仮面の少年
僕は物心ついた頃から仮面を被っていたんじゃないかと前々から思っていた。
屁の突っ張りがどうとか言うマンガの主人公が被っているアレだ。
そう『林野まさと』という仮面を。
東の空に夕闇が迫る。太陽は殺戮の見学なんて真っ平と言わんばかりに落ちる
速度を速めていた。山小屋の方向から聞こえて来た銃声も絶えて久しい。
あれだけ武装した長門かよこ【女子17番】が誰かに倒されたとは考えにくいが、
世の中に絶対の2文字は存在しない。もしかすると、軍用ライフル──突撃銃
か何かで武装した妹尾あいこ【女子15番】辺りに返り討ちに逢ったのかも。
いや、違うな。
比較的軽装で間道を歩いていた林野まさと【男子29番】はその考えを否定した。
あの恐るべき機関短銃の弾は残り少ない。ならば、より有利な状況として夜の
帳が降りるのを待っているだけかも知れない。イザとなれば「居そうな場所に」
乱射すれば良いのだから。
問題は…そうだな、春風さんと遭った時だな。
ま、その時はその時という事で。
プログラム実行下の島は単独行動の春風どれみ【女子21番】に長時間の生存を
許す環境ではない。もし生き残っているならば、必ず他の参加者と行動を共に
しているだろう。
他の参加者。恐らくはその手を他者の血で汚した人間が「殺戮者・長門かよこ」
に対して友好的反応をするだろうか?──否、有り得ない。
“開始早々、SOSの3人を一撃で鏖殺”
“奥山なおみ【女子6番】と花田志乃【女子19番】(実は違うのだが)を射殺”
“瀬川おんぷ【女子14番】を2度も襲撃”
これだけの「凶状持ち」をこの状況で信用する人間なら既に死んでいる。
どれみが何を言おうと「彼」若しくは「彼女」は長門かよこの排除──実質的
には殺害を選択、そして実行するだろう。
かよこは応戦するしかない。
それだけが「どれみちゃんを守る」手段だから。
君に選択肢は無いんだよ、長門さん。
思考が当然の帰結に至ったまさとは失笑を抑えつつ、自分が今だに此処でこう
している事に対して実感が湧いて来ないのを不思議に思った。
昨日隠れ家で4人。今朝3人──その前に荻原君──萩原たくろう【男子17番】も
…まあ、いいか。兎に角、僕がこれだけの生命を絶ったのは事実だ。
でも、今後は長門さんに「代行」して貰えるだろう。
その為の長門さんだから。
それにしても一昨日は修学旅行だ何だと言っていたのが嘘の様だな…
まさとは自らを振り返った。
林野まさとは医者の息子だ。
親は医者という仕事柄、常に最新の症例や薬品、医療機器に精通する必要から
様々な書物を家に溜め込んでいた。その中には共和国によって「退廃」の文字
を冠せられるべき米帝の文学や芸術さえ含まれていた。何しろ、物心ついた頃
からキース・ヘリング──学校ではアンディ・ウォーホル同様「退廃芸術」の
代表として槍玉に挙げられる──の作品を目にしていた程である。
小説もそうだ。バックマンと云う作家が共和国のプログラム制度をモチーフに
したらしい「遠足」という題名の地下出版本を4年生の時に読んでいた。全体
主義国家となった米帝で志願した百人の少年が昼夜兼行でひたすら歩き続ける
「プログラム」だ。足が止まれば警告、3度の警告累積で射殺される。スリー
ストライク・バッターアウト、と云う訳だ。
素晴らしい。早熟なまさとは感嘆した。特に志願制である所に。
実は原書にも目を通し始めていた。飛鳥ももこ【女子1番】には及ばないが、
斜め読みぐらいなら出来る。何しろ地下出版は翻訳の質が悪く、読めた代物で
はないというのが通り相場だ。海外文学の翻訳・出版は政府の許可制で、審査
の遅さから米帝の最新作が翻訳で読めるのは10年後、と言うのはザラだった。
非関税障壁の文化版とさえ言える。
それ故に地下出版が暗躍するのだが、迅速さが要求される為に翻訳はお座成り、
印刷・製本に至っては等閑、それでいて目の飛び出る価格。文句を言おうにも
そもそも地下出版自体が非合法行為であり、単純所持ですら摘発の対象なのだ。
