無題
灯台の宿直室に足を踏み入れた林野まさと【男子29番】は、嗅ぎ慣れた『臭い』を嗅ぎとった。
──死と血の臭い…
ざっと見廻して、その発生源は4つ。
うなだれている物。血溜りの中で仰向けになっている物。
頭部を撃ち抜かれている物。首から血を流し目を剥いて倒れている物。
一瞬、先の自分が実行したように、誰かがここに罠をかけて殺したのだろう、と思ったが、
死体の様子からして、そうではないような気がしていた。
特に「うなだれている物」に外傷が見当たらないのが気になる。
それに近寄って、軽く蹴ってみる。…動いた。『それ』自体が。
『それ』は宮本まさはる【男子23番】だった。驚きの表情を林野に向ける。
「…なんだ。林野君か…」そんな事を言った。
林野は、内心、少なからず驚いていたが、それをおくびにも出さずに、
宮本を見下ろしたまま、こう言った。
「…これは、君が殺ったのかい?」と。
信子を死に至らしめたのは自分だったから、宮本は押し黙るしかなかった。
その沈黙を「質問内容の肯定」と受け取った林野は、部屋の中を歩きながら話を続けた。
「君もなかなかヤるねぇ… 見直したよ。君のような人はどこかに隠れて震えているか、
早々に「ゲームオーバー」になっているかと思っていたんだが…
意外だったな。僕と同じような事をしていたなんて…」
「…?『同じような事』? どういう意味だい?」
「ここに誘い込んで殺した、って意味なんだが…違うのかい?」
「……君は…『誘い込んで殺した』のかい? クラスメイトを…」
「ああ、僕が勝利者になる為の『尊い犠牲』になってもらったよ?」
「…林野君…君は…それでも「6年1組の委員長」か?」
その宮本の言葉には、明らかに怒気が含まれていた。
「…委員長、というか…」苦笑しながら続ける。
「僕のように『優れた者』が勝利者となるのは、当然の事だと思うけど?
菊地君に中島君。小山さんと和田さん。萩原君も誰かに止めを刺されたようだね。
それに工藤さんに、長谷部君。浜田さんや万田さんも時間の問題だろう…
長門さんも、協力してくれたしね。僕は彼らの尊い犠牲を一生忘れないよ!」
言葉とは裏腹に、真意は明らかに死者への冒涜だった。
口元が醜く歪むのを、宮本は見逃していない。
「…僕が殺してしまったのは、横川さんだけだ」
そう言ったものの、信子の亡骸には目を向けられない宮本。
「同じだよ。要は自分だけが生き残りたいって事だろ?実際そうなっているじゃないか」
大げさに両手を広げてみせる林野。
「違う…僕はみんなと助かりたかったんだ…!」
「…だからさ…、その結果がこの有り様なんだろう?」
二人の間に緊張が満ちてくる。
宮本の右手は拳銃(SIGザウエル・P225)を握り直していた。
林野の視線も既にそこに注がれている。林野はさらにゆっくりと喋った。
「…僕は…ほかの人と違って…自分の手を汚すような真似は…あまりしたくないんだけどね!」
林野の隠し持っていた拳銃が唸りをあげた。
宮本まさはる【男子23番】は自分の不利を実感していた。
林野から距離をとるべく後ろに下がった先が、灯台に至る階段だったからだ。
これでは逃げるに逃げられない。
『上』に逃げて退路を自ら狭める気は無い。
対して林野は奥の調理場に陣取り、入り口脇にあった本棚や食器棚を引き倒して、
自らのバリケードとしていた。
また、今になって気付いたがどうも自分の拳銃は装弾数が少ない部類のようだった。
確かマガジンには8発しか入らない筈だ。
最初に弾を込めていた時には「そういう物」だと思っていた宮本だった。
しかし、この撃ち合いが始まって、既に二度マガジンを交換しているのに対し、
林野の方は、それらしい様子を未だに見うけられない。
…マガジンは無限にある訳では、無い。
様子を見ようと顔を覗かせた間近の壁に、林野が放った弾が当たる。
宮本は慌てて顔を引き戻した。
(一体あの銃には何発入ってるんだ!)
林野まさと【男子29番】は呟いていた。
「我ながら無様な事をしているなぁ…」と。
『銃撃戦』と聞くと聞こえはいいかもしれないが、実際にやっている事は、
お互い、バリケードや壁から覗いている顔や手に撃ち込んでいるだけなのだから。
(命を賭けた『もぐら叩き』って訳か) そう、自嘲した。
…二度ほど、宮本からの攻撃が中断している間に軽く乾いた音がしたのを、
林野の耳が捕らえていた。
(…マガジンを捨てた音か?)
そういえば自分は未だに交換していない。しかも予備のマガジンはまだ持っている。
…林野は自分は優勢だと思った。
今、始めて弾が無くなった。スライドが後ろに下がったままになる。
余裕の面持ちでマガジンを交換する。
改めて自分の拳銃(スチェッキン)を見た時、セレクターが示す先が3つある事に気付いた。
(確か、この拳銃は連射が出来る筈だ)
頭の片隅にはあったものの、弾の無駄使いだと思っていたので気にしなかったのだ。
林野は『その機能』を使ってみたい誘惑にかられた。セレクターを動かす。
…あえて攻撃を中断する。いつか、痺れを切らして姿を見せる筈だ。
(…その時が、君の最期だよ、宮本君…)
林野は、自分が『勝利者』にまた一歩近づいた事を確信していた。
銃声が止んだ。
宮本にとっては、むしろこの静寂の方が耳に痛い。
(…ここにいても状況は好転しそうにない…どうする?)
