無題






マンダリン銃の弾は完全に使い切った。
ショットガンの残弾数も、あとニ・三回も撃てば、文字通りの打ち止めだ。

港湾近くにある無人の小さな商店街を並んで歩きながら、
最後に残った同行者である丸山みほ【女子26番】は、ずっと黙ったままだった。
万田じゅんじの事を考えているのかもしれない、
と妹尾あいこ【女子15番】は思った。
あるいは、さっきの放送で死亡が通知された、
横川信子の事でも考えているのかもしれない。

あいこはどれみたちの事を考えた。
今、自分がMAHO堂のメンバーを探して行動しているのと同じく、
おそらく他の四人も自分や他のメンバーを探しているのだろう。
既に死んでしまった藤原はづきも、そうだったのに違いない。

しかし、みんなが集まったからといって何が出来るのだろうか?
結局、五人抱き合ったままで死ねるぐらいの事が、関の山ではないのか。

あるいは、まだ出来ることがあるのかもしれない。
自分が今でもみんなを探し続けているのは、
その「出来ること」をやるためではないのか。
そして、ハナを除いた他の三人もまた、
同じ事を考えているのではないかという確信があった。

そこまで考えた時、
目の前の飲食店のドアに吊るしてある「CLOSE」のボードに気付いて、
あいこはぎょっとして立ち止まった。
MAHO堂の店先にあるボードと、まったく同じデザインだったからだ。

「妹尾さん?」
訝しむ丸山みほの声を無視して、あいこはボードの前に近付いた。
よく見るとボードは稚拙な作りで、明らかに素人の手によるものだった。
この店の持ち主だった人間が、偶然に同じ形の看板を作ったのだろうか?

あいこは看板を引っ繰り返してみた。

看板の裏面では「OPEN」の文字の代わりに、
MAHO堂製のデザイン封筒が、まっさらなコルク面の上に貼り付けてあった。
封筒の表にはどれみの字で、
「MAHO堂のみんなへ」とだけ書かれていた。

あいこは封筒の中から、同じくMAHO堂製のイラスト便箋を抜き出した。
便箋の上にもまた、どれみの丸っこい文字が並んでいた。


  これを読んでるってことは、あなたが生きてるってことだよね。
  ひとりぼっちになっちゃったけど、あたしもまだ生きてるよ。

  でも、みんなどんどん死んじゃうし、
  (あたしには、はづきちゃんが死んだってことがまだ信じられない)
  おんぷちゃんたちと会うはずだった展望台には、時間どおりに戻れなくて、
  そこにケガした玉木をおきざりにして、展望台は禁止区域になっちゃったし。
  (さっきの放送に玉木の名前がはいってなくて、心のそこからほっとしてる。
   玉木を助けてくれた人、誰かはしらないけどありがとう)

  もう、あたしにはどうしたらいいのかわからないよ?

  ここから東へいった海岸の近くに、大きな建物があるらしいので、
  あたしはそこを目指すことにします。
  そして、みんなだけが気づきそうなこの場所に、
  この手紙をかくしておくことにします。
  もしこの手紙を見つけることができたなら、
  その建物まで来てください。あたしはみんなをそこで待ってます。

  建物の近くまで来たら夜まで待って、
  ペンライトを三回点めつさせて合図してください。
  あたしの方からも同じ合図をかえして、むかえにいきます。

  あたし、はやくみんなに会いたい。

                              春風どれみ

  P.S.
   この手紙を読みおわった人は、
   もとの場所へもどしておいてください。
   他のみんなが、見つけられるように。


便箋の下にステンシル印刷されたイラストの部分には、
本文とは別の筆跡で、別の文章が書き加えられていた。


  今、これを読んでるのはあいちゃんかしら? それともハナちゃん?

