ふたつの液体
かよこは、血の海に浮かぶ迷彩服を見下ろしていた。
とっさにコルト1911A1を取り出して、
唖然とした表情を見せる顔から、大人故に美空小の生徒より面積の広い胴体にかけて速射する。
弾倉にある7発全てを撃ちこんだ。当て易かった。
だから、呻き声すらあげる事無く、迷彩服は死んだ。
何故、こんな所に迷彩服がいるのだろう? 「首輪」の件で、わたしを捕らえに来たのだろうか?
それにしては行動が不自然なような気がする。所持しているライフルは肩から下げたままだった。今も。
尋ね様が無いから、判る事も無いだろう。
プログラム管理側は、これを「事故」として認めてくれるだろうか?
自分達が、生徒達に「殺傷能力のある武器」を渡して「島」に放ったのだから、今、「この島」は危険なのは当然の事で、
そんな所を暢気に出歩いている、この迷彩服に非があるのではないか?
ともあれ、プログラム管理側に怪しまれない内に、事を進めた方がいいだろう。出来るだけ、早くに。
それにしても。
改めて、かよこは、自分が手にしているコルト1911A1と、肩から下げているイングラムM11を交互に見直した。
大の大人ですら、自分が放った弾丸の前には一溜まりもない事に満足していた。
かよこにとって大人とは、根拠の無い希望を吹聴し、死ぬ事より辛い絶望を植え付ける存在でしかなかった。
逃れたくとも、その大きな図体で山のように立ち塞がっては、酷薄な日常に、かよこを送りこもうとする。
そもそも、世の中は不公平に出来ている。
頭の良い者。口先が、それだけが達者な者。要領よく大人や先生に取り入る者。etc…
それら「自分さえ良ければいい」と考えているような人間と、
学校、そしてクラスという名の檻に一緒くたに収めて「仲良くしなさい」と押し付けるというのが、最初から間違っている。
それに比べれば、この「ゲーム」は公平に出来ている。
クラスでは誰も(どれみちゃん以外は)手を差し伸べてくれなかったわたしが、真っ先に「ゲームの敗者」にならないように、
イングラムM11を与え、コルト1911A1を手にする機会を与えてくれたのだから…
イングラムM11は、引き金を軽く(本当に、軽い)引くだけで、
弾倉にある36発の9×17(単位ミリ)口径の弾丸を毎分1000発の速度で吐き出す。まさしく「弾丸のシャワー」
コルト1911A1は、当たれば、先の迷彩服にも実証したように、大人ですらたやすく殺せる
.45ACP弾(単位インチ ミリ換算にして11.43ミリ)が使える拳銃だった。
かよこは、弾が無くなった為に、拳銃上部の「スライド」と呼ばれる部分が後ろに下がりきっている
(即ち「ホールドオープン状態の」)コルト1911A1に、
新たな――7発の.45ACP弾が収めてある――弾倉を、その銃把に滑り込ませると、
右手の親指で、引き金の真上に位置するスライドストップを押し下げた。
スライドは勢い良く前に戻り、同時に薬室に弾丸を送りこんだ。
コルト1911A1は命を吹き返したかのように、鈍く光を反射する。
かよこの口元は、自然と綻んでいた。
おんぷは自分が「賭け」に勝った事を知った。
倉庫のシャッターを跳ね上げると、中に望んでいた物――より早く移動する為の乗り物――があった。
軽トラックではあったが、オートマ仕様で鍵までついているのだから、不満は何一つない。
(ひょっとしたら、これも「ゲームのアイテム」かもしれない。しかし、事情は関係ない。
使える物は何でも使うつもりでいた。「目的」を果たす為ならば)
運転席に飛びつき、ディバックを助手席に。ブローニングHPとその弾倉は、ディバックの上に置いておく。
鍵を捻ってエンジン始動。
両のペダルを適当に踏んでいるとギアが入ったので、おんぷはアクセルペダルを踏み込んだ。
軽トラックは動きだす。後ろに。
倉庫の壁に激しく当たり、壁面にあった棚から物が崩れ落ちたりする音が、倉庫内に反響する。
「何やってるのよ!」
とは自分に向けた言葉なのか、軽トラックに向けた言葉なのか、今一つはっきりしない。
改めて、ギアをドライブに入れて(それを目視で確認してから)再びアクセルペダルを踏み込んだ。
四隅のタイヤは、不承不承の意志を自らの軋む音に表しながらも、軽トラックを前進させた。
走り去っていく軽トラック。
ももこは唖然とそれを眺めながらも、自分も何か乗り物を見つけて追随しよう、と思った。
とにかく、じっとはしていられない気分だった。
だから、ハナと玉木の方を振り向いて、こう言おうとした。
「ハナちゃん!、玉木さん!、ここでじっとしていてね」
だが、最後の方は玉木の発する悲鳴にも似た声にかき消された。
「嫌ですわ!私を一人にしないで!」
かよこは、ようやっと「建物」がある「区域」に足を踏み入れた。
観光地としてそれなりに整備されていたらしく、道は平坦になり歩きやすく、
これまでのような雑草が伸び放題という雰囲気は無かった。
