空に焦がれる少女の瞳に映る世界
「あなた、この殺し合いに乗ってるんですか?」
風に揺られてざわめく木々を背景に、槍を構えた少女は単刀直入に尋ねた。
そこに駆け引きはない。思わず出た台詞だった。
隔離された殺し合いの場で、出会ったばかりの者に対しての第一声が、はたしてこれで正解だったのだろうか。
わずかばかりの不安を抱きつつ、嫌な汗を絶賛流し中な少女をよそに、
尋ねられた側の、黒服を着た眉間に傷のある青年は迷わず袋を前方に投げ、両手を顔の高さまで掲げて口を開いた。
「見ての通りだ、俺は乗ってない。それで、そういうあんたはどうなんだ?」
そう答えた青年の視線は、あからさまに少女の得物へと注がれている。
少女は慌てて槍を下げ、相手に倣って地面へと転がした。
「わ、私も同じです。ごめんなさい、疑ったりして」
「別に……」
両手を楽にし、それから投げた袋を回収している青年に向かい、少女は話し掛ける。
「私、パンネロっていいます。あなたのお名前はなんですか?」
見知らぬ城内で転移魔法を受けた後、パンネロが下り立ったのは森の中だった。
少しばかりの肌寒さを感じながら、風に揺られてざわめく木々の音を聞く。
強制されたのは、殺し合い──あの自らを神であるなどと称した怪物は、シンプルにそれだけを告げてきた。
殺し合い、殺し合い、殺し合い。
パンネロはその五音の言葉を幾度か頭の中で巡らせてみるが、まるで現実味が感じられない。
たしかに、人の死は身近にあった。
戦争で兵が死に、戦災で家族が死に、国と破魔石を巡る旅の戦いの中で敵も仲間も死んだ。
けれども殺し合いを目的に、人々は戦っていたわけではない。
そもそも戦争と今とを同列に語ることが間違っていると、パンネロは気付いた。
数十もの人々が、理由も告げられず、同意も得ないままただ殺し合いを強制される、そんな状況が異常なのだ。
けれども、異常だとしても、今はその異常な状況が現実であった。
パンネロは確かに見た。黒衣に身を包んだ女性の無残な姿を。
思わず悲鳴を挙げ、そばにいたヴァンに縋り付いてしまったほどに驚愕した。
飛び散る血液の音、匂い、思い出さずともまだはっきりと覚えている。
首に感じる圧迫、それに指で触れたりしなくても、そこに首輪があると意識するだけで心臓が張り裂けそうになる。
これは現実、今が現実、殺し合いは現実──だが、しかし。
「誰かを殺すこと」も「誰かに殺されること」も、パンネロは御免だった。そのどちらでもない道を彼女は選ぶ。
私は絶対に殺しもしないし殺されもしない。と、そう決意することに、迷いはなかった。
そして。
ヴァンと一緒にラバナスタに帰りたいと、パンネロは思う。
密かにしたためていたお金で買った新しい服は衣装箱の中で、ヴァンに披露すらしていない。
お店で一目惚れしたあの服を着て、空賊デビューのその初日を飾るつもりだった。
まだ見ぬ世界に思いを馳せて、明るく、自由で、真っ白な、そんな未来が待っているはずだったのだ。
パンネロは考えることにした。自身はこの世界でどんなことをすればいいのか、何をしたいのかを。
「えーと、いきなりなんですけど私の話を聞いてもらってもいいですか? スコールさん」
たっぷり一時間は浪費して脳みそフル稼動で考え、思い立ったその後、森を抜けるために木々の隙間を縫っていたところ、
彼女は同じくカオスに集められた人を発見したというわけだった。
「スコールでいい」
自己紹介を終えて、パンネロが先に口を開くと相手はそう返してきた。
雰囲気は大人びているとはいえ、スコールの年齢はパンネロとそれほど離れていないのだろう、たぶん。
そう推測するが、一応、伺ってみる。
「あの、お歳を訊いてもいいですか?」
「17だ。それがどうした」
うっそーあのヴァンと同じ歳だなんて世の中ってなんて不公平!
