戦場に咲き誇る花







『アタシの人生哲学だ、聞け。――ドアのない壁なら……どうする?』
 ここへ来てから、傍若無人かつ破天荒の知り合いが言ったその言葉が頭の中でリフレインし続けている。
『こわすんだろ』
 自分はそう答えた。他にやる事がないから、それだけをやると。しかし――
 ――今私の目の前にあるドアの頑丈さは、ハンパじゃないな……。
 このハイテクな感じの首輪(体育館であの老人の言っていたごちゃごちゃとした説明はほとんど頭に入っていなかった)の支配を潜り抜け、
 あの鬼のような強さをもって参加者の一人を殺した男へと蹴りをブチかますことがいかに困難であるかは、
 常日頃周囲から『おまえバカだろう』と言われ続けた自分も分かっているつもりだ。
 ――いくらなんでも、こんなモンが爆発したら死んじゃうしな……機械に詳しい人とかだったら、パパッと外せたりするのかな。
 でも、ここにいるのって力自慢の連中ばっかでそういうの強い人ってそんなにいないんじゃないか?
 ていうか、さっきチラっと周り見てみたらランキング1位と2位の奴いたし、それにいつ帰ってきたんだろう? 時田君もいたし。
 ……おまけに、あの人も何故かいるし。……トドメは……あー……。
 頭が痛くなってきた。知恵熱って奴だ。
 倒れんな、今倒れたら死ぬぞ――それは、寝ているところを他の参加者にやられるとかそういう意味ではなく、
 眠った瞬間が本当に命の終わる時なのだという意味で。
 突き出していた身体を戻して、面積の小さい足場に寝転がり空と向き合った。満月が丸い。当たり前か。
 相川摩希は高みにいた。精神的にという意味ではなく、文字通り高いところへと上がってきていた。
 軍艦島の南西に聳え立つその灯台は、島の付近を通りすがる船にとって目印の役割を果たすべく建てられたのだけれども、
 今は持ち前の輝きを放つことなくただそこに存在しているのみで、そしてそういう事情を知らない摩希からしてみれば、
 この灯台は単なる高いところ以外の何物でもないのであった。
「……月、キレーだな……」
 不意にそんな言葉が漏れた。そんな事を言っている場合ではないのだが、そんな事を言っていないとやっていられないのも事実であった。
 そのままボーっと、地球の側に寄り添う天体と対面しているうちに――
 結局寝ていた。
「はあっ!?」
 跳ね起きた。
 すぐさま時間を確かめる。時計が支給されていたことに心からの感謝を贈りたいと思った。
 2時23分。まだ夜は続いている。寝たのは確か……
 わからん。
 時計意味ねぇー。ていうか始まった時間がいつかも知らん。バカか私は。
 まあ多分そんな時間経ってないだろ。そう思うことにした。この状況で深く寝入れる程神経図太くはないと思うし。うん。
 何となくさっきより傾いたような気がする月を眺め直して、とりあえず、降りようと決めた。先のことを決めるのはそれからだ。
 ――殺せとかって言われてなかったら、色々な奴とやり合ってみたいんだけどね。本当は。
 立ち上がって、眼下に広がる荒れ果てた地面を見つめる。地面まで伸びた梯子の強度は上る時に体感済みだ。
 ちょっとやそっとの体重が乗った程度ではビクともしないだろう。例えそれが『降ってきた』ものであっても。
 肌を撫でる柔らかな風の感触と相談した結果、
 決めた。一気に行こう。
 すう……と一呼吸して、ロイター板から始まる空中遊泳の瞬間をイメージする。
 飛ぶぞ。いや、どっちかと言うと、落ちるぞ?
 せぇ、の――