ところどころに、華やかな花が咲いていて(植えてある、のかもしれない)
風の「匂い」もこの辺が海が近いがために、潮の香りを感じるようになった。
目指すべき方向は高台になっている為、かよこは僅かに上を向いて歩く事になる。
空が突き抜けるように、蒼い。
かよこは(もしかしたら始めて)気付いた。
『世界がこんなにも美しいことに』
そのまま眠ってしまったようだ。どれみは、ゆっくりとその身を起こすと辺りを見まわした。
やっぱり、自分一人きりだった。
時刻は、日の高さや、日差しの強さからして、もう朝とはいえない時間帯だろう。
これからどうしよう…と思っても、実際何をしていいか分からない。、と言うより、何もする気になれない。
自分は、何かをすればするほど裏目に出る性分なのではないか、と悲観していた。
だから、暫くこの場所が「禁止区域」にはならない事をいい事に、このまま「待ちつづけていよう」と思った。
どれみは、特に期待もせずに、もう一度窓の外に目をやった。
弾薬も入っているディバックの重さに、少し辟易した。走りにくい事この上ない。
折角目にした「建物」(レーダーによれば「首輪」の反応、有り!)が中々近づいてこないので、少しイライラする。
それでも、どれみちゃんに会える喜びの方が勝っていた。だから、息を弾ませて走り続けた。
二階の窓辺に人影が見えた、ような気がする。
既に明るくなっているので、手だけを振ることにした。
「どれみちゃん! わたし、どれみちゃんに会いにきたよ!」
「玉木さん!落ちついて!銃をしまって!」
玉木は震える手でニューナンブを握り締め、その銃口をハナに向けていた。
「また、私一人、残していくなんて事させませんわ。
巻機山さんの足を撃ち抜きます。そうすれば、あなたはここから離れられないでしょう?」
ハナには玉木の言っている事が理解出来なかった。
ただ「つい先ほどまでの玉木麗香」では無い事だけは分かる。
声は震え、顔は青白くなり、手にしている「物」は一瞬たりとも、動きが止む事は無い。
ももこがしきりに「落ちついて」とか「ここは大丈夫だから」と話かけても、
玉木は金切り声をあげながら、激しく頭(かぶり)を振るだけだった。
…それが止んだ。
玉木の声が、一段低くなる。
「…冗談で言っているのではありませんわ…」
玉木の右手の親指が、予てからの約束を果たすかのように、激鉄に触れ、それを起こした。
軽い、それでいて少しくぐもった金属音が、はっきりとももこの耳に届き、
シリンダーの回る様子が、ももこからは「肉眼では見えづらいのに」脳裏には、はっきりと浮かんだ。
それは「最善の行動」ではなかったかもしれない。
先の銃声で、やはり、少なからず興奮状態に陥っていたからなのかもしれない。
ももこは、ウージーを右手だけで持って玉木に向けた。
「玉木さん、お願い、銃を下ろして。ハナちゃんは関係ないでしょ?」
何やら動いている。挙げられた手。手を振っている。「建物」に向かって手を振っている人の後ろ姿。
おんぷはその髪型で、その人が「長門かよこ」だと直ぐ分かった。
その先の「建物」が「どれみが待っている建物」であろう事も。
(「あの手紙」を見たのね?)
かよこについて書いた事を見られた(かもしれない)事はではなく、「手紙を見られた事自体」に憤りを覚えた。
おんぷは、その感情をアクセルペダルにぶつけた。
ハナにはふたりが手にしている「物」が何をするた為の物なのか、よく分からなかった。
ただのその色と形からして、MAHO堂で扱っている色とりどりの雑貨と違って、
持っていても、楽しくなったり、ウキウキ、ワクワクとした気持ちになる物ではない事だけは、判る。
むしろ、この張り詰めた空気の元凶で、ふたりは「これ」に突き動かされているようにも見えた。
どうすれば、この事態を解決できるのだろう。
何か喋らなきゃ、と思ってみても、険しい表情のままでいるふたりを交互に見ているだけで、
頭の中が真っ白になってしまって、上手く喋られそうに無い。それが悔しくて瞳が潤む。
そして、やっとの事で口に出来た言葉は、まるで遠い過去の出来事を語っているかのようだった。
「どうしたの? ももと玉木は仲良しさんじゃなかったの?」
どれみの頭の中の靄が一気に晴れる。
窓の外から見下ろす先に人が、長門かよこがいた。
何やら服がくすんで見えるが、丸二日以上野道を歩き回っていれば、そうもなる。
自分も似たようなものだ。
「かよちゃんも、あの手紙に気がついてくれたんだ!」
窓を開けて声を掛けようと思ったが、立てつけが悪いのか、窓が開かない。
諦めて、外に出るべく寝室から駆け出す。入り口にある段差につまづいて転んだ。
「総天然色に彩られた感動の対面のシーン」には似つかわしくない、無粋な音が聞こえる。
かよこは、その音の原因を知るべく首だけを音のする方向に向けた。
軽トラックが近づいてくる。
訝りながら、イングラムM11に手を伸ばす。
(プログラム管理側の手の者かな…?)