などとパンネロが思ったかどうかはさておき、若干の予想外に面食らいつつも、
精一杯の平静を装って「そうなんですか」と返事をした。
「あ、ちなみに私は16です。じゃあ、あの、歳も近いんで呼び捨てにさせてもらいますね」
「……顔が引きつってるぞ」
「え、あはは」
「あと敬語もなしでいい」
パンネロは自身の頬を数回揉みほぐして表情をいつも通りにさせた(という事にした)後、
ヴァンと同じ歳ヴァンと同じ歳と頭の中で唱え、一つ咳払いをし、それから再び話を切り出した。
「えっと、私考えたんですけ……たんだけど、強制されたからといって、殺し合いなんてやっちゃいけないと思うん……思うの」
「やっぱり好きに話していい」
「はい……すいません」
耐えかねたスコールが溜息とともに忠言し、申し訳なく思いながらもパンネロはそうさせて貰うことにした。
「それで、なんとかすればみんなで逃げ出すことはできるんじゃないかなぁ……て、思うんですけど」
「なんとかって、なんだ?」
「なんとかは、なんとかです」
スコールが一瞬苦々しげな顔を浮かべたので、パンネロは急いで付け足す。
「あ、だから、そのですね、今私たちって、カオスとかいう人に命を握られている状態じゃないですか」
「カオス、か……」
あの異形の怪物を思い浮かべたのか、スコールは神妙な面持ちへと変化する。
「……あれは人か?」
そこをつっこまれるとは思っていなかった。パンネロは「どうですかね」と苦笑しながら曖昧に返事をしておいた。
「それで、その原因となっているのが、この首輪ですよね」
パンネロは自身の首に巻かれているものに指先でそっと触れてみる。
「危なくないか?」
「触るくらいなら平気みたいです」
スコールも装着された首輪に触れてみた。
「それ以上はちょっと恐くて無理ですけど」
触れたからといって何かあるわけでもないし、なにより手袋に覆われた彼の指では質感を感じ取れもしない。
スコールは意味のない行動だと思ったのかすぐに手を下ろした。
「見たところでは、何の変哲もなさそうな首輪ですよね?」
パンネロも手を下ろす。
「そうだな。見た目は」
首輪は黒革風のベルトに、銀色をした留め具が付いた外見となっている。
強く引っ張れば千切れて破損してしまいそうな風体でもあるし、シルバーアクセサリーに関心のあるスコールからすると、
こんな状況でないならば「まったくもって魅力を感じないチョーカー」という感想だけで終わっていただろう。
「でもこれが爆発を起こすんです。あ、袋の中の紙は読まれましたか?」
「ああ。とっくに」
各人に与えられた袋の中には、殺し合いを行う上での細かなルールが書かれた紙や、
集められた者の名前や顔写真が記された紙などが入れられていた。
今、首輪の話をしていることからしても、パンネロは前者のことを指しているのだろうとスコールは理解する。
「たしか、外そうとするか逃げようとするかで爆発、だったな」
スコールは首輪に関して書かれていた事を簡約しながら口に出した。カオス達の誰かも言っていた。
「そうなんです。でも首輪自体に変哲がないとすると、首輪に魔法が施されていて、その魔法がネックなんだと思うんです」
「……洒落か?」
首輪でネック──まったくの偶然なのだが、偶然だからこそパンネロは気付いた途端に赤面して顔を覆った。
「そそそそういうつもりじゃないんですー!」
「わかったから、余計なこと言って悪かった……いいから話を続けてくれ」
「はい、すいません」
パンネロは軽く深呼吸をして気を落ち着かせた後、言われた通りに話を再開する。
「つまりですね、魔法が施されているなら、魔法を打ち消しさえすれば、爆発もしないし外すこともできるはずなんです」
「そういうもんか?」
「ええ、まぁ。理論上は、ってのが付くんですけど」
