無力な私をこんなにも






互いを見定めあう視線が交差している言葉のないこの状況の危うさに気付く。
その危うさとは殺し合い前提のこの島で自然に個人と個人の間に流れる緊張感なのだと鈴子は理解した。
誰かが歩み寄らねばいずれそれは致命的な結果へつながるだろう。
だから、勇気を言葉にしてその間隙を埋めにいく。

「黙ってても仕方ないですわ。まずはお互い自己紹介からどうでしょう?
 私はジェラード・鈴子ですわ。あなたは?」

返ってくる自己紹介なし。
危険な兆候を回避すべく行ったこの挨拶に男が乗らなかったことは余計に空気を悪化させた。
同時に鬼相の彼はゲームに乗っているのではという懸念が鈴子に生じる。
首筋から温度が抜け落ちていく気がした。
自分が楽観的過ぎたことへの不安と焦燥が思考を覆い尽くしていく。
「あなたはゲームに乗っているの?」なんてふうに話を続けられるほど冷静でいられない。
ならばいち早い逃走を、という考えは脳内のどこかが拒絶している。
要するに相手がゲームに乗っているとこちらで決めつける行為を選択できぬままに、
鈴子は張り詰めるほどに緊張感の増した空間に身を留めていた。

けれど選ばなければ選ばさせられるだけである。
確かめるように右腕の包帯に目を落としていた男が再びこちらを向いた時その表情は、確かに笑っていた。
少なくとも鈴子にはそう見えた。
(――来るの!?)
中途半端とはいえ強引に戦闘モードへと入った身体が反射的に右手を跳ね上げる。
迎撃の為のショットの構え、けれど弾の素となるビーズのない現在それはまったくの無意味。
いや、無意味なはずだった。


突き出した右手の向こうでは早業で立ち上がっていた男が防御姿勢をとっていた。
ほんのわずかではあるが不意を突かれた――とでもいいたげな不快感が顔にある。
ただし、このときの鈴子にはそれら理由を推察するまでの時間はない。
(あ、いけない……でも、チャンスですの?)
少しだけできた優位な時間、枷が外れたように良く動く身体を翻して一気に建物へと飛び込んだ。

校外の古ぼけた風景からは期待はずれのありふれた光沢を放つ床が続く廊下を土足が騒がしく通り抜けていく。
二つ、扉が脇を過ぎていったことを認めて速度を落とさないように気にしつつ振りかえった。
四角に切り取られた朝の光のモニターにはゆっくりと歩いて建物へ近づいてくる男の影が浮かび上がっている。
その悠然とした動きは鈴子にいくばくかの思考の余裕をくれた。
(このままの距離を保てばとりあえずは安全そうですわね。
 …そういえばさきほどはどうして彼は怯んだのでしょう?
 確かに私も急な動きでしたけれどなんだかひどくオーバーな……ッ!!)
自分のものとは違う良く響く足音が後方から聞こえ、わかりきったことを確かめるために鈴子はもう一度振り向いた。
明らかに自分より上の速度で猛然と彼が追ってくる。
一方逃げる鈴子はもう少しで校舎の端へ到達する位置にいた。
その先は開放された渡り廊下が続き講堂兼体育館へと続いている。
またその手前には二階への上り階段がある。

武器も力もないのに殺し合いルールの中で誰かに追いかけられる。
平和に暮らしてきた中学生ならおそらく恐怖に駆られるだけであるところではあるが、
いくつもの修羅場や戦闘を経験してきた鈴子はもう少し冷静に考えることができた。
(このまま逃げ続けてもダメ、速度差でどこかで追いつかれますわ。
 かといって戦う手段もない。何も手はないの? ………いえ)
廊下の端、階段と渡り廊下に分岐するポイントは近い。
思考と決めた覚悟とつながった記憶が鈴子の中に一つの閃きを生む。
デイパックの中身を思い返しつつ賭けですわね、と小さく呟いた。

