Killer's Movie







 荒れ果てた建物の群れも、その裏にある、月の光が届かない場所も全て、慣れ親しんだ風景。
 この島は、オレのための島だ。
 この闘いは――オレのための闘いだ。

 軍艦島の西に位置する、映画館跡。スクリーンに物語が紡がれなくなって久しいその門前に、成島亮は立っていた。
 わりと遠くまで歩いて来ちまったな……と、思う。何の気もなしに島をうろついた結果、こんな所に辿り着いてしまった。
 別段気を抜いていたということではない。最も、殺し合いの場において普段とまったく変わらない行動を取ることは、
 他者からしてみれば気を抜いていると見られても仕方のないことではあるようにも思える。
 あるいは、狂人、とでも見做されるか。
 ――慣れてるけどな。
 究極の闘争。あの老人は、命の遣り取りをそのように表現していたが――どうという事はない。当然の話なのだ。
 闘うことの前提には、例外なく『死』が付き纏う。生き残るためには爪を研ぐしかない。
 それが出来ない者は――身体を殺され、心を殺される。それだけの事だ。
 ――オレは、誰にも殺されない。

 暗闇と、廃墟。
 世界に『陰』の要素を齎すこの二つの空間がナルシマリョウを包み込むとき、この殺戮の宴で――
 古びた門を潜ろうとしたとき、リョウが一歩を踏み出すよりも早く、僅かな物音がしたのを彼の研ぎ澄まされた五感は察知した。
 ――先客がいるらしいな。
「バレバレだぜ……出てこいよ」
 こうは言ったが、実際のところ視覚には誰の姿も捉えられてはいない。相手を誘い出すための、言わば、ハッタリ。
 何処から来るものか――
「――あちゃー、こんなアッサリバレちゃうかなあー?」
 能天気な声とともに、映画館の主はリョウの面前へと、
 ――降ってきた。
「!」
 黒く染まった風景の中に突如現れた赤い胴着。思考回路が状況把握を一瞬怠ったその隙を、相手は見逃さなかった。
 バックステップで離れるよりも早く、飛んでくる拳。受けも何もが間に合わず、まともに鼻っ柱へと一撃が入る。
「ぐっ……!」
 仰け反る身体を踏み止まらせ、返し刃の右ストレートを見舞うが、
 逆に相手が後方へ飛び距離を取ったことで、反撃はむなしく空を切った。
 ――クソガキめ。それがオレのやりたかった事だったんだよ、ふざけやがって。
 クソガキ。そう、こうして対峙し顔を合わせてみれば、相手はてんで強者に見えない、背丈の小さな少年なのである。
「真島のヤロー、いつかオイラのこと忍者とか言ってたけど、全然忍べてないじゃん、オイラさあ」
「…………」
 もっとも、半端ではない身体能力を持っているのは疑う余地もない。リョウの逆襲を見事躱してのけたことは勿論のこと――
 ……あそこから飛んだんだよな。
 注意は相手から離さぬまま、ちら、と視線を持ち上げる。
 事実そのものは至極単純なことなのだ。
 この小僧が潜んでいたのは、たった今もリョウの目の前に悠然と聳え立っている――門の上。
 それにしても、硬いコンクリートの地面の上に他愛もなく飛び降りてみせ、バランス一つ崩すことなく先手まで打ってみせるとは――
「サルみてぇな野郎だな、てめえは」
 正直な感想が洩れる。どうやら自分は中国に渡ってからというもの、エテ公とつくづく縁があるらしい。
「――サルだとお!?」
 そしてこの一言は、当然と言えば当然の話だが、相手の怒りの琴線へと触れてしまったようだ。
「初対面のアンタまで、オイラのことをサル呼ばわりすんのかよ!? あのなあ、オイラにはちゃんとした名前があるんだよ!
 城之内将士の曾孫にして月形広士の孫! 月形錯羅っていう立派な名前がよおーっ!!」
 きぃーっ、と唸り声を上げるその姿もまた、リョウには猿以外の何物も連想させることはなかった。
 とはいえ、舐めて掛かるつもりは毛頭ない。猿の素早い身のこなしがどれだけ恐ろしいかというのは、既に体験済みなのだから。
「サルの名前なんざ……知ったこっちゃねぇんだよ!!」
 今、リョウは門のすぐ正面、月形は門の下にいる格好となっている。
 広い場所ではおそらくこちらが不利、横幅の狭いその場所へ留まっているうちに――潰す!
「――へッ」
 勇猛果敢に突っ込むリョウに対して、月形は構えを取らない。
 ……否。その構えは、構えを取らないことこそが構えとなる『無為の構え』であるのだが、リョウにとっては知る由もない。
 ――ナメやがってっ!
 充分に加速の乗った右突き、目標は心臓。見る限り、月形のウェイトは軽い。この一撃が決まれば月形の敗北は確実だ……が。
 リョウの放った右拳は、月形の両手によって見事に受け止められてしまっていた。
「なっ!?」
「ざ〜んねん♪」
 満面の笑みを浮かべる月形。その表情は余裕そのもの。
 ――こいつ、こんなヒョロい身体のどこにそんな……「!」
 疑問に思考を働かせている余裕は無かった。浮き上がった月形の――ていうかなんで浮いてんだこいつは?――鋭い右足が、
 リョウの顎を打ち砕かんという勢いで迫っていた。
 仰け反って回避――間に合わない。
 左手でガード――

