 平穏を切り裂き、六十もの命を渦中へと巻き込んだその"作戦"は、歴戦の戦士達の心すらも蝕んでいった。
 ある者は殺し合いへ乗り、ある者は歪な決意を秘め、またある者は恐怖に震え慄くのみ。
 敵と命の奪い合いをすることに慣れているとはいえ、彼らがその力を味方へ向けたことは殆どない。
 初めての、同士討ちをしなければならない状況。まさしく極限のそれとしか言い様のないだろう悪夢じみた趣向は思惑通りに機能し、今この時も刻一刻と悲劇の歯車を回している。

 が。
 駆逐艦・朝潮は未だ、感情の波に狂わされずにいた。
 時刻は深夜零時を少し回った頃。微かにではあるが、どこかから銃声が聞こえた。
 殺し合いは、恐らく既に始まっている――この分だと、現状の打開は決して易しいハードルではないだろう。
 
 「でも……諦めるのは論外よね」

 朝潮という少女は冷静な性格の持ち主だ。
 時に忠犬のようとさえ称される任務への姿勢が物語るように、生真面目で理知的な人物。
 駆逐艦の種類は数あれど、この状況でこれほど落ち着いた姿を見せられる者はそういない。
 無論、彼女とて、最悪と言う他ない事態に思うところがないわけではなかったのだが。
 
 しかしである。
 時に現実を逸しすぎた出来事は、人を冷静にするものだ。
 それは人の身体と心を持って転生した彼女達艦娘も同じこと。
 あまりにも突飛すぎる非日常の開幕。皮肉にも、それこそが朝潮の心の揺れ動きを最小限のものへ留めていた。
 殺し合いには乗らない。――たとえそれが任務であろうと、その為に仲間を殺すことは出来るはずがない。
 今回の"これ"は、明らかな乱心だ。私情を挟まず、鎮守府としての益だけで見ても無意味だと断言できる。単なる戦力の浪費だ。司令官には何か意図があるのかもしれないが、その説明もない以上、賛成はできない。

 直情的な決断ではなく、あくまで様々な面から考えた上で。
 朝潮は、殺し合いの破壊を目的に行動することを決めた。
 問題は山積みだし、一人で出来ることとも到底思えないが、自分には幸い仲間がいる。
 仲間殺しの咎を背負うことを良しとする者もいるかもしれない。しかし、それは決して全員ではないはず。
 寧ろ自分と同じく、殺し合いを否定する者の方が多いだろうと朝潮は踏んでいた。

 (参加者の詳細がまだ出ていないのがなんだか不気味だけど……やっぱり人の集まる場所へ行ってみるべきかしら)

 他者との協力を望むならば、必然、人の集まりやすい場所へ赴くのが最も手っ取り早い。
 殺し合いに乗った連中も集ってくるのがネックだったが、そこは最低限のリスクとして目を瞑るしかないだろう。
 地図に目を這わせること、一分ほど。ざっと見た限りで、目を引くロケーションを洗い出す。

 商店街。
 学校、そして旧校舎。 
 薬局。
 病院。
 住宅地は数が多すぎる為除外するとして、ざっとこんなものだろうか。
 特に商店街へは、他人との合流目的でなくとも一度足を運んでみたいものだった。
 
 朝潮が今居る場所は、F−1の洋館である。
 隅から隅まで探索したわけではないが、邸の中には生活感が残されていた。
 恐らく――この島は、もともと人が住んでいたはずだ。それも、比較的最近まで。
 ……どのようにして住人を除いたのかを想像すると気分が滅入りそうになるが、これは好都合といえた。

 何故なら、現地調達で工具を始めとした様々な道具を手に入れられる可能性があるからだ。
 少なくとも商店街のような場所であれば、確実にそういったモノを入手できるはず。
 首輪の解除には工具が必要不可欠であろうし、それ以外にも使える品はどんどん溜め込んでおきたい。
 備えあれば憂いなし。こういう状況でこそ、備え続けることが活きるのだ。