聴覚はしっかりと接近を捉え警告してくれている。
ちらりとだけ、三度振り返った鈴子は分の悪さを確信してからその不安を噛み潰す。
(でも……やるしかありませんわっ!)
出入り口をくぐり繋がる渡り廊下へ躍り出る。
斜めに差し込んでくる光の中へ飛び込むと同時にできるだけ速度を落とさないように反転し、右腕を砲身に見立てるが如く突き出す。
同時に左手をデイパックの中へ滑らせて適当な大きさの何かを掴む。
聴覚が男のペースの乱れを聞き取り、慣性を利して跳び退る形から着地、転進。
抜き放たれた左手は掴みだした何かを緩く彼へ向けて放った。

ゲームの暗さと強く対照を為す陽光が廊下から飛び出した鈴子の視界を白く染めている。
期待しているのは彼もまた側面から差す光によって視界をいくらかでも遮られていること。
自分が何を仕掛けたかを確認するために彼の勢いが減じていること。
彼との距離が遠すぎもせず過剰に近すぎもしない程よい距離でいてくれること。
ある程度は仕掛けたとはいえ、偶然頼みの賭け。
けれどこの分の悪い賭けは鈴子の期待の範疇で第一段階を潜り抜けていた。
投げつけられた白衣を足を止めて打ち払った彼の拳は鈴子の1メートルほど前を風切った。
追いかけっこは停止、代わって2メートルほどの距離を開けて"腕"を男へ向け突きつける鈴子という構図が出現している。

「話を聞いてくれませんか? ………でないと、撃ちます!」

命綱は"鉄"あるいは"百鬼夜行(ピック)"に見立てた腕一本。
知らない相手には「何やってるの?」と馬鹿にされそうな行為でも彼には通じるはず。
他でもないアノンと戦って彼は傷ついたのだから。
最初のオーバーアクションと感じた反応も初めて神器という力を経験した残像、戸惑い、警戒ゆえに違いなく。
それこそが無力な鈴子がつけこめる部分だった。
今はアノンの残像と度胸、そして演技力が武器。
覚悟を決めた鈴子の目はもう鬼に対しても押し負けることはない、……はずであった。


「まずはあなたの名前を教えてくれません? さっきは答えてくれませんでしたわ」

不愉快げな鬼は目に光を蓄えたまま今度も答えない。
再び沈黙が続くことを恐れてこの問いを諦めた鈴子が次の質問に移ろうとしたとき。
視覚――いや全身すべてから神経を震わされる感触が伝達された。
戦慄が体内を駆け抜け、冷や汗が吹き出る。
潮のようにそれが引いた後も手足の末端部にかすかに残る震えが浴びせられた恐怖を印している。
勇気とハッタリで作り上げた見掛けの優位ももはや大きく崩れていた。
それでも、生き残った元気を纏め上げて鈴子は何とかその優位を保とうとする。

「な……名乗りたくないならいいですわ。それよりあなたはゲームに乗るつもりですね」

沈黙は一変した重い空気と混ざり合って鈴子を追い詰めていく。
それでもまだ懇切丁寧に事情を説明すれば説得できるかもと自分に言い聞かせて希望を繋いだ。
そうでなければどうなってしまうかなんて考えたくも無かった。
結局元通り押し潰されそうな二度目の対峙は舌打ちで破られる。

「操れぬか……。まあよかろう。我が名は鬼丸、やがて天下を制するものだ」
「…鬼丸さん、ですわね」
「ところで、そのできもしないくだらぬ脅しはいつまで続ける気だ?
 いつまでもオレは寛容ではないぞ」
「え?」


再び目にした彼の笑みは自信と邪悪に満ちた笑顔。
それよりなにより実体のない脅しであることを言い当てられてさらに動揺が走る。
ここで引けば完全な敗北であることはわかる。だから、引いてはいけない。
消し飛びそうな心を支えることができたのはぐるぐる回るたったそれだけの思考。
心理戦ではこの程度のやり取りは当然という知識はあってももはや上手く切り返せる状態ではなかった。
完全に固まってしまった鈴子の様子を察して、疾風の如く鬼が動く。
突き出していた右手に痛み。重心が崩される浮遊感。背中から垂直に突き抜ける衝撃。

