騒々しい歌声の下に







 あの時、私の父親を殺したという少年から感じた精一杯の優しさは偽りだったのだろうか。
 私の復讐心を己の身で受け止めてみせ、私のために怒り、誓いを打ち立ててくれた少年。
 そして彼は、傷つきながらも闘い続け、自らの悲願を成就させることが出来たようで。
 その姿に、私は強く心を打たれた。
 父を失った憎しみに根差していた私の力とは違う、崇高なる理念に基づいた力を、彼の中から感じたのだ。
 だが。
 再び人間達の手によって自然から連れ出され、一向に状況の掴めぬ中、朽ちた建物で再会した彼の横貌には。
 確かな、"鬼"の、片鱗が。
 深い失望に襲われた。
 あの闘いで彼が見せてくれた、前へ前へと進むための意志に覆われた眩いばかりの力はもう、見ることが出来ないのだと。
 引き換えに蘇ってきたのは、あの日、父の亡骸を目の当たりにした時と同じ類の絶望と――
 ――『人間』という種族に対する、明確かつ獰猛な殺意。
 それは決して、覆ることはないだろう。
 この島に集められた全ての人間を、『喰らい』尽くすまで。
 後悔しろ、人間ども。
 獣の心を二度も裏切った報いは、必ず――償わせてやる……!

「ホキョアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」


 滅び行く島、惨劇の舞台。
 月夜の下に、夜叉が哭く。

「ジャジャジャジャーン……何ともフローチェ(野性的)な絶叫が聴こえてきたかと思えば、本物のお猿さんがいらしていたとは……」
 一風変わった羽付きの帽子を被り、土色のコートで身を包むという、時代錯誤も甚だしい格好で佇む少年の名は、九弦院響。
 倒れても倒れても立ち上がり相手を打ち倒すことから『不死身の作曲家』の異名を持ち、
 かつて所属していた不良グループ『ラグナロク』では、その能力から北欧神話に登場する不死身の英雄、『ジークフリート』の名を授かっている。
 その風貌と全身から放たれる強烈な個性は、比類なき強者が集うこの島においても存分に発揮されていた。
「……しかし、彼から紡ぎ出される歌声からは、どこか……ラメントーソ(悲しげ)な印象を受けますね……」
 世間一般的に奇人変人の類に属する彼ではあったが、仮にも芸術の世界を生きる人間である。
 Jr.の慟哭に込められたその感情を、種族の異なる人間である彼に感じ取ることが出来たことは流石と言うべきであろう。
 軍艦島のほぼ中心部に位置する3号棟アパートの屋根の上にて、天をも穿つ鋭さを宿して吠えるJr.の姿を暫し眺めつつ、ジークは悩んでいた。
 果たして、この魔獣をどう扱うことが正解なのか。
 体育館を出発する前、呼び集められた参加者の中にJr.がいたのは確認している。
 気付いた直後はさしものジークも呆気に取られたが、世界にはまだまだ自分の知らない物もメロディーも無数に転がっているのだろうと、
 とりあえずそういう結論を打ち出して納得しておいたのであった。
 そして、今に至る。
「ホキョアアアアアアアッッ!!」
 再度、夜叉猿の叫びが軍艦島を震わせる。
「む……」
 ――テンペストーソに、変わった?
 テンペストーソ。楽想記号において、『嵐のように激しく』の意を持つ。
 夜叉猿の二度目となる咆哮の質が最初と比べて変化したことを、一音楽家として卓越した聞き分けの力を持つジークの聴覚は逃さなかった。
 ――悲壮感が、失われてしまった。今の彼から感じ取れるのは、聴き手に怯えを抱かせるようなアジタート(興奮)の波だけだ。
 あの発想に従って動く者の思考が極めて危険であることは、かつて白浜兼一との闘いにおいて自らその調べに乗った自分がよく知っている。
 決意は固まった。
 ――私の闘いが生み出すハーモニーで、彼の荒れ狂う心をスタンディングオベーションまで持っていってみせる。
 出来る訳がない、等とは微塵も考え付かなかった。
 彼の心に触れた、今なら出来る。音というのは、種族など関係なく平等に聴く者の心を突き動かせる力なのだ。
 狂騒に包まれた彼の心を解き放つのもまた――私の奏でる音の役目の筈!
「その歌声、誰に向けられたものなのかは私の理解が及ぶところではありませんが――」
 かくして、不死身の作曲家はいささか凡人離れした自らの思考回路をこれっぽっちも疑うことなく、
「――降りて来なさい、お猿さん!」
 声高らかに、そう宣言した。
 牙を剥き出しにして笑っている(ように見える)Jr.の、捕食獣に相応しい相貌がこちらへと向けられる。
 一目瞭然、文字通りの『獲物を前にした獣』の図がそこにはあった。当然、獲物はジークの方である。
 ――えーと、……冷静になってみると結構分の悪い勝負を挑んでしまった感が……。
 心なしか逃げ腰になってしまう。しかしああまで格好付けて飛び出てきた以上、今更尻尾を巻くのも相当アレである。
 どの道追いかけっこをするハメになれば人間の足では決して逃げ切れまい。
 闘うと決めた以上闘い、そして心に響かせるのだ。私の奏でるメロディーを!
「さあ始めましょうお猿さん! モッソ(躍動)に向かって来るのです、ラララララ〜!!」
 言われるまでもなく飛び込んでくるJr.に対し、ジークは自作のメロディーを口ずさみながらばっと両腕を横へと開いて待ち構える。
 傍から見れば、挑発とも取られてもおかしくない程の無防備な構え。実際挑発なのだが。
 そしてジークの誘い通りに二人の距離はみるみる縮まり、
 人間とは比較にならない太さを持ったJr.の右腕がフックの要領でジークの顔面へと襲い掛かる。
 尋常ではない速度と重みの乗った一撃には遠慮の欠片も見受けられない。もらえば間違いなく首の骨が折れる。
 ――ですが、単調です!
「フォルティッシモォォォォォォォォ!!」
 『出来る限り強く』の叫びが木魂するのと同時に、顔面へと拳を叩き込まれたのはJr.の方だった。
 カウンターを放ったジークの顔には、傷一つない。
 ――これこそ、彼が『ラグナロク』において『ジークフリート』の名を冠することとなり、『不死身の作曲家』と呼ばれる所以の必殺技。
 持ち前の音楽センスから対峙する相手のリズムを読み取って、
 繰り出された攻撃を軸をずらして受け流しつつ反撃を放つ。これぞ、『輪唱アタック』!
 完璧な一打だった。本来ならばこの一撃で鼻っ柱程度はあっさりと叩き折れて、相手は鼻血の海にでも沈んでいく筈だった。
