無題






闇夜の路地裏に風は吹かなかった。
一般に高層高層建築物の隙間であるこの空間は風の通り道になるとされているが、だからといって必ずしも風が吹いているというわけではない。
そんな風の音のない路地裏に、靴音がカツカツと鳴り響いていた。月明かりに照らされ、浮かび上がるのは一つの黒い影だ。大きくもなく、小さくもない背丈、引き締まった筋肉、屈強な肩、ヤクザのような目付き――
路地裏の空間は男には気付かず、変わらずに静かな時を刻んでいく。あるいは、気付かない振りをして。

「我は駆ける天の銀嶺」

男の呟く様な言葉と、これまでよりも幾分か大きな足音を最後に、再びその路地裏には沈黙が訪れた。
と、まるで息を吹き返したかのようにその空間に風が流れ始める。
まるで男が何事もなく去っていったのを安心したかのように。




「殺し合い、ねえ」

オーフェンは小さく呟くと同時に溜息を吐いた。年の頃は二十歳ほど、黒髪に黒目。目付きは斜視に近いが、まあ平均的な顔立ち。着ているものも概ね黒一色である。その胸元にぶら下がった銀色のペンダントが特徴らしい特徴だろうか。剣に絡み付いた、一本脚のドラゴンの紋章。
それは彼が魔術士、それもキエサルヒマ大陸において最高の黒魔術士の一人であることの証明だった。

「この名簿を見た限りじゃ良く分からんが、見た感じ、初めの場所にいた人数は大体五十ってとこだったか。てことは単純計算、絶対的な安全を手に入れられる条件……最後の一人になるまで生き延びる確率は五十分の一。仮に生き残ったとして、あのスピーカーの向こう側の奴がこの町から俺を脱出させる確率は……まあ0だな」

馬鹿らしくなって嘆息する。悪徳金融の貸付よりもよほど性質が悪い。しかも首輪で殺し合いを強制しているのだから尚更だ。

「こんな糞みたいな条件で真面目に殺し合いするやつ……少なくとも、自分の実力に自信を持ってる奴なのは間違いないわな」

それが自分の頭脳に対してなのか、力に対してなのか、あるいは幸運に対してなのかは分からないが、殺し合いの中で生き残ることができるという自信は相当なものには違いない。

「あー、後は面白半分で乗る奴は……いないとも言い切れんのが悲しいところだな」

面白半分で乗ってもおかしくはなさそうな変態執事を思い出して嘆息する。

「まあ、あいつが何やってもどうせ誰も死なねーからどうでもいいけど。とまれ、面白半分で乗る奴もいないとは限らない、か。後はまあ、この殺し合いとかいう舞台に怯えた良識ある一般人が暴走するぐらいかね」

危険なのは間違いなく一つ目の区分……実力に自信のある者達だろう。まあ、今の彼に勝てる相手はそうはいないだろうが、かと言って無敵というわけでもない。

「たとえば……ディープ・ドラゴンが混じってたりしたら俺にはどうしようもない……いや、それはないか。ディープ・ドラゴンはあの時にレキ以外は滅んだはずだし……」

ディープ・ドラゴン=フェンリル。
キエサルヒマ大陸最強の種族。視線を媒体とした『沈黙魔術』を使う、漆黒の毛並みを誇る、無敵の獣。
その力は見るもの全てを一瞬で蒸発させ、空間転移を可能とし、死者をも蘇生する。

「まあ、そもそもディープ・ドラゴンなんざ混じってたら殺しあいにはならんわな」

と、思い出したように空に向かって手を挙げてみる。
当然といえば当然だが、夜空は変わることなくそこにある。彼の意図した通りに捻じ切れたりはしない。

「ちっ。初めに試した時もそうだったが、やっぱ魔王の力は完全に封じられてるみたいだな……。まあ、あんなもんがあったら殺し合いどころじゃないから当然っちゃ当然なんだが。しっかし……」

魔王の力が一切発動しないということはつまり、この殺し合いを行っている者……初めの場所の、あのスピーカーの向こうの存在は、少なくとも魔王の力を呼び出した装置……第二世界図塔の召還機と同等の力は有していると考えられる。

「てことは、何かしらのドラゴン種族か、あるいは恐ろしく精密に作られた人形か。まあ、間違いなく人間じゃあないだろうな」

呟きつつ眼下の光景へと眼を向ける。
広がる都市の風景は、彼の知るものとは大分違う。
彼の知るコンクリートよりも質の良いコンクリート。彼の知るものよりも上等な技術で手入れされたと分かる造園。そして、今彼のいる場所……彼のいた世界では何処を探しても無かったような超高層建築物。