「――はっ、早まってはいけませんわ――!」

 なんか絶叫が聞こえた気がしたが、頭から放り出して。

 相川摩希は、飛んだ。
 風林寺美羽はつまるところ、テンパっていた。
 思えばこの格闘イベントなるものには、始まる前からきな臭い予感がしていたのだ。
 梁山泊は武道を志す人間にとって確かに名の知れた存在ではあるが、所詮世間様からして見れば『裏』の位置に存在する場所であって、
 そこに賞金ウン億などという釣り糸を下げてくる連中などまともな種類の人間ではないだろうと思い、
 先走った師匠一人と彼に引きずられるかの如く出て行った弟子に加え、面白そうだよ! の一言でノってしまった師匠もう一人を連れて帰るべく、
 こんな時代から忘れ去られた感のある無人島までやって来てみれば、『殺し合いをしなさい』などという無茶苦茶な要求を突きつけられて、
 先に出て行った知り合い達を見つけるべく島を練り歩いていたら、いきなり飛び降り自殺の現場に立ち会ってしまった。
 卓越した動体視力で、暗がりの中落下してくる相手の顔を識別する。大人びた風格の漂う女性。しかし着ているのは制服だ。同年代……?
 何ということだろう。あの主催者の徳川と名乗る老人は、屈強の格闘家を呼び集めたなどと宣言しておいて、
 その実は自分と然程に歳の離れていないような女の人を命の奪い合いに参加させようとしていたということか。
 ――許せないですわ!
 怒りに身が震え出してくる。だが今はそれどころではない。その命がまさにこの瞬間、闘う前から消え去ろうとしているのだ。
 ――ああ、きっと怖かったのですわね。周りを見渡してみても厳つい男の人ばかり、狙われるのは自分かもしれない。
 そんな恐怖があなたを包んでいたのだと思いますわ。でも――死んでしまったら何もかもが終わってしまいますわ!
 何としてでも、彼女の命は散らさせない。即断即決。美羽は落ちていく女性を視線の中心に見据えたまま――
 手摺も掴まず、平面を走るかのようなスピードで天へと伸びる梯子を駆け上がっていった。
 しかしまあ、流石に万有引力の下落ちてくる相手の速度の方が格段に速い。受け止めきれるか――? 一抹の不安が頭を過ぎる。その時、