 本来ならば。
 手応えに違和感を覚え、咄嗟にジークは後方へと飛んでJr.との距離を離す。
 放った拳を摩りつつも視線を離さないジークを嘲笑うかの如く、Jr.はパンチの直撃した鼻先をぽりぽりと2、3度掻くと、
 再び口の端を歪めた(ように見えた)。反応らしい反応と言えばそれだけだった。
「……痛くも痒くも……ありませんか……いや、ちょっと痒い程度には効いたってところですか……?」
 自分でも、馬鹿なことを口にしているなと思った。精一杯の強がりだ、結局のところダメージは0という事だろうに。
 当然と言えば当然の話だが、基本的な身体能力に差があり過ぎる。この分では百万発カウンターを決めたところで倒れはしまい。
 持久戦を持ち込む訳にもいかず、逃げ切れる可能性も皆無。
 つまるところ、これは。
「……フィナーレの時間ですかねぇ……」
 再度突っ込んでくるJr.を前に残された手段は結局、馬鹿の一つ覚えで輪唱アタックを繰り返すことだけ。
「……ええい! ピエトーソ(哀れみをもって)で見逃してくれればどんなに楽なことかっ!!」
 手詰まりの見え切った勝負へと、半ばヤケクソでジークは踏み切った。
 回避。反撃。回避。反撃。回避。回避。反撃。回避。回避。回避。回避。回避。
 矢継ぎ早に放たれる豪雨のような連撃を前に、気が付けば反撃の余裕などすっかり失われてしまっていた。
 早すぎるテンポの前に割り込む隙がない。かと言って、いくらリズムが読めるとはいえそういつまでも避け続けられる攻撃でもない。
 何しろ相手は本物の野生。獲物を狩るまで決して油断も躊躇もせず、ただ確実に――
 ――爪を振るってくる!
「ぐぅあっ……!」
 Jr.の振り回す腕がついにジークの脇腹を捉え、相当数の猛攻を交わし続けて足に来ていたジークの身体は、
 その一発だけで呆気なく吹っ飛ばされる。
 受身も取れずに瓦礫の上を転がったジークに向かい、止めとばかりに駆けてくる魔獣。
 対するジークに、もはや立ち上がるだけの体力など残されていない。
 フィナーレが訪れたらしい。
「ホキュアアアアアアアアッ!!」
 ――ああ、レクイエムが聴こえます……。このハーモニーがどうか残された皆さんへは届かないよう……。
 観念したように眼を閉じたジークの脳内に響き渡る鎮魂歌は、しかし――
 襟を掴まれて再度瓦礫の海へと放り投げられることで唐突に途切れた。
「――ってええ、うおおおおおおおおおっ!?」
 そして落下。背中からモロに。
「ぶぐあっ!!」
 全身に電流のような痛みが駆け巡り、ジークは掠れた唸り声を上げつつ朽ち果てた地面の上で悶えた。心なしかさっきよりも打ち所が悪いような気がする。
 何だ? アレか、あの猿は私を嬲り殺しにするつもりなのか? 今の私はとんでもなくスケルツァンド(滑稽)に見えるぞ……? うおおおいたたたた!
「ホキュアッ……!」
「おいガキ、まだ生きてるか?」
 警戒した様子のJr.の鳴き声の後に聴こえてきたのは、まったく知らない相手のものだった。
 状況から察するに、どうもこの声の主が喰われる寸前のところで自分の襟首を掴んでブン投げてくれたらしい。
 ――一体、誰が……ああでも、そのフローチェな話し方なら知っていますね……まさか……?
 ジークは目一杯歯を食いしばり、仰向けの身体を起こした。降って湧いた助っ人の姿を確かめる必要がある。
 度々作曲に煮詰まったときも、時折こうやって何の拍子もなくメロディーが浮かぶことがあった。
 そうして生まれたメロディーは得てして、その曲を完成へと導いてくれる救世主であるものなのだ。
 そう、つまり今目の前に現れた彼こそが――私という音楽の救世主……!
「おおおお……聴こえる、聴こえます! 運命が扉を叩く音が! ランラッラァ〜ン!!」
「……ああ? 投げたときに頭でもぶつけたのか? そんな元気があるんならさっさと走ってどっかに逃げろってんだよ……」
「ホキョアアアアアア!!」
「何しろこっちは……バケモノ退治に狩り出されちまったみたいなんでなァ!!」
 ケンカ百段の異名を持つ梁山泊の師匠が一人――に、よく似た獰猛な笑みで魔獣と向き合う胴着姿の男。
 ジークの(勝手に決めた)救世主である彼のその名は、武藤竜二と言った。

【3号棟前】
【九弦院響(ジークフリート)@史上最強の弟子ケンイチ】
 [状態]:脇腹への打撃は後々まで響くものでは無いが、全身に重い疲労感
 [装備]:羽付き帽子
 [道具]:支給品一式
 [思考]:1.アジタート(興奮)ォォォォォォォォォォォ!!

【夜叉猿Jr.@グラップラー刃牙】
 [状態]:健康
 [装備]:無し
 [道具]:無し(デイパックは捨てた)
 [思考]:1.ホキュアアアアアアアアアアアア!!

【武藤竜二@空手小公子 小日向海流】
 [状態]:健康
 [装備]:無し
 [道具]:支給品一式
 [思考]:1.目の前の猿をブチのめす
2.イカれてしまった(?)少年をどうにかする
3.上記のことが済み次第、海流を探す



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