  どれみちゃんの手紙を見つけたので、
  余白に私からの連絡も書いておきます。

  玉木さんは無事です。私達が助け出しました。
  今は、私とももちゃんと玉木さんの三人で行動しています。
  私達もどれみちゃんの後を追うつもりです。

  あと、かよこちゃんには気をつけて!
  今のかよこちゃんはとても危険です。

                   永遠にあなたの友なる 瀬川おんぷ


そして最後に残った一行分のスペースに、同じペンを使って筆記体の英文。


  I'll see you soon and return home together. --Momoko


「妹尾さん」
読み終えた手紙を、あいこが元の場所に戻そうとした時、
丸山みほが今度は怯えたような声を上げた。

振り向くと、手紙で警告されたばかりの長門かよこ【女子17番】が、
今まさに、通りの向こうからやって来るところだった。
長門かよこは右手に持ったイングラムの銃口をこちらに向け、
左手には小さな液晶テレビのような装置を持っていた。

あいこは手紙をそっとポケットの中に仕舞い込んだ。

あいこの持っているショットガンには、弾丸が装填されていない。
今かよこの目の前でポンピングを行ったら、彼女はどんな行動に出るだろうか?
それを試すだけの勇気はなかった。

かよこはイングラムの狙いをあいこに付けたまま歩み寄ると、
ガダルカナル探知レーダーを自分のポケットに突っ込み、空いた片手を突き出した。
「手紙を見せて」
「手紙? 手紙なんかあらへんよ」
「嘘。ポケットに入れるのが見えたわ」
あいこはポケットの中の手紙を押さえた。
「これは、かよこちゃんには関係ないもんや」
「その看板の辺りでごそごそやってたみたいね、何があるの?」
かよこは看板の裏に貼り付いたままの封筒を眺めた。
「……これはどれみちゃんの字ね。
 ふうん、『MAHO堂のみんなへ』か。
 わたしは『みんな』の中には入ってないんだね。
 いつもこうやって、わたしだけを仲間外れにしてるんだね」

あいこがまだ射殺されずにいたのは、どれみの手紙が血で汚されるのを、
かよこが嫌っていたからに過ぎなかった。

「手紙、見せて」

二度目の催促に、あいこは黙ってポケットの中の手紙を差し出した。

そして、かよこが手紙を受け取ろうとした瞬間を逃さず、
ショットガンの銃床をかよこの喉元に叩き付けた。

かよこのガダルカナル探知レーダーがポケットから飛び出し、
地面を転がった。

あいこがかよこを押し倒すのと同時に、
狙いの外れたイングラムの発射音が周囲に響き渡った。
あいこの左の太腿に、棍棒でぶん殴られたような衝撃が走った。

首輪が邪魔になって、決定的なダメージは与えられなかった。
しかし、今はそれでも構わない。
あいこはかよこに馬乗りになったまま、
ショットガンをかよこの首に押し付け続けた。
かよこが取り落としたイングラムに手を伸ばそうとしたら、
頭ががら空きになる。
すかさず銃床で殴りつけて昏倒させてしまえばいい。
かよこが銃に手を伸ばさずにショットガンを押し返し続けるようなら、
窒息で失神するまで体重を掛け続けるだけだ。

実際には、かよこはそのどちらもやらなかった。
その代わりに、あいこの太腿に手を伸ばし、
出来立てほやほやの傷口に、ぐいと指をねじり込んだのだ。

神経をほじくり返される激痛に、あいこはショットガンを取り落とした。
すかさずかよこはあいこの体の下から逃れ去り、
イングラムの銃口をあいこの顔面に向けた。
だが、引き金を引く寸前に横からぶつけられた鉄塊のため狙いを外し、
今度は体にかすりすらしなかった。
みほが咄嗟にマンダリン銃を投げ付けたのだ。

「逃げよ! みほちゃん!」
かよこが持っていたモニターのような装置を拾い上げながら、
あいこは叫んだ。ショットガンを拾う余裕は、もうない。

背後から聞こえるイングラムの発射音に全身の毛を総毛立たせながら、
あいこは必死に走り続けた。
みほとは逆方向に逃げてしまったのに気付いたが、今はその方が好都合だ。
かよこがどちらを追い掛けるべきか迷って、
二人ともうまい具合に逃げられるかもしれない。

