陽はまた昇る
正に天地無用。
肩が、くるぶしが、脇腹が、膝が何か硬い物にぶつかる度そこが悲鳴を上げる。
転がり方も一定ではない。クイズ番組で正解が3問以下の罰ゲーム。
止めとばかりに倒木の幹で脳天を強打する。
分単位の時間が経過したかと思われる程だった。
万田ようこ【女子27番】がかつて通って来た道に投げ出された時、実の所時計
の秒針が一周するかしないかだったのだが。
なお、起き上がるまでに秒針はもう一周する必要があった。
朦朧とした意識の中、ようこは自分の転落した場所を見上げた。そこには既に
林野まさと【男子29番】の姿はなかった。と同時に、よくもあんなところから
落ちて生きていられたなと関心する。
立ち上がるや否や、体のあちこちから鈍痛を知らせる信号が神経を走った。
息苦しさに絶えられなくなったようこは潰れた鼻の穴に指をこじ入れ、そこを
無理やり引き起こした。軟骨と砕けた骨が激痛と共に不協和音を奏でる。
「く…は、あッ!」
鼻腔と口腔から生暖かく粘性のある液体が溢れ、手と胸元を汚して行く。
呼吸を整えると、次は持ち物を確認する。
歩兵銃は大きくひしゃげていた。仕方ないので銃剣を外してベルトに挿す。
デイバッグから黒光りする拳銃を取り出し、これもポケットへねじ込む。
これで、よし。早くしないと、林野くんが、来る。
覚束無い足取りのまま、ようこはその場を去った。行く宛てなど無かった。
数分後、薄暗がりからようやく拳銃を回収した林野まさとがそこを通った時、
残っていたのは壊れた銃と血痕だけだった。
まさとは呆れると同時に感心した。
万田さんのしぶとさには全く関心させられるよ。ああ持久力や耐久力に関して
女性の方が優れているっていうのは一般論だったな。
だが…この出血では長くなはいだろう。
まさとはようこが残したのであろう夥しい血の痕を見下ろした。確かに相当の
出血量だが、専門知識に乏しいまさとにはそれが致命傷には縁遠い鼻出血だと
判らなかった。
とは言え、実際のようこの容態はまさとが想像した通りだったのだが。
ま、君には何かと教えられたよ。
仲良しクラブじゃプログラムで優勝出来ないのは確かだ。
でも実の所、プログラムに生き残ったとしても、元の生活には戻れないんだ。
そこを取り違えた人達のなんと多い事か!
本当の意味でプログラムによる非可逆的変化を理解していたのは万田さんだけ。
長門さん──長門かよこ【女子17番】も、今一つ判っていない節があった。
まあ、その願いはささやかな物に違いないだろうが。
僕はここで死んでくれたみんなの為、何かを成し遂げる義務を負うつもりだ。
親と同じ医学の道に進むのも良いだろう。又はプログラム優勝者としての実績
で官僚になり、政府の要職に上り詰めてこんな莫迦げた行事を廃止するという
のもいいかも知れない。
夜郎自大な感慨に耽る間も無く、まさとは西の空を見た。腕時計に目を落とす。
午後6時の放送が近い。陽が落ちる前に灯台へ着けるだろうか?
今や水平線に触れんととする太陽。
海風に誘われ、高台を登り切ったようこが海岸へ続く緩やかな草原で見た物。
放送は上の空で聞いた。
弟の──万田じゅんじ【男子21番】の名前があった。他は頭に入らなかった。
林野まさとに文字通り蹴落とされてからという物、頭の中に漬物石でも入って
いるのではないかと思われるほどの頭痛と倦怠感に悩まされていたからだ。
腰には結果的にじゅんじを死に至らしめた大型の輪胴式拳銃。手に余る銃把。
これを撃ったという伊集院さちこ【女子3番】はどうやったんだろう?
