ここじゃないどこかには 今じゃないいつかには






街の隅に潜む病院の中。
窓硝子を突破する月明かりが、質素な作りとなっている病院の廊下の一部一部を照らし出している。
その僅かな光が与えられたスペースの間を縫って歩く影が一つ。
影は逃げも隠れもせず、堂々と足音をコンクリートの壁に響かせることで自己の存在を主張する。
軽やかなステップを踏むたびに雪の如く透き通った銀糸を遊ばせ、建物の奥深くに潜るにつれに胸を強く高鳴らせた。

影の名を、ヘンゼルと云う。
真ん丸い瞳、薄い唇、高い鼻。彼が持つ端整な顔立ちには、まだまだあどけなさが滞在している。
しかし中身は外見通りとはいかない。
幼き頃、少年は世界が生み出した酷い歪みを知らされた。
嬲りものにされた。殺人映画の作成を手伝わされた。人間の後始末の仕方を覚えさせられた。
喉がおかしくなりそうなくらい泣いて、叫んで、喚いて、それでも大人たちは『遊び』を止めてくれなかった。
狂いまくった歯車は軌道を修正せぬまま、やがてヘンゼルは全てを受け入れてしまった。
理不尽で非道で無情で不合理で容赦無い世界を祝福してしまった。
落ちて堕ちて落ちて堕ちて落ちて堕ちて落ちて堕ちて、闇のどん底を這いずり回って生きてきた。
そしてこの殺し合いのゲームが、また世界の理とやらを彼に突き付ける。
救われる者など居ないのだ、と。
奪わなければ得られない。そういう風にできているのだ、と。

だから、ねえ、かくれんぼじゃなくてさ。
「もっと楽しいことをしようよ」

建物の最深部である屋上。
ここに辿り着いて漸くヘンゼルは後方を顧みて、無邪気な声をかける。
病院に踏み入ってからずっと、自分の影を追跡している何者かの存在へと。

「まあ、そうですわよね。こんなあからさまな尾行、気付かないほうがおかしいでしょう」

追跡者は簡単に身を隠すことを放棄して、鉄製の扉の影から姿を現した。
毛先が波打った茶色の髪を二つに束ねた少女。年齢はヘンゼルよりも二つ三つ程、上くらいの。
手中には幾本ものメスが収められている。恐らく病院内で調達したものだろう。

「あはは。でも尾行されてるってはっきり認識できたのは途中からなんだ。
 最初は箱を探し回ってただけ。こんなもので楽しく遊べるかどうか不安だったからさ、やっぱりいつものやつのほうが楽しめるかなって」

ここに来るまでの道のりで発見した白いシンプルな箱で眠っていた鋸。
軽くて刃が軟らかいそれは一振りしたところで肉は斬れても骨を断てるかどうか…。ましてや子供の腕力で。
握り締めたそれを顎先で示して、罰が悪そうに笑ってみせた。


何れにせよ、遊ぶ気満々ではあるが。

 ◆

超能力開発機関『学園都市』の中でも五本の指に入る名門、常盤台中学。
名門中の名門故に、入学条件をクリアするのは極めて難しい。王侯貴族をあっさり跳ね除けたという逸話も語られている。
その『学び舎の園』に、ありとあらゆる知識と技量を以て、彼女は見事入学を果たした。
そして様々な実験施設を利用した特殊なカリキュラムと風紀委員での鍛錬に鍛錬を積み重ね、得た肩書きは大能力者(レベル4)
成果として、つい数ヶ月前には転移できなかった自身の体も、空間移動させることが可能となった。
――そう、彼女の能力は空間移動。三次元的空間を無視して触れた物を一瞬にして遠くへ転移させる能力だ。
便利なだけに、発動条件がややこしかったり演算が複雑だったりと、厄介な部分もある。


現在彼女、白井黒子は病院の屋上で、一人の少年と対峙中だった。

「楽しく遊べるかどうか、いつもの――ですか」

『遊び』とは殺し合いを称すもの、『いつもの』ということは手慣れた自身専用の武器があること。
少年の言葉を反芻する内に、要領を得ない単語から二つの意味を導き出した。
容姿は小学生のそれと変わらない。だが、年齢は能力の大きさに比例するものではない。
油断すれば命を落とすかもしれない可能性があることは充分に考えられる。
それ以前に、相手の身にまとった空気があまりにも異質すぎたため只者では無いことは察知していたのだが。
とにもかくにも、人を殺す気であるならば何としても阻止せねば。
風紀委員として。一人の人間として。

「つまりあなたは乗っている、と解釈してよろしいですのね?」
「うん。こんなに楽しいパーティーに参加しない理由なんてないもの。
 お姉さんだって見たでしょ?お兄さんの頭が吹っ飛ぶ瞬間をさぁ!
 まるでボールみたいに軽々と天井を舞ってた。切断面から血を吹き出しながら!」
「本当に悪趣味な一発芸でしたの」
「僕はもう一回見たいなぁ。今度は…お姉さんの頭で、ね!」

語尾を発すると共に、少年は大きく最初の一歩を踏み出した。
対し、こちらからのアクションはデイバックの中からある支給品を取り出すという単純作業だけ。
懐に潜り込んできたヘンゼルが鋸を横に振るのを、右にも左にも避けず冷静に見届け――。
「あ、れ…?」
確かに、確かに彼は鋸の刃が届く距離まで踏み込んで、しっかりと腕を振り切った。
だが、ダメージなんてものは一向に来ない。来るはずがない。
原因を作った張本人である黒子は誰よりもいち早くそれを理解していた。
少年の方は柄のみを横に薙ぎ切って初めて鋸の異変に気付くことができたらしい、目を丸くして鋸――いや、ただの棒状の何かになってしまったそれを見つめている。

