絆
銃声は四、五発。多分拳銃。続く連射音は丸山みほ【女子26番】がマンダリン
銃で応戦した物だろう。それだけだったが、変事を知るには充分過ぎた。
(もしかしたらみほちゃんを迂回させたのは間違いやったのかも知れへん)
藪を強引に横切り銃声のした方向へ走りつつ、妹尾あいこ【女子15番】は自分
の判断による戦力分散を激しく悔やんでいた。歩兵銃の重さに喘ぐ万田ようこ
【女子27番】が後から必死に付いて行く。
あいこの右足が何かを蹴った、というよりつまづいた。何か丸い物が転がる。
「ヒィッ…!」
思わずたたらを踏んだあいこの耳に、ようこの押し殺した悲鳴が届く。その足
元には臓物をはみ出させた少女の首無し死体が倒れ臥していた。
あいこの足が移動させた「物」は2メートル先で横倒しになっており、自分の
胴体を見つめている。
心なしか恨めしげにさえ思えるその顔は──伊集院さちこ【女子3番】だった。
びちゃびちゃと水音。異常な死体に耐えかねたようこの胃が中身を逆流させる。
「だ、大丈夫…あまり食べてないから」
全然大丈夫ではない口調で弁解するようこ。あいこはさちこの頭部を元に戻そ
うとしたが、手足はその議案に拒否権を行使した。
一通り吐き終えたようこがペットボトルの水で口をゆすぎ、死体の傍らに落ち
ていた黒い物体を恐々と拾い上げた。大口径の拳銃だ。銃口に残った硝煙臭が
微かにようこの鼻腔へと届いた。
(あの銃声はコレだったのかしら?だとすると…)
弟・じゅんじが少女の頸部を切断する姿が想像される。が、すぐに否定する。
みほもじゅんじも刃物は持っていない。少なくとも、短時間に人間の首を切り
離せる様な物は。それに、2人がさちこを殺したのなら、とうの昔に自分達と
合流している筈だ。
誰か別の参加者がいる。
ようこの推測を確信に変えたのは長目の連射音だった。
ようやくたどり着いた目的地。
だが、万田じゅんじ【男子21番】の眼前には漠然とした空間が横たわっている
だけだった。
「あ、あれ…?」
困惑するみほ。山小屋の裏側に着いたはずなのに、目指す物が見つからない。
あたふたと背中からデイバッグを下ろし、地図と方位磁石を取り出し──
「そんな…」
いつのまにか指定区域の外へ出ていた。
「そんな!」
予定進路から逸れたのは岡島小太郎【男子5番】に襲撃された時か。それとも、
山小屋からの狙撃を受けた時点で既に方向感覚が狂っていたのか…
今から引き返しても時間が足りない。第一、じゅんじの身体が持たない。
罪悪感と絶望感と無力感がみほの頭でぐるぐると回っていた。
「丸山、さん…のせいじゃ、ないよ」
その言葉が辛い。
確かに不可抗力の部分もあっただろう。しかし、重傷のじゅんじをこんな場所
まで引っ張って来たのは誰でもない自分なのだ。
「お姉、ちゃんも、2人で逃げ…ても、いいって言ったじゃないか」
お姉ちゃん。お姉さんの事、ようちゃんって呼ばないのね。
あたしには割り込む場所なんてないんだろうな。
何分くらいそうしていたのだろう。
ガサリ、と藪を踏みしめる音がした。
「早よ行かな!」
あいこの叫びを待たず、ようこは駆け出していた。
腕時計に目を遣る。あと20分。指定区域から出るだけなら間に合うが…新たな
銃声はその指定区域の外縁から届いていた。
草深い悪路を駆け足と言うよりも早足のスピードで進むと、その途中から血痕
が点々と残されているのが判った。誰か負傷したのか?血の量も半端ではない。
にも関わらず、あれから生死を問わず他の参加者と出会う事はなかった。
(どっちでもええから、そのまま逃げてんか)
もし負傷しているなら大きく迂回して山小屋の裏側へ出る、という最初の指示
など無視して指定区域から出て欲しい。それが2人の偽らざる思いだった。
首輪からは断続的な警告音。
時間がない。みほ逹もこれを耳にしているから、脱出を優先するだろう。
血痕にしたがって進む内、警告音が止んだ。どうやら指定区域から出たらしい。
「ようこちゃん、一寸待った!」
一旦、地図を出して現在位置を確かめる。
「どう?」
「間違いない。こっちや」
再び歩き始めて5分もしない内に見通しの良い場所へ出た。
そして──
みほ逹が出て来たのと同じ所から、あいことようこが姿を現した。
「あい……ど、どうしたの!その、み、耳…」
左耳の無いあいこに驚くみほ。何かバツの悪い表情のあいこ。
「いやね、1発貰うてしも…」
「じゅんちゃん!」
ようこが血相を変えてじゅんじの元へ駆け寄る。
「ねえ丸山さんっ、これって!」
「い、伊集院さんに撃たれた、のっ」
ようこの剣幕に気圧されたみほがたどたどしく説明する。それを聞いていない
かの様にデイバッグ引っ繰り返し、救急用品を取り出すようこ。
「伊集院さん、死んどるよ。斬り殺されとった」
敢えて遺体の状態を詳細には述べなかった。
「コタロー、だ。さっき襲われたんだ…」
「黙ってじゅんちゃん!傷に障るわ」
ようこはそう一喝し、伊集院さちこに撃たれたという傷を見た。周囲を見回し
僅かに考えると、おもむろに上着を脱ぎ上半身半裸の状態になった。
「もう少し待って」
残ったブラジャーも外す。その下の幼い膨らみが露になる。
「──っ」
「な……」