あるいはどちらかが殺されることで、一人が助かるかもしれない。

建物の間の路地を縫って、山の方へ逃げ込みながら、
あいこはかよこの持っていたガダルカナル探知レーダーを横目で睨み続けた。
その装置が生存者の位置を表示するモニターらしきものであるという事は、
漠然と見当が付いた。
すると、今画面の端に表示されている二つの光点の内、
逃げている光点がみほ、追いかけている光点がかよこということなのだろうか。
そしてその二つの光点は、危険な程に近付き過ぎていた。

逃げている光点の移動速度が、突然ガクンと落ちた。
何が起こったのかと考えをめぐらす暇もなく、
みほの逃げ去った方角から響いてきたイングラムの連射音が、
その理由を簡潔に告げる。
続いてもう一度聞こえてきたイングラムの連射音で、
みほを表わす光点の動きが、完全に止まった。
今や、二つの光点はほとんど重なった。
あいこは心の中で悲鳴を上げ続けた。

あかん、あかん、やめて、かよこちゃん。

最後に聞こえてきたのは、コルトの発射音だった。
その音が響いてからしばらくの後、
もう動くことのない光点から、かよこを表わす光点が離れた。

間接的に知らされたみほの死に衝撃を受けながらも、
走り続ける足の苦痛は、もう絶え難いほどになっていた。

あかん、もう走られへん!
山の麓にある林の中まで駆け続けて、あいこはついにしゃがみ込んだ。

動脈を傷付けてしまったらしく、
太腿の傷口からは、まだ血が溢れ続けている。
あいこはシャツの裾を引き裂いて、
太腿の付け根をきつく縛った。

血は止まったが、左足は痺れてしまって感覚がない。
レーダーがあるとはいえ、この状態で逃げ切ることが出来るかどうか不安だ。
かよこの位置を確認するため、レーダーに再び目を落とし、
あいこは思わず目を見開いた。自分のすぐ傍に光点が迫っている。
いつの間に、こんなに近付かれたのだろうか?

ショットガンはもうない。

あいこが覚悟を決めた時、前方の藪を掻き分けて光点の主が姿を現わした。

「あいこ、あいこなの?」

「ハナちゃん!」
妹尾あいこの目の前に現われたのは、巻機山ハナ【女子24番】だった。
この二日間をどうやって生き延びていたのか、
服は木の枝で引っ掛けてぼろぼろになり、柔らかい髪もくしゃくしゃになっていた。
さっきまで泣き続けていたらしく、目には涙の跡があった。

よく見れば長門かよこの光点は、あいこを探しあぐねて、
今だ画面の端をうろうろしているところだった。

「ハナちゃん……良かった、無事やったんやね」
「みんながハナちゃんのこと、助けてくれたから」
ハナがしゃくりあげながら答えた。
「でも、ハナちゃんを助けてくれた人たち、
 みんな、死んじゃった」

また泣き始めてしまったハナに慰めの言葉を掛けながら、
あいこは絶望のどん底に叩き落されていた。

あの手紙をどこかに落として来てしまった!

かよこはあの手紙を見つけるだろうか?
あの手紙を読んでどう思うだろうか?
そして、手紙を読んだ後にどうするだろうか?

自分の失策が、玉木を含めた四人の命を危険に晒しているのだ。

「あいこも、死ぬの?」
あいこの苦悩も知らず、ハナが涙声で問いかける。
「死なへんよ、ちょっと足ケガしただけやもん」
泣いているハナをなだめながら、
あいこはガダルカナル探知レーダーに目を落とした。
ハナと自分の現在位置を表わす画面中央部に向かって、
かよこを表わす光点が、ゆっくりとではあるが着実に迫りつつあった。