「こんなとこ王都でもトトカンタでも見たことねえからな……。あるとすればキエサルヒマ大陸じゃない、あの結界の外の世界の建築物だとは思うんだが……」

だとしたらこの町を作ったのはドラゴン種族ではないということになる。アイルマンカー結界によって閉ざされたキエサルヒマ大陸の外へと出たドラゴン種族は、神の具現の後、一体もいなかったはずなのだから。

「ん?」

と――
妙な違和感を感じて、オーフェンは反射的にその場を飛び退いた。
直後、パンと音を立てて彼が元いた地点が爆ぜる。咄嗟にオーフェンは周囲に気を配るが、攻撃を仕掛けてきたものの姿は見えない。
(ってことは俺から見えない位置……つ下か!)
気付くと同時に大股でその場を飛び退くと、オーフェンはその手を下へ向け、言葉を張り上げた。

「動くなよ! お前は今……」

「ここは何処だー!!」

オーフェンの声を遮って、下から現れた男が声を発する。
年はオーフェンよりも下だろう、17か18程度。鍛え込まれた肉体。黄色の服に黄色いバンダナ。何処か野性的な、犬歯の目立つ顔。


(人間に犬歯が生えるもんなのか?)

オーフェンは一瞬疑問に思ったが、即座に態勢を立て直すと、犬歯の男を睨みつける。

「動くなよ。俺は今、その気になればお前を一瞬で消滅させられるレベルの破壊的魔術を編み上げてある」

そこまで言ったところで、犬歯の男はようやくオーフェンに気付いたようだった。オーフェンに向かって振り向き、彼が掲げている腕に気付いてか、動きを止める。

「おい、あんたは……」

「悪いが今はお前の話を聞いてやるつもりはねえ。まずはいくつか、こっちの質問に答えてもらう。一つ目。お前はこの殺し合いとやらに乗ったか?」

オーフェンが犬歯の男へと問いかける。犬歯の男は首を振ることではっきりと『否』の意を示した。
だが、オーフェンは手を下げない。相変わらずの厳しい視線で男を睨みつけ続ける。

「二つ目。なんのつもりで俺に攻撃した? いや、どうやってあんな攻撃を仕掛けた? お前は人間種族だろ? 仮に魔術士だとしても俺にまったく声が聞こえなかったのはどういうわけだ?」

「っちょっと待ってくれ。さっきから魔術だの魔術師だの……何を言ってるんだ?」

「何をって……お前まさか魔術を知らないのか?」

「よく分からんが、中国三千の秘法か何かか? たしか魔法的なこともあの婆さんはやってたような気がするが……」

「……お前、あー、まだ名前を聞いてなかったな。なんて名前なんだ?」

「俺の名か? 響良牙だ。ところで、あんたはいつまで俺をその手で威嚇するつもりなんだ? 疑いが止んだようなら、いい加減下ろしてくれないか?」

「悪いが、お前が俺を攻撃した理由と方法が分かるまでは無理だな。魔術を知らないで、どうやってこんな滅茶苦茶な威力を叩き出したんだ」

「俺は別にあんたを攻撃しようとしたんじゃない! ただ、道に迷って偶然ここに辿り着いただけなんだ! 俺がここに来るまで使った技は爆砕点穴という土木工事用の技だ。人間や生物に効果は無いが、壁や地面に打ち込むとその地点を抉るように爆砕することが出来る。これで満足か?」

犬歯の男……良牙が腹立たしげに言う。オーフェンは多少胡散臭げにその様子を見ていたが、やがて静かに手を下ろした。

「爆砕点穴ねえ……。いまいちよく分からんが、とりあえず、よしとしておくか。で、良牙。お前は確か魔術を知らないって言ってたな?」

「ああ。魔法みたいな芸をする妖怪婆なら見たことはあるが、正真正銘の魔術ってのは見たことが無いな」

「ふむ……」

オーフェンは悩むように呟くと隣の建築物へと目を向けた。この辺りで最も大きいこの建築物よりは小さいが、それでもそこそこ以上の大きさがある。

「我は放つ光の白刃」

オーフェンの言葉に反応するように生まれた巨大な火線が、その建築物の中腹へと突き刺さった。

ゴトッ……。

不気味な音を立てて建築物の、ちょうど火線が突き刺さった地点が抉られたように消し飛ぶ。まるで、爆薬でも破裂させたかのように。チラッと横目で除くと、流石に良牙が目を丸くして驚くのが良く見えた。
オーフェンはその結果に満足げに頷くと、良牙の方に振り返った。

「今のが魔術だ。しかし、お前がこれを知らないってことと、お前のあの良く分からん技から察するに、俺達はどうも別の大陸……いや、世界から連れられて来たみたいだな。これまでのことは謝る。ついでに、重ね重ねで悪いんだが、教えてくれないか? お前の世界のことを」


