あの人の笑顔が思い出せないの






ずっと、ずうっと長い時間を失っていたように思える。
でも、絶望の宣告と喧騒が入り混じったあの部屋であの人の横顔を見つけた時、すべて思い出した。

長い悪夢のような、しかし不幸にも夢でないことを知っている現実が、記憶に焼き付けられている。
あの人の怒った顔がある、でも泣いている顔もあるし、何かを呼びかけてくれていたような気もする。
でも、彼女は決して笑いかけてはくれない。
そうだ。
彼女は私の親友………だった。
私がどうかしていたのは間違いない。けれど、後悔はもう遅すぎる。
彼女を追い詰め、傷つけ、絶望させたのは他でもない私自身だから。
そんな私が光の中へ出て行くことができると思う?



とんでもなく悪いヤツに捕まえられて、とんでもないゲームに放り込まれる。
進行している事態はとんでもなくダークなメルヘンで、けれどここはどこの世界?
見渡す限り夜のような暗さの中。どこか閉鎖的な空気に満たされた人工的な空間。
東西南北、場所も位置も方向も不明。出口の位置もわからない。昼か夜かもわからない。
仲間もいない、相方もいない、案内も無い。
それでも。それでも、彼の心の中には絶望とあきらめの二文字は無い。

「みんなもバッボもどうなっちまったかわかんねぇ、だけどよ…
 ぜってぇ何とかしてみせる!」
今、私はどこかの荒れ果てた建物の中。
自身にこびりついた業の深さが心と頭を働かすことを拒否させている。
何も考えたくなくて、ただ何も考えずに手を動かし傍にあったデイパックの中を漁った。
水、食料、荷物が私のすぐ前に並んでいく。
突然指先に生じた生々しい柔らかさに怯え、慌てて手を引っ込める。
もう一度、慎重にその感触の源を探り、ゆっくりと持ち上げる。
気持ち悪い形をした何かとともに一枚の紙が文字が見えるようにひらりと床に舞った。

それから。
私はただひたすらに震える手で微かに脈動するその何かを抱え、俯いていた。
(力があれば、覆せる。力があれば何であれ自由にできるのですよ?)
誰かの声が聞こえた気がした。


時間的に明るいからか、いくらかの時間を費やすことでわずかながら目が慣れた。
だからといって暗転した世界はすいすい歩けるほど優しくない。
ガツン、と脛が足元にあった何かに大激突。
声にならない叫びと共に蹲ったのはギンタ、虎水ギンタ。

「なんで懐中電灯くらい入れてくれねーかなぁ」

夜の闇を思わせる広大な暗黒の部屋の中へ飛ばされた彼は
光源を支給してくれなかったことへの愚痴を吐きながら構築物と闇と設置物の間を悪戦苦闘。
これはイス、これはテーブル?
触れて想像する形から自分の歩みを妨害しているものが何かを予測するが、わかったところで焼け石に水。
暗がりは単純な視認を許さず身体中、特に脚をあちらこちらにぶつけながらともかく一方へ進む。

「とにかくここを脱出しねぇとなーんにも始まら…てぇーー!」

じぃーんと拡がる痛覚がそこに腕があるんだということを教えてくれるのはありがたいけどそうじゃなくて。
今度は振り回した肘を激しくぶつけ、悶絶。



時間――結局考えてしまった時間が彼女に暗く歪んだ決断を促した。

見つけてしまった、気付いてしまった、たどり着いてしまった。
闇から抜け出る価値のない、生きる価値の無い私がこの絶望の世界でできること。
深く刻まれた絶望の記憶の中で私は楽しむように手に入れた力を振るっていた。
それならば、今の私でも同じことが出来ないという事はないのではないか?

閉じきってわずかに滞った空気に白い肌を露出させ、震える手で微かな脈動を背中へ持っていく。
正直に言って気持ち悪くもあるし、嫌悪感もある。
けれどこの説明書きが確かなら、それは私に力を与えてくれるものだ。
力が欲しい。贖罪の為の力。悪夢から逃れ出るための、いいえあの人を逃れさせるための力が。
刹那、全身に緊張とショックが走り、『結合』が上手くいったことを私は知った。


ようやくのことで壁へと到達。沿うように進み扉と思われるところを抜ける。
わずかながら確実に増した光量の中で同様に壁沿いに慎重に探りながら進むこと、どれくらいか。
ギンタは遂に差し込む光を見出すことができた。

