父の決意






長い、長い時間。ナユタは眠り続けた。
瞼を閉じ、その安らかな感覚に身を任せると莫大な時間が過ぎていて、世界は姿を変えてナユタの前に現れる。
そう、そこはナユタの知らない世界だ。

だからナユタは眠りから醒めた時に僅かな期待を胸に秘めていた。
今まで見ていたのは悪い夢で、ナユタはアガルタで目を醒ますのだ。アガルタは今、自分の力を必要としている。
アガルタに…帰らないと。


「起こしちゃったかい?」


穏やかで柔らかい男性の声。小さな声なのにこの静まり返った城内ではよく響く。
寝ぼけ眼で見上げると、リュカの今夜の月の光のように優しい笑顔が視界に入ってきた。
彼は大きな手でナユタの頭に手を乗せると、愛おしげにその白い髪を撫でた。

「あ……ごめんなさい。私……眠っていたんですね」
「いろんなことがあったからね……仕方がないよ。」

ナユタはリュカの肩にもたれ掛かったまま、気がついたら眠りについていたらしい。
突然殺し合いを強制させられ、自らを追い立て、精神的に彼女は張りつめていた。そんな時に初めて出会った人間リュカは善人であり、優しい家庭を持った一人の父親だった。
彼の暖かさに触れることでナユタの張りつめていた緊張が緩んでしまったのだろう。強烈な疲労感に襲われ、そのまま浅い眠りについたのだ。

「もう少し眠っていても大丈夫だよ。俺が見張ってるから。」

リュカがそうナユタに眠りを促す。
なんとなくだが、ナユタは昔から憧れていた遠足のようだなあと思う。
生まれつき病弱で城で引きこもりがちだったナユタは外に父や母と出かけるような経験はなかったため、外に飛び出すことに一種の憧れを抱くこともあった。
憧れていた両親との散策。ここは城だが、アガルタではない別の国。
ここが殺し合いの場でなく、父や母も生きており、彼らの側でゆっくり眠りにつけたなら……どんなによかったろうか。
(このまま何も起きなければいいのに)
ナユタは再び瞼を閉じる。
(このまま何も起きなければ………誰も死ななくていい……)



瞼を閉じても再び眠りの世界に誘われることはなかった。
一度思考を始めてしまったせいだろうか。ナユタはその大きな瞳を開いて首を振った。
「いいえ、大丈夫ですわ……。ごめんなさい。」
「はは、謝ってばかりだな。」
リュカの大きな手がナユタの髪をくしゃくしゃにする。そのくすぐったい感覚にナユタの表情に僅かだが笑みが浮かぶ。
「ごめんなさい」
「ほら、まただ」
二人の目が合って、どちらともなくクスクスと笑い出す。
小さな声だが、お互い笑い声を上げて。
「そうそう。女の子は笑ってるほうがかわいいよ」
「うふふ」
少しずつだが、ナユタは自分の心が暖かくなるのを感じていた。
だが、同時にそれが苦しかった。
今がとても楽しい。こんな風に感じたのはいつ頃くらいからだろう?
少なくとも父と母が他界してからこんな風に笑うことはなかった気がする。でも、ナユタがアガルタに帰るには……アガルタを救うには……やっぱり…リュカさんもころ

「ナユタ」

リュカは立ち上がり、ナユタを見下ろしている。ナユタも慌てて立ち上がろうとすると、リュカが手をのばしてきた。
彼の手を借りながらナユタもゆっくり立ち上がる。
「そろそろ…いこう」

リュカの視界に黒い影が映ったのはその時だった。

(か)

「きゃあ!!」



リュカの言葉はナユタのか弱い悲鳴と突如現れた黒い客人によって掻き消された。


ナユタの首に暗闇から伸びた金色の蛇が巻き付いているのだ。彼女の小さな身体が大きく後退していく。
「動くな」
暗黒から一人の男の姿が浮かび上がる。
ナユタの首に巻き付いていたのは黄金の小手。ナユタの背後から特徴のある髪飾りを揺らしながら禍々しい気迫を纏った男……マティウスが姿を現した。
冷酷な光を帯びた艶やかながらも鋭い男の眼光、そして何よりこの状況がリュカの背筋を凍らせた。
ナユタの首に絡められた腕とは反対の手でマティウスはナユタの右腕を取った。その手には彼女の支給品である古代の剣が握られている。
「あっ………」
皇帝のリードでナユタの細い腕が空に掲げられる。その腕をまるで蛇口を捻るかのように皇帝は捻り上げた。
「あぅ!」
幼い少女には堪え難い激痛が走り、古代の剣が派手な音を立てて地面に叩き付けられた。

