さよならは言わない
陽は西の空へと傾いていた。そうなると落ちるのは早い。
(じきに『あの声』を聴く事になる)
力無くとぼとぼと歩みつつも丸山みほ【女子26番】はそう思った。
ともすれば手から取り落としてしまいそうなマンダリン銃。装着された弾倉の
中身を打ち尽くしてしまえば、単なる金属のカタマリに過ぎない。
みほの左前方をやはり弾数の少なくなったショットガンを担いだ妹尾あいこ
【女子15番】が歩いている。ここからは影になって見えにくいが、左耳を覆う
ガーゼが痛々しい。ただ、心なしか元気が無いのとは関係なさそうではある。
(『あの声』は誰の名を口にするの?)
みほは来た道を振り返り、『あの声』が名前を挙げる筈の少年とそうするかも
しれない少女──少年の双子の姉の事を思った。
何分間そうしていただろう。
万田ようこ【女子27番】はとうに息絶えた弟──万田じゅんじ【男子21番】の
身体を抱えたまま、何事か呟くというか話し掛けていた。
黙々と吹き飛ばされた左耳の跡にガーゼを留めてゆく妹尾あいこ。
みほは黙って立ち尽くしたまま。ほつれた髪が風になびくだけ。
あたし、じゅんじくんに何もしてあげられなかった。
ううん、あたしが殺したような物だわ。だって、傷の手当ても満足にできなか
ったんだもの。ちゃんと止血していれば死ななくてすんだんだもの。
あたし、何の役にも立てなかった。
ねえ、信ちゃん。今どこでどうしているの。
あたしたちみたいに殺したり殺されたりしているの。
みほは島の何処かに居るであろう横川信子【女子29番】に思いを馳せ、明るさ
を失う直前の東の空を見上げた。
だから、ようこが三八歩兵銃を槍の様に構えて銃剣の切っ先を自分に向けた事
には気づかなかった。
どすん。がきっ。
背後で何かがぶつかり合う音。
気が付いたら地面に投げ出されていた、というのが正直な所だった。
痛い。
みほのジャージのズボンが裂け、そこから見えていた太腿は裂傷を負っていた。
「…こちゃん、止め……あんた、みほちゃんに何すんねん!」
あいこが誰かを羽交い絞めにしていた。それを振り解こうと着剣した歩兵銃を
振り回しているのは──
「万…田さん…」
その目には生気が無かった。少なくとも、それに類する物を見つけるのは苦労
しそうではあった。
それでも身体の方はあいこの両腕を逃れようと、金属と木で作られた非生産的
な用途の道具をひたすら振り回していた。
「ええ加減に…しい…やっ!」
あいこが銃をもぎ取ると、持主はもんどりうってその場に転がった。
周囲にあいこのゼエゼエと肩で息をする音が奇妙に響いている。
万田ようこの顔がみほの方を向いた。
視覚が脳に伝達されていない様な視線でみほを突き刺していた。
「じゅんちゃん殺したのよ」
何言ってるの、じゅんじくんを撃ったのは伊集院さん…
「じゅんちゃん守れなかったんじゃない。殺した様な物じゃない」
抑揚も根拠も無い糾弾が続く。
根拠?いや、あるわ。
あたしはじゅんじくんと一緒にいた。じゅんじくんが傷ついた時に一緒にいた。
だからなの?
