狂気と凶気
林野まさと【男子29番】が知覚したのは、何か長い物(恐らくは銃)を天秤棒の
様に担いだ人影だった。逆光でよく見えないが、中途半端に長い髪とどちらか
と言えば小柄な部類に入るであろう身長、そしてその顔は──
「万田…さん?」
語尾が疑問形になったのは、その顔に該当する人物が複数存在したからだ。
人影は呼びかけを無視して更に数メートル歩き、まさとの目前で歩みを止めた。
「あら、林野くん」
紛れも無く少女の声。しかし、昨日別れた時に比べて髪が短かった。
ふぅ、女に「君」付けした日にはバツが悪い所の話じゃないからね。
自分の言葉遣いに安堵したまさとは、長門かよこ【女子17番】をたらし込んだ
──下品な表現だな──あの口調で話し始めた。
「万田さん、お互い無事で良かったよ。所で」
少し言い澱む。彼女が1人で居る事について、切り出し辛い質問をしなければ
ならなかったからだ。
「万田君…じゅんじ君は一緒じゃないのかい?」
ようこの表情に仄かな影が浮かんだのは、光線の加減だろうか。
「うん…でも、もう離れないから」
まるっきり要領を得ない返答だったが、まさとが望む情報は得られた。
これで僕の手を汚さずに1人消えた。
カーン、カー…
まさとの思惑を尻目に、ようこが更なる情報を口にした。
「そう、さっきまで妹尾さん達と一緒だったの」
妹尾あいこ【女子15番】。今、最も動向が気になる人物。「達」だって?
思わず「妹尾さん達」と鸚鵡返しに相槌を打つ。
「丸山さん──丸山みほ【女子26番】も。でも、あの人達は行っちゃったわ。
じゅんちゃんを守れなかったのにね」
戦闘の損害で共同戦線解消、と。成程。相手は?少しカマを掛けて見よう。
「まさかとは思うけど、君達も長門さんに」
如何にもという心配顔を作って見せたまさとに対し、ようこは能面の様な微笑
を崩さずに答えた。
「ううん。樋口さんと伊集院さん」
伊集院さちこ【女子3番】。樋口まき【女子22番】。
「伊集院さんが撃ったの。コタローくんに斬り殺されて」
コタローくん──岡島小太郎【男子5番】か?しかも刃物を持っているらしい。
まさとの頭脳はようこが語る言葉の端々から、今後の役に立つであろう情報を
収集し、編纂して行った。
カーン、カーン、カーン…
何だろう?何か、金属でも叩いている感じだ。万田さんが口を開く度に、僕の
頭の中で響いている様だが…
その感覚はまさと自身が発する警告だと認識するには更なる時間が必要だった。
「林野くんは、どうしてたの?」
喜怒哀楽の表現を放棄したかの様な万田ようこ【女子27番】の口が紡いだ言葉。
複数の意味に取れる疑問形の語尾。
それは林野まさと【男子29番】に対する思わぬ奇襲となった。
「ん?…ああ、長谷部君達と一緒だったんだ」
咄嗟に長谷部たけし【男子18番】の名を出す。確かに一緒だった、今朝までは。
「長谷部、くん?」
「そう。工藤さんと浜田さんもね。でも、みんな殺されてしまった」
工藤むつみ【女子9番】。浜田いとこ【女子20番】。まだ嘘は吐いていないな。
「長門さんに?」
そう、その台詞だよ。僕が求めていたのは。
余りにも期待通りの反応に失笑を堪えつつ、まさとは悲しげな表情を造った。
「…そうなんだ。一瞬の事だったよ。助けられなかった」
僕は正直だ。主語は述べていないからね。誤解する方が悪いのさ。
自分の演技に満足したまさとは、ようこの微笑の変化を認識しなかった。
「じゃあ、林野くんはずっと1人だったの」
カン、カン、カン、カン、カン…
言い知れぬ悪寒がまさとの首筋を走った。錯覚だな、と決め付ける。
「ああ、逃げるので精一杯だったからね。生き延びられたのが不思議だよ」
完璧だよ。このまま万田さんと手を組むのもいいな。他の──長門さん以外の
参加者と会った時に何かと、んん、妹尾さんとは喧嘩別れしたんだっけ。
「そう、1人」
ようこは短くした──銃剣で切り、物言わぬじゅんじの右手に握らせていた──
髪を撫で、歌う様に言った。
じゃあ、今死んでも長門さんのせいに出来るわね。
ごめんね林野くん。
あたし、じゅんちゃんと約束したの。「あなたを産んであげる」って。
だから、プログラムに優勝しなきゃいけないの。
妹尾さん。丸山さん。樋口さん。長門さん。瀬川さん。宮本くん。渡部くん。
玉木さん。横川さん。飛鳥さん。春風さん。平野くん。森川くん。岡島くん。
巻機山さん。
ごめんね。
ようこはまさとが「間合」に居る事を確認し、左手で歩兵銃の銃床を掴んだ。
「こんな時に何だけど、これからは1人よりも…」
カンカンカンカンカンカンカンッ…!
