無題






青々とした葉に朝露が滴る。
辺りに立ち籠める白い霧。
ガサガサと落ち葉等をかき分けながら進む足。
「……」
サンダルを履いたソレはうっすらと濡れていた。
歩調に合わせてフワフワと揺れる巻き髪。
薄手のタンクトップに細身のジーンズ。
酷く落ち着いた様子で息が乱れる様子も無く
山中をゆっくりと、それでいて着実に黙々と進んでいく女。

ーーー歌姫、浜崎あゆみ。

露で濡れた足がキラキラと光る。
彼女はただ何も言わずに山を歩いている。
自分が登山しているのか下山しているのかは恐らく分かっていない。
そんな事は、今の彼女にとってどうでも良い事だ。
「……」
彼女の手にはしっかりとコードレスマイクが握られていた。

訳も分からず、夜中にこの逢坂山へやってきた彼女が
支給されたバッグに手を突っ込んであさり、何か掴んだと思っておもむろに引き上げると
その正体は呆れるくらい何度も何度も手にしたソレだった。
バッグを更にあさると、マイク用の替えの電池も何本か入っていた。
「マイク」
プログラムを言い渡されてからこの山にやってくるまで、声を一切発さなかった彼女が、漸く呟いた言葉。
「マイク」
手にした物をギュッと握り、確かめるようにまた呟く。
「マイク。」
また呟く。
「マイク、歌、アタシは歌手、アタシは歌姫。」
マスカラとアイライナーでバッチリメイクを決めたその瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「アタシは歌姫。アタシは歌姫。アタシは歌姫。」

どんなにバカにされても、どんなに批判を買っても
死にものぐるいでここまで這いずってきたのに!
…殺されたら終わる。何もかも終わる。
そんなアタシのピンチに神様が与えてくれた武器は、やっぱりマイク一本だなんて。

その夜、マイクを握ったまま無防備にもその場で横になり眠った彼女は
朝になるとマイクを持ったままバッグを背負い立ち上がる。
そうして服や髪に付いたゴミを払うと、ゆっくりと歩き出した。

朝からずっと山中を歩き回っていた彼女がふと顔を上げた。
前の木の影から何かはみ出している。
…足だ。
人の足だ。
人間の、足だ。
浜崎がガサガサと物音を立てて歩いて来たにも関わらず、目の前の足はピクリとも動かない。
マイクを両手で強く握り直すと、浜崎は思いきって木の前へと身を乗り出した。
「ッ、!」
物体を目で捉えた浜崎の顔と身体がビクリと強張る。

木にもたれかかるように座り込んだその女の目は濁っていた。
身体と服、辺りを血まみれにしたまま動かない。
…大塚愛。
浜崎と同レーベルの歌手だ。
恐る恐る、長い付け爪の付いた指で浜崎が大塚の髪を触る。
血まみれの髪は乾燥した血で固まっていた。
髪に指を通そうとするとパリパリと乾いた血がはがれ落ちる。

こんな雑木林で。こんな山の中で。
こんな血まみれで。こんな無惨な姿で。
…浜崎の頭によぎったのは、目の前の大塚と同じ死に様の自分の光景。

浜崎の顔が 静かに 歪んだ。

「…バッカじゃないの?」
グロスの付いた唇の、両端が引きつったように上がる。
「バッカじゃないの?」
細い眉を寄せると、間に皺が出来た。

「バッカじゃないのッ!?!!?」
もう何も言わない大塚の頭を思い切り蹴り上げた。
「超ダサい。超ウザい。超めんどい。超意味不明。超ムカつく!!!」
叫びながら、堅くなった大塚の指を一本一本こじ開けて
折れそうな鉛筆をその手から奪う。

「みんなアタシの為に死んでよ!!アタシの為に死んでよお!!!!」
「絶対イヤ!!殺されるもんか!!絶対イヤ!!イヤ、イヤ!!死にたくない、殺されたくない、殺されるくらいなら、それなら」
浜崎の顔が上がり、大きな目が木々の隙間から青い空を捉えた。
スッと立ち上がった浜崎は走って山を降りていく。

「殺しちゃう、ん、だからぁあ。」

そう呟いた浜崎の顔は、穏やかで優しい母親のような笑顔だった。

【逢坂山(エリア10)/早朝】

【21番 浜崎あゆみ】
[状態]: 健康
[装備]: コードレスマイク
[道具]: 乾電池数本、支給品一式
[思考]: 皆殺しして優勝



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