早い・旨い・安いを尊ぶ「消費者」に取っては欠陥商品以外の何物でもない。
国民に退廃文化への興味を失わせ、普及を試みる者へ民事・刑事罰を加えられ、
米帝を始めとする諸外国へ著作権料として外貨を流出させずに済む地下出版は、
実は共和国政府にとって最も都合の良いシステムであった。
僕は地下出版に理解があるだけで擁護するつもりは無い。合法的に出版された
中では「宇宙陸戦隊」が面白かった。米帝の傷痍軍人が書いた物を専守防衛軍
出身の作家が翻訳した作品で、より洗練・統制された国家の素晴らしさと理想
の軍隊像が描かれていた。只、他の作品が共和国国民の琴線に触れなかったの
は残念だ。米帝帰りの飛鳥さんにそれとなく名前を出したけど、余り良い顔を
しなかったな。
早熟で大人の事情に明るい。そんな生い立ちからか、まさとは自然と他の児童
から距離を置く様になっていた。クラスメートも頭脳明晰で品行法正なまさと
には近づき難い何かを感じ、敬して遠ざける風が当たり前となった。
それはいいんだ。無理に相手に合わせる必要なんか無い。疲れるだけだ。
むしろ困った時何かと僕を頼ろうとする奴、そんな輩が無性に腹立たしかった。
だからあの時、4年生の時も長門さんに辛く当たってしまった。
長門かよこ。
3年の2学期、瀬川おんぷと同じ日に転校して来た少女。
地味で、自己主張が弱く、長所があったとしても注目して貰えそうもない少女。
男子の中には聞こえよがしに「ハズレを引いた」と言う者さえ居た。
「ハズレ」?何が「ハズレ」なんだ?
僕に言わせれば、それは「アタリ」が喜ばれない何かの「ハズレ」だ。
瀬川おんぷのクラスメートたる事に何の利点がある?
大衆の偶像を演じるのにどれだけの重圧があるか判らないが、少なくとも彼女
に対して気を使わねばならない立場に置かれるのは確かだ。
平々凡々な日常を共に過ごす、平々凡々なクラスメート。
僕はそれで良かった。
だがかよこは、まさとが望む「平々凡々な日常」すらもたらさなかった。
行動精度と達成時間の優先順位について他の児童と異なる尺度を持つかよこは、
校内の様々な行事や集団行動を経るにつれ学級内でどんどん孤立して行った。
まさとがかよこを庇ったり課題の達成に助力したりする頻度は鰻登りだった。
4年の或る日、破局は訪れた。
余りにも依存心の強いかよこに、まさとの忍耐が臨界点を超えたのだ。
僕はその時、何を言ったのか覚えていない。恐らく「自分でやれ」とかそんな
意味の台詞を吐いたと思う。今考えると子供丸出しの反応だった。
その日から長門さんが学校に来る事は無かった。
変化したのは長門さんの席が空っぽのままで日常が流れる点──いや、学校の
外では色々と有ったのだろう。
担任の市川先生はその年度末に学校を辞めてしまった。残念だ。
5年生になってもかよこの机は主を迎える事は無かった。
だが、その周囲では様々な変化が起こっていた。まさとの日常と自覚を大きく
変える事になる変化が。
5年の学級改変でも僕の周りが大きく変わる事は無かった。最初の内は。
玉木さん──玉木麗香【女子16番】──と同じクラスで、飛鳥さんが転校して
来て…でも長門さんの席は相変わらず空っぽだ。
学級委員長を玉木さんと争った時も蓋を開ければお話にならない大差だった。
今考えると、それが間違いの──そして変化の元だったのだろう。
児童会役員選挙の予備選で、まさとは麗香に惨敗した。学級委員長選で強かに
増徴したまさとは根拠の無い自信から固定支持者への気配りすら忘れ、結果と
して麗香の地滑り的勝利を許してしまったのだ。そして麗香は2組の委員長・
宮本まさはる【男子23番】を破り、児童会長に当選した。
冷ややかに眺めていたまさとだったが、流れをもたらした風を明確に感じた。
春風どれみという「風」を。
春風さんはその名の通り、突風の如く僕等の中を吹き荒れた。
その最たる物が長門さんの復学だった。
不躾な質問を突きつけられた気分は最悪だったが、根気強く、粘り強く、諦観