あいこはハナの両肩に手を置いた。

「あのな、ハナちゃん。
 いっぺんしか言わへんからよう聞いてな」
あいこの言葉を一言も聞き洩らすまいと、ハナは力強く頷いた。
「ここから向こうの方へまっすぐ、
 なにがあってもまっすぐ、走っていくんや。
 走ってる内に、大きな建物が見えてくる。
 そこに、どれみちゃんがおる。
 建物の前まで来たら、このペンライトを三回光らせて、じっと待っとき。
 そしたら後は、どれみちゃんがなんとかしてくれるから、
 どれみちゃんと一緒に行き」
「あいこは?」
「あたしは、まだやらなあかんことがあるから。
 ……それでな、その後もハナちゃんとは、
 しばらく会われへんかもしれへん」
「しばらくってどれくらい? 一週間?」
ハナが涙ぐみながら尋ねる。
「どれくらいになるかはわからへん。
 そやけどな、ハナちゃん、
 ハナちゃんがいい子にしとったら、
 あたし、必ず会いに行くから。約束する。
 そやから、それまでどれみちゃんのゆうことちゃんと聞いて、
 いい子にして待っとるんやで」
そこまで喋ると、あいこはハナの肩を優しく叩いた。
「さ、はよ行き、ハナちゃん。もう時間があらへんわ」

あいこに促されて、ハナは立ちあがった。
「わかった! あいこも早くハナちゃんに会いにきてね!」

走り去っていくハナの後姿を見ながら、
自分の母親も同じことを考えていたのだろうかと、
あいこは思った。

ゴメンな、ハナちゃん。
あたし、最低の母親やわ。
結局、あんたになんもしてあげられへんかったもん。

地面に点々と散らばる血痕を追跡しながら、
長門かよこ【女子17番】もまた、自分の失策を激しく責め続けていた。

妹尾あいこ【女子15番】を取り逃してしまった。
代わりに丸山みほを仕留められたとはいえ、
手に入ったのは、ほとんど残弾のないショットガンと、
弾の切れたマンダリン銃。
貴重なイングラムの残弾をあれだけばら撒いた事を考えれば、
どう計算しても割りに合わない取り引きだった。

そしてガダルカナル探知レーダー!
あれは春風どれみを探し出すのに必要な物だ。
何があっても絶対に取り戻さなければならない。

その時、前方の木々が作る闇の中から、
ハーモニカの音色が流れて来た。

反射的にイングラムの銃口を向けたものの、
相手の位置は木立に邪魔されてよく見えない。
イングラムを構えたまま近寄ると、
ハーモニカを吹いていた相手はそのまま後退した。
そして、さっきと同じぐらいの位置まで離れると、
再びハーモニカを吹き始めた。

ハーモニカを吹いているのは妹尾あいこだろう。
しかし、何のために?

ハーモニカの音色が流れてくる方向への注意を怠らぬよう用心しつつ、
かよこは手元の地図を確認した。
今、自分は桝目で区切られた境界線のすぐ傍にいる。
そして自分がいる区域は、残り数分で禁止区域になる。
どうやら妹尾あいこは、
このまま隣にある安全区域へ移動しようとしているようだ。

潮風の匂いが強くなりつつあった。
その間も、かよこから付かず離れずの位置を保ちながら、
あいこは依然としてハーモニカを吹き続けている。

自分がどこかへ誘導されているらしい事に、かよこは気付いていた。
しかし、誘導しているあいこの側も、
大きなリスクを背負っているという事実に、かよこは気付いていた。
こちらの位置が正確に解るという有利な立場にありながら、
誘導などというまわりくどい手段しか取れないという事は、
相手が、もはやまともな武器を持っていないという証拠に他ならない。
おまけに相手は手負いの身なのだ。
自分はただ慎重に追跡すれば、それでいい。
地面に張られた針金や、不自然な草むらには足を近付けるまい。

安全区域まで、数メートル。
唐突に視界が開けた。

目の前では、妹尾あいこがハーモニカを吹き続けている。
そしてその先は、海岸に面した絶壁だった。

目の前には安全区域が広がっていた。

しかし、そちらへ逃げれば首を吹き飛ばされずに済む代わりに、
十数メートル下の岩場で頭を叩き割ることになる。
今来た道を別の安全区域まで戻ろうとすれば、残り数分足らずで、
足場の悪い山道を最低でも三百メートル以上縦断する必要がある。
自分が逃げ場のない罠に首まではまり込んでしまった事に気付き、
かよこは愕然とした。

二人の首輪に仕込まれたLEDが、規則的な電子音と共に発光し始めた。

長門かよこ【女子17番】は一瞬の間、茫然と立ち竦んでから、
身を翻して林の中へ駆け戻っていった。

走り去るかよこの背中に向かって、妹尾あいこ【女子15番】は心の中で首を振った。
あかん、あかんて、かよこちゃん。
今から逃げても間に合わへんて。
なんのために、あたしがここまで来たと思とるん?