 ――間に合っ……!?
 ――確かに、蹴りが達するよりも早く、リョウの左手は顎を守ることには成功した。
 しかし、今月形が放っているのは普通の前蹴りではない。相手の突きを手で受けるのに合わせて宙へと跳ね、
 相手が突きへと込めた力を全て宙返りの力に吸収、カウンターの蹴りを放つという――陣内流柔術回転蹴当、十八ヶ条が一つ『不知火』。
 リョウが渾身のパンチを放ってしまったが故に威力を増してしまった回転蹴りを、左手だけで防ぎ切ることは――出来なかった。
「ぐっ……!」
 今度は逆に、リョウの身体が浮き上がることとなる。顎へと直接打撃が触れなかったために一発KOは免れることが出来たが、
 間髪入れずに飛んできた追撃の横蹴りは、がら空きとなっていたリョウの鳩尾へと見事に突き刺さることとなった。
「ぐああっ!!」
 『く』の字に身体を折り曲げたまま吹っ飛ばされて、リョウの身体は受身を取ることも叶わず、朽ち果てた地面へと落下した。
 散乱する尖った小石達が、リョウの腕や頬へと浅いながらも無残な裂傷を刻み込んでいく。
 それ自体のダメージは少ないにせよ、手を突き立ち上がったリョウの身体に出来た擦傷は、数え切れない程あちこちに生まれてしまっていた。
「――へへっ、ザマーミロ!」
 勝ち誇ったように、月形が舌を出し笑っている。
 門から弾き出されたリョウに対し、門の下でこちらを見下すように立っている月形の姿は、さながら門番のようで。
 何人たりともここから先へは通さん、ってか?
 ――上等だよ。
「やっぱりてめえはサルだな。人の手を木みてぇにぶら下がりやがって。バナナでも食って大人しくしてろ、子ザル野郎」
 再度挑発で刺激しつつ、リョウもまた口元を吊り上げ、笑う。
 ――"嗤"う。
「……!」
 その瞬間、月形の得意満面の顔が一瞬崩れたのを、リョウは見逃さなかった。
 そして、確信した。
「てめえは死ぬぜ、サル」
「え……」
「オレが殺してやる」

