傭兵の戦場
今思えば、何故あの時に『やっぱやめとこう』という思いを貫き通すことが出来なかったのか。
答えは簡単、大金に眼が眩んだ。何しろオレには金がない。
招待状を甘く見ていたこともある。
いくらなんでも格闘大会で命まで失うことはないだろうと思っていたのだ――もっとも過去に一度本気で失いかけているが、
砲火が飛び交い、四六時中神経を張り詰めている必要のある傭兵稼業に比べれば、
勝てば賞金、負ければ退場という実に分かりやすい構図で出来たイベントに一攫千金の夢を乗せて挑む方がまだ利口だと思って、
自慢の勘を信じなかったことがオレの運の尽きだ。
お陰様でオレは今、そこらの戦場よりも余程過酷な状況に追い込まれる羽目になってしまった。
ブラッド=ヴェガリーは天を仰いだ。
満月の夜に恵まれし天を仰いだ。
滅び行く島に集いし不幸な戦士達を嘲笑うかの如く、青白く輝く月が酷く憎らしく思えて仕方がなかった。
どう考えても自業自得で陥ってしまったこの状況。まったく、何かを呪っていなければやっていられない。
廃墟だらけの孤島における命の奪い合い――傭兵であるヴェガリーにとってこれ程までに有利なルールはない。
いつかのヴァーリ・トゥードのように目突きや暗器を利用するごとに罰金1万ドルを取られるような心配もない、本当の"なんでもあり"。
自分で言うのも何だが、本来ならば優勝は鉄板で自分のものとなる筈なのだ。
ただ……面子が悪かった。
『超弩級重戦車』の異名を持ち圧倒的パワーでヴァーリ・トゥードベスト4まで上り詰めた男、神武会空手イグナシオ=ダ=シルバ。
そのヴァーリ・トゥードで優勝を飾り、ヴェガリーを完膚なきまでに破った『修羅』、陸奥圓明流の使い手陸奥九十九は勿論のこと――
――まさか、あの『オーガ』の倅まで出てきてるなんてな……流石にそこまで気付ける程、オレの勘も冴え渡っちゃいねぇよ。
――アンタはそれさえも気付けたから、ここに来ないでいれたのかい?
――ガイアさん、よ――
ブラッド=ヴェガリーは天を仰いだ。
この島にいないかつての戦友へと問いかけるかの如く、その視線は何処までも暗く染められた空の彼方へと向けられていた。
ヴェガリーがガイアと出会ったのは、やはり戦場での事だった。
入隊当初、彼はノムラと名乗っていた。
『ミスター戦争』と呼ばれていた彼の評判は噂程度には聞いていたが、初めてその実物を目の当たりにしたときはこう思ったものだ。
日本の諺になるが、『百聞は一見に如かず』と。
気弱そうな風貌、大して鍛え上げられた訳でもない肉体、実際に話しかけてみても欠片の覇気も感じられず、
翌日には早速隊の使いっ走りに近い扱いを受け、それに何一つ逆らう事もせず陰鬱な表情をするだけで受け入れる。
『ミスター戦争』? とんでもない話だ。こいつはオレが今まで出会った傭兵の中でもブッチギリのヘタレ野郎だ――
それがガイアへの、――否、『ノムラ』に対しての第一印象だった。
そのどん底まで落ち込んだノムラの、否、『ガイア』への評価が根底から覆されることになったのは、それから一週間が過ぎた頃の話になる。
今回の軍艦島に存在する建物にも似た、廃墟へと潜む敵部隊を殲滅する作戦だった。
班編成で隊を二人ずつのチームに分けることとなり、ヴェガリーとノムラが組むこととなった。
リーダー格の男の口からそれを告げられたときは冗談だろと思ったが、
「ヒヨっ子の尻拭いなら慣れているだろう、ヴェガリー」
その一言に抗議の声は打ち消されることとなった。
作戦の決行時刻、ノムラのライフルを持つ手は震えていた。
百戦錬磨の傭兵にあるまじきその光景を目の当たりにして、流石に面倒見切れねぇよ、ヴェガリーは胸中で吐き捨てた。