パンネロは旅の途中で魔法の素質があることを仲間に見い出されて以降、
武器の扱いはそこそこに、魔法分野に関しての方面も深く学ぶようになっていた。
とはいっても一般で知り得る程度の知識で、かつ知っているだけなのだが。
「一応訊くが、具体的にはどうすればいいんだ?」
「ざっくり話しますと、施された魔法の構築式を解読して、それに見合った解除魔法を掛けるだけです」
「……簡単すぎないか?」
当然の疑問をスコールは抱く。
「口で言えば簡単なんですけど……」
パンネロは困惑したような表情を見せた。こころなしか、肩もうなだれる。
「高度な魔法は解読するのも至難なことですし、強力な魔法を解除するにはそれ以上の力が必要になってしまうんです。
そしてそのどちらも、私には難しいことです」
スコールは溜息を吐いた。
「難儀だな」
「そうなんです……けど!」
パンネロはぐっと拳を握る。
「みんなで協力して、知識や力を合わせれば、もしかしたらできることかもしれないんです!」
ハニーブラウンの瞳に力強さが宿り、スコールを見つめた。
「そのために、私は人を集めたいんです。お願いです、手を貸して下さい!」
ばっと、パンネロは深く頭を下げる。短くおさげに結わえられた色素の薄い髪が、一瞬遅れてそこに続いた。
いきなりの行動にスコールは面食らい、思わず息を飲み込んでしまう。
束の間の緊張感が二人の周囲に漂い、それからようやっとスコールは口を開いた。
「いや、その……あんたの方からそう言ってくれると、助かる」
パンネロは相手の様子を伺うように、ゆっくりと顔を上げた。
「俺も、殺し合いには反対だ。みんなが生き残れる方法があるなら、それを選びたい」
「ほんとですか!?」
「だからあんたに協力する。と言うか、俺の方から協力を頼むべきだったな」
「ありがとうございます!スコールさん!」
パンネロは両手を合わせて破顔した。
さりげなく名前の呼び方も元に戻っているが、面倒臭いのでスコールは指摘しないことにする。
「それで、人を集めるとは言っても、みんながみんな友好的とは限らないわけだ。
むしろ、そういう奴らの方が多い可能性も低くはない。そういう奴に会った場合、あんたならどうするんだ?」
「そうですね、それも考えていたんですけど……できれば誰にも死んでほしくないんです」
「まぁ、協力者は多いに越したことはないからな」
言いながら、スコールは顎に手を当てる。
「それもあるんですけど、こんな状況ですし、やっぱり知らない人でも死んだら悲しいじゃないですか」
戦争のさなかでどこかの誰かが与り知らないところで死ぬのとはわけが違う。と、パンネロは思う。
「だから……私は、説得します」
スコールは、ふうと息を吐いた。
首をゆるやかに横に振り、青い瞳にパンネロを映す。
「危険かもしれない。でも──」
スコールはわずかに微笑んだ。
「俺も同じ意見だな」
ほどなくして話が一段落ついた頃、二人はお互いの持つものを確認しあう事にした。
殺さないことを決めたとはいえ、戦いは避けられないだろう。
襲われた場合に、たとえば相手が興奮状態にあったならば、それなりの対処が要される。
こちらの話を聞かせる状況に持っていかなければいけないのだ。
スコールは、袋の中からボウガンとそれ用の矢を取り出して見せた。
パンネロいわく、初心者大歓迎のボウガンだそうである。固有の名称はそのまま、ボウガン。
「名前を付けるまでもないってことか」
「ははは……でも小型だから、誰でも扱いやすくていいじゃないですか」
矢の方はオニオンシャフトという、スコール的にはよく判らない名前だが、こちらは合わせて十五本が揃えられていた。
「ボウガンとか弓とかって、ある程度矢が使い回しできるから便利ですよね。私、銃よりも好きです」
「なるほど。ならこの本数は妥当なところなのか」
