嘆きの森







 「……ばっかじゃないの……」

 白紙の名簿が、握り潰されて皺くちゃになる。
 そこへ決して自然のものではない、塩辛い水滴が二粒三粒と落ち、染みを作った。
 普段の彼女を知る者ならば、その様子の違いにさぞ驚いたろう。
 誰もが一目置く一航戦の正規空母にさえ果敢に食ってかかる気丈な娘――そんな彼女は今、あまりに理不尽で救いのない現実の冷たさに打ち拉がれ、一人闇の中で嗚咽していた。
 
 見知った顔の工作艦が言った。
 ――殺し合いをしろ。最後の一人以外は、誰も生きては帰れない。
 最初は冗談だと信じたかったが、彼女の説明が進んでいくにつれ、段々心の中の不安は膨れ上がっていき。
 "会場"の中で目を覚ました時にはもう、都合のいい現実逃避をする余力など残されてはいなかった。

 首輪が鳴らす、か細く無機質な電子音が。
 自分以外に誰もいない、どこまでも広がっているように錯覚する目の前の暗い森が。
 "生き抜く"ということだけを徹底した、味や見た目を度外視した支給品の食糧が。
 この島にあるすべてのものが、正規空母・瑞鶴へこれは紛れもない現実であると宣告していた。

 どうしてこんなことになったのだろう。
 昨日まで、明石さんも――提督だって、みんな普通に過ごしていた筈なのに。
 
 
 「翔鶴姉ぇ……」

 木の傍に体育座りをし、姉の名前を呟いた。
 彼女も、この殺し合いに参加しているのだろうか?
 そんなことはあってほしくないが、心の何処かで姉と会いたいと感じている自分がいる。
 浅ましい。そんなことしか考えられない弱い自分が、心底嫌になる。

 恐怖と自己嫌悪が耐えず瑞鶴の身を苛むが、彼女の中にあるものはそれだけではなかった。
 それは当たり前の感情。こんな目に遭わされている以上、誰もが抱く権利のある感情だ。
 "怒り"。皆をまるで駒か何かのように扱う所業に……それを良しとする主催者達に、猛烈な怒りを感じる。
 
 ……許せない。たとえどんな理由があったって、こればかりは納得のできない話だ。
 
 「艦娘を……何だと思ってるのよ……!」

 自分達艦娘は、兵器だ。
 深海棲艦の脅威に対抗するために武装し、毎日のように海へ駆り出されては敵と戦っている。
 艦娘になる前は鋼の船だった。物も言わず、意思も示せない木偶の坊。
 しかし、今は違う。艦娘は言葉を話す。悪口を言われれば傷つくし、褒められれば嬉しいと感じる心だってある。
 血の通った人間と何も違いなんてない。それを否定される謂れもどこにもないと信じている。
 だからこそ、この作戦には納得がいかなかった。
 鎮守府の戦力がどうこうとか、目的がどうこうといった話ではない。
 単なる個人的な感情。これを一航戦のあの人にでも聞かれたら、そういうところが青いとまた呆れられてしまうだろうか。……いや、きっと彼女だって同じことを言うに決まっている。

 単純に、気に入らない。
 人を人とも思わないこんな作戦、認めてなんかやるもんか……!


 「絶っっっ――――対、一発ぶん殴ってやるんだから……!」


 涙の滲む瞳をぐしぐしと拭い、勇ましく歯を剥いて宣言する。
 一発、ぶん殴る。
 もう二度とこんなふざけたことを考えられないように、とびきりきついのをお見舞いしてやる。

 その為には、主催者の所まで行かなければならない。
 ……どうせ、どこかで自分達の動向を監視でもしているんだろう。大方、この首輪が発信機のようなものになっているのかもしれない。――関係あるもんか。この鬱陶しい首輪も、絶対に外してやる。どんなに精密でも機械は機械。外す手段は絶対にある。それさえ見つけ出せれば、もう怖いものなんて何一つないのだ。

 衝動に任せて破り捨てそうになった名簿を、デイパックの中へしまう。
 次に、支給品にあった猟銃を一応装備しておくことにした。
 手に何も持っていないという感覚は、こういう状況だとどうしても心許ない。

 準備万端。
 先んじては、この襲ってくださいとでも言ってるような暗がりを抜けることから始めよう。
 
 そう思った瑞鶴は――しかし、足を踏み出すことは出来なかった。

 その時起こったことを説明するなら、一言で事足りた。
 瑞鶴が座っていた大きな木。その背後は、それなりに高い崖のようになっていたのである。
 途中には露出した岩や、そうでなくとも鋭い枝などが待ち受けている。
 滑落したり――もしも突き落とされたりしようものなら、最悪死に繋がりかねない。
 