 たん、と落ちてくる影が梯子を蹴って自らの速度を殺した。


「――へ?」
 猛烈な加速をつけていた彼女の身体が、一旦ふわりとしたものへと変わる。
 そして再度、風を切る勢いで落下。
 たん。
 落下。
 たん。
 その繰り返し。
 ぽかんとしている美羽の目の前でも、女性は同じことをやってのけて見せた。空中における、二人の上下関係が入れ替わる。
 そうして、飛び降りてきた女性は見事な着地を決めてみせた。
 掠り傷一つ負っていなかった。
 ――さて。どの辺から行くかな……。
 夜でしかも光源は月明かり限定。そんな中で限られた知り合いを見つけるというのは結構困難な芸当だ。外れを引けば即ぶつかり合い。うーむ……。
「――ぶっ、無事なのですか!?」
 そんな時、自分の真上から声がした。――え、私の上? なんで? 降りてきたばっかだぞ。
 くるりと振り返って、今しがた自分が飛び降りたばかりの灯台を見上げた。
 梯子を三分の一程度上ったあたりのところに、人影があった。
 何やら困った顔でこちらを見下ろしている。入れ違いになったのか? まさか降りられなくなったってことはないだろう。
 ていうか……可愛い子だ。なんでこんな所にいるんだ?
「私は別に、何ともないよ」
 答えてやると、梯子の彼女はほっと胸を撫で下ろしたようだった。暗がりの中で曖昧だが、よく見ると結構胸が大きい。美奈ちゃん並だ。おー。
「よ、良かったですわ……私、てっきりあなたが死ぬ気で飛び降りたのかと思っていたんですの」
 あー、そういうことか。合点がいった。確かに普通の人から見れば、先程までの摩希の様子は自殺志願者と捉えられてもおかしくはないだろう。
 それはさておいて。
「……で、何であなたは上ってるの? 死ぬ気はないんでしょ」
「ですから、あなたが落ちていっていたので受け止めようと思って」
 事も無げにそう言うので、今度は摩希の方が呆然とするハメになった。
 一つの結論に行き着く。
「……もしかして、あなたも格闘家?」
「……そういうあなたも?」
 結局バケモノ揃いなんだなぁと、摩希は自分のことを棚に上げてそう思った。
 美羽が大声を出してしまったため、この場に留まるのは危険だということになって、二人は灯台から更に少し南西へと行った30号棟の中へと入った。
「ストリートファイトって凄いんですのね……そんな強い人が街中にうろうろしているだなんて知らなかったですわ」
「美羽ちゃんの言ってる、リョーザンパクだっけ? その道場の話の方がビックリだよ。なんていうか、人外ばっかじゃん。妖怪屋敷?」
「あはは、新島さんもそんなことを仰ってましたわ。あ、新島さんっていうのは兼一さんのお友達で……」
 気楽な調子で素性を明かしあっていくうちに、気が付いたら打ち解けていた。
 ただでさえ筋肉自慢の男ばかり集まったむさ苦しい島において出会えた数少ない同性であることに加えて、
 同じ体操好きという点でも気の合うところがあったのかもしれない。
 辺りは依然として廃墟に囲まれていたけれど、こうして喋っていると殺し合いをしろなどと言われたのがまるで嘘のようだった。
「美羽ちゃんは誰か、この島に知り合い来てるの?」
「ええ。先程お話した梁山泊の師匠達が二人と、お友達が二人に、敵……といいますか、知り合いが一人、そして……」
 美羽はそこで一旦言葉を切ると、何もない虚空へと向けて視線を飛ばした。
 無くした宝物を探す子供のような眼だと、摩希は思った。
「……兼一さんも、ここに来ているんです」
 白浜兼一。美羽の話の中に、何度も出てきた名前。
 転校したばかりで、一人も知り合いのいなかった美羽と快く友達になってくれて、今では梁山泊の下、共に武術の道を歩む大切な仲間だという。
 そんな人が、同じ空間で殺し合いの状況に放り込まれているとなれば――放っておける筈もないだろう。
「そっか。おし」
 摩希はすっくと立ち上がり、スカートに付いた埃をぱぱっと払うと、不安げな顔でこちらを見つめている美羽へと向かって、笑って言った。
「そのケンイチ君、探しに行こう!」
「え……?」
「大事な友達なんでしょ? 向こうもきっと会いたいと思ってるよ。ほら立った立った」
「そうじゃなくて……いいんですの? マキさんもどなたか、会いたい方がいらしているのでは……」
「あー、あの人はまあ、強いから。いやケンイチ君が弱いっていうわけじゃないけどさ、放っといても向こうから寄ってきそうな感じっていうか……」
 よおマキ生きてたか(美羽に気付く)ねえ君可愛いねこの島から抜け出したら俺と茶でもどう? 焼肉でもいいよ俺がオゴるから。
「……うん、とにかく大丈夫。行こ」
 苦笑いでそう言った。もしかしたら会わせない方がいいのかもしれない、この場合は。
 そんな摩希の内心はともかくとして、美羽はぱっちりとした瞳に涙を湛えて、何度も何度も頷いて応じた。
「……ありがとうございます!」
 微笑みを返しつつ、思った。
 この子はとても優しいコだ。こんな状況でも友達のためを思って、出来る限りのことをやろうとしている。
 そんな優しい美羽ちゃんのために、私もこの場で出来る限りのことをしよう。

 だから、今はまだ。
 ――少し寝ていろ、『エアマスター』――。
 開放を求める己の中の邪鬼へと、摩希は命じた。

【相川摩希@エアマスター】
 [状態]:健康
 [装備]:なし
 [道具]:支給品一式
 [思考]:1.美羽と協力して兼一を探す
2.出来れば佐伯と合流したい。ジュリエッタは……

【風林寺美羽@史上最強の弟子ケンイチ】
 [状態]:健康
 [装備]:なし
 [道具]:支給品一式
 [思考]:1.摩希と協力して兼一を探す
2.出来れば逆鬼やアパチャイ達と合流したい














 ――摩希達が30号棟を離れた、その僅か5分程度後のこととなる。
 長身の影が、その場に足を踏み入れた。
「マキ」
 冷たい視線で周囲を見回す男は、その名前を2、3歩足を進める度に口にしている。
 愛する『ジェニー』のその名前を。
「マキ……会いに行くぞ」


 ゾゾゾゾゾゾゾゾッ
「どうしたんですの、マキさん?」
「いや……その、背筋が」


【坂本ジュリエッタ@エアマスター】
 [状態]:健康
 [装備]:なし
 [道具]:支給品一式
 [思考]:1.マキ……会いに行くぞ



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