「うーん、ちょっと物足りない気もしますけど。スコールさんは扱えますか?」
「訓練はしたことある。けど実戦はないな」
訓練──なんだか耳に慣れない言葉だな、とパンネロは思った。
「よろしければ交換しますけど」
そう言いながら、パンネロは取りやすいように傍らの地面に突き刺してある槍へと目を向けた。
全体として青い輝きを持つ、すらりとした外形のその槍からは、どこか冷たい印象を受ける。
「槍か……」
スコールの表情を見る限り、槍も専門分野というわけではないのだろう。
「……その様子だと、刀剣類は持ってないみたいだな」
「武器になりそうなのはこれだけです。あとは」
パンネロは袋の中から小さな布製の袋を取り出した。中に何か入っているようであるが、スコールには判らない。
「なんだ?」
「サビのカタマリが入ってます」
「サビ……」
ちょっと、いや、あからさまに嫌そうな顔をしたスコール。
「知りませんか?投げれば袋が破れて、サビが飛び散るんです。多少のダメージにはなりますけど」
精神的にな、とスコールは思った。
「それだけか?」
「それだけです」
スコールは溜息を吐き、疲れたように長めの前髪を掻き上げた。
とりあえず、パンネロはサビのカタマリを袋に戻す。
「そうだな……」
言いよどみながら考えているのか、再び髪を掻き上げた後、スコールは続けた。
「あんたがこっちの方がいいって言うなら交換する。そうじゃないなら、俺はひとまずサポートに回る。どうする」
「え、私が決めるんですか?」
パンネロは面食らった後、顎に手を当て、しばらく唸る。
「うーん……そうですね、まぁ……どっちでも構わないってのが正直な感想になっちゃいますけど。
そうだなぁ、あでもスコールさんに負担かけるわけにもいかないし……」
「──来るぞ」
突如としてスコールの声色が変化した。
一瞬にして纏う空気が張り詰めたことを察し、パンネロは突き刺さった槍へと手を伸ばした。
それと同時に茂みから影が飛び出す。パンネロの死角だ。
「パンネロ!」
どうして接近に気付かなかったのか、答えは場所が悪いとしか良いようがない。
スコールと出会った時もそうだったが、森という所は風が吹き、木々が揺れ、葉がこすれ合い、
わずかな動きや音といったものでの周囲の判断が行い辛くなっているのだ。
ましてや背後からの強襲となれば目視も不可能。
とはいえ、これだけ接近されれば嫌でも対応ができる。
影──いや誰かは刀を振りかぶってパンネロに狙いをつけるが、しかし遅い。
研ぎ澄まされた刃を槍の柄で阻み、相手を数歩後退させることに成功した。
「──チッ」
相手の舌打ちが聞こえる。襲うつもりで登場したことは明白だった。
金というよりは黄に近い色の髪に、浅黒い肌。その顔は若い。
おそらく年代はパンネロやスコールと変わらないだろう。
「あなた、殺し合いに乗ってるの?」
槍を正しく持ち直しながら、パンネロはできる限りの平静を装って尋ねる。
相手がどういうつもりか判っていながらも聞いてしまうのは、もう条件反射でしかない。
「だったらどうだって言うんだよ!」
怒気を含んだ声で金髪の青年は答えた。叫んだ、と表しても間違いではない。
多少の興奮状態にあるようだが、暴走しているわけではない。
パンネロは槍を防御姿勢に構え、口を開いた。
「ねぇ、こんなことやめようよ。好きでこんなことやってるんじゃないんでしょ?」
青年をまっすぐに見つめ、パンネロは続ける。
「もしかしたら、こんな殺し合い、誰も死なずに終わらせられるかもしれないの」
「……は?」
青年は間の抜けたような声を出しつつ、しかし刀はしっかりと構えたままパンネロを見つめ、
パンネロの背後にいるスコールへと視線を移し、再び、海のような色の瞳をパンネロへと戻した。