もう自分に出来る事は、すべてやり終えた。
だから、後はこのままハーモニカを吹き続けるだけだ。
これが自分と長門かよこの、レクイエムになるのだから。

曲目はお気に入りの『埴生の宿』。
原曲は“Home, Sweet Home”。どちらも望郷の歌だ。

あいこはハーモニカを吹きながら、ふと思った。
ハナちゃん、無事にどれみちゃんと会えるやろか?
あの置き書きにもあったけど、
おんぷちゃんやももちゃんも一緒なんやったら、心強いねんけど。

首輪の警告音が爆発三十秒前を告げる。
あいこはハーモニカを吹き続けた。

ああ、そや。
あたしも手紙残しといたら良かった。
お父ちゃんにお母ちゃんと仲直りしてください、て書いて、
ハナちゃんに渡しとけば。

Home, Home,
Sweet, Sweet home.
愛しき我が家へ。

曲の最後に差し掛かった時に、
首輪の発信音が、爆発が五秒後に迫ったことを知らせた。
演奏の終りと、自分の最期を同時に迎えられるという偶然は、
あいこにささやかな満足感を与えてくれた。

There's no place like home.
かけがえのない我がふるさと。

お父ちゃん、さいなら。

最後の一音を吹き終えた時、喉元で首輪が爆発した。


長門かよこ【女子17番】は、崖っぷちに生えた野生のブナの木を、
血走った目で見上げていた。

ブナの枝は崖の上に向かって大きく張り出されており、
その先端が辛うじて禁止区域からはみ出しているように見える。

迷ったり考え込んだりしている時間はない。
かよこは枝を目指して、すぐさま木の幹を攀じ登り始めた。

大丈夫、どれみちゃんがわたしを見守ってくれている。
きっと、どれみちゃんが助けてくれる。

目的の枝まで辿り着く前に、
警告音が残り三十秒を表わすハイテンポに変わった。
恐怖で掌に汗がにじんできた。

枝を這い進む内に、崖の上に差しかかった。

すがりついている枝の下には、目も眩むような景色が広がっている。
さして太くない枝は這い進むにつれてぎしぎしとしなり、
危うく手を滑らせそうになった。
この高さから崖の下まで落ちれば、確実に死ぬ。
いや、落ちたのが崖の上であっても、死ぬのに変わりはない。
もう枝まで登り直す時間は残されていないのだから。

どれみちゃん、助けて。
お願い、わたしをここから助け出して。

かよこは泣きながら祈り続けた。

枝の先端を目指して這い進み、そこまで進んで警告音が止まった場合、
その後どうするのかという事は考えもしなかった。
今は、生き延びようという努力を続けることが重要だった。

そして、枝の先端まで這い進んでも警告音は止まらなかった。

そもそも止まる訳がなかった。

崖の上に張り出した枝の長さはせいぜいニメートル足らずで、
かよこが安全区域に入るために進まねばならない距離に比べれば、
ニメートルの距離などは焼け石に水なのだ。

かよこは枝に頬を擦りつけてすすり泣いた。

いや! いや! 死にたくなんかない!
せっかく生きているのが楽しくなりかけてたところだったのに、
なんでこんなところで死ななくちゃいけないの?

