無題
陽がだいぶ傾いてきた。木々の切れ間から遠くに見える雲が薄く
オレンジ色に染まっている。
もうすぐ陽が沈むだろう。
太陽を見るのはこれが最後になる。
先ほどの丸山みほ【女子26番】と万田じゅんじ【男子21番】との
戦闘での負傷は、岡島小太郎【男子5番】にそう思わせるのに充
分なものであった。
火炎瓶による火傷は、広範囲に渡って小太郎の身体に灼爛の痕
を刻みつけ、機関銃の銃弾は、右肩と右大腿にめり込んで弾痕を
形成した。
しかし、幸いなことにどちらも即座にゲームオーバーになるほどの
ものではなかったが、それでも致命傷になることに変わりはない。
血はずいぶん流れた。
意識が朦朧としてくる。
ほんの少しあの世への片道切符の発券が遅れただけである。
そんな状況の中、小太郎は唯一の持ち物となった抜き身の日本刀
を杖代わりにして、
既に禁止区域だらけになった森を抜け出すべく、這うようなスピード
でじりじりと進んでいた。
命が尽きるそのときまで、絶望から逃げるように。
飛鳥ももこ【女子1番】と瀬川おんぷ【女子14番】、玉木麗香【女子16番】
の三人が巻機山花【女子24番】と遭遇することができたのは、僥
倖と言って良かった。
足を骨折している玉木を気遣って、なるべく平坦なルートを選んで
進行していたため、ハナを発見することができたからだ。
春風どれみ【女子21番】の手紙に記されていた建物に向かう最短
ルートを通っていたら、このようにはならなかっただろう。
それが約1時間前。
今はかなり陽が傾いていて、樹木の切れ間に立っても地図が見づらい。
夜が更ける前にどれみの待つ建物に到着したかったが、移動速度
を上げることはできない。
今晩は木々に囲まれて過ごすしかないだろう。
とはいえ、明日のことを考えるともう少し距離を詰めておきたい。
ケガをしている玉木と見た目にも疲弊の色が濃いハナには、もう少
し頑張って貰うことにして山道を進んだ。
先頭はウージーを構えたももこで、間に玉木とハナ、後ろをおんぷ
が警戒しながらの行軍である。
最も警戒しているのは当然、長門かよこ【女子17番】であった。
いつ、どこからあのとき聞いたイングラムの連射音が響いてくるか
と考えると、自然と口数は自然と少なくなっていた。
「ねぇー、ももこー、ハナちゃん疲れちゃったよぉ」
沈黙と、それが生み出す粘つく空気を嫌ってだろうか、ハナが唐
突に沈黙を破って言葉を発する。
「疲れているのは巻機山さんだけじゃありませんのよ」
玉木がももこよりも早くハナに言ったが、その後にも言葉を続ける。
「でも、ケガ人に無理をさせるのは考え物ではありませんこと?」
結局は自分ももう歩きたくないということだ。
「ゴメンねー、もうちょっとだから」
ももこは振り向いて、努めて明るく答える。
おんぷは無言で片手にブローニングHPをぶら下げたまま、俯き
気味に一点を見つめている。
そんなおんぷを見て、ももこはすぐに声をかけた。
「ねえ、オンプチャン」
「なあに、ももちゃん」
ももこに声をかけられたおんぷは、素早く普段の自分を演じてみせた。
こういうところでも普段の習慣が出てしまうものだ。
「どうしようか、ハナちゃんにも玉木さんにも無理させられないし」
「そうね、今日はなるべく早く休んで、明日に備えた方がいい
かもしれないわね」
「それじゃあ、決まりですわね」
二人の会話にいち早く反応したのも玉木だった。
「玉木さんは元気みたいだけど、ハナちゃんが疲れているみたいだし」
その言葉を受けて、わざと棘のある口調でおんぷは言った。
この状況では致し方ないが、おんぷはかなりナーバスになっていた。
特に、ハナと合流してからは、自分と行動していること、それだけ
でハナを危険に晒しているような気がして、どうしても神経質にな
らざるを得なかった。
忌々しいデスゲームに参加させられたことは、これ以上ないほど
の不運で不幸なことだ。
しかし、そんな中でもハナが汚れないままでいてくれたことは、
おんぷにとって救いであり希望だった。
ハナにはできるだけ汚れないままでいて欲しい、世の中の嫌な部
分を見せたくない。
きっと、どれみもももこもあいこも同じ考えだろう。もちろん、既に逝
ってしまったはづきも・・・。
そう思うと、おんぷにはただでさえ手応えのあるブローニングが、
一層重たく感じられた。
乾パンはまだ残っていたが、ハナがひとくち食べて「まずいー」とい
う感想を述べただけで、他には誰も手を付けなかった。
結局、夕食は水(それもほんの数口)だけである。
その後もハナがいろいろと話しかけていたが、ももこに抱きかかえ
られるようにされると安心したのか、すぐに眠ってしまった。
今は誰も口を開かない。
玉木もブツブツと文句を言っていたようだが、今は松葉杖を抱いて
項垂れるようにして座っている。