頑張れば、説得はいけるんじゃないかとパンネロは思った。
一瞬だけ、困惑したような表情を浮かべた、ような気がしたのだ。
「そん、そんな話があるかよ!」
「あるの。だから、あなたにも手を貸してほしい」
「でもオレ……」
青年の目が泳いだ。そして少しばかり刀身が揺らぐ。
しかし、それも束の間のこと。
「……ごめん!!」
──なんだろう、泣きそうな顔だな。
パンネロは場違いにもそんなことを思った。
青年は刀を下げて瞬時に真横へと跳躍し、パンネロから距離を空ける。
その動きを目で追っていると、突如として痛みを覚えた。
「え……?」
どこが痛いのか判らずに戸惑い、それから背中が痛いのだと気付いた。
でも、どうして。
槍を握る力が失われ、からんと音が鳴って地面へと落とされた。
ふっと全身に震えのようなものが走り、気付いたら膝を付いていた。
身体を支えることなどできずに、前から倒れた。
なにがどうなっているのか判らない。
「ティーダ、やれ」
困惑した頭に、はっきりとスコールの声が聞こえた。とてつもなく鋭利な響きだ。
ティーダって、なに?
パンネロの声は形にならず、嗚咽だけが漏れた。いつの間にか泣いていた。
痛くて涙を流すなんていつ以来だろうかと、パンネロは考えた。
「でも」
「斬らずに突き刺せ。そのまま抜くな」
一瞬の間。それから、ゆっくりとした間隔の足音が鳴り、止まる。
「ほんとに、ごめん……」
やっぱり泣きそうだね、キミ。
パンネロは思う。
しかしそれ以降は何ひとつとして考えることができなかった。
「あんた、殺し合いに乗ってるんだな」
ティーダは背中側から聞こえた低い声に反応して、頭を動かす。
しかし首に触れた冷たさに、どっと汗が沸き起こりそのまま固まった。
彼は今、地面を目の前にして押さえ込まれている。
それだけでも身動きは困難なのに、更に背中に乗る人物は、刀を首筋に添えてきたのだからもう不可能でしかない。
「っくそ……」
「聞いてるんだ。どうなんだ」
歯噛みするティーダに構わず、相手は再度尋ねてくる。
「そうだ、つったらどうすんの」
ティーダは顔を地面に付け、土を睨みながら答えた。
会話をする時は相手を見ながらと、いつか誰かに教えられたが、今は無理なのでそんなことにはこだわっていられない。
なに素直に答えたんだオレのバカ。と、答えてから後悔した。
けれど自分は既に相手を強襲済みなのだ。いまさらなにを言い訳したところで、心中はバレているだろう。
「そうか。気が合うな」
ティーダが思わず苦々しげな表情を浮かべた。
相手の青年も殺し合いに乗っている。つまり今、このままティーダを殺害するのも容易であるということだ。
声色からいっても、そこに躊躇いはない。
この青年を狙ったのは失敗だった。
いや、そもそもが、扱い慣れないボウガン一つで挑んだのが間違いだったのだ。
最初に青年を見つけたのは、木々の隙間を縫って辿りついた木造の建物の前だった。
高床式の造りをした建物で、そこへ昇るための数段の階段の所に腰掛けていた。
青年の傍らに置いてあったのは、一振りの刀。
ボウガンでは心許ないと思っていたティーダは刀剣のたぐいを探していた。そしてさっそく見つけたのが、それだ。
だから、奪い取るには殺すしかないと思った。
殺し合いに乗ると決意したのだから、見つけてからその判断に至るまでは実に早かった。
というよりは、早く誰かを殺さないと、決意がにぶってしまうかもしれない。そんな焦りもあった。
ゆっくり、静かに、できる限り近づいて矢を放ったが、当然ながら見事に矢は的を外れた。
存在を感づかれ、思わず逃げ出したのも一瞬の事で、背後からいきなりの突風に襲われた。
そうなれば、誰だって転倒してしまうというものだ。
下が柔らかい土で落ち葉も手伝って衝撃を和らげてくれたが、しかし追いつかれるには充分な時間だった。