という単語を辞書から削除した様な頑張りに、僕を含むかつてのクラスメート
達は長門さんの復学へ尽力した。不器用にも力を合わせて。
その年の瀬は清々しく迎える事が出来た。
まさとが従来の自分に著しい違和感を感じたのはこの時だった。世評に捕われ、
その通りの生き方を以って良しとして来た「林野まさと」が、何か性質の悪い
虚構に思われたのだ。
もう少しだけ、素直に生きよう──
そう思った時、まさとの「仮面」は崩れ落ちた。
僕と長門さんの距離は信じられない速度で縮まって行った。
以前は長門さんが眺める星空同様、天文学的数値の彼方だった物が、今や手を
伸ばせば触れてしまいそうな所にある。
将来、長門さんと生計を共にしたい。そんな妄想すら抱く程に。
まさとの能力からすれば「妄想」も「予想」経由で「予定」に変えられただろう。
にも拘らず「予定」の共有者たるかよこに対する気遣いは只ならぬ物だった。
それはかつての過ちを詫び、決して繰り返さぬ様にというまさとの意思だった。
6年生。
新たな転校生として巻機山花【女子24番】がやって来た。
何ともエキセントリックな行動の目立つこの少女には、まさともやや閉口気味
ではあった。一部では知性に問題があるのではないかとの疑念すら出されたが、
何事も実行あるのみという割り切りの良過ぎる態度、勘違いの含有量が多めな
飲み込みの速さでどれみ同様の「風」を巻き起こしていた。
巻機山さんか…僕は苦手だな。ま、世の中にはこういう人も居るのだから。
好ましい日常。いつまでも続いて欲しい日常。まさとがそう願った物。
それは唐突に終焉を迎えた。
本来であれば奈良の旅館で暖かい御飯を焼き海苔と生卵で美味しく戴いている、
そんな時間。
『皆さんに殺し合いをして──』
あのダミ声が教室に響くと、まさとは全てを失った事を瞬時に理解した。
これが「プログラム」。対象年齢は15歳・中学3年の筈じゃないか、畜生め。
バックマンは10年前に死んだって聞いたぞ。僕は「遠足」に志願どころか、
「走る男」へ出場葉書を送った覚えも無い。莫迦野郎。
判ったよ。やるよ。殺るよ。
他の59人が皆死んでいればいいんだろう。
僕は生き残らなきゃならないんだ。
後悔?慙愧の念?そんな物は抱く事すら贅沢だ。
全てが終わった後、59の墓石に縋りついて号泣する。それは優勝者の特権だ。
僕は此処で失われる59の生命の代償として、より多くの生命を救う義務を負う。
だから、みんな。頼むから死んでくれ。
まさとは心の片隅で埃を被っていた仮面を再び着ける事にした。今となっては
「仮免ライダー」に出てくる怪人というより、雑多な石油化学素材で作られた
ガザマドンの着ぐるみに近い非日常の産物と化していたが、どうしようもない。
まさとがこの「仮面」を着けなければ「プログラム」に優勝して生き残るどこ
ろか、身近に迫るであろう殺人行為に手を染める事も出来ないだろう。
その対象に長門かよこを含めねばならない重圧感から逃れるには、その「仮面」
が不可欠だった──
デイバッグからハリセンチョップが出て来た時、僕は自分に正直たるを覚えた。
だからあの廃工場で小山さん──小山ゆうこ【女子11番】をこの手に掛けた時、
何の感慨も覚えず、嘔吐も失禁も号泣もしなかった自分を賞賛した!
菊地はじめ【男子7銀】、中島正義【男子15番】、和田みんと【女子30番】…
全て通過点でなければならなかった。有難う、きっと君達より社会の役に立つ
人間になるからね。
思いがけず現れた長門かよこも例外ではない。いつかは死すべき存在。
だから心にも無い台詞が頭に浮かんだのかな?空手形なら幾らでも切るよ。
例え仄かな感情を抱いた相手であっても。例外は無い。
さてと、予定通り灯台へ行こう。
おっと「仮面」がずれていたら大変だ。
自分の心理を再構築したまさとの前に、沈む日を背負った人影が現れた。
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