消える印






 とうとう殺してしまった。
 相手はバンダナを巻いた青年、自分とも大した年の違いはなかっただろう。
 丸腰の相手を、自分の炎で焼き殺したのだ。
「とうとう、やっちまったんだな……」
 烈火はそのまま地面に突っ伏した。
 手にはモバイル。そこには先ほどの青年、諏訪原戒の顔があった。
 その顔の下には『死亡』の二文字。もうこの青年は戻ってこない。
 自分が行き着くところまで行ってしまった事を改めて痛感させられる。
「はは……最低だな、俺。木蓮なんかと何も変わらねえよな」
 いくら柳のためとはいえ、あまりにも残酷すぎた。
 今まで主君を守る忍として、柳の恋人として正義を貫いてきたのに、
 自分がとった行動は最も卑怯で下劣な、不意打ちで騙し討ちの人殺しだ。
 柳を蘇らせるという目的があるとはいえ、それが正当化される理由などはない。
 自分は決して許されない行動を取り、完全に汚れてしまった。
 このような姿、決して風子達には見られたくはない。

 だが、烈火の決心は変わらなかった。
 いや、ここまでやってしまった以上、変えることなど許されないと言った方が正しいかもしれない。
 忍は主君を命に代えても守ることが務めだ。
 いつか水鏡にも、姫を守れない不忠な忍は腹を切って自害する! と言い放った時もある。
 その時の言葉を考えれば、今はその腹を切るときだろう。姫を守れなかったのだから。
 しかし可能性は残されている。このゲームの優勝者に与えられると言う望み。
 白面なら、得体の知れないあの主催者なら柳を生き返らせることは可能ではなかろうか。
 腹を切るのは最後の可能性が絶たれてからでも遅くはない。
 柳を助けることが出来れば、その時こそ最後の責任は取ろう。
 主君のためとはいえ、罪のない人の命を奪った自分だ、覚悟は出来ている。
 烈火は一度自分の肩から腕にかけてを摩った。八竜が何故再び戻ったのかは分からない。
 分からないが、この状況で八竜がまた使えると言う事実は有難かった。
 いつだったか、八竜の言っていた言葉を思い出す。
 八竜が守るべき人を守ることが出来なかった炎術士の成れの果てであったこと。
 それなら、このまま死んだら自分は間違いなく九匹目になるのだろう。何の能力もないハズレ火竜として。
 ふとそんなことが頭によぎった烈火だった。
「どうしてテメェらが俺の中に戻ってきたのかは知らねえけど、柳を助けるために、もう一度力を貸してもらうぜ!」
「さあ、どうかな」
 急に、返事が聞こえた。
 烈火は思わず身構えてしまうが、直ぐにその必要がないことに気づき警戒を和らげる。
 辺りに人の気配はないし、何よりこの声は自分が良く知っている声だったからだ。
「そりゃどういう意味だ?」
「そのままの意味だ。烈火よ……」
「言ってる意味がよく分からねえよ、どういうことか詳しく聞かせてくれねーか、砕羽?
 まさか、こんな俺にはもう力を貸せないって、そういうことなのか?」
 烈火に話しかけてきた相手、それは他の誰でもない……八竜の一匹である。
 姿こそ見えないが、以前にもこういうことは何度かあった。
 急に話しかけてきた砕羽だが、烈火はさして意外な顔は見せていない。
 予想はしていたのだ。今の自分はただ柳のためだけに無関係の人を手にかける人殺し。
 そんな人間に、好き好んで力を貸してくれる者がいるのだろうか、と。
 もしこれ以上八竜が力を貸してくれないのなら、烈火は自分だけの炎で戦うことになる。
 八竜とは違い、自分には炎の型などない。これから先の苦戦は免れない。だがそれも覚悟の上だった。
「結論を急ぐな、烈火。我ら八竜も意見が割れている。
 率直に言えば、今の主は我らの力を貸すに値するか? そのことで意見が二つに割れた。
 崩や塁は『烈火を死なせるわけには行かない』と言っているが……」
「別に構わないぜ。例えお前らが一匹も俺に力を貸してくれなくたって、俺は柳を助ける」
「……烈火、以前主は言ったな。人の指図は受けずに、自分は自分なりのやり方で勝つ、と」
「…………」
 今度は砕羽に代わり、焔群が烈火に言葉を投げかける。
 焔群の言葉に、烈火は黙るしかなかった。
「あの時の言葉は偽りだったか? 主のそういう考え方に共感したからこそ、私は主の力となったのだ」
 痛い言葉だった。
 確かに今の自分は焔群の言うとおり、人の指図……白面の狙い通りに動かされている。
「……俺は忍だ。プライドや主義を曲げてでも、主君は助けなければいけねえんだ」
「忍の大先輩を前にして忍の道を説くか」
 焔群がくくっと笑った。
「お前の姫は死んでるんだ。お前のやってることが無意味な人殺しだってことを理解しろ、バーカ」
「可能性がある限り、諦めきれねえんだよ!!」
 焔群の次に出てきた円の言葉を一蹴する。
 そこに何のためらいもないのが、烈火の決心の強さを物語っていた。