 使い慣れた12.7cm連装砲の状態を確認し、そうと決まれば動き出すべきであろうと立ち上がる。
 取り急ぎ、目指すのは商店街だ。
 そこで現地調達を行いつつ、合流できそうなら他の参加者と会っておく。……名簿の詳細が明らかになるまでは大人しくしておくのもありかもしれないが、逆に言えば最も安全に動けるのは参加者情報の不確定な今のみだと踏んでいた。
 艦娘にだって、取り分け思い入れの強い友人や姉妹がいる。
 普段ならばまだしも、この場で……精神的に追い詰められた状態でそんな相手の参加を知ってしまえば、最後の箍が外れてしまったかのように在り方を一転、殺人者の道を歩み出すということも考えられる。
 艦娘は生前が生前な為、基本的に姉妹同士の結びつきが強い。
 それは朝潮も同じ。――自分の妹達も参加しているかも、などと思っただけで背筋が凍る。

 「駄目。その先を考えちゃ」

 今は、駄目だ。
 まだそうと決まってもいないことに頭を悩ませている余裕はない。

 一瞬過った弱気を払拭するように館の一室を後にし、いざ出口へ向かおうとし――、ふと足を止める。


 「……? 今、何か聞こえたような……」

 具体的に言えば、窓が開くような音が。
 家鳴りにしては妙な、誰かが故意に起こしたとしか思えない音。
 それを朝潮の鼓膜はしっかりと捉えていた。

 ……気のせいかもしれない。
 だが、そうでなかったとしたらこれはチャンスだ。
 相手がどういう姿勢でこの作戦へ臨んでいるのかを確かめる為に、最初こそ様子を伺う程度の慎重さは必要だろうが、もし協力が望めそうなら積極的に同行を提案していこう。
 如何にまだ参加者の身の振りが不安定な時間帯であるとはいえど、一人で行動するのは危険が大きい。
 最悪の目を潰しておくという意味でも、誰かと共に動きたかった。

 ごくり。
 僅かな緊張に息を呑みながら、彼女は音の聞こえた方角へと踵を返していく。


 ■

 
 男性を美しいと思ったのは初めての経験だった。

 朝潮は今、半開きのままになった扉の隙間から室内の様子を伺っていた。
 きっとこの部屋は、館の主であった人物の使っていた私室なのだろう。
 他の部屋に比べてどこか落ち着いた雰囲気で統一され、ベランダへの扉は憚ることもなく全開だ。
 先程自分が聞いたのは、あれが開く音だったのか。
 吹き込んでくる初夏の夜風を浴びながら、ぼんやりそんなことを思う。

 不思議と、視界に写る光景に現実味を感じられない。
 視線の先にあるのは、持ち主の消えた部屋を独占している男の姿だ。
 現代の様式とは大分異なった和装の出で立ちに、隔絶した雰囲気すら感じさせる流麗な容貌。
 きれい、と声が漏れそうになった。それほどに。視線の先にいる男は美しく、鮮烈であったのだ。

 「難儀よなあ。何を言われるかと思えば、言うに事欠いて潰し合いの命とは」

 くつくつと苦笑する男に、どくんと心臓が跳ね上がりそうな錯覚に襲われる。
 未だ此方に気付いている素振りはないし、恐らくはただの独り言。
 肝を冷やす朝潮の心中など知らぬまま、麗しの男君は独白を続けた。

 「絆、と言えば陳腐の誹りを受けるかもしれんが……
  俺も確かに、そういったものを他の刀剣らや、あやつ――審神者に感じていた。
  あやつもそうであると思っていたのだが、いやはや、ままならんものよな」

 独りごちる文面は淋しげだが、その実彼の物腰から哀しげなものは感じ取れなかった。
 どこか達観しているような。全てを知っていると言えば大袈裟だが、兎角そういうものを感じさせる。
 ひょっとして、見かけよりもずっと歳を重ねているんだろうか。
 自分たち艦娘のように、何かしらの過去を持っているのかもしれない。