みほとあいこの目に生々しく赤い無数の痕跡が晒された。ようこの乳房を覆い
尽くさんばかりに刻まれた罪の証。
2人の異変に気づいたようこは、哀れみを幾ばくか含んだ挑む様な視線を刹那
みほへ向けると、外したブラジャーでじゅんじの左腕、それも腋の上をきつく
巻いて行く。
1回。2回。3回巻くと両端を堅結びし、そこへじゅんじが持っていた握り手
付きの棒──ナイトスティックをこじ入れスパナの様に回し始めた。ギリギリ
と締め上げられた左腕はたちまち血色を失って行く。
最後にナイトスティックを上腕ごとテーピングして固定する。半ば吹き飛ばさ
れた肘はガーゼで包んだだけだった。
「これで血は止まるわ」
「お姉…」
「黙って」
援退壕で見つけた救急セットに記載された止血帯法らしき物を施したとは言え、
これまでに流した血が戻って来る訳では無い。正直、今のじゅんじには意識を
保つ事さえ難しかった。
「もういいんだよ、お姉ちゃん」
粥の様な顔色でじゅんじはそう、つぶやいた。
何もかもが無意味であるかに思える響き。
ようこには今聞こえてきたそれが信じられなかった。
「もう、いいんだ」
もう一度繰り返すと、じゅんじの上体が力無く崩れ落ちた。
「じゅんちゃん!」
ようこは素早く手を伸ばし、裸の胸に弟を掻き抱く。じゅんじの急変にあいこと
みほも姉弟の傍へと駆け寄った。
「じゅんちゃん、血は止まったから、もう大丈夫よ、じゅんちゃん!」
ようこに強く呼びかけられたじゅんじは、虚ろな眼で姉の顔を見据えた。
「見せたかったなぁ、飛行機」
「えっ…?」
「秘密、基地で作った…飛行機」
通学路から離れた場所にある廃屋。
それが「秘密基地」だった。
中田ごうじ【男子16番】が小さいアンテナ付のノートパソコンを叩いている。
頻繁に通信して通信料金は大丈夫なんだろうかと質問すると、
『パケット通信ですからねぇ』
とじゅんじには理解しにくい返答。そう言えば『政府の対外ファイアウォール』
だの『本物のインターネット』だの、小学生には意味不明の用語も使っていた。
小倉けんじ【男子6番】と杉山豊和【男子12番】はコンビ漫才の練習に余念が
無い。新作の観客はじゅんじか中島正義【男子15番】。とは言え、中島が愛読
する「仮免ライダーthe Origin」の方が断然面白いのだが。
秘密基地の半ばを占める物体──人力飛行機の作成に勤しんでいるのは宮前空
【男子22番】。中田のパソコンで資料を仕入れたりして営々と作り上げ、今月
ようやく形になった所だ。ようちゃんに見せてあげたいけど、秘密基地の事は
男同士の秘密だ。秘密だから秘密基地なんだ。
矢田まさる【男子25番】がこの基地にいるのは或る意味謎だった。
中田のパソコンで教育上よろしくない画像──流石に瀬川おんぷ【女子14番】
関係の物は中田が出すのを嫌がった──に見入ったり、決して安くはない少年
マンガの単行本を回し読みしたり、トヨケンの新作漫談についてああだこうだ
と意見を交わしたりと言った基地の定番行動に参加せず、かと言って誰の邪魔
もせずに居るだけだった。それでいて宮前の飛行機製作には率先して材料調達
に参加しているのだがら、謎以外の何物でもない。
小竹哲也【男子9番】はサッカーの練習帰りにちょくちょく来ている。小竹が
来る時はクラスのゴシップを仕入れて来るのが常で、最新の話題は木村たかお
【男子8番】と小泉まりな【女子10番】の進展具合についてだった。尤も、矢田
がそうした話題に口を挟む事は皆無だったが。
限られた空間で限られた人間が他愛も無い時間を過ごしている。
秘密基地のそんな雰囲気がじゅんじは好きだった。
「ああーっ、大きなヒコーキがあるぅ!」
開口一番、巻機山花【女子24番】が無邪気に叫ぶ。一気に凍りつく8人。次の
瞬間、小竹に視線が集まる。
「え、オレぇ?」
「ハナちゃんに後着けられただろう」
「全く、不用意ですよ」
「どうする?」
「うーん…そうだ、ハナちゃん」
じゅんじはハナにこう提案した。
「飛行機が飛ぶ所、見たくないかい?」
きょとんとした表情のまま尋ねる。
「ねーこたけぇ、ヒコーキとぶの?」
「オレに振るな、オレにっ!宮前、ハナちゃんに何とか説明してくれよっ」
ハナに上着の裾を引っ張られたまま、小竹は宮前にまくし立てる。
困惑しつつもまんざらでもない宮前は、ハナに向き直って…
じゅんじの意識が電波障害を受けたテレビ画面の様にビヨビヨと乱れた。
「じゅんじくんっ!」
耳を突いたのは丸山みほの叫び。
「丸…山さん…そうだ、ハナ…ちゃんに」
「ハナちゃん?ハナちゃんがどないしたん!?」
意外な固有名詞が出したじゅんじを、あいこは思わず問い詰めた。
「秘密基地…知って……もうハナちゃ…だけなんだ……だからお姉ちゃん、や…
妹尾さん、丸山…ん……ハナちゃん、と会ったら…飛行機…」
じゅんじの台詞が途切れた。
それから数十秒の間、万田じゅんじは意味のある言葉を発する事は無かった。
わずかに死の直前、こう呟くのが判った。
「ようちゃん、ごめん」
【男子21番・万田じゅんじ 死亡】
【残り12名】
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