天使の爪痕






初弾はかよこの胸部に当たった。かよこは、自分に何が起こったのかを確認すべくそれを見た。
そこまでだった。
ウージーは、その発射速度の遅さと、前後の重量バランスが良い事から、
フルオート発射の際の扱いは、それほど難しくはなかった。
だから、弾倉に収められていた弾丸のほとんどを命中させる事が出来た。

どれみの目前で、元はかよこの物だった物が散らばっていく。
「手紙」、ガダルカナル探知レーダー、コルト1911A1、ディパック。
そして、血と、肉と、骨。
長門かよこは、糸が切れた操り人形のようにその場に倒れた。血の海に自分も沈んだ。
どれみが慌てて視線を巡らせると、そこには、
今は、だらりと下げた右手にウージーを持ち、左手は脇腹を押さえている、ももこがいた。
その傍には自転車が乗り捨てられていて、上を向いた前輪が空しくも未だに回り続けていた。

ももこは、「倉庫」から自転車を持ち出すと「東」へ向かって漕ぎ続けた。途中からは、立ち昇る煙を目指して。

ももこは、座り続けるどれみに歩み寄った。ウージーが、するり、と右手から離れ、落ちる。
どれみから見ても、ももこが肩で息をしているの分かる。汗も浮かんでいた。
ももこは、どれみと目線を合わせるべく膝を折る。
「…ももちゃん…?」 どれみは、今は、そう言うのがやっとだった。
そんなどれみに、ももこはこう言って微笑んだ。
「『わたしが守ってあげる』って言ったじゃない、どれみちゃん」


眉間を撃ち抜かれたようだ。
「ようだ」というのは、灼熱感のような痛覚をその場所だけに感じ取り、
それ以後は、何一つ考える事が出来なかったから。
だから、玉木麗香は「苦しい」「悲しい」「辛い」「悔しい」「寂しい」「恐ろしい」などといった感情とは無縁でいられた。

それが、彼女にとって「不幸中の幸い」であったかどうかは分からない。


ももこは、そのままどれみに倒れ込んだ。どれみは、ももこの身体を抱きとめる格好になった。
「ももちゃん、大丈…」
どれみは、ももこの背中に回した手の感触に言葉を失った。
血まみれだった。
「ももちゃん!しっかりして、ももちゃん!」
そう声をかけても、ももこからの返事は無かった。

ももこにとって、先ほどの言葉が生ける者への。
そして。
(…ゴメンネ。モンローおばあちゃん… ワタシ、おばあちゃんのいる天国には、行けそうに無いわ)
これが、死せる者への最後の言葉だった。

飛鳥ももこの瞳から涙が「一粒だけ」零れ落ちて、春風どれみの頬も濡らした。


腕時計を持っていれば分かる事なのだろうか?
かよこが手を振る姿を見てから、一体何時間経ったのだろう… いや、本当はそんなには経ってはいない筈だ。
にも関わらず、その事があまりにも遠い出来事のような気がしてならない。
そして、今、どれみはももこの身体を受けとめたまま、時の流れが止まったかのように虚空を見つめていた。

どういう表情をすればいいのか分からない。
様々な感情から一気に解放されたせいで、どれみのこころには穴が開いたようになっていた。
「友達」が死んでいく様を見て悲しい筈なのに、涙が出ない。
死の恐怖から逃れられた事は、喜ぶべき事なのに、嬉しくない。
誰か教えて。
あたしは、この次、どうすればいいのか分からない。

それでも無常に時は流れていて、建物の延焼が広がるにつれて、
どれみのいる所に伝わる熱がかなりのものになりつつあった。
ただ反射的に「この場にはいられない」と思い、ぼんやりと、フラフラと立ち上がり炎を背にする。
視界の先に、人がいた。
苦心の末、目の焦点を合わせて、やっと、誰の事か分かった。
「…ハナちゃん…」

「…どれみ…」
巻機山 花【女子24番】は立ち昇る煙を見てからは、そちらの方に足を向け、祈るような気持ちで走り続けた。
「建物」は既に火に包まれていたが、その手前に春風どれみ【女子21番】の姿を、ようやっと認めることが出来た。
服のあちこちが破れ、すり傷を作り、疲れた表情をしていても、いつもの「春風どれみ」と変わりない事を知った。
理屈ではなく直感で。
走り続けていたせいで足の筋肉が悲鳴をあげているのも忘れて、ハナは再び駆け出した。

「…ハナちゃん…」
涸れていた、と思っていたどれみの涙が溢れ出す。
自分が生き残ってしまった事より、ハナが無事でいてくれた事の方が嬉しい。
どれみも身体の節々の痛みを忘れて、ハナの所へ向かおうと一歩踏み出す。

炎は自らの存在を誇示するかのように、その火の手を四方に伸ばしていた。
瀬川おんぷの亡き骸に。粉々に砕けた家具に。洒落たレースのカーテンに。
そして勝手口の脇にあるプロパンガスのボンベにも、分け隔てなく公平に。

「建物」は閃光と共に、その形を半分ほど失った。

その爆発による風圧は、ハナの肌にも伝わった。まるでもう一つ、太陽が昇ったかのようにも見えた。
どれみの身体が木の葉のように煽られる。

堪らずハナは叫んでいた。
「ママ!!」

――春風どれみが身につけていた髪飾りが、宙に舞うのが見えた。

【女子1番 飛鳥ももこ 死亡】
【女子16番 玉木麗香 死亡】
【女子17番 長門かよこ 死亡】

【残り2人】




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