 そんな所から、人が転落してきたのだ。
 やがてそれは地面へ打ち付けられ止まるが、意識をなくしているのかぐったりしたまま動かない。
 一瞬あっけに取られた瑞鶴も、事態を理解するなりすぐに駆け寄ろうとする。
 その際に崖の上を見上げ……

 「ッ」

 長い髪をした、誰かと目が合った。
 嗚咽していたとはいえ、声を最低限殺していたか、相手も瑞鶴には気付いていなかったらしい。
 瑞鶴も瑞鶴で、自分の心情の整理で手一杯だった為、周囲への警戒が疎かになっていた。
 すぐそばというならまだしも、ある程度の高さがある高台の真上にいる相手の存在にまでは気付けるワケがない。ましてやここは森。木々のざわめきで話し声や、人の揉み合う音など容易くかき消されてしまう。

 「……!」
 「! ちょっ、待ちなさい!!」

 踵を返して走り去る、長い髪の少女。
 瑞鶴の引き止めるなどに応じてくれるはずもなく、すぐにその姿は見えなくなってしまった。
 
 「って、いけないいけない……!」

 ここからではどの道追い付くことなど不可能だし、今はそれよりも優先して対処すべきことがある。
 最悪なことになっていなければいいんだけど――そんな彼女の思いが通じたのか。
 倒れている中性的な顔立ちの美少年は、頭から軽く出血こそしているものの、気絶しているだけのようだった。
 支給品の中から応急処置用の道具を取り出し、慎重に傷の様子を確認していく。
 
 ……よかった。傷はどれも浅いし、一番心配だった頭の傷も少し切った程度みたい。

 ほっと胸を撫で下ろし、軽い処置を施しながら……ふと思う。

 
 「この子……鎮守府の関係者じゃないみたいだけど、"審神者"って奴と関係あるのかしら」

 一瞬しか姿は見えなかったが、逃げていった少女も見覚えのない顔だった。
 一体、彼らは何者なのだろう? 疑問に思うところはあったが、ひとまずは予定通り森を抜けるのが先決だ。
 怪我人を守りながら戦うのは分が悪すぎる。屋内とまでは言わずとも、見晴らしのいい場所まで出なければ。
 少年の軽い体重を背中に感じながら、瑞鶴は深夜の森を後にした。

【D-1 森/一日目/深夜】

【瑞鶴@艦隊これくしょん】
[状態:健康]
[装備:猟銃(5/5)]
[所持品:基本支給品一式、ランダム支給品×2]
[思考・行動]
基本:提督さんを一発ぶん殴る。
1:とりあえず、この子(今剣)連れて安全な場所に行かないと……
2:翔鶴姉ぇや、加賀さんたちもいるのかな……?
[備考]
※乱藤四郎の姿を一瞬ですが確認しました。全体像を朧気に把握した程度です。

【今剣@刀剣乱舞】
[状態:全身にダメージ(小)、手足に小さな擦り傷、頭に傷(止血済、軽度)]
[装備:短刀『今剣』@刀剣乱舞]
[所持品:基本支給品一式、ランダム支給品×2]
[思考・行動]
基本:かえりたいけど、ころしあいはしたくありません!
1:???


 ■

 
 そして――今剣を突き落とした張本人である短刀・乱藤四郎は、一足早く森を後にしていた。
 
 
 「もう……イライラしちゃうなあ、ほんと……!」

 その髪の長さや服装も相俟って、一見では少女にしか見えない彼は、隠そうともせずに苛立ちを吐露する。
 どうせ、誰も聞いている者はいない。
 さっきの女も、余程のバカでもない限りは追いかけてなど来ないだろう。
 しかし、一瞬とはいえ顔を見られた。厄介な事にならなければいいけど――と、最早祈るしか出来ない。
 
 こんなことになるはずではなかった。
 そう、今剣を突き落とすつもりなんて、最初はなかったのだ。
 
 乱藤四郎は殺し合いに乗っている。
 だが、彼の場合は他と事情が少々異なっていた。

 殺し合いの会場で目を覚まし、これからどうするかを思案しながら、乱はある人物たちの存在を思い出していた。
 "刀剣男士"ではない、参加者のおよそ半数ほどを占める少女たち。
 彼は彼女らが"艦娘"という存在であることを未だ知らないが、そんなことは然程重要な話ではなかった。
 彼が重要視したのは、その少女達は自分を含めた本丸の刀剣たちと全く面識のない――言ってしまえば"赤の他人"であるということだ。そしてそのことが、彼をとある発想へといざなった。

 
 ――――彼女達は、本当に信用できるのか? 殺し合いを打破するとして、背中を預けるに足る者達なのか?


