極彩
「……今回ばかりは、YouのHeartを分かってあげることがImpossibleデース」
深夜零時拾伍分。
潮風の吹き荒ぶ浜辺で、戦艦金剛はたそがれていた。
元気なことが最大の取り柄と言ってもいい彼女の表情は、痛ましくも曇天模様だ。
その理由は言わずもがな――今この時も進行している、悪夢のような"作戦"にあった。
「Battle Royale。聞いたことだけはあったケド……」
三十名の艦娘と、残り三十名の見たこともない男性達を殺し合わせ生き残りを選定する。
それを明石が語った時には、恐怖や怒りよりも先に、何の冗談だろうかという思いが先行した。
何故ならば。少なくとも金剛の知る提督は、たとえ冗談でもそんなことを命ずるような人物ではなかったからだ。
全国各地に点在する鎮守府。
その中には、俗に"ブラック"と呼ばれるような劣悪な労働環境を強いている例外もあると聞いている。
だがその点金剛の所属する舞鶴鎮守府は、間違いなく対極にあった。
提督は艦娘を慮り、たとえ小破だろうとなるだけ無茶はさせない。
大破状態での進軍など以ての外だ。少なくとも金剛が鎮守府にやって来てからは、轟沈した艦娘は一隻もいない筈。
一度だけ、彼女は提督へ問いかけたことがあった。
どうしてそんなにも慎重な……人によっては"臆病"と取られても仕方ないほどの進軍方法を取るのか、と。
彼は答える。
レースカーテン越しに、黄昏色に染まる水平線を見据えながら。
――曰く、自分が着任して間もない頃。ある駆逐艦を自分の不注意で轟沈させてしまった。
それからというもの、二度とあんな悲劇は繰り返さないように善処している。
艦娘は軍艦級の武装を装備した立派な兵器であり、そこへ人間に接するような情を介入させるのは愚かしい。
中にはそう説く者もいるだろう。しかし彼は、それは違うと考えていた。
艦娘だって、心は普通の女の子だ。
事実解体された彼女たちは、武装を解除して普通の暮らしに戻っていく。
自分には……たとえ任務であろうと、人類の未来を守るためであろうとも。そんな子達の命を粗末にすることは出来ない。そう言って彼は微笑んでみせたのだ。
その時、金剛は決めた。
海を守る使命なんかの為ではなく、自分はこの人の為に戦うのだと。
この心優しくも魅力的な男が二度と悲しみに暮れることのないように戦い続けよう、と。
そう思っていた、筈だった。
「提督……こんなのってないネ」
彼の為にと戦い続けてきた金剛ですら、彼の考えが分からない。
どんなに艦娘を軽んじている輩だって、三十隻もの損失が出るのは間違いなく大きな痛手だ。
まして、驕るわけではないが……自分の練度は鎮守府内でも上位に入る。
それを無碍に切り捨てる理由も分からない。――何もかも。今日の彼の考えは、何もかも分からない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
これまでの間、自分はずっと彼の為に戦ってきた。
彼を喜ばせるため。彼が悩んだり、苦しんだりしないために。
彼の代わりに手足となり、海原を駆け巡って深海の脅威を叩き潰してきた。
だが――今回は、そうではない。
たとえ親愛する彼の頼みであろうと……いや、彼の頼みだからこそ、だ。
艦娘の命を粗末にできないと言って笑った彼の真意を確かめるために、敢えてその命へ叛く。
鎮守府に居る艦娘達にも、それぞれの想いや過去がある。
どんなに信頼していても、一概に殺し合いが起きないとは言えない。
それに、全く勝手の分からない艦娘でないもう半分のこともある。
殺し合いは、遠からず進み始めるに違いない。金剛は冷静にそう考えていた。
だからこそ、そこを止めるのが自分の役割。
あの日、提督の過去と優しさの理由を知った自分の使命であると信じている。
「オイタはメッ、よ。提督! この私が、Youに熱いビンタをお見舞いしてあげマース!!」
握り締めた拳は、決意の証だ。
自分の目の届く範囲では、誰も死なせはしない。
みんなで――顔も知らない参加者達も含めた、"みんな"で!