案の定、突入成功の寸前にノムラは敵の伏兵にあっさり接近を許すという愚を犯した。
ナイフ格闘の腕前はそれなりだったがやはり相手の方が一枚上手で、止めを刺されそうになっていたところへ、
ヴェガリーが伏兵の後ろへと忍び寄り、ワイヤーで絞め殺してノムラの窮地を救った。
「あ、ありがとう……」
「気にすんな。ヒヨっ子の尻拭いなら慣れてる」
リーダーの男が言ったことを、ヴェガリーはそのまま返した。内心ではこう思っていたが。
『くたばりやがれ』と。
本題の事件が起こったのはその後のことになる。
廃墟への突入が終了し、内部に残る敵の捜索に入っていた時、ヴェガリーは苛立ちの余り冷静さを失っていた。
敵の本拠地とも言えるその廃墟の中、ノムラを置いて一人で突撃したのだ。
ヴェガリーはその当時、既に自らの勘に絶対の自信を持っていた。その勘が一人で充分だと、そう言っていた。
ヴェガリーにノムラとの同行を命じたリーダーの男に対する反発もあった。
何故オレにこんなスカンク野郎が押し付けられる? バカにするのもいい加減にしやがれ。
俺の傭兵としての腕前がどんなもんか教えてやる、オレはレクチャーが得意なんだよ――
その時ばかりは、ヴェガリーの判断は勘ではなく慢心により齎されたものだった。
建物の最深部付近に待ち構えていた敵の迎撃部隊と接触したヴェガリーは、
圧倒的な戦力差と火力差の前に成す術を失い、自ら捕虜の道を選ばされることとなり、
既に何人もの仲間を殺られていた敵ゲリラ達は、拷問の類に掛けることもせず、満場一致でヴェガリーの即刻殺害を決定したのだ。
「言い残すことはあるか」と言ってヴェガリーの首にナイフを突きつけた処刑人役の男へ、
「……娘がいるんだ」
鋭いボディブローが返答代わりに飛んできた。
そう来ることは予想済みだったので予め腹筋は固めておいたが、両手首を縛られたヴェガリーに出来る反抗と言えば所詮その程度だった。
すぐに頭を押さえつけられ、押し付けられた刃がゆっくりと首筋に食い込んでいく。
薄皮が裂けて首筋を流れ落ちるゆるりとした血の感触を確かめたとき、ヴェガリーは本気で死を覚悟した。
完璧だったはずの人生設計が音を立てて崩れていくのにも無念を感じた。
しかし――どちらの思考も稀有に終わることとなったのだ。
瞬間、目の前にあった男の側頭部から無数の血が噴き出して、男は瞳から色を失い呆然とした表情で横倒しに崩れた。
銃声はまったく聞こえなかった。
「敵の増援か!?」
「何だ、何が起こった!」
浮き足立つ他の連中には目もくれず、ヴェガリーは血の海に沈んだ処刑人役の男の顔を、
逆に処刑される側に回ってしまった男の顔を見ていた。
倒れ伏した男の頬には、砂粒が幾つも張り付いている。
廃墟の中では砂埃など珍しくも何ともないが、ここまで多量に付着するものだろうか――
そのとき、妙なことに気が付いた。滲み出す血の原因となっている無数の穴の奥底に、本来存在しない筈の『黒』が見えたのだ。
『赤』く染まるはずの傷口に存在する『黒』。眼を凝らして気付いたその正体に思わず、
「――冗談だろ」
呟いていた。
男の頭部をズタズタに破壊せしめた飛来物の正体は、
――おそらくは、人の手によって投擲された。
石飛礫――。
常識の失われた廃墟に、男達の怒声が響いている。
ヴェガリーが顔を上げて眼前の戦闘に意識を向けた直後、砂のショットガンが男の一人に直撃して新たな血飛沫を生み出した。
いくら耳を澄ましてみても、兵器の類を使用したような物音はまるで聞こえない。
いやそれどころか――襲撃者の影も形も見えないのだ。
ゲリラ達は何もない空間から何の前置きも無い砂の弾丸をまともに食う以外に何も出来ることはなく、何の対応策も編み出せないまま、