そこからまた一悶着で、倒れたときにどこかへと飛んでいったボウガンは無視し、
素早く新しい矢を取り出して刀を携える相手に向かって素手で投げた。
威力などないが、少なからずの牽制にはなり得る。
けれども相手は何もない場所で刀を振っただけで、見えない壁に阻まれたかのように矢は弾かれて地面へと落とされた。
それと同時に、風で地面に敷き詰められた木の葉が舞い上がり、視界を奪う。
あとはもう呆気にとられて油断したティーダを、青年が素早く抑え込むだけだった。
「…………」
無言でティーダは考える。
身動きはとれない。けれど、ここで終わるわけにはいかない。終わるわけにはいかないのだ。
なんとかしてこの窮地を脱することができないものだろうか。
なにがしかの呪文を使おうにも間違いなく詠唱が阻害されるだろうし、
誰かが現れてこの状況に釘を刺して隙を生んでくれるとも思えない。
「あんたに協力してやる」
ない知恵を絞って考えている最中に、助け船を出したのは障害の原因となっている青年だった。
「……は?」
「そして、あんたは俺に協力しろ」
どういう意味だろう。刀が離れた気配を察し、ティーダは首と視線を最大限に動かして青年の顔を伺った。
よく見れば眉間に傷がある強面の青年は、氷のような表情でティーダを見下ろしている。
「……よく、意味が」
「あんた、たった一人で三十何人だかを殺していくつもりだったのか?」
途方もない数字だ。みなまで言われ、ティーダは改めて思った。
それでも、やらなきゃいけないのだ。
祈り子が夢を見終えた時に、その夢である自分も消える。
でもそんなことはまったく構わなかったのだ。大切な人が生きてくれるならば。
そして願いは叶った。夢である自分は消えたけれど、彼女は生きた。
それで充分だった。
なのに自分は再びここに存在し、生きてほしかった彼女も危機にさらされている。
夢を見ていた祈り子が完全に消えた今、自分はどうしてここにいるのか。
わかるような、わからないような──しかしそんなことは、どうでもよかった。
生きてほしいと思う人に、生き残ってもらう。
ティーダが殺し合いに乗ると決意したのは、そのためだった。
決意しただけで、何も考えていなかった。浅はかだったかもしれない。
「でも、あんただって、そういうつもりだったんだろ?」
ティーダは男に尋ねる。そろそろ押さえ付けられている腕が痺れてきそうだ。
「俺は違う。そんな馬鹿な真似はしない」
如実にティーダのことを貶しているが、今はどうでもよかった。
「なんだよ……もういい、結論だけ言えよ」
「言っただろ」
男は押さえていた力を緩めて、言葉を続ける。
「俺と、協力しろ」
「人を殺すのって、意外と……疲れる」
少女の背中に刀を突き刺したティーダは、その傍らに腰を落として深く息を吐き出していた。
疲れたのは身体か、それとも──心か。
「でも、おまえは殺せた」
ティーダは、近づいてきたスコールを見上げた。悠長に、少女が取り落とした槍を拾い、見物している。
ここに死体があるということなど、なんとも思っていなさそうな雰囲気だった。
「……オレが、殺したんだ」
ティーダはパンネロと呼ばれていた少女へと向き直った。いや、少女だったもの、なのか。
背中に刀と、それから一本の矢を生やした、今は命の宿らないその亡骸を、少女と表現していいのか。
ティーダにはわからなかった。しかし、別にわかる必要などないのかもしれない。
少女はティーダの手によって、少女のような外見をした肉の塊になってしまったのだ。
「ああ。おまえは殺せた」
まるで呆然としているティーダに言い聞かせるように、スコールは言う。
「オレが──」
さくり、とティーダの隣の地面に槍が突き立てられた。
「おまえが持ってろ」