元いた日常に帰るのだ。いつか、"そんなこともあったね"と笑い合えるように。
と、その時。
ざっ、と砂浜を踏み締める音がした。
振り返れば、そこにはややばつが悪そうにしている偉丈夫の姿がある。
「……すまないな。盗み聞きをするつもりはなかったんだが」
客観的に見て、整った顔立ち……所謂"イケメン"に部類されるような男だと感じた。
この緊急事態に取り乱した様子も見せていないのがまた高得点だ。
提督一筋と決めている彼女をして、魅力的と言わせるに足る。
「No Problemネー! 私は金剛と言いマース。
Youは――Hmm……見たところ艦娘ではないみたいデスガ」
「艦娘? よく分からないが、そちらこそ刀剣ではないようだな」
刀剣?
首を傾げる金剛だったが、それは眼前の彼も同じのようだった。
当然だろう。この二人、性別も、戦っているモノも……主戦場とする時代すら違うのだから。
「俺はへし切長谷部という。此処に来てから出会った他人は、お前が初めてだ」
その名前を聞き、更に金剛はきょとんとする。
そんな反応は慣れっこなのか、苦笑して彼は付け加えた。
「……変な名前だろう? まあ、色々と訳ありでな。気軽に長谷部と呼んでくれ」
■
この状況は余りにも手探りすぎる。
まだ開始して間もなく、名簿に名前すら浮かび上がっていないとはいえ、少しでも情報は手中に収めておきたい。
考えは二人とも同じだったようで、情報交換は至極スムーズに進行した。
とはいえ、殺し合いの打開策に有用と思われるファクターも浮上はしなかったのだが……
「……驚いたな。では俺達はそもそも、呼ばれた時代からして違うというのか」
互いに気になっていたのは、自分の知らない三十名のことだった。
艦娘になれるのは女性だけだし、刀剣男士もその名の通り男性以外には確認されていない。
ならばもう半分は何であるのか? それについての疑問は、この通り時代を越えた邂逅で紐解かれる。
艦娘。それは海の脅威、深海棲艦と戦うべく結成された存在。
刀剣男士。それは歴史へ仇なす者、修正主義者と戦うべく鍛刀された存在。
二つの在り方はあまりにも似通っている。こうして共に呼ばれるのも当然だと思わせる程に。
そして、共通点はそれだけには収まらなかった。
金剛、そして長谷部。二人の鎮守府、或いは本丸を統率する者は――……普段、非常に理知的な人物だという。
こんな催しに手を染めるなど、今でも信じられない程に。
「ンー、ますますよく分からなくなってきマシタ」
では、何故だ?
何故彼らは、自身の所有する艦/刀剣を放棄するような真似をする?
その問いに答えは返らない。誰一人、この作戦に何の意味があるのかを読み取れない。
それは金剛達二人も同じであった。互いに、主のことをよく知っている筈だったのにも関わらず、である。
「……こんな状況でなければ、お互い主には恵まれたようだな、とでも言いたい所だが」
「まったくデス。……正直、今でも信じたくないワ。提督がこんなDangerous Gameを企画したなんてネ」
「無理もないだろう。――斯く言う俺もそうだ」
長谷部は、自身の刀へ視線を落としながら、罪悪感すら滲ませる声色で呟く。
「俺が前に仕えていた主は、暴君のような男でな。
"へし切長谷部"なんて名前もその狼藉から付いたものだ。茶坊主の失敗を許せずに激昂し、隠れていた棚ごと圧し切った……挙句命名までしておきながら、直臣でもない輩へ下げ渡す。そういう男だった」
金剛と長谷部は共通点の多い二人だが、その生前には大きな差異がある。
金剛は戦艦だ。第二次世界大戦の海原を駆け巡り、何人もの乗務員と共に御国の勝利を掲げて戦った。
そこに主従関係などというものはない。だが、長谷部は違う。彼が活躍した時代は、かの戦国時代だ。