警報機か半鐘が乱打される幻聴は最高潮に達していた。それがBGMとなって
まさとの目に映った光景は──肩の小銃に手を掛けたようこ。
!!!
思わぬ成り行きに驚愕しつつも脳の何処かで冷静さを維持していたまさとは、
左足を退いて半身に開き、例の拳銃を右手で握りようこに向けて突き出した。
1人だと判った瞬間に攻撃とは、僕も舐められた物だね。
確かに身体を動かすのは得意じゃないが、長谷部君や工藤さんも倒したんだよ。
この拳銃でね。
ま、そんな長物を構える余裕なんか与えないよ。
まさとは誤算を犯していた。
ようこが歩兵銃を銃器ではなく白兵戦用の武器として用いた事。
そして、防衛軍兵士が持っていた空挺用の突撃銃を長さの基準にしていた事。
気づいたのは引鉄を引く直前、三八歩兵銃の先に銃剣が煌いた時だった。
おい、まずいぞ。
銃剣の腹が拳銃を叩く音に銃声が被さった。リコイル(発射の反動)が妙な方向
へと働いたのか、拳銃はまさとの手から離れて宙を舞った。
ようこは着剣状態で肩からダウンスイング気味に振り下ろした歩兵銃を逆手の
まま突き入れたが、これは流石に読まれていた。銃剣をダッギングでかわした
まさとはそのまま銃身の下へ潜り、両手でようこを引きずり倒した。
顔に2、3発入れてやるよ、この野郎!
感情を爆発させた瞬間、まさとの腰を激痛が襲った。振り上げた拳が静止する。
キドニー(腎臓)・パンチ──拳闘で重大な反則とされる危険な「技」。
ようこが腰椎を狙って叩き付けた銃床が左腎の真裏へ当たったのだ。
「?*#$&%!!!」
声にならない声を上げつつ、地面に転がるまさと。饐えた物が喉を込み上げる。
無理矢理目を開けると殺意に歪んだようこの顔。ままよ、と胃液をブチまけた。
ようこが怯んだ隙に中腰でヨタヨタと逃げる。
拳銃?拾っている余裕は無いな。一応「コレ」がある。出来れば使いたく無い
代物ではあるが…
目前の道は上下に分かれていた。後方から銃声。弾丸が地面に突き刺さるのを
認めたまさとは、反射的に上の道へ歩を進めた。
上着の裾で顔を拭ったようこは、小走りに追いかけると更に1発撃った。
まさとが上の道へ進むともう1発。当たらない。山小屋での一件以来、ようこ
の歩兵銃は狙撃どころかこんな距離でもまともに当たらなくなってしまった。
まあいいわ。林野くん、上にいったから。
銃を両手で構えたまま、ようこは林野まさとの逃走路をゆっくりと歩いた。
どうもキドニー・パンチを喰らったらしい、とまさとは結論づけた。「らしい」
と言うのは、腎臓に打撃を与える事でどの様な効果があるのか、まさと自身が
身をもって思い知らされるまでは抽象的に「痛い」とだけ思っていた。医者の
息子だからと言って詳細な医学的知識を持っているとは限らないのだ。
取り敢えず、万田ようこが妹尾あいこ【女子15番】張りの筋力も、奥山なおみ
【女子6番】並の上背も、飯田かなえ【女子2番】程の体重も有していない事
を感謝した。
神仏の類にではない。そんな者が居るなら山内信秋【男子27番】や佐藤なつみ
【女子12番】が死んでいる訳が無い。まさとはとことん唯物的だったが、この
プログラムを生き延びられるのであれば名状し難い怪物さえ崇拝しただろう。
万田さんが追って来ているけど、あんなバカでかい銃を担いでいる分遅いな。
一旦逃げ切って──
後方からブラインドになっている所を曲がった途端、まさとは歩を止めた。
道が無かった。
斜面が半径15メートル程の半円で抉られ、赤土を曝け出していた。集中豪雨か
何かで崩落したのだろう。無いよりマシの地図には最初から掲載されていない。
降りられるか、と下を見れば赤土にまみれた道。
多分、下の道だ。万田さんはこの下を通って来た。だから、ここが行き止まり
だと知っていたんだ。糞ッ!