そう言った後にスコールは、片方の手袋を外してポケットに仕舞い、腕まくりをした。
少女のものだった袋を拾い上げ、中身を確認して必要なものだけ自身の袋へと移す。
それから、不要になった袋は刺さった刀と死体の境界へと巻きつけた。
「おい」
目の前で行われているその様子をぼんやりと眺めているだけのティーダに、スコールは視線を向ける。
「血が飛ぶかもしれないぞ」
言われてティーダは慌てて隣の槍を引き抜き、初めて少女の死体から距離をとった。
スコールはゆっくりと刀を抜く。あまり深くは刺していないはずだったが、ずいぶんと時間が掛かったようにティーダは思えた。
根元を押えていた袋と、それを押さえるスコールの素手は、あふれた血で真っ赤に染まっている。
それでも返り血は浴びなかったようだ。
斬らずに刺せと言ったのは、そういうことだったのかとティーダは理解した。
斬れば、ティーダが返り血を浴びていたのだろう。それは、あまり好ましくない。色々と。
「洗うか」
スコールは抜いた刀の先端を眺めて呟いた。ここにも赤色がべったりと張り付いている。
「一度、あの木の家に戻るぞ。汲み水があったはずだ」
スコールに与えられた武器は、無作為にかまいたちを──風の刃を発生させる刀だった。
しかしジャンクションしているガーディアンフォースとの相性がいいのだろうか、それはわからないが、
今のところはスコールの気の込めようで任意にかまいたちを発生させることができている。
先ほどティーダに使わせて、まったく風が起きなかったことでそれが証明された。
しかしその反面、かまいたちを起こすたびに魔力が消費されているのが判る。
これはメリットなのか、それともデメリットなのか──。
それからスコールは、未だ突き刺さったままの矢をどうするか考えたが、まぁいいかと軽く見切りをつけた。
パンネロの言う通り使いまわすのが利口なのかもしれないが、まだ十七本もあるのだ。一本くらい見逃しても支障はない。
とはいえ、ボウガンはパンネロ相手にそうしたように、自分達の腕では至近距離にまで来ないと命中させることは難しい。
今後、威嚇には使っても主砲として使う機会はないだろう。
ティーダに狙われた時の一本、ティーダが投げた一本、パンネロを射た一本、残りの十七本、合わせて全部で二十本あった。
けれど最初のは回収していないし、ティーダが投げたのはかまいたちの衝撃で折れてしまった。
十八本だとキリが悪い気がしたので、十五本だけティーダから拝借してパンネロに接触したのは、なんとなくでしかない。
ティーダの協力を取り付けたスコールは、しばらく散策して、森の中を移動するパンネロの姿を発見した。
見える位置での待機と、合図したら突撃することをティーダには指示し、交換した武器を持って先にスコールが接触した。
もちろん殺すために。
というよりは、ティーダに殺させるために。
だからわざわざ、こんな回りくどい方法をとったのだ。寒気のするような茶番だったが。結果はスコールの予定通り。
ティーダはパンネロを殺した。躊躇を見せながらも、止めを刺した。
なんとなく、スコールには、いざという場面でティーダが躊躇しそうな予感がしていたのだ。
実際、そうだったのだから。いや、あれはパンネロの説得内容に心が揺れたという方が正しそうだが。
とにかく、本当のいざという時にそうさせないためにも、先に、手を汚させておく必要があった。
今、ティーダの肩にはパンネロを殺したという事実が重く圧し掛かっているだろう。
それでいい。あとはもう、引き返せない。
殺し合いに乗せられて人を殺めた事実は今後一切変わらないのだ。
これで、やっぱりやめよう、なんてことを軽々しくは考えないだろう。きっと。
「スコール」
木の家へと移動する途中、黙って後ろをついてきていたティーダは、不意に同行者の名前を呼んだ。