「や、やめろ……」

リュカの訴えにも構わず、マティウスは拾い上げた剣をナユタの喉に突きつけた。
つい一時前まで自分を父のように慕い、共に談笑していた少女が。たった少しの油断で見知らぬ乱入者によって生命の危機に立たされている。
(俺のせいだ)
ナユタは男を背に身体を震わせていた。
きっと怖いに違いない。大声で泣き出したいに違いない。だが、彼女は自らの腕で身体を抱き、必死に震えを止めようとしている。
彼女はあの小さな肩に、身体に、守るべきものがたくさんいるのだ……自分が守ってやらねば。

それ以上に、自分にはナユタを救わなければならない理由があった。

まったく同じなのだ。
まだリュカが幼かった頃、父が殺されたあの瞬間と。

父の仇ゲマが幼いリュカの首元に鎌の先を突きつけ、人質に取った。息子を盾にされたパパスは悲鳴も上げず、ただ魔物の卑劣な攻撃を受け続けた。
その最中にも父はリュカに彼の母親のことを託して逝った。
ゲマの火炎に焼かれ、最期、彼の逞しかった身体は灰となった。
彼は最後まで誇り高い王であり、強い父親であった。
(俺は、父親だ。そして王パパスの息子だ。この娘だけは……救わなければ、父に会わす顔がない……)


「まったく……便利なアイテムを与えてくれたものだ……」
マティウスが身につけていたのはステルス迷彩という衣類である。
ただの迷彩服ではない。身につけてしまえばたちまち姿が辺りと一体化してしまい、傍目から見てもその存在を認識することはできない。
この衣類をマント代わりに羽織って姿を眩ませていたのだ。
しかし、彼はわざわざその衣類を再び脱ぎ、リュカの前に姿を現したのだ。
(意図が読めない……武器はもっていないようだが、俺たちを殺すことが目的じゃないのか?)
リュカは迂闊に手を出す事もできず、マティウスの次の発言を待つ動向を慎重に伺う。
マティウスが口を開いた。
「貴様……科学者や発明家の類いか?」
「……いや」
「ふん、期待はしていなかったがな」
カチャリと刃が動き、鈍く輝く。
「や……!やめてくれ!!!!」
ひっ、とナユタが声を上げ、リュカの額を汗が伝う。
そんなリュカを蔑むようにマティウスが口元を歪ませる。

「ふっ、騒がしい輩だ。少し話をしようでないか。……ここにお前の身内のものは来ているか?」
「頼む、彼女を…」
「お前は私の質問にだけ答えればよい。…いいな?お前の身内のものは来ているか?」
聞くものを震え上がらせるような、威圧感を持つ重く、低く腹に響く声。
だが、リュカを震わせたのは何より彼の手に握られた剣と、その腕に捕われている一人の少女の存在だった。拒否権などない……そう悟るしかなかった。
「……ああ」
「名前を挙げろ。」
「……ビアンカ、パパス」

嘘をついても仕方がない。しかし、ここで自分が役に立たないと判断されればナユタもろども殺されてしまうかもしれない。
ごくり、と唾を飲み込む。心臓が波打ち、息が上がる。
動揺してはならない。
冷静になれ。