林野は反動を考慮して両手で拳銃を握る。
((マガジンの中の)全弾叩きこんであげるよ…さあ…出てこい…!)
宮本は決断を下した。
林野は、壁の間から宮本の全身が現れるまで待ってから引き金を引く。
撃鉄が落ち、初弾が放たれた──だけだった。
発射の反動とは異なる、鈍い金属音と軽い衝撃。
(なんだ? …弾づまりだって!?)
宮本は駆け出していた。
(先ずここから外に出る! 後の事はそれからだ!)
先ほど「頭」が通った所に銃弾が飛んだような気がしたが、思考の外に追いやった。
当たらなければ痛くない。
林野が隠れているバリケードに撃ち込みながら走る。「出口」が近づいてきた。
予想外の事態だった。機械が正常に作動しないとは何事だ!
宮本がバリケードに弾を撃ち込んでくる。
(…こっちに来る? いや、ここから逃げる気か?)
左手はスライドを強引に前後させていた。まだ、弾が外れない。
左目で宮本を、右目で手元を見ているような感じだ。
林野はパニックに陥っていた。この場で宮本を倒す事しか頭に無かった。
…弾が外れたようだ。スライドが正位置に戻る。
「ふ ざ け る な !」
林野の感情に同調したかのように、拳銃は残りの弾丸の全てを吐き出す。
ほとんどは、宿直室の壁に穴を開けたに過ぎなかった。
しかし、最後の一発だけが宮本の左肩に命中した。
宮本は「出口」まで2メートルという所で、バランスを崩して転んでしまう。
落としてしまった拳銃は、林野に蹴られて宿直室西側の壁まで、床を滑っていった。
林野は「出口」と宮本の間に割り込む。
未だに、空になった拳銃の引き金を引いているのに気付いてマガジンを交換する。
信用出来なくなったので、セレクターは元に戻した。
「冷たいなぁ、宮本君。仲良くしようじゃないか、同じ委員長どうしだろ?」
その返答は、怒りのこもった宮本の視線だった。
「おそとに出て、お友達と仲良くと遊ぼうとでも思ったのかい?…みんな死んでるよ!」
そう言うと林野は、宮本を猛然と蹴り始めた。
「こんな所まで来て『みんなと助かりたかった』だなんて委員長かぜ、吹かしてるんじゃない!
生き残れるのは『一人』だけ、というルールを知らない訳じゃあないだろう!
『これ(プログラム)』で人を殺しても罪には問われない。
それでなくとも、自分が生き残る為に、他人を殺して何が悪い!?
君だって思った事があるだろう! 『他人を押し退けて一番になってみたい!』と!
違うか!!?」
最後の一撃は宮本の肋骨を折っていた。
激しく咳き込みながら宮本は、テーブルの脇へと転がる。
それを見て林野は、幾分冷静──いや冷酷さを取り戻していた。額の汗をぬぐう。
「…僕とした事が、野蛮な事をしてしまった… 未だ人間として未成熟という事か。
僕は生きて帰る。帰ってみせる。両親の期待に応える為に。
だから…『宮本まさはる』君…君の事も一生忘れないであげるよ…」
林野は宮本の頭部に拳銃を向けた。
銃門と銃星の向こうの宮本の顔に笑顔が浮かぶ。
林野も微笑を返していた。
林野は気付いていなかった。激しく蹴られながらも、宮本が『ここに』転がって来た事に。
そこはかつて、渡部みちあき【男子30番】が座っていた所…
そして、平野いちろう【男子20番】が「僕には必要のないものだから…」と
宮本に預けた『武器』が隠してある所だった。
(力を貸してくれ! 渡部君!平野君!)
宮本は、先ず椅子の後ろにあるワイヤーを引っ張った。
渡部が巧妙に張り巡らせたワイヤーが、宿直室入り口隅に隠してあったクレイモアを作動させる。
もっとも、「爆発力が指向性」だ、勘違いしていたので入り口そのものが吹き飛んでしまった。
宿直室内は、爆音と埃に包まれる。それは、慢心していた林野を動揺させるのに充分だった。
埃が、壁が崩れた事によって入りこんでくる風によって晴れてくる中、林野が次に目にした物は、
──鉄パイプの先端、に見えた。
…たとえ林野が、平時に「それ」を見たとしても、鉄パイプに拳銃同様の握り手がついている物、
としか見えなかったろう…
『アーウェン・エース』と呼ばれるグレネードランチャーの引き金を宮本は、渾身の力を込めて引き絞った。
放たれた弾頭──AR5(軍用の殺傷能力を持つ炸裂弾)──は、4メートルほど直進すると、
着弾直前まで『林野まさと【男子29番】』と呼ばれていた肉体を巻きこんで爆発した。
* *
宿直室の壁が崩れたせいで、朝日が大きく見える。
宮本は拳銃を手にしながら、壁にもたれかかってそれを眺めていた。
先ほどの爆発で、鼓膜が未だに痺れていて音がよく聞こえないだけに、その光景は際立って美しく見えた。
「…きれいだなあ…」
そう、らしくなく凡庸に呟いた後で宮本まさはる【男子23番】は、銃口を口の中に押し込んで引き金を引いた。
SIGザウエル・P225は持ち主の望みどうりに作動した。
──その光景を、最期の光景としたかったから。
【男子29番・林野まさと 死亡】
【男子23番・宮本まさはる 死亡】
【残り6人】
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