「よしっ! ダークゾーン突破だあっ!」

希望に胸を膨らませて光の濃度が増していく方へと駆けてゆく。
どうやら何処かの地下にいたらしい。階段を元気良く駆け上がったその先で見たものは、目に痛いくらいの明るさ。

「うおっ、まぶしっ!」


ばたばたと騒がしい音がした方を見た私の目にツンツンとした頭が印象的な男の子が立っている。
戸惑いを印象付けるように、きょろきょろと四方を見回していたその子は、
活発さを印象付けるように私を見つけて真っ直ぐにこちらへと駆け寄ってくる。

「え…と、こんにちわ!
 ああっと、オレは虎水ギンタ、ギンタって呼んでくれよ!」

自己紹介。私も、素直に自己紹介。
それから、とりとめもなく彼の夢物語が始まる。

「オレさ、チェスってすげぇ悪い連中と戦ってたんだけど……」
「また変な異世界に飛ばされちまったのかなぁ……」
「でも殺し合いのゲームなんてマジで何てひでえ事を……」
「思い出しても許せねえ……人の命をなんとも思ってないんだ!……」
「なあ、一緒にあの…えーとさ。そう、あの悪そーな女を倒してこんな世界ぶっつぶそーぜ!」

私の相槌を待たずにラジオみたいに喋り続ける少年の言うことは奇妙で、楽観的。
言葉の端々にはどこか楽しそうに興奮した節が見られるくらい。
それは子供の純粋さなのか、それとも全く別の何かなのか。
不思議には思ったが、その問いは私には関係なかった。

最後の勧誘に答えるように、手を伸ばす。
私の手のひら両方にできた血が滲んだ小さな傷跡に気づき、少年が心配してくれる。
私は何も答えずに伸びした手、そして両腕が優しくギンタを包み込み、少年を抱きしめた。

温かさと柔らかさを感じて少年の全身を言い様のない動揺とドキドキが駆け巡る。

「ギンタ君―――」

耳元でかすれるように囁かれた自分の名前が全てを加速させる。
頭を抱くように回された腕の温かさ、
間近でその音を聞いた耳に触れた手のひらの柔らかさが思考能力を光の速さで奪い去っていく。
甘酸っぱい動悸と高揚、言い表しようの無い幸せの中で、少年の命は尽きた。

「―――ごめんなさい」



私の力。出来てしまった、やれてしまった。

自らの両掌の中心にある傷跡とそれを塗りこませるようにべたりと付着した返り血をじっと見る。
その目の前で、ゆっくりと自分の意思に従うように凝固する血、かさぶたで覆われる傷。
足元には背中と左耳に鋭く深い傷跡を刻まれ、息絶えた少年の身体がある。
ついさっきまで元気良く子供みたいな夢を語っていた少年の変わり果てた姿がある。
再び、どこかから声が聞こえる。

(力の行使は楽しいでしょう、破壊は楽しいでしょう?)
楽しくなんか、ない。
(あなたが望むように力を振るいなさい。すべてを平伏させる力を!)
望み、私の望みは……

少し動いてみた結果ここが廃ホテルらしいことがわかった。
水道の水は出なかったので自分の飲み水で返り血を洗い流し、手をきれいにする。
死んだ少年のものであったデイパックを奪い、水がない自分のものは適当な場所へ隠す。
私の力は隠し通すことが出来るし、こうしていれば私が誰かを殺したことはわからないだろう。


こうして、
自らを苛み続ける覚めることのない無数の悪行の記憶、
確かに自分の中にいた邪悪なもう一人の自分、そしてそれを導いた魔物の声の残響、
過剰に自らを責めた果てに落ち込む心の闇の中で、
少女は自らの望みを叶えるために手に入れた力を振るうことを決意する。

それから、手に入れた人ならざる力のこと。
自らに背負わせた恐ろしい決意のこと。
そして笑顔の欠けたあの人の姿。
それらをもう一度順に思い出し、押さえつけられ緩やかに消え失せてゆく善良なる部分の声に耳を塞いで、
優しかった少女――ココはこの場所を離れるべく歩き出した。
ただ、友だけを救うために。

【E-04 ホテル跡1階/早朝】
【ココ@金色のガッシュ!!】
[状態]:健康
[装備]:魔導具「血種」
[道具]:荷物一式(食料&水:2日分)、アイテム(不明)
[思考]:1.シェリーをこの世界から脱出させるために他参加者を全滅させる
    2.顔をあわせたくないのでシェリーに会わない

【ギンタ@メル】 死亡確認
【残り66人】


※ホテル地下は食堂フロアとなっております。



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