 「しかしな。主が道を誤ったとあれば、手を引いて引き戻すのが義というものだ。
  それに――やはり、俺もあいつらを斬りたくはない。
  老いたじじいの分際で、随分甘いことを抜かしている自覚もあるがなあ」

 さて。
 そう言って、その男は朝潮の方へと振り返った。
 その時、初めて気付く。――なんて迂闊。どうやら気付かれていたのは、最初からだったらしい。

 観念しておずおずと姿を現せば、男は少しばかり驚いた表情を浮かべた。
 あくまでも彼は気配を察知していただけ。
 此方の様子を伺っている人物の性別や容姿など当然わからない。
 いざ実際に出て来られてみれば、年端もいかない童女であった――成程、驚きに値するだろう。


 「これは驚いた。
  はっはっは、そう恐縮するな。
  事態が事態だ、警戒するのは寧ろ当然の判断であろう。それよりも、聞かせてくれないか。おまえは、どう動く」

 「……あなたと同じです。殺し合いをするつもりはありません。参加者皆で結集して、作戦の打破を――」

 「では、何故」


 此方を見つめるその瞳は、さながら夜空に浮かぶ三日月。
 不思議なほどの深みがある。萎縮するどころか、ともすれば見惚れてしまいそうだ。

 けれど、確たる答えはある。
 ここで理由も述べられずに俯いてしまうほど、あの鎮守府で築いた思い出は軽くない。
 皆で向かった遠征や、誰かが起こしたどんちゃん騒ぎに巻き込まれたこと。
 姉妹喧嘩もしたし、季節の行事でもちゃんと頑張った。
 死にかけたこともあったが、それさえいい思い出と言えてしまうくらい。

 「わたしは……」

 そんな恵まれた時間を過ごしてきたのだ。
 普通は、こう考える。それはきっと、誰にも攻められはしないだろう。

 「わたしは、戻りたい」
 「ふむ?」
 「みんなで過ごした毎日に――暁の水平線に、みんなで勝利を誓ったあの日々に、帰りたい」

 その為に、わたし……朝潮は、殺し合いを否定します。
 言い切ったすぐ後に、ぽん、と烏の濡羽を思わせる朝潮の艶やかな黒髪に、柔らかい手が乗せられた。
 それが左右に動く。そこで初めて、ああ、頭を撫でられているのだな、と気付いた。
 朝潮も、子供扱いされるのは他の駆逐艦の例に漏れず好きじゃない。しかし、今はそう感じなかった。

 不思議と、落ち着く。
 気が抜けてしまいそうなくらい、頭を通じて伝わる感触に安堵している自分がいる。

 
 「はっはっは、意地の悪い質問をして済まなかったな。まあ、じじいの悪い癖とでも思っていてくれ。朝潮、だったか」
 「……あなたは?」
 「俺か? 俺は――」

 ふ。
 絶世のものと言って差し支えないその面貌へ柔和な笑顔を浮かべ、天下五剣――最美の太刀と称された刀剣男士は、水面を馳せる駆逐艦の少女へとその銘(な)を伝えた。

 
 「三日月宗近。打ち除けが多い故、三日月と呼ばれる。よろしくたのむ」


 
【F-1 洋館/一日目/深夜】

【朝潮@艦隊これくしょん】
[状態:健康]
[装備:12.7cm連装砲@艦隊これくしょん]
[所持品:基本支給品一式、ランダム支給品×2]
[思考・行動]
基本:作戦を終結させる。殺し合いを打ち倒す。
1:……なんだか、落ち着く……
2:商店街を目指したい。同じ志を持つ参加者との合流を。


【三日月宗近@刀剣乱舞】
[状態:健康]
[装備:太刀『三日月宗近』@刀剣乱舞]
[所持品:基本支給品一式、ランダム支給品×2]
[思考・行動]
基本:潰し合うつもりはない。殺し合いを止める。
1:はっはっは、よきかな、よきかな。



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