「なんで生きてるの?」
これはあたしに言っているわけじゃない。あたしを自分に見立てているんだ。
自分がそこにいてあげられなかったから──
ようこはじゅんじの亡骸に寄り添うと小さな、だがはっきりとした声で言った。
「殺して。あたしをじゅんちゃんの所に送って」
しばし、重い間が辺りを支配した。
あいこが動く。ショットガンを構え、銃口をようこの後頭部へ突き付けた。
「あ、あっ、あい」
あいちゃんやめてっ、とみほの口が動く。
ただ、声にならないだけ。
じゅんじくんが死んだのに、ようこちゃんまで殺すなんて。
堪えられない。
「このまんまやとヨゴレてまうな」
あいこはショットガンの銃口をようこの首筋へ押付ける様にずらした。
一寸指を動かせば確実にようこを絶命させられる。今朝、経験している。
簡単な事やないの──とあいこは強引に思い込もうとした。
だが、憤怒に駆られて高木まなぶ【男子13番】を射殺した時とは状況が違う。
ここまで引鉄が重く感じられた事は無かった。
じゅんちゃん。今、行くわね。
ごめんね、約束守れなくて。
お姉ちゃん、生きてる限りじゅんちゃんを守ってあげるって誓ったのに。
肝心なときに一緒にいられなくて。本当に頼りなくてごめんね。
でも、もうすぐ逢えるから。
文句も飛行機の話も向こうで聞いてあげるから。
楽しみにしているから。
ようこは自分に訪れるであろう破局を待ち続けていた。
ショットガンが直立した。愛想が尽きたと言わんばかりの仏頂面であいこが傷
ついたみほの所へ歩いて行く。
「アホくさ。そない死にたいんやったら、勝手に逝きさらせ」
へたり込んだまま呆然としているようこに、更なる捨て台詞を浴びせるあいこ。
「ホンマ、こないな茶番に付き合うたアタシがアホやった。タマが勿体無いわ」
今だに何が起こったか理解しきれていないみほ。
「みほちゃん、ズボン下げて」
言われたままに少し破れたジャージのズボンを下ろす。左の太股に銃剣の先で
引掻いた傷。キャンディストライプのショーツにも血が少し滲んでいた。
「大丈夫、皮だけや」
手早く消毒スプレーを浴びせると、沁みるのかウッと呻くみほ。あいこは傷口
にガーゼを当て、包帯ではなくテーピングで固定する。
「少し歩き辛いかも知れんけど、そこんとこはガマンしてや」
「…ありがとう、あいちゃん。で…」
みほの視線がうなだれたままのようこへ移る。これから彼女をどうするのか、
あいこに対して暗に問い正しているのだ。
「一緒にはいられへん…まんま、放かしとくしかないやろ」
あいこは決別の意を露にした。
プログラムで「群れ」るのは「優勝」するための方便。徒党を組めば“決勝戦”
に勝ち残る確率が高まるから。
だから「当面の仲間」に危害を加えた万田ようこ【女子27番】を「群れ」から
追放するのは当然過ぎた。むしろ、殺さなかった事を非難されても仕方ない。
丸山みほ【女子26番】はデイバッグに荷物を詰め込んでいた。中には万田姉弟
の物もあったが、
「スマンけど、生きとる人間に必要な物やから」
と、妹尾あいこ【女子15番】が強引に持って行った。
荷造りが済むと、みほはすっくと──傷の痛みに顔をしかめ──立ち上がって
至極アッサリと言った。
「行きましょ」
「あ?ああ、みほちゃん。行こか」
促すべき人間に機先を制されたあいこは、豆鉄砲を喰らった鳩の気分になった。
ちがう、ちがうのよあいちゃん。
あたしはね正直、じゅんじくん──万田じゅんじ【男子21番】──を見るのが
辛くなっただけなの。もしかしたら、ようこちゃんが死ぬ所も。
あたしが描きたいのは、みんなが楽しく、みんなが幸せになれる話なの。
あたしも書いてて楽しく、幸せになれる話なの。
だからこんな哀しい「おはなし」は、要らない。
信ちゃん、あたしっておかしくなっちゃったのかしら?
あいこは度々、ようこ達を振り返った。
自分達を背後から撃つかも知れない、と思った少女はうなだれたままだった。
みほは振り返らなかった。
だが、マンダリン銃だけはしっかりと握っていた。
太陽が夕日へ姿を変えようとしていた。
あの人達は行ってしまった
残されたのはあたしとじゅんちゃんだけ──ああ、コレがあったわね
ようこは自分の背丈程もある三八歩兵銃へ視線を落とした。武器として重過ぎ、
かさばり過ぎるこの代物に、あいこ達は運ぶ価値を認めなかったのだろう。
重くてかさばる。
人殺しの道具としては却っていいかも知れない、とようこは思う。そうとでも
考えなければ、これで射殺した飯田かなえ【女子2番】が浮かばれない。担い
だ銃の重さが罰の重さとまでは言わないが。
ふと、銃剣が視界に入った。みほに斬り付けたせいか少し汚れている。
銃剣とじゅんじの躯を交互に見比べる。
罰
そうね じゅんちゃんが死んだのが罰なのかしらね
殺したり 傷つけたり おまけに
もういいわ
いっしょに生まれて
いっしょに大人になって
いっしょに死ぬの
ようこは歩兵銃の銃身を両手で握ると、銃剣を自分の喉に当てた。
これでいい
じゅんちゃんを守ってあげられなかったから
だったらせめて死んであげよう
それが約束だから
あれ?