「いや、それは構わんがお前……オーフェン。お前がさっき撃ったあれ。少しまずかったんじゃないか?」

「ん?」

言われて覗いてみると、隣の建築物……この建物にこそ及ばないものの巨大な建築物が、一切比喩的な意味なしに、完全に文字通りの意味で、傾いていた。

「あれ?」

オーフェンが思わず呆けたような声を出すが、それで建築物の崩壊が止まることは無い。むしろどんどん角度が付いていき、それはまるで……。

「おい、折れるんじゃないか? あのビル」

良牙が咎めるような口調でオーフェンへと言う。
オーフェンはわずかに冷や汗をかきつつも、あくまで落ち着いた振りをし……。

「手抜き工事だったんだな。間違いない」

断言した。
だが、当然といえば当然だが、良牙の目は冷たいままだ。

「って、おい、そんなこと言ってる場合じゃないぞ。あのビル、こっちに向かって倒れてくる」

良牙が慌てた声を出すが、オーフェンはあくまで落ち着いた様子で語る。

「大丈夫だ。あれが折れてもこの建物には天辺のところが少し当たる程度だろ。俺達が屋上であるここにいる限り直接当たることはねえし、増してやよっぽどの手抜き工事でもしてない限り、この建物が崩れることは……」

「あー。オーフェン。その計算には俺がここまでビルの中を縦に掘り進んできたことも含まれてるか?」


「……」

オーフェンは思わず沈黙すると同時に考える。爆砕点穴という技の威力によってこの建物へともたらされる負担。および、もしもこの良牙という男がこの建物の中心となる支柱の部分を多少なりとも掘っていた場合に生じる負担。
そして、改めて計算する。隣の建築物の崩壊においてこの建物に生じるダメージを。

「……良牙」

「なんだ?」

「逃げたほうがいいな」

「もう遅いがな」

ガクッ。
派手な音がしたような気すると同時に、オーフェンと良牙の体は宙に放り出されていた。



「よっと」

軽快な音とともにオーフェンは着地した。
咄嗟に構成した重力制御の魔術はまあうまくいったと言えた。少なくとも、相当な大きさだったあの建物の崩壊から無傷で助かる程度には。

「おーい、良牙―!」

声を張り上げて名前を呼んでみるが、反応はない。
落ちる寸前、咄嗟に良牙に向かって伸ばした腕は、無視されていた。良牙は崩壊が始まった時点でオーフェンを無視し、自ら防御の姿勢を固めていたのだ。

(いや、あの態勢からすればむしろ……俺ごと抱え込んで防御しようとしてたのか?)

理由は分からないが、良牙は己の無事を確信しているようだった。爆砕点穴のような防御用の技でもあるのかと思いオーフェンは良牙を無視して構成を編み上げることにしたのだが……。

「まさか死んでるなんてことは……」

バンッ。
オーフェンが呟こうとしたその時を狙い済ましたかのように、ビルの崩壊した跡、ちょうど彼の立つ位置が爆ぜた。
濛々と立ち上がる埃の中、立ち上がったのは当然……。

「おいっ、オーフェン無事か!? 何処にいるんだ?」

現れたのは傷一つ負っていない、良牙だった。あれだけの崩壊のど真ん中にいて無傷というのは中々に信じがたいものがあるが、まあそれだけ彼には防御力があったのだろう。オーフェンまで纏めて守ろうとしたのも、己が防御に相当な自信があるから……。

「問答無用であれだけの爆発を起こす爆砕点穴とやらに、あんだけの高さから落ちて、更に建物の鉄片もいくらか喰らってるだろうに傷一つ無い防御力。しかも魔術なし。なんかすげえ理不尽だな、おい」

オーフェンは嘆息しつつ呟くと、爆砕点穴によって巻き上げられたもののなか、スッと空中で態勢を立て直し、そのまま危なげなく着地すした。
その着地音に良牙が振り向き、ほっとしたような表情を作る。

「無事だったのか」

「おかげさまでな。ところで、一つ思いついたんだが、いいか?」

「なんだ?」

良牙が聞き返すのにオーフェンは頷き、トントンと地面を叩いて、告げた。

「この殺し合いとやらが終わるまで、お前のさっきの爆砕点穴とかいうので徹底的に穴掘りまくって、地中で過ごせば絶対安全だと思うんだが、どうよ」

【E-1/一日目・深夜】

【オーフェン@魔術士オーフェン】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:共通支給品一式
[思考・状況]
基本方針:殺し合いはしない
1:良牙の世界の事を聞く
2:ずっと地中にいれば安全は保障される……か?



【響 良牙@らんま1/2】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:共通支給品一式、?
[思考・状況]
基本方針:殺し合いはしない
1:オーフェンと情報を交換する
2:水は絶対に被りたくない

[備考]
※E-1付近の高層建築物が二つ倒壊しました。
※良牙はビルの中で何かしらの道具を発見しているかもしれません



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