もしかしたら眠ってしまったのかもしれない。
そんな状況をおんぷはぼんやりと眺めていたがその前に、と思い
立って立ち上がった。
正確な時刻はわからないが、数メートル離れたら人の区別もつか
ないくらいに陽が沈んでいる。
もう30分もしたら辺りは暗闇に包まれるだろう。
「ももちゃん、ちょっとお願いね」
「え、どうしたの?」
ももこの胸の辺りにハナが頭を乗せて眠っているため、首だけを動
かして言った。
それに対しておんぷは、「ん、ちょっとね」とだけ言い、ちょっとはに
かんだ表情を作ってみせる。
「あー、おトイレね」
「もうっ、はっきり言わないでよ」
「ゴメンゴメン、でも気をつけてね」
その言葉には、ただブローニングを構えて笑顔を作って見せた。
おんぷは森の奥へ向かって入っていき手早く用をすませる。
それは何度経験しても屈辱的なことであったが、甘んじて受け入れた。
用をすませると、少しだけ一人になりたかったので、改めて周囲に
人がいないことを確認して更に一人森の奥に入った。
辺りを闇が支配するには、まだ少し時間がある。
空気に藍色の靄がかかったかのような感じだ。
そこに木々の黒いシルエットが浮かび上がっている。
天を仰ぎ見る。
そこにも枝葉のシルエット。
おんぷは一度深呼吸をした。
しかし、頭にかかった靄は晴れることはない。
心のもやもやはなおさらだ。
そして、頭の中を色々なことがぐるぐると駆けめぐって、それを一層
濃くしていた。
ダメよ、しっかりしないと。
強く頭を振って、無理矢理自分を現実に引き戻した。
そこでおんぷは突然、背中を疾るぞくりという感覚を覚えた。
精神が現実に引き戻されたことにより、急に敏感になったおんぷの
感覚が殺気を捉えたためだ。
その原因となる方角を向く。
木々とは違うシルエットがゆっくりとだが、確実にこちらに近づいている。
方角からして、ももこでもハナでも玉木でもないのは確実。
こちらの存在には気付いているに違いない。
この距離で攻撃してこないと言うことは、銃器の類を持っていないか、
敵意がないということ。
しかしおんぷの左手は、銃を持った右手にゆっくりと添えられた。
引き金には当然指がかかり、構えてはいないものの、いつでも撃てる状態だ。
「誰?」
おんぷの声が靄を揺らした。
小太郎の意識は既に朦朧としていた。
数メートル先に誰かがいるのはかろうじてわかったが、誰なの
かはわからない。
声をかけられたようだが、何を言われたのか、誰の声なのかも
既にわからなくなっていた。
ただ、その影が飛鳥ももこであることを祈って、既に鉛のようになっ
ている足を前に出す。
今はただの杖と化した日本刀を握る力もなくなってきた。
「誰なの?ケガをしているの?」
小太郎にもう一度声がかけられた。
今度は、何とか耳に届いたが、しかしそれは死刑宣告に等しかった。
声の主が瀬川おんぷであることがわかったからだ。
飛鳥さん・・じゃ・・・ない・・・。
小太郎は絶望を感じたが、すぐに自らに課した使命を思い出す。
飛鳥さん以外は・・・、殺す・・・・・。
小太郎に残されたものは、既にももこ以外への殺意だけであった。
体力も気力も尽きている。
ただ、殺意だけで刀を振り上げた。
しかし、刀は何も切り裂くことはできなかった。
その前に破裂音が空気を切り裂き、強力なエネルギーを伴った
弾丸が身体を貫く。
小太郎は、吹っ飛ぶようにして後ろに倒れ込んだ。
その身体には、もはや一片の殺意も、生きる力も残されていなかった。
ただ、永遠に辿り着けない距離だけが残った。
おんぷは銃を撃ったときの姿勢のままで固まっていた。
刀を振り上げたから撃った。
指に力を加える直前に相手が誰かということに気付いたが、引き
金を引くことは止められなかった。
いや、止めなかった、のかもしれない。
相手はまともに攻撃することはできなかったかもしれないが、止め
なかった。
それはもう、どうでもいいこと。
一人が死に、残りが勝者となる確率が上がったという、ただそれ
だけのこと。
感情は押し殺した。
「オンプチャン!」
ももこの声が聞こえた。銃声を聞いて駆け付けたのだろう。
おんぷはすぐにももこの方へ走った。
ももこが姿勢を低くして走ってくる。手にはウージーを携えていた。
「大丈夫、何でもないわ。ちょっと驚いて引き金を引いちゃっただけ
だから。たぶん野良猫か何かよ」
「そ、そう・・・?」
「うん、大丈夫だから。それよりもハナちゃんを一人にしちゃだめよ」
そう言って、おんぷはももこを回れ右させて背中を押した。
おんぷはももこの背中を押しながら、それに隠れるようにしながら泣いた。
もう、演技はできなかった。
【男子5番 岡島小太郎 死亡】
【残り8人】
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