父娘再び
その瞬間は唐突だった。
妹尾あいこ【女子15番】は喉に灼熱感を覚え、次いで何か生温かい物が胸元を
濡らして行くのを感じた。まるで、アゴの下に温泉でも沸いたかの様だ。
アホやな。林野君のアゴやったら掘り甲斐もあるやろうけど。
余りにも場違いな考えに苦笑すら浮かぶ。じきに歪む。
襲ってきた痛みに声を張り上げようとするが、喉からはヒー、ともピー、とも
つかない音が出てくるだけだ。
はあ、これが虎落笛(もがりぶえ)っちう奴か──って、アタシいらん事ばかり
覚えとるわ。ホンマ、自分でも呆れるわ。
昔っからそうやった。
女の子らしゅう「虫っ子ゲジタン」だの「魔界のアイドル・クリーミーララ」
だの見とれば親も安心する所を、やれ「ウルティマン」だ「覚悟完了戦士」だ
挙句の果てには「無免ライダー」の再放送だと妙に歯切れのええ物ばかり好ん
で見とったから、世間様からは女の子らしゅうない、と思われとったなぁ。
幼稚園と一緒に卒業したけどな。
せやからこっちに来て間もない時、何や歯切れの悪いはづきちゃんにはえろう
辛く当たった事もあった。今やったら遠慮や思い遣りの心の裏返しやと判っと
るけど。もしもあの世言う物があったら、はづきちゃんに謝らなあかんな。
ん?あの世?
困ったなぁ。謝る相手、ようさんおるわ。
志乃ちゃん。助けられんでゴメンな。
まりなちゃん。助けて貰うてゴメンな。
高木君。…まあ、ゴメンな。
伊集院さん。よう知らんけどゴメンな。
まきちゃん。勝手に恨んでゴメンな。
じゅんじ君。そんな体でコキ使うてゴメンな。
ようこちゃん。キツイ事言うてゴメンな。
信ちゃん。あんまし話聞いてあげられへんでゴメンな。
みほちゃん。無茶言うて、色々引っ張り回して、辛い思いまでさせてゴメンな。
みんな…ゴメンな。
黒味掛かった風景が上昇したかと思うと、急に転回する。
力無く膝を着いた刹那、ぺしゃりと仰向けに転んだのだ。
闇の支配しつつある空に、月が満天の笑みを湛えて浮かんでいた。
何や、眠うなって来たわ…
気がつくとベンチに座っていた。背もたれに広告看板が据え付けられた奴だ。
目前に案内板。
バスの停留所か、と思ったが「タクシー」としっかり書かれている。
服がすっかり綺麗になっている。一日半の間、銃を担いで島中を駆けずり回り、
埃と泥と硝煙と人血で汚れていた筈なのに。
そおかー、アタシ死んでもうたんやね。
ま、しゃあないな。
男作れんかったのが唯一の心残り、なんて小学生の考える事あらへんっちうに!
はづきちゃんやようこちゃんみたいに近場で間に合わせんのもアリやな(オヒオヒ)
で、こないな所に何が…
国産車のタクシーが音も無く近づいて来る。天井の行灯は…玉木自動車!
なにわナンバーを着けてはいるが、紛れも無い玉木自動車のタクシーだ。
それがあいこの手前にきっちり止まる。
「おとう…ちゃん?」
反対側のドアを開けて姿を現したのは、真新しい制服に身を包んだ妹尾幸治──
あいこの父親だった。
「あいこ、迎えに来たで」
「迎え、って何処に」
あかん、野暮な質問やったわ。
そんなあいこに幸治は優しく微笑む。
「今度玉木さんが大阪にも営業所開く言う話になってな、地元の道路に詳しい
ワイが先乗りする事んなったんや。あ、そうや」
幸治が手前のドアを開けると、助手席からあいこの歳と身長を半分にした様な
子供がちょこんと飛び出した。
「おとうちゃんなぁ、おかあちゃんと仲直りする事にしたんや。で、大阪から
わざわざ寄越してな」
デニムのオーヴァオールがあいこに抱きつく。あいこはその頭を猛牛軍の野球
帽越しに撫でてやった。
「おかあちゃんは遅れる言うてたから、ワイら3人だけで先に行こか」
いつのまにか運転席に戻っていた幸治が自動ドアを操作した。
後戻りが効かない事を本能的に悟って少し躊躇するが、腰の辺りに感じる柔ら
かい温もりを後部座席へ行く様に促し、自らも乗り込んだ。
「おとうちゃん、いつでもええよ」
「ほな行こか!」
ドアが閉まり、タクシーは光の道を走り出した。
何処までも…
何処までも────
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