『でも、もしじゅんちゃんが死んじゃったら
お姉ちゃんが必ず、じゅんちゃんを産んであげる』
ようこ自分でも忘れていた決意を思い出し、銃身を握ったまま呆然とした。
そうだった
あの時に最悪の事も考えてたんだっけ
滑稽ね
ようこの手から銃身が離れた。
足元からガチャンと音がした。と同時に、タガが外れた様に笑い出すようこ。
その両目からは涙がとめどなく流れ、何だか訳の判らない表情になる。
一通り泣き笑うとタオルで顔を拭い、その場に置かれたOY!COLAの缶を呷った。
もう開く事の無いじゅんじの唇に、自分のそれをそっと合わせる。
デイバッグと銃を担いだようこは名残惜しげにじゅんじを見つめた。
生き残れるとは思わないけど、もう少し生きてみるわ。もし死ぬとしても同じ
島だから、さよならは言わない。
またね、あたしのじゅんじ。
風景が赤く染まって行く。
みほは腕時計を見た。もう6時だ。つまり──
空電。ハム音。今やお馴染みの前兆。
(BGM:「きっと明日は」インストゥルメンタル)
『こちらプログラム実行本部。
ただ今、担任の梅尾先生が席を外しておりますので、私・第2副担任が替わ
ってお送り致します。まずは禁止区域の発表から』
揃って胸を撫で下ろすあいことみほ。
「あのケッタクソ悪い声、聞かんで済んだわ」
あいこは憎々しげに毒づいた。でも、そこはかとなく虚勢だと感じるのは思い
違いなのだろうか、とみほは考えてしまった。
『続きまして、死亡者の発表です』
若い女性の声で淡々と読み上げられる名前。万田じゅんじの名前もあった。
『樋口まき【女子22番】』
あいこがゴクリと唾を飲み込む。山小屋で自分達と撃ち合った同級生の名前が
挙がったからではない。次に呼ばれるであろう名前を想像したからだった。
ハナちゃん?ようこちゃん?お願いだから、次の名前なんて読まないで…
身構えたみほの耳に届いたのは想像した名前では無かった。
『横川信子【女子29番】、以上です』
放送の声は更に何事か言ったらしいが、それらは全てみほの両耳を通り過ぎて
しまっていた。何よりも重要な事は既に聴いていたから。
「み、ほちゃ、ん」
あれ、あいちゃんのしゃべり方が変だわ。まるでロボットみたい。どれみロボ
を描いた覚えはあるけど、あいこロボってのもいいかしら。
「みほちゃん。気ぃしっかり持…」
「持ってるわ」
あら、あたしもロボットみたいだわ。
「あたし変なの」
夕日がみほの表情の消えた顔を赤く染める。
「信ちゃんが、あんな事になったのに悲しくないの。変でしょ」
「放送で言っとるだけやから…」
「ううん、じゅんじくんの時も泣けなかった。悲しいはずなのにちっとも泣け
なかったの。まりなちゃんが死んだ時は悲しくてあれだけ泣き喚いたのに」
ああ、これが慣れるって事なんだ。それはそれで悲しむべきなんだろうけど。
「でもね」
デイバッグから小さなリングノートを取り出し、あいこに開いて見せた。
「コレを持ってると信ちゃんと一緒に居る気がするの」
あいこはノートをゆっくりとめくる。今年の新作なのだろうか顎のしゃくれた、
林野まさと【男子29番】を思わせるキャラクターに『怪人ダーク・アゴー』と
名前が書いてあった。別のページには見覚えのある2人。
「ようこちゃんとじゅんじくんで『フタゴナンジャー』なの。信ちゃんが林野
くん、じゃなかったダークアゴーと戦う正義の味方が欲しいって言ったから。
ねえ、あいちゃん」
「何や、みほちゃん」
「あたし、信ちゃんにさよならなんて言えない」
だから、さよならは言わない。
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