 乱にとっては、一緒に戦を乗り越えてきた仲間を切り捨ててまで生き延びるというのは論外だった。

 誰も殺すつもりはない。それに、そんなことをする不届きな輩など見知った中には断じていないと信じていた。
 だが、彼女達艦娘については話が別だ。人となりなどまるで知らない、全くの未知の相手。
 ……信じられない。彼はさして迷うことなく、そう断じた。
 協力などしようものならば、いつ後ろから刺されるか分かったものではない。
 あまりにも危険すぎる。どこの誰とも知れない輩に、家族も同然の皆を殺されるなどと……考えただけで怖気が立つ。
 
 そして、彼は決意する。
 短絡的な発想だという自覚はあった。
 けれども、こうでもしなければ大切な仲間を失ってしまうかもしれない。
 僅かばかりの葛藤と、それを遥かに凌駕する使命感のもと、乱は決めたのだ。

 ――刀以外は、すべて殺す。

 どんなに薄っぺらな理屈を並べ立てようと関係ない。
 裏切りの危険に恐怖しながら共に戦うくらいなら、自分が未然に全て不安の種を摘んでやる。
 いったい何者かは知らないが、絶対に仲間には手出しさせるものか。
 仲間への強い想いが、絆の強さが、皮肉にも彼を茨の道へと進ませた結果になった。
 ……乱と今剣が出会うのは、それから程なくしてのことだ。

 二人は仲が良かった。
 同じ短刀ということもあり、よく皆で遊んでいたし、遠征やら任務やらで大勢出払っている時なんかには二人で遊びに行ったりすることもあった。――だから、今剣なら賛同してくれると思った。しかし、現実は上手くいかなかった。

 意を決して、刀剣達の障害を排除する旨を告げた。
 別に協力してほしい訳ではなかったし、むしろ今剣のような子にそんなことをさせてはならないと感じていた。
 要は、誰かに認めてほしかったのだ。幾ら殺すことを大義と認識していようと、乱にだって自分の道が褒められたものでないという自覚はある。今回討とうとしているのは、歴史修正主義者などではない。自分達と同じ、殺し合いに巻き込まれた存在だ。それを自分は、一人残らず殺そうとしているのだ。
 
 今剣は、言った。
 
 『だめですよ、みだれ! てきでもないひとをころすなんて、いけないことです!!』
 
 最初こそ冷静に説明していた乱だったが、やはりそこは精神的にまだ幼く未熟な短刀。
 徐々に頭には血が昇り、最終的には彼へと掴みかかってしまった。
 誰かに悟られないようにと声を潜めながらも、乱暴に揺さぶりながら行為の意味を語る乱。
 それに今剣は抵抗しなかった。暴れることもなかった。ただ、どこか哀しげに言うだけ。

 『みだれ……あなたは、なにをこわがっているのです?』

 ――その言葉を聞いて。ふと気付いた時には、今剣の華奢な体を突き飛ばした後だった。


 「殺さなくちゃいけないんだよ……! そうじゃなきゃ……そうじゃなきゃ、皆を守れないんだからッ」

 あの時目が合った女は、間違いなく自分が殺すべき相手の一人だった。
 顔まで見られた上で取り逃した……痛恨の失敗だ。なのに、どうしてかそれを余り悔しがっていない自分がいる。
 女の顔なんかじゃなくて、自分が突き飛ばす直前の今剣の表情が忘れられない。
 まるで、憐れむような目を。彼は生きているだろうか。生きていて、ほしい。何度も言うが、仲間を殺すのは決して本懐なんかじゃない。自分はただ、危険要素を取り除いた上で、それから改めて皆で殺し合いを打ち破りたいだけなのに。

 「今剣…………!」

 どうして――どうして、こんなにもうまくいかないんだろう。
 可憐な容貌を悲痛げに歪めて、彼はただ、自らが手にかけたかもしれない友人のことを想う。
 
 殺すことを決めた彼には……友へ、謝りに行くことさえも、許されない。



【D-2 役所周辺/一日目/深夜】

【乱藤四郎@刀剣乱舞】
[状態:疲労(小)、精神的疲労(中)]
[装備:短刀『乱藤四郎』@刀剣乱舞]
[所持品:基本支給品一式、ランダム支給品×2]
[思考・行動]
基本:刀剣男士以外の参加者(艦娘)を殺す。殺すべき相手を全員殺したら、仲間と一緒に殺し合いを打破する。
1:今剣…………。
2:今は、仲間にだけは会いたくない。
[備考]
※瑞鶴の姿を一瞬ですが確認しました。全体像を朧気に把握した程度です。



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