 その瞬間、烈火の前に人影が浮かぶ。
 老体に似合わないシャツとサングラス、そしてアンバランスに草履を履きこなす老人の姿が。
 八竜の一匹であり……魔導具の作り主の一人でもある、虚空だった。
「……そうか。それがおまえの出した答えか」
「ワルいな。もう決めたことだし、後戻り出来ねーんだ」
「おまえが正しいと思うのなら、好きなようにやると良い。ワシらにはおまえの行動を止める権利はない。
 だが、覚えておくが良い。今のおまえを完全に認めている者など、ただの一匹しかおらんということを」
 虚空がサングラスを取り、左目で烈火を睨みつけた。
 その目には、敵意に近いものがあった。
 それで烈火は悟る。少なくとも虚空は今の烈火を認めてはいない、ということを。
 当然かもしれない。人を生かす武器を作ることを目標としていた虚空から見て、今の烈火は……言うに及ばず。
「……そうじゃ烈火。裂神……いや、桜火と言うべきじゃな。奴から言伝を預かっているが」
「言わないでいいさ。ロクなことじゃねえんだろ?」
「会いたくないそうじゃ。……そして、勘当する。ともな」
 烈火の言葉を無視して虚空が続けた。
 予想はしていたが、改めて突きつけられると、痛い。
「クソ親父って、言っとけよ」
「烈火、今なら間に合う。思い直せ。
 人一人殺したことは決して軽くはない。だが、罪は償えばよい。
 あの白面とかいう妖に抗することの出来る力を、おまえは持っているのじゃぞ?
 それに、柳はそのような方法で蘇ったとしても、決して喜ぶことはないというのはおまえが一番よく知っているはずではないか」
「もう決めたんだ。例え柳に嫌われようが、世界中の人間全てに怨まれようが、柳さえ生きててくれれば、それでいいんだよ」
「……フン。ワシも裂神も今のお前を決して認めることはないぞ。それを忘れるな」
 虚空の姿がゆらりと消えていく。
 それが、最後通牒だった。
 虚空は柳のことを出して烈火の説得を図ったが、烈火の決心は揺らぐことがなかった。
 そうなった以上、もう烈火の説得は……不可能。虚空はそう結論付けたのだった。
 消える瞬間、烈火のことを寂しそうな顔で見たのが妙に印象的であった。

 烈火は右肩の袖をまくる。
 そこにあったはずの『裂神』『虚空』の二文字は、完全に消えてなくなっていた。
「……火竜に愛想を尽かされるなんてな」
 誰に言うわけでもなく、一人呟く。
 元より覚悟は出来ていた。
 全員に愛想尽かされることも考えていたので、六匹も残ってくれていただけでも有難い。
 その六匹も、いつまで今の烈火の力になってくれるかは怪しいところだが。
「ま、いざとなったら一人でもなんとかなるさ」
「ケッ、強がってるじゃねえか」
 再び、烈火の中から声がする。
 烈火としては、あまり聞きたくない声が。
「……黙れよ刹那」
「おまえがこうなってくれて嬉しいぜ、烈火。所詮おまえもオレと同じ穴のムジナよ」
「俺は黙れと言ったぞ?」
 八竜の一匹の刹那。
 邪悪竜とも呼ばれる火影炎術士の異端児。
 敵味方問わずに人を殺す残虐さ、気性の荒さは言うに及ばず。
 そのような性格の火竜が、わざわざ烈火に話しかけてくるなど、これまでは殆どなかった。
「オレを使えよ。おまえの望み通り……殺してやるぜ?
 そいつが善人だろうが悪人だろうが女だろうが子どもだろうが、一瞬のうちに灰にしてやれるぜ」
「……うるせえよ」
「主君のためだとか言い訳するのはやめろ! てめぇは人殺しなんだよ! オレのようにな!!」
「うるせえんだよ!!」
「ケケケ、その内分かるさ。てめぇが根っからの人殺しだってな。いい加減認めちまいな」
 刹那の声が止んでいく。
 その言葉に、烈火がギリ……と唇を噛んだ。
「うるせえよ……そんなのは、自分でも分かってんだよ」
 そう毒づきながら、烈火は自分が引き返せないところまで堕ちていくのをしっかり感じ取っていた。

【E-7 東崎トンネル付近/朝】
【花菱烈火@烈火の炎】
[状態]:精神力を少程度消費 裂神・虚空使用不能
[装備]:なし
[道具]:荷物一式(食料&水:2日分)、天界モバイル@植木の法則 
[思考]:1.ゲームに勝利する
     2.非情に徹する
     3.柳を蘇生してもらう



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