第六天魔王と呼ばれた男を主とした彼にとっては、審神者との主従関係は二度目のものであるのだ。
「その点今の主は、本当に素晴らしい人だと心より思う。……だが」
苦々しげに、長谷部は表情を歪めた。
握り締めた拳は、血が滲みそうな程だ。
その様相を前に、金剛は言葉を発することはできなかった。
察してしまったからだ。彼の中にある、主への感情は自分とは違った形で――しかし非常に重いものだと。
「…………俺はあの瞬間……明石なる女から、主が計画に加担していると聞いた瞬間。
確かに一瞬、前の主と…………織田信長と主を重ねてしまった」
それは、決して誰にも責められることではないだろう。
だが、へし切長谷部という刀はそれを許せない。
刀剣男士として顕現した自分や、他の刀を的確な采配と思いやりをもって導いた主を、たとえ一瞬でも信じられなかった自分が憎らしい。いっそ腹でも掻っ捌いてしまいたいほどの自己嫌悪が、その身を苛んでやまないのだ。
何という浅ましさ。背信と言ってもいい、心の弱さか。
長谷部は嫌悪する。自戒する。――この殺し合いに於いては致命的とも呼べる、心の揺れを引き起こして。
「……It's all right!」
そんな彼の頭へ、金剛は背伸びして手を置いた。
優しく撫でるように、それを動かす。
これには流石に驚いたのか、長谷部は虚を突かれたような顔をする。
「金剛……?」
「大丈夫デスヨ、長谷部。
YouのMasterがどんな人かは分からないケド、きっと何か理由があるに決まってマース!」
そう。
こんなことをするからには、何か理由があるに決まっているだろう。
金剛は提督へ失望するでもなく、寧ろいつも通りの信頼を向けていた。
当然、再開したら平手打ちの一つはしてやるつもりだ。
だが、彼はこれまで幾度となく仲間や自分の窮地を救ってきた。
そんな男が、よもや快楽目的でこんなことをするはずがない。
そしてそれは、きっと長谷部の主も同じであろう。
「だから、一緒に会いに行きまショウ! そして一発Punchでもお見舞いしちゃえばいいネ!」
その笑顔に、一時は呆気に取られていた長谷部だが。
やがて、フ、と小さな苦笑を漏らす。
「……そうか……、金剛、会ったばかりでこんなことを言うのも何だが」
満月の照らす遠い水面を見やる。
成程、優しい少女だ。
初対面の相手に、しかもこの極限状況でここまで思いやれる者などそうは居まい。
「俺も……おまえのようであれたなら、幾らか楽だったのかもしれないな」
素直に、そう思う。
しかし同時に、自分は彼女のようにはなれないのだということも痛感していた。
境遇の違いどうこうの話ではない。自分と彼女は同じように主を奉じているが、その形が明確に異なっている。
へし切長谷部という刀は、金剛という戦艦のように前向きにはなれない。少なくともこの状況では。
「だから」
金剛は、その時奇妙な音を聞いた。
「――――さらばだ、艦(ふね)の少女よ」
ぐじゅり。
それは、トマトか何かを潰す音に似ていると感じた。
ややあって、腹に焼けるような痛みを感じる。
視線を落とし――自分の腹部へ、銀色の刀身が突き立っているのを視認した時にはもう遅かった。
がくりと膝が落ちる。崩折れる身体を、どうにか跪くだけで留めたが、血は喉の奥からも逆流してくる。
刃が抜き取られ、堰き止められていた血液が夥しく溢れ出す。
止まらない、止まらない。
視線を上げると、そこには表情を殺し、今しがた自分を突き刺した刀を握っている長谷部の姿があった。
「すまない」
どう、して。
口が動く。
声になっているかは分からなかったが、長谷部が眉を顰めたのを見るに、ちゃんと届いてくれていたらしい。
謝罪を述べながら、男は刃を振り上げた。
月光が刀身に反射して眩しい。
万全の金剛ならば抵抗し、逃げ果せることも可能だったかもしれないが――初撃で腹を穿たれたのは致命的過ぎた。