「こうなる前にさっさと引き金を引くべきだったな。雑魚が」

暗転する視界、鉛のような身体、降りてくる侮蔑。
それは完全な敗北の痛み――望まぬレッテルも受け入れられるほどの。


それから数分後。
鬱然と地面に座り込んだ鈴子にアノンについての質問が続いていた。
主にその戦闘能力について聞かれていたような気がするが、どう答えたのかはよく覚えていない。
ともかく彼はある程度の満足を得ていたようだし、嘘をつくほど頭が回っていたはずもないので淡々と喋っていたのだろう。

質問の時間も終わり、何も考えたくない頭で自分のデイパックを漁る鬼丸を見ていた。
恐怖も希望も存在価値を完膚なきまでに打ち砕かれた自分というくすみの下に埋もれている。
陰鬱な沈み込みの時間は冷たく通る彼の声で終わる。

「使えそうなのはこの針程度…。そうそう当たりは引けぬか。
 では、不要な残りはここに置いておくぞ。ああそうだ、こいつをくれてやろう」

そう言って無造作に放り出された鈴子のデイパックのそばに鬼丸は取り出した飯ごうのような物体を置いた。



既に鬼丸はこの場を去っていくらかの時間が過ぎている。
未だ立ち上がることもできず、どん底をさまよう鈴子ではあったがそれでもようやく思考力を取り戻しつつあった。
まず第一に殺されなかったことが不思議だとは思った。
しかしその結果を「自分には殺すほどの価値もない」と自己変換して納得し、気持ちはますます暗く落ち込む。
それでさらに時間を無駄にしたあとで、ようやく自分のデイパックとその脇の物体に目がいった。

(……あれは、なんでしたっけ?)
ゆっくりと、つい先程の記憶を必死にたぐって鬼丸が言っていたことを思い出す。
(確か…そう、……『クレイモア地雷』って…地雷!?)
(そうですわ。『自分で使うつもりはなかったがこういう風に役に立つとは』、とか)
(スイッチ……私に起爆スイッチを見せて『生殺与奪はここにある』……)
「そうですわ、『刀と交換ならこれを引き渡しても良い』とも言ってましたわね」

おずおずと立ち上がり物体に恐る恐る手を伸ばす。
指に感触が生じたところで良く知らぬ機械への恐怖が作用して慌てて手を引っ込めた。
そのまま1メートルほど間を取って呆然と立ち尽くす。

改めて落ち着いて考えれば、自分は脅迫を受けたということらしい。
爆発を起動できるスイッチは彼の手にあり、爆発する地雷はここにある。
鬼丸は刀とそのスイッチを交換してくれるとは言ったが、再会の時に私が満足するものを渡せなければその時は恐らく殺されるだろう。
彼にも探し物があり、私は今そのための手段として生かされたというだけである。
わざわざ置いていった地雷は不完全とはいえ主催者が参加者に与えた束縛と似た意味を――
つまりはそれを甘んじて所持することが服従と無抵抗の印代わりだと言いたいのだと思う。

「……一体どうすればいいの?」

突きつけられた現実にたゆたう。
拾うことも逃げることもできないまま、1メートルの間隙に大きなため息が吐き出される。

キラキラと降り注ぐ陽光はいまや自分の暗澹たる心中と対比を為す輝きだった。
無力を刻み付けられた精神と身体は決意も、方針も失って漂っていた。


【D-6 鎌石小中学校→どこかへ移動/ゲーム開始より2時間経過】
【鬼丸猛@YAIBA】
[状態]右腕軽傷(処置済み)
[装備]注射針
[荷物]荷物一式(食料&水二日分)、クレイモア地雷(遠隔起爆モード)×2+起爆スイッチ
[思考]1.鉄刃他、目をつけた強敵を打ち倒し覇道を制す
   2.刀剣を手に入れ、アノンへの屈辱を返す
※アノンと神器についての大まかな情報を入手。但し神器情報はレベル8「浪花」まで。

【D-6 鎌石小中学校/ゲーム開始より2時間経過】
【鈴子・ジェラード@うえきの法則】
[状態]健康、但し精神状態はどん底
[装備]ナースキャップ
[荷物]荷物一式(食料二日分&水一日半分)、クレイモア地雷(遠隔起爆モード)×1
   なりきりナース医療セット(包帯、消毒液、注射器数本、輸血パック、ナースの制服)
[思考]1.激しく落ち込んでいます



前話   目次   次話