どのみち撃つにしても、遠過ぎれば当たらない。イングラムM11は「狙いを定めて撃つ」類の銃では無い。
そうして、運転席にいる人の姿を見た時――神様を、改めて呪った。
――瀬川おんぷ――
何度、家で枕を濡らしたことだろう。
もっと早くに、どれみちゃんと出会いたかった。
わたしが、どれみちゃんのいる「3年2組」に編入されていたならば!
…その日、美空小の3年に転入した生徒が、わたしの外にもう一人いた。
既にチャイドルとして名を馳せていた、瀬川おんぷ。彼女が「3年2組」に編入された。
もう充分にテレビでも学校でも人気者なのに、剰え、どれみちゃんと同じクラスだなんて…
かよこは、軽トラックに、瀬川おんぷに向けてイングラムM11の引き金を引いた。
(限界かもしれない…)
ももこはそう思った。とりあえず、片腕だけでウージーを持つのは間違いだった。
腕が痺れてくる。銃口を下ろすか、もう片方の手を添えるか。
そのどちらも、玉木の表情を見る限りは出来そうもない。
玉木は、ニューナンブと視線を、交互に忙しなく、ハナとももこ(もしくはウージー)に向けていた。
会話はやはり噛み合わず、空気は粘性を増したかのように肌に纏わりつく。
そして、ハナが、この場に耐えかねて、少しづつ後ずさりしているのが見えた。
それは玉木も承知しているようだった。玉木の動きが。止まる。腕の震えまでも。
だから、ももこが出来た事は、
ウージーのセレクターを親指で操作して、射撃モードをセミオート発射に切り替えて、
ハナに、こう声をかける事だけだった。
「ハナちゃん!ワタシに構わず走って!」
銃弾は、フロントガラスを粉々にし、軽トラックの外板を紙のように撃ち抜いた。
それでも軽トラックはそのまま直進し、かよこの横を通り過ぎようとする。
その助手席側の横腹に、かよこは残りの弾丸を叩きこむ。
その時には既におんぷは、ブローニングHPを持って運転席から飛び降りていた。
幾度と無く横転する。草が衣服に纏わりついた。
軽トラックは、主(あるじ)を失っても前進しつづけ「建物」に激しく衝突する。
その衝撃が原因なのか、それとも、先ほどイングラムM11から銃撃を受けエンジンに被弾したのが理由なのか。
軽トラックは突如として燃え出した。
かよこは、驚きのあまり暫く立ち尽くしていた。おんぷは、かよこすら意に介さず「建物」の入り口に取りついた。
滑るように入り口に入り、ドアを閉め、後ろ手で鍵を掛ける。
外から聞こえる銃声に身を硬くした。
耳をすまして恐る恐る二階の廊下を歩いていると、何かがぶつかったのか「建物」が揺れた。
ちょうど階下に下りるべく階段に足を伸ばしていた時の事で、驚いて足を滑らせ危うく転げ落ちるところだった。
(一体何が起こっているの? かよこちゃんは?)
そう思いながら入り口に目を向けると(何故か)瀬川おんぷが立っていた。
「おん…ぷちゃん?いつの間に来たの?かよこ――」
「どれみちゃん!早くここから逃げて!」
どれみは先ほどの銃声を思い出す。おんぷや自分の命を狙っている人が近くにいるのだろうか?
では、かよこも危険に晒されているのでは?