しばらくマティウスの尋問が続く。
リュカがどういった場所から来たのか?ビアンカ、パパスはどういった人格者だったか?彼らにはどういった素質があるのか。
リュカは真実を答えていた。利用されているとはわかっていたが、元々嘘をつくのは苦手だったし、誠意をもって接すればあるいは……甘い幻想を捨てきれなかった。
しかし、ゲマのことは一言も話さなかった。話した所で自分やナユタの命を先延ばししてくれるとは思わなかったからだ。
マティウスにわざわざ危険人物のことを教える義理もないと感じていたし、なによりナユタを不安がらせるようなことを話したくはなかった。
だが、それを黙っていることが知れれば、見せしめに彼女の首が掻き切られるかもしれない。
自らの心臓の音が時計の秒針のように音を刻んでゆく。だが、そのリズムは実際の時計よりいささか早すぎるようだった。
一方的に尋ねられ、答えるだけの簡素な会話。そんな会話が永遠に続くかのようにリュカには感じられた。

マティウスはついにリュカ自身についての問いかけを始めた。
「ふむ。お前はここで何を志す?」

(俺の志……か)
今まで言葉を吐き出すのに鉛のように重い口を開かねばならなかった。

「……妻、父、…そして娘を守りたい。」

しかし、今の瞬間の言葉はすんなりとリュカから飛び出した。
それは彼の信念に基づいた、彼にとって当たり前のことだったから。

ナユタはじっと真摯な姿勢で話し続けるリュカを見つめていた。
(……娘?)
ここには息子や娘はきていなかったと言っていなかっただろうか。

『俺じゃ、君のお父さんの代わりにはなれないかな?』

しばらくナユタは思考し、そして理解した。
(まさか……私……のこと?)
リュカさんに剣を向けた私を。リュカさんが優しい人だとわかってなお、自分が国へ戻ることしか考えられなかった私を。力がなくてこうしてリュカさんを苦しめてしまっている私を。
彼は『娘』と言ってくれるの?
途端にナユタの震えが恐怖から感激の震えに代わり、今まで流されることのなかった涙が円らな瞳に貯まってゆく。
滲む視界の中、一瞬だがリュカが微笑んでくれた気がした。




「…フ…フフフフフフ…!ハーッハハハハハハハハ!!」

「…!?」
しかし、ナユタの昂りは男の嘲るような笑い声に掻き消された。見上げればマティウスが愉快そうに口元を歪めている。
「『守る』?なんとも美しい志を持っていることよ!!ではこの娘や家族のためには他の命は厭わぬか?」
「……それは」
「できぬというのか?ここがどのような場所なのかもう忘れたようだな、愚かな男よ!!」
リュカが唇を噛み締める。逆上するな、挑発に乗ってはならない。
ゲマの奴隷として生きた日々を思い出せ。
リュカは静かにマティウスを見据える。怒りを沈め、ただじっと彼を見る。
そんなリュカの様子が気に入らない様子でマティウスもまた冷淡な口調で続ける。
「……理想論を語る他に取り柄はないのか?」
リュカは思考を巡らせる。
ここで解答を誤ればナユタの命はない。役立たずだと思われては終わりだ。
この人物に有能だと思われるための解答……
しばしの沈黙の後、リュカが口を開く。

「……多少だが、剣と魔法の心得がある」

父パパスから大切な人を守る術として教わったことだ。
他にも魔物たちと一緒に冒険する力も持っていたが、この場で役に立つはどうかわからなかったのであえて口にはしなかった。

ふん、と再びマティウスが鼻を鳴らす。

「この娘を救いたいか?」

考えるまでもなかった。

「ああ……頼む。ナユタを……」

「夜が明けるまでに参加者の首を持ってこい」

リュカの思考が固まる。ナユタも怯えた目でマティウスを見上げていた。
参加者の……首?
「理解できなかったか?夜明けまでに参加者を殺して首をここに持ってこいと言っている。無論、首輪も一緒に……な」
「なっ………」
ひどく動揺しているのに、心のどこかではようやく今まで靄がかかっていた部分が見えてきた気分だった。
なぜあえて姿を現したのか、何故ナユタをすぐに始末しなかったのか。
自分の大切な人を守るために身につけた力で、何の罪もない人間を手に掛けろというのか?
「ここにはこのようなか弱い娘も紛れ込んでいるようだ。お前は剣の他にも魔法の心得もあるという。まだ黎明まで時間もある。首の1つや2つ取ることなど他愛もないはずだが?」
「それは……」
「できないとでもいうのか?それなら構わんが」
マティウスが冷たく少女を見据える。
「ま、まて!」
リュカの身体が行き場のない憤りと、ナユタへの思いから産まれる不安でぶるりと震える。