武装を構えても間に合いはしないだろう。――数秒とせぬ内に、あの白刃が自分を袈裟に斬り裂く筈だ。
脳裏に過るのは、愛しい姉妹の顔。
ああ、どうかここには呼ばれていないでいて。
長谷部の手が、動く。
死ぬ間際はスローモーションに感じると何かの本で読んだのを思い出した。
しかし、だからといって身体が速く動かせるわけでもない。
これでは無意味だ。――苦笑しつつ、金剛は最後に、哀しき忠義の剣を見上げながら……
「てい、とく」
思い出の中の黄昏時を夢見ながら、銀の太刀を前に圧し斬られ、戦艦金剛は散った。
【金剛@艦隊これくしょん 轟沈】
【残り59人】
■
「先ずは一人か」
金剛のデイパックの中身を回収しながら、長谷部は呟く。
デイパックを二つ持ち歩いているようでは、誰か殺してきたと白状しているようなものだ。
あくまで中身を得るだけに留め、スペースを考慮して不要なものは捨てていく。
――残念だったのは、彼女達艦娘用の武装は自分では使用できないらしいこと。
支給品として配布される中には艦娘用でない銃器なども存在はするようだが、戦力で遅れを取るのは避けられない。
「……悪く思うなとは言わない。恨むならば好きにするんだな」
眠るように目を閉じ、袈裟斬りと初撃の傷から血溜まりを作って倒れ臥している金剛へ、静かに言う。
彼女は最期まで微塵も自分を疑っていなかった。
きっと……最初から自分が情報を得た後、殺すつもりであったことすら気付かぬままであったろう。
だが、それでいいのかもしれない。彼女のような少女は、せめて夢を見たまま逝った方が幸福だった筈だ。
「俺は――主命に従う」
それがへし切長谷部という刀。
死ぬのは楽だが、主命を果たせないのは論外だ。
この会場に存在する誰にも恨みはない。しかし、主が殺せと命ずるならば、己はそれを遂行するだけ。
彼女達艦娘も、同胞の刀剣であれども例外ではない。
主がそれを願うなら、俺はどこまでだって血の道を創り上げよう。――何を恐れることがある。家臣の手打ち、寺社の焼き討ち。あらゆる蛮行へ用いられてきたこの身に、憚るものなど最早何一つありはすまいよ。
金剛へ吐露したのは、紛れもない本音だった。
あの少女には、自分の弱さを見せた。
元から殺すつもりだったが、あの瞬間、自分はこの娘を圧斬らねばならないのだと確信したのだ。
此度の主命を遂げるには、弱さを全て捨てねばならない。
それを知った他人を全て排斥する程の苛烈さでもって、任務に当たらねばならない。
そうしなければ、遂げることのできない任だ。
どんな戦場を踏破した時よりも、検非違使の連中と矛を交え死にかけた時よりも過酷で熾烈極まる。
だが、たとえ何を要求されようとも。共に切磋琢磨した同胞が、どれだけの怨嗟で自分を恨み祟ろうとも。
「最良の結果を、主へ……」
――構うものか。
俺はただ、主命を果たす。
刀を濡らす血潮を振り払い。
長谷部は夜の孤島を往く。
全てを圧斬り、勝利を主へ捧ぐ覚悟を決めて、悪鬼羅刹の誹りを受けようと、ただ一振りの剣が如く――。
【A-1 海/一日目/深夜】
【へし切長谷部@刀剣乱舞】
[状態:健康、僅かな返り血]
[装備:打刀『へし切長谷部』@刀剣乱舞]
[所持品:基本支給品一式(二人分)、ランダム支給品×2、金剛のランダム支給品×2]
[思考・行動]
基本:主命のままに、任務を遂行する
1:見敵必殺。だが時には頭も使う。
[備考]
※「艦隊これくしょん」の世界観について大まかに理解しました。
※A-1の浜辺に金剛の死体が放置されています。
彼女の武装である15.2cm単装砲は近くの草むらに捨てられているようです。
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