南の空から何かが飛んで来た。間違いなく専守防衛軍が飛ばした物だろうが、
それにしては速度が遅く、軍用機に在りがちな無骨さに乏しいのだ。ようこが
作って飛ばしていた模型飛行機に近い。模型然とした所まで似ている。
そういえばともやくん、どうしてるのかなあ。
うわあ、ヒコーキがとんでる。
あの「秘密基地」で見た宮前空【男子22番】の人力飛行機。それに似た機影を
何となく追っている内に、巻機山花【女子24番】は草原へとさまよい出た。
そこには花が良く知っている人物らしき人影があった。が、少し違和感がある。
「じゅんじ!」
「えっ」
あれえ、こえがちがう。じゅんじだとおもったのになあ。
「えーと、巻機山…ハナちゃん?」
酷さを増す頭の重さに耐え、ようこは自分を弟と取り違えた少女に問い掛けた。
「ちーす」
花は純然たる笑みを浮かべると敬礼の真似事をした。ようこも会釈で応える。
「あたしは万田ようこ」
「まんだようこ…じゃあ、じゅんじのおねえさんなんだ」
「そうよ。よろしくね、ハナちゃん」
「うん!あれ、ヒコーキどこぉ?」
ああ、あれか。そう思ったようこが夕日に映える飛行機を指差して見せると、
花は目を輝かせて見入った。
「ねえ、ハナちゃん。秘密基地の飛行機の事、教えてくれる?」
「ひみつきち」
腕組みのままうーんとうなる花。妙に難しい表情がかえって滑稽だ。
「じゅんちゃんが、じゅんじがね、ハナちゃんに教えてもらえって」
半ばすがる様にようこが懇願する。花はそんなようこをじっと見つめ、判った、
とばかりに自分の胸をぽんっと叩いた。
もう誰も訪れる事の無いであろう秘密基地。
「6年1組ハンサム連合・名誉会員2号」の肩書きを与えられた花は、在りし
日の様子を生き生きと語っていた。宮前の飛行機について色々と話を聞く内に、
ようこは何時か手直しに行かなきゃ、と一瞬考え、すぐに打ち消した。
気が付くと太陽は半ば没し、辺りが赤く染まっていた。
ようこの頭痛は相変わらずで、むしろ意識を保つのが難しくなっていた。
疲れた。休もう。
「ねえ、ハナちゃん…なんだかあたし、眠くなって来たわ」
そう言うとようこはデイバッグを枕に横になった。花は飛び去ろうとする飛行機
と仰臥したようこを交互に見比べ、前者を追う事にした。
ようこ、つかれてるんだね。
「ハナちゃんヒコーキ見て来る」
「じゃあね」
「またくるからねっ!」
元気の良過ぎる返事を残し、花は草原を駆け下りた。
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日没で飛行機──専守防衛軍がプログラム監視用に貸与した無人機──が見え
なくなると、花はようこが眠っているはずの草原へ戻ろうとした。だが、その
周囲には突撃銃を持った防衛軍の兵士達がピケットラインを張って封鎖してお
り、その向こうでは何だか得体の知れない乗り物が上に載せた竹とんぼの様な
物を不気味な音で立てつつ回転させていた。
なんだかこわい。
それを察知したのか、少し年長の女性──第1副担任が兵士達の間を割って花
の元へとやって来た。
「女子24番・巻機山、ハナちゃんね」
「うん、ハナちゃんだよ…ねえ、ようこは?」
半べそで口を尖がらせた花に、第1副担任は困った様な表情でこう言った。
「えーと、万田ようこさんはプログラムから脱落しました」
だつらく。ようこ、しんじゃったの?
その時、不気味な音がやや大きくなり、乗り物がまだ星の少ない夜空へ舞った。
不安になった花はそれ以上の説明も聞かず、泣きじゃくりながら走り去った。
どれみはだいじょうぶだよね?
ようこの頭痛は横になった後も収まらなかった。視界が赤黒くなって行くのは
夕日のせいばかりではなかった。
ともやくん、か。勝手だなあたし。
じゅんちゃんとこんな事になったのに、ともやくんだなんて。
秘密基地の飛行機、見てみたかったな。
少し眠ろう。何、林野くんはこんなところまでおっかけてこないわ。
ここはなにもないところだから。
いちじかんぐらいねむれば。
ずつうもおさまる。
つかれもとれる。
おやすみ。
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第2副担任が女子27番のデータ異常に気付いたのは日没の15分後だった。
心拍正常なのに脳波が──今回試験投入された首輪には、様々な新機軸が盛り
込まれていた──平坦なのだ。
担任の梅尾金三は「所用で」座を外していた。勿論、その「所用」と言うのが
教育委員会が胴元のプログラム賭博の集計であるのは公然の秘密だった。
第1副担任は担任代行の権限を行使し、沖合に停泊していた特務艦で待機して
いた軍医達を回転翼機で現場に直行させた。無論、自らも暇を持て余していた
本部付小隊と共に野戦車で急行する。
件の生徒は高鼾をかいて眠っている様に見えた。だが──
「先生、どうですか?」
「アオゲンシュテルン(瞳孔拡大)、脳死だな。ああ君、気管切開の用意を」
「はい」
担架が降ろされ、第1副担任の前に運ばれてくる。
回転翼機の方では点滴やら人工呼吸装置やらの準備が次々と進められている。
「脳死。という事は、この生徒は法的に死亡したと見なされますね」
でどうすんのよ、と言外に聞いているのだ。軍医はその不躾な口調に鼻白ませ
た物の、努めて事務的に徹した。
「そうだな。君達には直接関係無いが、この検体は移植用臓器の長期延命実験
に回されるだろうな。多少傷物でもこれだけ生きが良いのは滅多に無いからな
……ああ、この首輪、邪魔だから取っといて」
検体。実験。傷物。おまけに『生きが良い』。医者って!
昔から注射が嫌いだった第1副担任は、この件で医者に対する偏見を強めた。
「こちら“マジョポン”、こちら“マジョポン”、“マジョピー”応答せよ」
静粛モードとは言え、回転翼機のブレードが立てる音に負けじと無線機に大声
で符丁を叫ぶ第1副担任。
「こちら“マジョピー”感度良好。送れ」
「女子27番はタヌキ。繰り返す、女子27番はタヌキ。直ちに放せ。送れ」
「了解。女子27番、放します……送信完了、確認されたし。送れ」
女子27番の首輪がLEDを交互に明滅させたかと思うと、ピーという電子音と
共に緑色で固定する。
第1副担任に首輪取り外しを指示された技術士官は、手早く仕事を済ませると
物騒なその首輪を対爆容器に入れて密封した。
「よし、運べ」
軍医の掛け声と共に、かつて万田ようこと呼ばれた脳死体は呼吸用チューブや
点滴に繋がれた状態で担架に乗せられ、回転翼機の荷室に収容される。
回転翼機は無音飛行で特務艦の待つ沖合へと去って行った。
【女子27番 万田ようこ 死亡】
【残り11人】
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