「できないとは……言っていな」「リュカさん!!」

今まで黙りこくっていたナユタが声を張り上げた。
「わ……私のことはいいから!!!お願いだから、このまま戻ってこないで!!!!」
「ナユタ…!?」
彼女の身体も声も震え、彼女の瞳には涙が溢れんとしていた。それでもナユタは切実に、リュカに訴えかけた。
「こんな人の言うこと聞かないで!!!!リュカさんは人を殺したりしないで!!!!」
この涙、この震えは決して恐怖から産まれたものではなくなっていた。
リュカの優しい気持ちが、そして彼の考えを一蹴したマティウスへの強い怒りが、彼女を突き動かした。
「小娘が……!!」
彼女を黙らそうと喉に当てられた刃を意ともせず、息を吸い込んだ。

「ゴウリキ符!!!」

ナユタが精神を集中し、気を高める。刃先が彼女の喉を貫こうとした瞬間、半透明の殻が彼女の身体を覆い、マティウスの剣を弾いた。
マティウスの顔に驚愕の色が浮かぶ。
「リュカさん!!いって!いってください!!」
だが、已然彼女はマティウスの腕の中にいた。霊術によって一時的に攻撃を防ぐ術は手に入れたが、彼女の力ではマティウスを撥ね除けることはできない。

「ナユタ!!!!」

ナユタには剣が効かなくなった。これを好機と考え、リュカはマティウスの懐目掛けて走り出す。
武器もない。魔法に関しても範囲魔法しか持っていないためこのまま使えばナユタを傷つけてしまう。
(せめて、ナユタだけでも救い出すんだ!)
たとえ、自分がどうなろうと。

父の、身を挺した決死の突撃。

(お願い、リュカさん……リュカさんは皆さんのところへ戻ってあげてください。)

娘の、父を思うがゆえの無茶な行動。

「……デスペル」
皇帝は手慣れた口ぶりで呪文を唱える。
リュカが目鼻の先まで迫っていた。

(もう少しだ!もう少しだ、ナユタ!!)
リュカの手が伸ばされ、ナユタに触れる。

直後、ナユタを包んでいたゴウリキ符の力が急速に力を失い、そして―――――


ザンッ!!






「か……はっ…!」


「……ナユタ……?」

ナユタはマティウスから奪回され、リュカの腕の中にいた。突如、リュカの腹部に鈍い痛みが走る。
何故?
リュカが腹部に視線を降ろすと、剣先がリュカの腹部を抉っているのが見えた。その剣先は、ナユタの細い身体を貫いて、彼の身体に到達していたのだ。
「……あ………ああ……!あああああ!!!」
ずぶり、と古代の剣が引き抜かれると、ナユタは糸の切れた人形のように床にひれ伏した。
「ナユタっ……!どうして………!」
自らの傷には構わず、リュカはナユタを抱き上げる。
ナユタの元々白い顔が、みるみるうちに青ざめ生気を失っていくというのに、口からは真っ赤な血が止めどなく溢れている。
「今、治してやるから……!頑張れ…!!頑張ってくれ…っ!!!」
今出せる最大の回復魔法、ベホマをナユタにかけてやる。だが、呪文の効き目は芳しくなく、彼女の容態がよくなる兆しは見られなかった。
それでも、リュカは諦められなかった。
彼女はこんなところで息絶えるべきではない。彼女には守るべきものがある。そして何より、彼女には未来がある。
そう、我が子のように。まだ見ぬ、可能性に満ちあふれた幸せな未来が。
(メガザル……)
自らの命と引き換えに他の仲間を窮地から救い出す、究極の回復魔法が頭を過る。
だが、彼女の命が救われたとして一人でこの男から逃げ出すことができるだろうか?
そもそもベホマすら上手く作動しないこの世界でこの魔法が真価を発揮することができるのか?