引き帰そうとしたが、ようこは分岐点から100メートル程の中間点まで来ていた。
まさとはズボンの尻ポケットから内心使いたくないと思っていた物を取り出し、
左手に隠し持った。
ようこが弾切れに気づいたのは道を昇り切る直前だった。弾盒に手を遣ると、
皮製の底が抜けて中身は全てこぼれ落ちていた。林野まさとの発射した銃弾が
思わぬ場所へ命中していたのだ。
ならば、有無を言わさず刺し殺す──
ようこはそう、決意した。
ようこが行き止まりにたどり着いた時、林野まさとは片膝を突き左手で背中を
押さえていた。痛みに顔をしかめてすらいる。
「林野くん…」
やや腰を落し気味に着剣した歩兵銃を構えるようこ。疲れてはいるが、まさと
に隙を見せる様子は無い。
「万田、さん…教えてくれ。どうして、こんな」
頬に脂汗をにじませ、喘ぎ喘ぎ問い掛ける。
「あたしね、じゅんちゃんを産むの」
あの口調だ。軽やかに歌うかの様に言葉を紡ぐ。
「本当はじゅんちゃんと一緒でいたかったけど、生き残りはひとり。だったら、
あたしが優勝してじゅんちゃんを産んであげなきゃ。ね、林野くんにもわかる
でしょ?あたしの中にじゅんちゃんがいるの」
全てを理解したまさとは苦痛に悶える演技も忘れ、しばし思考に逃避した。
地球より重く、鴻毛より軽い物ってなーんだ?
答えは命。
プログラムはその命を大量に消費する。
まるで大昔の大陸──共和国固有の領土だ──に伝わる「蠱毒(こどく)」だ。
壷か何かの中に昆虫や小動物を入れて争わせ、只一匹生き残った者を使役する。
何だよ。大東亜共和国とはその実、前時代的な呪術国家だったのか?
それに比べれば近親相姦なんて可愛い物じゃないか。たかが社会悪だろう。
でもね、万田さん。
僕にはそれに付き合う義務も義理も無いんだ。
だからね──
有効射程は精々5メートル。但し、接触するだけでいい。素肌ならなお効果的。
そのセールストークを信じるしかないまさとは、ようこが銃剣の間合に入った
時に行動を起こした。
んっ、と呻いて身体を右に捻り、左手で握った物をようこに向けて突き出した。
親指がボタンを押すと、住所印大の物体が勢い良く飛んだ。
ようこの顔面で青白い閃光と火花が炸裂した。反射的に目蓋を閉じるまさと。
電極投射型スタンガン。強力なバネで蓄電した電極を飛ばし、瞬間的に高電圧
の電流を流す武器。ノンリーサルウェポン(非殺傷兵器)ではあるが、逆に制圧
効果は絶大だ。この環境で対象を確実に無力化出来るのは大きい。
最大50万ボルトの電流。例え一瞬でも無事には済まないだろう。
ガシャンッという音に思わず目を開けるまさと。
そこにいたようこは最早脅威ではなかった。宙を泳ぐ視線。上唇の辺りに引き
つった感電痕。銃を取り落としてわなわなと震える両手。笑っている両膝の間
を黒く濡らし、歩兵銃と電極が足元に転がっていた。
全くの棒立ち。
まさとはすっくと立ち上がり、スタンガンの本体を握ったままの左手を大きく
振りかぶって、ようこの顔を思いきり殴った。ゴギッと骨が折れるか砕けるか
する音と共に後を向くようこ。
歪んだ鼻から血を流しながらまだ立っている。
呆れた様に両肩をすくめて見せたまさとは、敵意と悪意と殺意とついでに体重
を乗せた蹴りを小さな尻に見舞った。
足のもつれたようこが歩兵銃に躓く。一歩、二歩、三…
歩みは既に空中だった。
悲鳴も上げず、ようこが斜面を滑り落ちる。時折、木にぶつかる度に短い呻き
が洩れた。その様子を眺めていたまさとは、夜店のスマートボールを連想した。
あれだけの距離を滑落すれば、まず生きてはいないだろう。ああ、戻って拳銃
を探さないと。
林野まさとの脳裏からは、万田ようこという存在は最早消え去っていた。
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