「まぁ、近くで見るとえらく愛らしい武器ですのね。
 そんなもので誰かを殺せるだなんて思うあなたの頭もなかなか可愛らしいと思いますが」
「え?あれ?どうして?」

今のは瞬時に複雑な数式を組み立てて、支給品…四つ折にされた名簿を鋸の刃と柄の間に割り込ませただけなのだが、
彼女の正体など知る術など持たない彼は、ただ唖然とするしかない。
故に、相手への注意力が散漫になり――黒子が伸ばした手に、うっかり触れられてしまった。
「!!」
その行為により、少年の身体は本人の意思とは関係なく地面に転覆。
続いて指の間に挟んでおいた数本のメスを少年の衣服の空白部分に転移させ、彼の身体を地面に縫い付ける。
よって、少年は四肢の自由が無くなり、抵抗する力を奪われてしまった。

「さて、まずはお話をおうかがいしましょう。
 殺し合いに乗った動機は…、と聞いても遊びだの楽しいからだのの堂々巡りになるでしょうから……。
 そうですわね、とりあえず今後の行動方針、及び考えを改めるおつもりは?」
「なにを、言ってるの?あは、はははっ、何言ってるのお姉さん?
 あははははははは!あはははははははははははは!そんな必要は無いじゃない。
 爪を一枚一枚剥がされてただでさえ血まみれの皮膚に文字を彫られた。
 無理矢理引きずり出された舌をライターの火であぶられた。
 その後蝋燭みたいにドロドロになった舌で排水物にまみれたトイレを掃除しろ、なんて言われたっけ。
 干からびてしまいそうなくらい熱がこもったコンクリートの部屋に、三週間閉じ込められたこともあったよ。
 三週間の断食の後、食事として出されたのは誰のものか…人間のものかすらわからない尿と汚物だった。
 おじさんたちに体を弄ばれた。覚えたくもないのに、人の殺し方を教えられた。何度も何度も殺しを強要された。
 奪われて奪われて奪われて奪われて奪われて、もう奪われるものが無くなるくらい、何もかも奪われた。
 そしていつの日か、僕は理解したんだ。それが世界の仕組みなんだ。仕方が無いことなんだ、って。
 奪われるばかりの世界なら、奪うだけの世界に変えればいいんだ、って。
 あの声の人も言ってたじゃない、奪い合えって。
 それがどういう意味か、お姉さんだって分かってるんでしょ?だから僕を殺そうと――」
「もう良いですわ。虫唾が走るようなご説明をどうも有難うですの。
 では最期に、わたくしから奪われてばかりとやらのあなたへ、素敵に愉快な言葉をプレゼントしてさしあげますわ」

 清々しいほどの満面の笑顔とは裏腹に、威嚇するように少年の喉笛にメスの先端を差し向ける。

「言うことが盛大にくだらねえんですわよクソガキが」

最大限にトーンを落として、そこに感情が込められているかすら判別できぬほどに抑揚の無い声色で。

「何を言い出すかと思えば…呆れる、というか笑っちゃいますわ。
 奪われるばかり?世界の仕組み?十何年生きたか生きてないか程度で、えらく大層なことを言いますのね。
 あなたは、あなた自身の意思で、憧れていたものを、恋焦がれていたものを諦めただけでしょう。
 『引き金』になるものがあったとしても、引くかどうかはあなた自身が決めることですものね」

一気に捲くりたてて、少年が言葉を挟む余地を与えない。

「あなたは他の誰かから、何を奪って何を得たんですの?
 金?食料?地位?命?目的?遊び道具?殺人への快楽?…ハッ、ろくでもないものばかりですわね。
 傷つけられる痛みを知っているくせに、人を傷つけて。あなたのわけのわからない理論に他人を巻き込んで。
 手を伸ばせば届くかもしれないものを無視して。夢見ていたものを幻だと決め込んで。無意味な物だけを貪り続けて…。 
 別にあなたが見てきた世界の存在自体を否定するつもりはありませんが、わたくしはわたくし自身が見てきた世界の存在も否定する気はありませんのよ」

一瞬、自身の世界の象徴である、大きくて温かい目指している『あの方』の背中が脳裏を過ぎる。

「わたくしは知っていますわ。傷つかなくとも良い世界を。無関係な人を巻き込まなくとも良い世界を。
 ですから、奪うことが世界の仕組みだというのなら。血を、涙を流すことが世界の仕組みだというのなら。
 あなたがわたくしが愛する世界の存在を否定するというのなら――」
果たして少年の脳は黒子の言葉の意味を正しく汲み取れているだろうか。
分からない。分からないが――こんなにも当然で単純なことも理解できないほど、彼の心がボロボロに傷付いているというのなら。
例えそれが手遅れだとしても。もう彼が闇の奥深くに呑み込まれているのだとしても。

「―――そんな幻想、このわたくしがぶち殺してさしあげますわ」



かくして、邂逅を遂げた凸凹コンビ。
彼が負う深い傷を、彼女は癒すことができるのか。
彼女の言葉に、彼は何を思ったのか。
彼・彼女らが描く物語の結末に待つものとは――。

【A-1 病院 / 一日目深夜】
【白井黒子@とある科学の超電磁砲】
[状態]:健康
[装備]:メス
[道具]:デイパック、支給品一式
[思考]
1:殺し合いを止める。
2:ヘンゼルが抱く幻想をぶち壊す。

【ヘンゼル@BLACK LAGOON】
[状態]:健康、身動きが取れない
[装備]:なし
[道具]:デイパック、支給品一式
[思考]
1:他の参加者を殺す?
2:??????



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