ナユタは静かに首を左右に振った。
まるでリュカの思考を読み取ったかのように。

「けほっ…けほ…」
何か彼女は言おうとするが、吐血することしかできない。
「諦めないでくれ……頼む、頼むから……!!」




痛みが身体を走ったのは一瞬、もう次第に何も感じなくなってきている。
(きっと、リュカさんがすぐに回復魔法を使ってくれたからですわ…)
リュカさんが懸命に私を励ましてくれている。
嬉しい。私を励ましてくれていること。私を守ろうとしてくれたこと。回復魔法を使ってくれたこと。
でも私のためなんかに泣かないで、リュカさん。
私はあなたを殺そうとしました。

……リュカさんみたいな優しい人を殺そうとしたから、バチが当たったんですね。

体温が急激に奪われていくのがわかります。
ただ、吐き出す血液だけが生暖かくて、とても気持ち悪い。
なにより恥ずかしい。
こんな汚い姿、王女らしくありませんもの。
お父様やお母様にはお見せできないわ。

あら……?見えない。段々リュカさんが見えなくなっていく…

待って、まだ言ってない。
リュカさんにお礼、言っていない。
アガルタのお話をもっと聞いてもらいたい。ねえ、聞いてリュカさん。
リュカさんのご家族のお話、ちっとも聞いてない。お父様はどんな方?奥さまとはどんな出会いをされたの?ねえ、聞かせてリュカさん。
お子さん、どんな方なんですか?お名前は?……会ってみたい。

本当は……もっと、わがまま……聞いてほしかった。

でも、もう叶わないんですね。


だから、お願いです。最後にひとつだけ……ひとつだけナユタのわがままを…聞いて下さい。



「お願いだ……頑張れ……死ぬな……」

「………」

「……え?」
ナユタの小さな口が何かを告げようとするが、リュカの耳には届かない。
リュカはそっと、ナユタの口元に耳を近づけた。


すると、彼女は消え入りそうな声で、こう囁いていた。




「………と…う…さ…ま……」

(リュカさんのこと……お父様、と呼ばせてください)



「ナユタ?……ナユタ?」
細い躯をゆっくり揺らす。項垂れたまま、彼女は何も語らない。
「…ナユタぁ……!!!」
ナユタはその表情に僅かな笑みを讃えていた。
「俺は……!!俺はぁぁあああ…!!!!!!」
頬を大粒の涙が伝ってゆき、ナユタの頬を濡らしてゆく。彼女に讃えられていた安らかな表情すらリュカにとっては救いにはならなかった。
ナユタはもう、何も答えない。

また、救えなかった。

大人になって、誰かを救えるようになったと思ったのに、結局変わっていない。
結局父親になっても父のように子供を救うことができなかった。
あともう少しだったのに……結局守れない。

「死んだか。」

皇帝の言葉が残酷に突き刺さる。
「その娘を我が力の実験に使うつもりだったが……仕方あるまい」
リュカは項垂れたまま動こうとしない。


(腑抜けておる。これはいい機会やもしれぬな)
皇帝マティウスの当初の目的である手駒の作成。この目的のため、危険を冒し、姿を現したのだ。
当初は少女を人質に男を駆り出し、制限のある状態でも確実な洗脳ができるか試した上でこの男を手玉にとる予定だった。
…しかし、予定が狂った。
いささか自分も慎重になりすぎていたのかもしれない。
あの少女から情報を聞き出すことができなかったのが唯一の心残りではあるが、所詮は女の子供だ。役に立たない手駒など必要はない。
もともとの目的は目前にいるこの男一人。

「………」

うわ言のように何かを呟く男。深い感傷に浸りすぎているのか?
黒い髪を掴み上げ、マティウスがリュカの頭を無理矢理引き起こす。
男の顔はこの短時間で急激に老け込んだようで、やつれているようだった。瞼は腫れぼったくなり、目は充血して赤くなっている。
しかし、その瞳はまだたしかな生気を持っていた。
そう、この目……。マティウスがもっともおぞましいと感じていた、強い意志をもった瞳だった。


(この男……まだ…!)