爆発まで五秒を切った。

かよこは自分の上半身を、前方の虚空に精一杯突き出した。
その十数センチの距離が、劇的な何かをもたらしてくれる事を期待して。

もちろん、警告音は止まらなかった。

もはや進める場所も、取れる行動も、何一つ残っていなかった。
かよこに出来るのは、泣き叫ぶ事だけだった。

「どれみちゃん! わたしを助けて!
 もう一度、わたしを助け出して!
 どれみちゃん! どれみちゃん! どれみちゃん!」

最後まで叫び終わらない内に、首輪のタイマーが時間切れを告げ、
同時に爆発音が聞こえた。

爆発音の後にも意識があったのが、かよこには驚きだった。
これから波のように苦痛が押し寄せてきて、
あの恐ろしい死がやってくるのだろうか。

枝の上にうずくまって震え続けながら、
自分の首が吹き飛ばされていない事に気付くまで、長い時間が掛かった。

首輪のLEDは光りっぱなしになり、
電子音は一定の高さのまま鳴りっぱなしになっていた。
ぼんやりと枝に掴まっている内に、また手を滑らせて落ちそうになった。
かよこはのろのろと後向きに這い戻り、
進んだ時の十倍以上の時間を掛けて、ブナの根元へ滑り降りた。
さっきの場所では、妹尾あいこ【女子15番】が草の上に仰向けになっていた。

喉笛がざっくりと抉られたように無くなってしまっていること、
微かに開いた両目から涙が零れ落ちている事を除けば、
死に顔は安らかで、無心に空を見つめているように見える。

傍らには、主の亡骸に寄り添うようにして、
爆風を受けて歪んだハーモニカが転がっていた。

あいこの足元に落ちていたガダルカナル探知レーダーを取り上げ、
かよこは画面を覗き込んだ。中央にマークが一つ表示されている。
妹尾あいこの首輪は既に破壊されてしまっている。
という事は、このマークが自分である事に間違いはない。
ならば、なぜ首輪が爆発しないのだろう?
あるいは自分はとっくに死んでしまって、夢を見ているのかもしれない。

もし、夢ではないのだとしたら――

首輪の起爆装置が壊れたのだとしか考えられなかった。

かよこは、先程あいこに首元を銃床で思いきり打ち据えられた時の事を、
ぼんやりと思い出していた。
あれは、首輪が誤爆するのではないかと一瞬ヒヤリとした程の衝撃だった。

しかし、この首輪が壊れるなどという出来事が、現実に起こり得るのだろうか?
不発を防ぐためにニ系統の違った回路により同時に起爆され、
暴発よりも、むしろ不発を防ぐことを念頭に置いて設計されているという、
このガダルカナル2号が。

これからどうなるのだろう?
力ずくでルールを遵守させるべく、防衛軍人がおっとり刀で駆け付けて来るのだろうか?
でも、自分はゲーム開始以来、プログラムに従うべく最善の努力を続けて来た。
今回の過ちだって、言うならば不可抗力――プログラム実行委員会側のミスなのだ。
そして、これからもプログラムに従うべく努力を続ければ、
一回のルール違反ぐらいは見逃してくれるのではないだろうか?

これは奇跡なんだ、とかよこは思った。

わたしとどれみちゃんの友情が、奇跡を起こしたんだ。
これで、わたしとどれみちゃんの二人が生き残ることが出来るんだ。

この人は。
あいこの死体を蔑みの目で見下ろしながら、かよこは思った。
この人は生き残ろうとしなかったんだ。だから死んだ。
自分は違う。
自分は生き残ろうとした。だから生き残れた。

かよこはあいこのハーモニカの上で足を振り上げると、
そのまま勢い良くハーモニカを踏み潰した。
何度も何度もその動作を繰り返す内に、
ハーモニカはぺしゃんこの金属の塊になった。

そして、ポケットから皺くちゃになった手紙を取り出すと、
何度も何度も読み返した。
どれみちゃん、どれみちゃんもわたしに会いたがってるんだね。

その手紙にはどれみ以外の人間の文章も書かれていた。
もうその部分は必要ないので、手紙から破り取ってある。

どれみちゃん。どれみちゃんを騙そうとしている、悪い人がいるんだね。
大丈夫、今度はわたしがどれみちゃんを助けてあげるから。

かよこは手紙を、大事にディバッグの中に仕舞い込んだ。

さあ、行こう。
どれみちゃんがわたしを待ってる。


【女子15番・妹尾あいこ 死亡】
【女子26番・丸山みほ 死亡】
【残り9人】




前話   目次   次話