「じゃあ、かよこちゃんも一緒に――」
激しくドアを叩く音。室内のふたりは、その方向に視線を向けた。
ドアノブの付近に銃弾が撃ち込まれ、そのドアを蹴破る「侵入者」が現れる。
「それ」が「長門かよこ【女子17番】」である事を理解するのに、どれみは幾らかの時間を要した。
つい、さっき、こちらに手を振っていた人物と同じとは、一瞬では思えなかった。
衣服の汚れは、どす黒く変色した返り血にしか見えなかったし、
その瞳は、獲物を見つけた肉食獣のようにらんらんと怪しい光を放っている。
なにより驚かされるのが、人に銃を向けることに何の躊躇も無かった事だ。
もっとも、それに関してはおんぷも同様で、いつの間にかにドアから距離をとっていて
かよこよりも、むしろ早くに、かよこに向けて銃を整然と両手で構えていた。
その「画」はどれみから見て俯瞰の構図になっていて、奇妙に現実感に乏しい。
しかし、その直後の、部屋に充満する銃声の反響音と硝煙の臭いが、どれみを現実世界に引き摺り戻した。
かよこは悲鳴をあげながらうずくまった。床にイングラムM11が落ちている。
かよこがおんぷに向かって放った銃弾は、発射の反動を御しきれなかった為に右側にそれ、
おんぷが放った銃弾は、かよこの右手を穿っていた。
おんぷは緊張と興奮をなだめるように肩で息をしながら、日本語とも人語とも思えない悲鳴をあげ続けるかよこを見ていた。
この場にどれみがいなければ、その白い首筋に銃弾を撃ち込んでいたかもしれない。
どれみが階段を降りてくる。「…おんぷちゃん…?」
その横顔は、おんぷが胸の内に何か決意を秘めている時に見せる表情で、
そんな時のおんぷは、多少の事は聞き入れない事をどれみは肌で知っていた。
「どれみちゃん。早くここから逃げて」
同じ言葉。異なる口調。
おんぷは、どれみの方に僅かに頭を傾けて「ハナちゃんは無事だから」と言った。
その表情(だけ)は、やわらかく静かな、いつものおんぷの笑顔だった。
「え?」
突然、その名前が出た事情を諒解してないどれみの戸惑う表情を横目にして、
おんぷはかよこにブローニングHPを向けたまま歩み寄る。
イングラムM11を取り上げ、動けなくなるように足あたりを撃つつもりだった。
忘れていた。かよこも、もう一丁、銃を所持していた事を。
あまりにもイングラムM11の印象が強烈だったので、失念していたのだ。
突如として、かよこがその上半身を起こす。左手には横倒しのコルト1911A1。
息を飲んだその瞬間、かよこと目が会った。口元は涎で汚れていたが、その目は、笑っていた。
長門かよこは、コルト1911A1の引き金を引いた。
ももこの険しい表情と口調に押されるように、ハナはとにかく駆け出した。
背後で大きな音が、あの嫌な音が、銃声が響いた。ほとんど一発のように聞こえた。
振りかえる気にはなれない。恐しくて。あの場所も、あのふたりも。
どうして、「ここ」はこんなにも恐ろしい事が起こるのだろう?今までと何が違うのだろう?
――どれみは、恐い人になっていないよね? いつものどれみに会えるよね?
今、自分がどういう姿勢をとっているのか、を判断するのにしばらく時間を要した。
おんぷは、後頭部と背中の感触と、投げ出されている自らの四肢を見て、
自分は今「壁にもたれ掛かっている」んだ、と思った。
視界には、どれみの泣いている姿も入っていた。こぼれ落ちる涙に、陽光が反射して不自然なまでに美しい。
くちびるが動いているから、何か喋っているのだろうが、何故か聞こえない。
自分も何か言葉を返そうとしたが、血が喉に詰まっていて、咳き込んでしまった。
身体の痛覚が薄れつつあるのにも関わらず「胸が痛い」
それは、自分が、又、「どれみを悲しませるような事をしてしまった」事への後悔だった。
おんぷは、今度は直ぐに謝ろう、そう思った。今の自分になら出来る、と。
しかし、瀬川おんぷは又しても、どれみに謝る機会を失った。――永遠に。
かよこは、どれみのとった行動が信じられなかった。
どれみは、おんぷの身体から流れ出た血溜まりを気にもせずに、おんぷの傍に座りこんで泣いていたからだ。
かよこには、なぜ、どれみが「おんぷの死を悲しむのか分からない」
おんぷを「仕留めた」事に満足しながら、立ち上がったのも束の間、
視界から色が抜け落ち、気を失って倒れてしまいそうな気分になった。
おんぷは、どれみちゃんの悪口を言ったのに。
自分はどれみちゃんを助けるために、おんぷや他の生徒を殺してきたのに。
なぜ、生きているわたし、ではなく、死んだおんぷの所に駆け寄るの?
やっぱり、わたしより、MAHO堂とかで連んでいる既に死んでしまった「親友」とやらの方がいいの?
――涙が、流れる。
結局、どれみちゃんも、本当はわたしが嫌いだったんだ… どれみちゃんの… ウソツキ…
長門かよこは滲んで見える春風どれみの方へコルト1911A1を向けて、引き金を引いた。
【女子14番 瀬川おんぷ 死亡】
【残り5人】
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