「バキクロス!!!!!」

鋭い疾風が渦となりマティウスに襲いかかる。
咄嗟に彼は身体に巻いていたステルス迷彩を盾のするが、効果は特になく、鋭利な刃物のように研ぎすまされたかまいたちがステルス迷彩を、彼の黄金の鎧を、露出した肌を、頬を、足を、切り裂いてゆく。

「ぐわぁあああ!!!!」

風が吹き荒れる中、リュカはナユタの亡骸を抱き上げ、大広間の出口に向かって駆け出す。
ズキンッと腹部の傷が疼くが、挫けるわけにはいかない。
(このまま終わるわけにはいかないんだ……もうナユタのような被害者を産むわけにはいかない…!!)
ふらつく足を叱咤し、城からの脱出を計る。

しかし、リュカは足を止めた。いや、止めざる得なかった。

皇帝が、立ち憚ったのだ。
彼は全身切り傷に見舞われ、至る場所から血の筋を作っていた。
だが、どれもすべて致命傷には至らならなかったのだ。
(くそ……!)
マティウスは立ち竦むリュカに歩み寄ると、おもむろに彼の右の頬を拳で打った。
小手の重厚さもあり、リュカは打たれた反動で大きく頭を揺らす。続けてマティウスの空いていた右手がリュカ脇腹を強く打った。
「がっ!!」
負傷していた傷に響く攻撃にリュカが堪らず声を上げ、そのままバランスを崩して地べたに倒れ込んだ。
どさり、と隣にナユタが転がる。
愛おしげにナユタに伸ばされた腕が彼女に届く前に、さらにマティウスの蹴りがリュカの負傷した腹部に喰らわされる。
「ぐはぁ!!」
脳天を稲妻に打たれたような衝撃が走る。リュカの腹部の攻撃はそれだけに留まらず、複数の打撃がその一点を執念に責め立てる。

(すまない……ナユタ…。父さん……ビアンカ。俺は……誰一人………)


暴行の末、ついにリュカの意識は遠のいていった。
リュカが意識を失ったことを確認すると、金属が擦れ合う音を鳴らしながら皇帝は倒れた王子を見下ろす。
「案ずるな、グランバニアの王よ。お前を殺しはしない。」
マティウスもまた、致命傷には至っていないものの、リュカが生み出した疾風によって体力を奪われていた。
だが、休む間はない。
今すぐこの男を手駒にするための準備を始めなければならない。
(しかし、少しやりすぎたか?)
手駒として動かすのにあまり手傷は負わせたくなかったのだが……仕方があるまい。
こいつが目を覚ましたり、使えないというならまた新しいものを配下に置けばいい。
何より、自分の目下に置く予定だった者に自分が傷つけられたことがプライドの高い彼にとっては屈辱とも取れる行為だった。
多少は痛めつけなければ気がすまない。
(この者が覚醒したら、まずは私の傷の治療からさせるか。)
先ほど、息絶えた少女に回復魔法らしきものを唱えていたことを思い出す。

まったく、無駄なことをしてくれる。

これで身体も動かせず、魔法を唱えるだけもMPも残されていなければこの者も消してやろうか……
いや、ただ消すだけでは意味がない。
ここにはこの男の身内が2名来ているようだ。
その者たちが生存しているなら、この男を使いだまし討ちにすることもできるやもしれん。
そして、もし彼が我に返った時、自らの手で身内を手に掛けたと知れば……。
(……妻、父、…そして娘を守りたい。)
さあ、この男はどんな表情を見せてくれるのか。願わくば、死より深い絶望を彼に与えてやりたい。

(さあ、始めるか。宴の準備を……。)

藍色に染まっていた空が次第に黄檗色に変わりゆく。
窓から差し込む光で、運命に愚弄された二人の親子に皇帝の影が覆いかぶさる。
父の手は僅か、娘に届かなかった。




【H-5・ミラクスキャッスル内/一日目/深夜終了直前】
【リュカ(ドラクエ5主人公)@ドラゴンクエスト5】
[状態]:気絶。深い悲しみ。腹部に刺傷(打撃により悪化。一部行動に支障がでる恐れあり)
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式
[思考]
基本方針:……
1:男(マティウス)の手から逃れ、ナユタを埋葬したい。
2:ゲームの被害者をこれ以上増やさない。
3:早く妻のビアンカと父のパパスを探して守り通したい
4:父の仇(ゲマ)を再度討ちたい
*こうていの洗脳を施されている最中です。無事完了すればこうていの命令した基本方針で行動します。