 ――ちょっと調子付いてるだけのサルに、獣が喰われてたまるかよ。

「……やれるモンなら」
「震えてるぜ」
「……やってみろってんだよ――っ!!」
 月形が、動いた。
 ――気付いたことが一つある。
 風を切るような、左の上段廻し蹴り。鋭い右下段。常識外れの高さから繰り出される踵落とし。
 月形錯羅の攻撃方法は、『足』が主体となっている。先刻の門から軽々飛び降りた運動神経が示すように、
 そのずば抜けた足腰のバネから繰り出される足技は、一発一発が凄まじいキレとスピードを持っている。
 だが……軽いのだ。

 【――体重というものは、格闘技においてかなり重要な要素である。単純な理屈だ。軽いものには重みはない。重みのない攻撃に、威力はない。
 格闘技における公式の中に、スピード×体重×握力=破壊力、というものがある。
 スピード、体重、握力。この三つの要素を兼ね備えた打撃こそが強力という理論だ。
 握力はともかくとして、月形錯羅の放つ蹴りには、スピードと引き換えに体重が決定的に足りないのだ。
 本人はそのハンデを、飛び蹴り主体の格闘スタイルにすることで補ってはいるが、それにも限界というものはある。
 なお、この軍艦島には上記の理論を体現している最強の喧嘩士が参加しているが、この闘いとは何の関係もないことである――】
 ……さっきの鳩尾に入った蹴りだって、こいつのガタイがもう少し良けりゃアレで終わってただろうしな。
 月形の猛烈なラッシュを受け流しつつ、リョウは"機会"を待っていた。その右拳は少しの隙間もなく、力強く握り締められている。
 もはや闘う空間の広さを懼れることはない。月形が一刻も早く勝負を決しようと焦っているのは明らかであり、
 逃げ回られることを気にする必要は何もない。
 攻撃も単調になりつつある。
 重みもなく、技術もない一撃であるならば、繰り出されるタイミングを掴むだけで大体は見切ることが出来るのだ。
 そして、一か八かの勝負に賭けんと大技を狙ってきたときが――
「くっ……このヤロ――っ!!」
 叫びとともに、月形がリョウの頭上を飛び越える。振り向いたリョウに背を向けたまま、持ち前のバネと一度目のジャンプの反動を最大限に生かし、
 再度の飛び込み。そして身体を一気に捻って放つ、高速背面回転踵落とし! その名は陣内流柔術回転蹴当、十八ヶ条が一つ『巻雲』。
 ――しかし、起死回生とばかりに撃ち出したこの技こそが、リョウの待っていた――
 ――オレの、勝機だ!                              
 踵が額へと届くその寸前、リョウは右拳を緩め、その中に握り締めていた『武器』を、
 『巻雲』を確実に命中させるべくこちらへと向いていた月形の顔面へと投げつけた。
 その『武器』とは――
「ぐ……ぐあああっ!?」
 リョウの身体を一度は切り刻んだ、この軍艦島全土に存在する――
 無数の、小石。
 抛られたそれはさながらシャワーの如く月形の頭部へと殺到し、幾つかは眼にも入ってしまう。
 当然月形の身体は空中でバランスを崩して、『巻雲』を決めるどころではなくなり、落下する。

「いつかの赤ザルと違ってよ」

 リョウの目の前へ。

「眼がでっけぇからやり易かったぜ」

 闘う意思など浮かぶ間もない――

「こんなにあっさり決まっちまってよ――っ!!」

 隙だらけの、姿で。


 後の光景は、語るまでもなかった。
 そこには喰う者と喰われる者が存在し、弱肉強食の真理によって事は片付いた。
 それだけのことである。


「オレは……誰にも殺されない」


【映画館跡】
【ナルシマ リョウ@軍鶏】
 [状態]:若干疲労
 [装備]:スペシャルブレンドステロイド
 [道具]:支給品一式(食料と飲料水は二人分)
 [思考]:1.オレは誰にも殺されない

【月形錯羅@真島くんすっとばす!!――死亡】
【残り67人】



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