一人、また一人とその数を減らしていた。
見えざる敵と正体不明の攻撃、今やゲリラの連中は歴戦を生き抜いてきた屈強の戦士などではなく、
『未知との遭遇』に戸惑うばかりのただの人間に過ぎなかった。
また一人の顔面が砂塵に覆われ赤く染まっていく。
増殖する亡骸、錯乱したゲリラ。既に統率などという言葉は彼らの思考から掻き消えている。『また一人』。
男の一人が声帯の何処から発しているのかも、感情の何処から発しているのかも想像も付かない甲高い悲鳴を廃墟に響かせるのとともに、
手にしていたサブマシンガンからありったけの銃弾を周囲にばら撒いた。
不自由な腕に難儀しながらも、咄嗟の反応で地面へと突っ伏したヴェガリーの頭上を、無数の『死』が駆け抜けていく。
平等に降り注いだその狂気の雨は、また別の雨を呼んだ。
辛うじて生き残っていた、味方であるはずのゲリラ達の身体から朽ち果てた廃墟へと舞い散る、紅の雨。
そんな現実から眼を背けた男の狂笑だけが、終幕へと向かう小さな戦場の中で木魂していた。
「ふふひゃははは見たかバケモノォォォオオ」
ぶん、ぶんとサブマシンガンを振り回して己の力を誇示した男の
首が、あり得ない角度へとへし折れた。
小さな砂埃を上げて男が倒れ、それで、終いだった。
ただ一人その場に残されたヴェガリーといえば、この状況に対処する術などこれっぽっちも思い浮かばず、ただその場に伏しているばかりで、
あの銃弾乱射のときに一発喰らったフリでもして気配が消えるまでずっとぶっ倒れてれば良かったかななどという今更な後悔が頭を過ぎって、
結局口を突いて出たその一言は、
「……娘がいるんだ」
無人の廃墟に笑い声が溢れた。
「本当にしたたかなのだな、君という男は。だからこそ今まで生き残ってこれたのかな、ヴェガリー」
何処となく楽しげなその台詞が聴覚から思考へと飛び込んできたとき、三つの驚愕がヴェガリーの思考を支配した。
一つ、そもそも返事があったこと自体への多少の驚き。
一つ、俺の名前を知っていることへの結構な驚き。
一つ――
……聞き覚えのある、それも最も意外な奴の声だという途方もない驚き。
「……ノムラ、か?」
「今の私に、その呼び名は相応しくないな。――私の名は、ガイアだ」
傲慢不遜なその口調は、さながら自分が神か何かであるかのようで。
『大地』の名を宿した、地球という惑星に生まれし闘争の神。
その名に込められた強烈な自尊心と誇りとが、名乗り上げただけのその一言から強く伝わってくるのが分かった。
「……デカい借りが出来ちまったな」
何と答えて良いのか分からずに、そう漏らすのがやっとだった。
「気にすることはない。私も『ノムラ』の時に君に救われた、それに――」
貫禄と余裕のある笑みだった。『ミスター戦争』『超軍人』などの呼び名に負けないその威風堂々とした調子で、彼はこう言ってのけた。
「ヒヨっ子の尻拭いなら慣れているよ、ヴェガリー」
空いた口が塞がらなかった。
後に隊のリーダー格だった男から聞いた話だが(最初からこの男は、ノムラの正体がガイアだということを知っていたそうだ。
見事にオレは一杯食わされたってワケだ、クソめ)、ガイアは俗に言う『多重人格者』という奴で、普段は気弱なスカンク野郎のノムラだが、
何かの拍子にスイッチが入ると、大地の神ガイアへと入れ替わるという。二つの人格は記憶こそ共有しながらもまったく別の存在であり、
片方からもう片方の気配を感じ取ることは、権威ある学者諸君がどれだけ励んでも不可能だったということで、
ヴェガリーがノムラからガイアの存在をまるで感じ取ることが出来なかったのも当然と言えば当然の話だったということ、らしい。