【こうてい(マティウス)@ファイナルファンタジー2】
[状態]:疲労(中)、身体全体に複数の切り傷
[装備]:こだいの剣@ファイナルファンタジー2
[道具]:基本支給品一式、不明支給品0〜2(確認済)リュカの不明支給品1〜3(未確認)、ナユタの不明支給品0〜2(未確認)
[思考]
基本方針:第一放送までは待機
1:リュカを洗脳し、手駒として利用する。
2:リュカが覚醒次第、自分に回復魔法を使わせる。
3:リュカに殺し合いを催促する。優先してパパス、ビアンカを狙うように指示。
4:情報の収集
5:首輪を外したい
*リュカからリュカの世界のこと、ビアンカ、パパスの情報を聞きました。ただしゲマのことはまったく聞いていません。
*ステルス迷彩@メタルギアシリーズ はズタズタに破れ、効果を失いました。


【ナユタ@マダラシリーズ 死亡】
【残り57人】





−−−−−−−−−−−−−

色鮮やかな色彩のタイルが敷き詰められ、空を、地上を、動物を模した乗り物が駆け巡り、巨大な観覧車が遠くでゆったりと回っている。
同時刻、この場に似つかわしくない賑やかな扮装をしたテーマパークに佇む男が一人。
かつて王として生き、息子を盾にされ、命を落とした王……パパス。

死んだはずの自分が生きているという事実に驚愕し、そして呼び出された目的を知って愕然とした。
(なんということだ……)

殺し合いをしろ。

パパスの心は怒りで煮えくり返りそうだった。
それはあの少年の素行もそうだが、何もできなかった自分に対してもだ。
だが、下手に動けば何もできないままこの命を無駄に消費することになる。
(死んでいった若者たちの無念は、必ず晴らす。こうして甦った命……無駄にはせん)

ゲームへの反乱の意思を固めていたパパス。
彼は状況を把握しようと開いた名簿をみて、ひどく動揺した。
『リュカ』
命を賭けて救った最愛の息子の名前が、そこに刻まれていたからだ。

(リュカ……どうしてお前がこんなことに……)
そこにはリュカより少し年上で、お姉さんらしく振る舞っていた愛らしい少女、ビアンカの名前も共に連ねられている。
まだ幼い二人までこのような残酷な舞台に立たされていると思うとパパスは動かずにはいられなかった。
支給品として配られていた巨大な剣……アルテマウェポンを手にパパスは宛てもなく歩き始める。

(私は何度でも、何度でも、お前を守ってみせる。必ずな。……無事でいるんだぞ、リュカ)

明るくなってゆく風景に、鮮やかなアトラクションたちのネオンたちが吸い込まれてゆくようだ。
パパスの迷いや動揺もまた、明るくなってゆく空に吸いつくされてゆくようだった。
彼のまっすぐ見据えた視線の先には、まだ幼い我が子の姿がはっきりと映されている。
彼はまだ、自分の息子が父親になったことを知らない。
まっすぐで心優しい青年に成長していることも知らない。
そして、そんな彼の心が他者によって奪われようとしていることも……
【F-4・ラッキーパーク内/一日目/深夜終了直前】
【パパス@ドラゴンクエスト5】
[状態]:健康
[装備]:アルテマウェポン@ファイナルファンタジー7
[道具]:基本支給品一式
[思考]
基本方針:リュカを守り抜き、このゲームの打破を目指す。
1:リュカ、ビアンカを探し、保護する
2:弱い者を守る
3:ゲマを討つ
4:殺し合いに乗る者にも説得を試みるが、話が通じない相手には容赦はしない

*アイテム
【アルテマウェポン@ファイナルファンタジー7】
クラウドの装備できる武器の中では最も威力が高い。
残りHPが多ければ多いほど攻撃力が上がる。
攻撃+100 命中+110 魔力+51 精神+24



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