「あの子と、なに話してたんだ?」
「別に。大した話はしてない。知り合いの名前を交換したり、その程度だ」
「言ってただろ、誰も死なずに終わらせられるかもしれないって」
スコールは立ち止まり、顔だけ動かしてティーダへと視線を向けた。ティーダもつられて足を止める。
「みんなで力を合わせてなんとかするらしい」
「なんとかって?」
「なんとかは、なんとかだ」
ティーダは眉間に皺を寄せた。ふざけんな、とでもスコールに言いたげな表情だ。
「そう言ってたんだ。ようするに、何も考えてない。気に留めるだけ無駄だ」
「そっか、うん……そっか。わかった、そうする」
自身を納得させるように何度か頷いた後、ティーダは歩みを再開させた。スコールもそれに倣う。
最初に出会ったのがティーダだったのは、幸運だったのだろう。
スコールも、殺し合いに乗ることを決意した。ここにはいない愛する人の所へと帰るために。
けれども、本当にそれでいのかと、迷いがあったのも事実だ。そこへティーダが現れた。
スコールには自覚がある。
きっと自分は一人じゃなにもできない臆病者だろう、と。だから迷っているのだと。
欲しかったのは協力者ではない、共犯者だ。
決意しておきながらも、人を殺すことは簡単にできることじゃないと、なんとなくわかっていた。
だから、決意を過信させるものが必要だった。
誰かと分け合えば重圧は軽くなる。
──いや、違うな。
スコールは思った。
分け合うんじゃない。お互いが、お互いになすり付け合うんだ。
ティーダはスコールに後押しをされて人を殺した。
スコールはティーダという共犯者がいるという事実によって決意を保てる。
それでいいじゃないか。そういう関係で。
「先は長いな」
最初に降り立った木造の建物──どこかの世界の国では神社と呼ばれているそれが見えた頃、スコールは口を開いた。
「せいぜい、仲良くやっていこう」
呟くように言った。ティーダの方は見ない。どういう顔で今の言葉を聞いたのだろうか。
とある少女を生き残らせようとしているティーダと、とある少女の所へ帰ろうとしているスコール。
似ているようで、まったく違うな、とスコールは思った。
もしその少女とティーダが出会ったら。あるいは出会う前に少女が死んだら。
この一方的な共犯関係は、はたしてどうなってしまうんだろうか。ティーダはその時を考えているのだろうか。
スコールは予想してみるが、絵は何も浮かばなかった。なのでそのことを考えるのを、今はやめることにした。
なんとなく天を仰ぎ、いつのまにか昇っていた太陽に照らされた空が眩しくて目を閉じる。
「仲良くしたら、殺せなくなるかも。あんたのこと」
そう返してきたティーダの台詞は冗談なのか、本気でそんな心配しているのか、スコールには判らなかった。
【パンネロ@FF12 死亡】
【残り35人】
【D-13/建物の前】
【スコール@FF8】
[状態]:正常 片手を腕まくり(素手には血が付着)
[装備]:風切りの刃 G.F.パンデモニウム
[道具]:支給品一式(食料*2人分)、ボウガン、オニオンシャフト*14、サビのカタマリ
第一行動方針:刀と手の血を洗う
基本行動方針:しばらくはティーダと協力して「殺し合い」を進め、最後に生き残る
【ティーダ@FF10】
[状態]:正常
[装備]:アイスランス
[道具]:支給品一式、オニオンシャフト*3、確認済アイテム0〜2
第一行動方針:スコールに従う
基本行動方針:しばらくはスコールと協力して「殺し合い」を進め、最後にユウナを生かす
※パンネロの死体は【C-14/森】に放置
※G.F.パンデモニウムは、スコールの支給品の一枠扱いということで
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