ガイアは本当に強かった。
自ら『環境利用闘法』と呼ぶその戦闘スタイルは、戦場ごとに様々な姿へと変化して敵を襲っていく。
ある時は砂を、ある時は水を、ある時は蔓を利用して、その全てを技へと昇華する。
予測不可能の戦法と底知れない引き出しの多さに、
アドレナリンの操作によって身体能力を向上させるという能力までもが合わさった彼の実力は、
『大地の神』に相応しいものだったとヴェガリーは今でも思っている。
しかし――
「今までに二人、負けた相手がいる」
他愛もない雑談の最中に彼が漏らした、信じられない一言だった。
ガイアに勝った? どういう手段で? どういう怪物と戦ったっていうんだ――
戦慄を隠せないヴェガリーの前で、ガイアは淡々とその記憶を語り出した。
「一人は、この世界に長年生きるならお前も噂ぐらいは聞いたことがあるだろう。
『地上最強の生物』と呼ばれ、一人で国家に喧嘩を売れる実力を持つと言われた男――『オーガ』、範馬勇次郎。
そして――」
――そして今、ヴェガリーの視線の先には、ガイアが敗れたというもう一人の男の、範馬刃牙の背中がある。
ヴェガリーは思考を巡らせる。
範馬刃牙はおそらく、優勝候補の一人に数え上げられるだろう。
戦闘能力は勿論のこと、この殺し合いにおいて重要な要素となる容赦の無さに関しても、
あの父親の血を引いているというのならば相当なものに違いない。
もっとも、先程対峙していた妙な装甲に身を纏った相手と戦ったときは、
何故だか止めを刺さずにその場を移動したが――おそらくは気紛れか何かだろう。
対抗馬など、自分が知る限りでは陸奥九十九くらいしか思い当たるフシはない。
まだ見ぬ化物が参加しているとしたら話は別だが、
化物の数が多ければ多いほど、ヴェガリーの生存確率は雀の涙まで落ち込んでいくこととなる。
この闘いはサバイバルだ。生き残るためには傷を負わず、息を潜めて、漁夫の利を狙うことが一番正しい選択になるだろう。
そして、目の前には有力な優勝候補がいる。
ならばヴェガリーの取るべき行動は何か?
答えは一つ。
範馬刃牙が他の参加者を全て倒してのけて、消耗したところへと襲い掛かり、仕留める。
バトルロイヤルでは何が起こるか分からない。
実力のある者が先に消えていく可能性も確かに存在するだろうが、それでも刃牙はかなり終盤まで生き残ることだろう。
当てが外れたらその時はそれこそ、陸奥九十九でも頼ることにする。
この二人の激突というのも、充分にあり得る話だ。
勝敗予想までは流石に付けられないが、『鬼』と『修羅』が本気でぶつかり合ったならば、双方ともにただでは済まないだろう。
強者と強者が身を削り合うことによって、初めてヴェガリーの付け入る隙が生まれるのだ。
ああそうさ、オレは生き残るためなら何だってやる。何だかんだでここまで生き長らえてきた人生だしな、もう少し先へ進めてみてもいいだろう?
後は、まあ……そうだな。『オーガ』の野郎が見張ってるとなれば、やれる可能性は0にも等しいだろうが。
もしも、このゲームから逃れる術でもあるんなら――そいつに乗っかってみるっていうのも、一つの選択肢としては悪くないかもしれないな――
ブラッド=ヴェガリーは天を仰いだ。
何処までも暗い空の彼方を、仰いでいた。
【17号棟日給社宅一階】
【ブラッド=ヴェガリー@修羅の門】
[状態]:健康
[装備]:???
[道具]:支給品一式
[思考]:1.強者の動向を辿り漁夫の利を狙う
2.脱出策があるのならばそちらに乗り換えてもいい
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