無題






「くっ・・・・」
何とか息を殺していた万田じゅんじ【男子21番】だが、襲撃者の逃走を
確認した途端に苦悶の表情で天を仰いだ。
青ざめた顔には脂汗がじっとりと滲んでいる。
左肘の関節が打ち抜かれ、肉と皮だけでぶら下がっている。糸の切れた
あやつり人形のようだ。
巻き付けたタオルからは血が滴り落ち、すでに包帯としての役目を果たしていない。
「だっ、大丈夫っ?」
丸山みほ【女子26番】はそばに寄り添うようにして言った。
「うん・・・」
じゅんじは虚勢を張ったが、肘関節と肘の内側を通る動脈を撃ち抜かれて
大丈夫のはずがない。
歯を食いしばった口から漏れる息は荒い。血を流しすぎている。
「ゴメン・・・、丸山さんっ・・・、ここ・・・、強く縛ってくれないかな・・・・」
じゅんじは左の二の腕を掴んだまま喘ぐようにみほに言った。
ぽたぽたと血が滴り落ちる。
ぶら下がっているだけの肘から先は、既に肌色がわからない。
骨折箇所を固定していた包帯も、もちろん既に鮮血に染まっている。
一刻も早く止血しなければ失血死してしまうのは明白だ。
みほは、何か紐のような物は・・・、と考えるとすぐに頭上にある「それ」に
思い至り、自分の頭上に手を伸ばした。
リボンの一端をつまんで引っ張ると、団子状にまとめていた髪がほどけ、
長めの前髪が目にかかる。
首を振ってそれを払うと、肘からタオルを外し、無言でじゅんじの腕をリボンで縛った。
脈に合わせて吹き出す血とひくひくと動く筋肉、黄みがかっているのは骨の破片だろうか。
眼前の光景を拒絶するように目の前が暗くなる。全身の血が重力に従って
落ちていくのがわかった。

 血を流していない方が貧血を起こしてどうするのよ!

みほは強く頭を振り、何とか意識を保つ。
上腕を縛って止血した後、なんとか新しいタオル(最期の一枚だった)を
包帯代わりに巻いてあげることができた。
それでも出血を完全に止めることはできないが、当座は凌げるだろう。
「ありがとう・・・・・」
じゅんじの顔色はさらに悪くなっている。話すのも辛そうだ。
「これで、いいの?」
「うん・・、血が止まれば・・・。どうせ・・・、左手は・・・使えなかったんだし・・・」
そう言って力無く笑うじゅんじの姿をみほは見ていられなかった。

胸が苦しい。締め付けられるというのはこういう事を言うのか。
目元が熱くなる。溢れてくるのは冷却水ではない。
自分の中の気持ちがどんどん膨らんでいく。加速のついた脈拍がポンプの
作用をしているのだろうか。

「ね、もう逃げましょう」
みほは堪らなくなって、そっとじゅんじの頭を抱き、囁いた。
今までの自分なら到底できなかったであろう大胆で積極的な行動だったが、
不思議と躊躇いも恥ずかしさもなかった。
頬にじゅんじの柔らかい髪の感触が伝わる。
呻き声にも似た荒い息づかいが腕の中から聞こえてくる。
自分の鼓動はじゅんじに伝わっているだろうか。

「このままじゃ、死んじゃうよぉ・・・」
みほは呻くように言った。涙が頬を伝わり、じゅんじの髪に染み込んでいく。
しかし、じゅんじの腕はみほの腕を振り払う。
「時間が・・・なくなっちゃう・・・、行かないと・・・。待って・・・、いるんだから・・・」
じゅんじはそう言って立ち上がろうとしたが、すぐに膝が折れた。
みほはその姿を見てじゅんじの気持ちを酌み取ると、再び強く胸が痛んだ。

山小屋を挟んだ向こう側には、ライフル銃を構えた敵と対峙した万田ようこ
【女子27番】と妹尾あいこ【女子15番】がいる。
ようこはじゅんじの双子の姉。
双子となればその絆は普通の姉弟以上に強いのだろう。
それに、この極限状態の中で、双子の姉弟とは別の関係を築いていること
はわかっていた。
いくら自分が鈍くたって、このくらいはわかる。
それを、自分は見捨てさせようとしたのだ。
いや、ただ、自分が逃げたかっただけじゃないのか。
どちらでもいい。どちらにせよ、自分の鈍感さに腹が立った。

そんな自分が、今じゅんじにしてあげられることは、一つしか考えられなかった。
みほは天を仰ぎ、涙を拭った。

「うん・・・、わかったわ。じゅんじくん、先に行きましょう。あいこちゃんも
ようこちゃんも怒ったら怖そうだしね」
無理に笑顔を作ってそう言うと、みほはじゅんじの右腕を取った。
「そうそう・・、お姉ちゃんは・・・怒らせない方がいいよ・・・」
じゅんじも無理に笑顔を見せる。
みほは再び涙がこぼれそうになるのを堪え、じゅんじの冷たい右手を握りしめた。
愛しい人を恋敵の元へ送り届けるために、じゅんじの手を引いて立ち上がる。
命を賭してまで、最愛の人の元へ行こうとするのなら、自分も命を賭して
最愛の人の願いを叶えてあげよう。
みほは、強くそう想った。

じゅんじと、それを支えるようにしているみほの二人が、木の陰からそろり
と立ち上がるのが見えた。
結果的に待ち伏せの形で伊集院さちこ【女子3番】を葬り去った岡島小太郎
【男子5番】は、
その後ろ姿を地に伏せた姿勢で睨みつけていた。
状況から考えて伊集院さちこと撃ち合っていたのは、あの二人で間違いない。
丸山みほが脇に抱えるようにして持っているのは、よく見えないが機関銃の類だろう。
極めて厄介だ。
しかし、勝算はある。
万田じゅんじは怪我をしているようだ。武器らしきものも手にしていない。
実質戦闘力を有しているのは丸山みほ一人だけということになる。
その丸山みほは、銃を小脇に抱えるように持っているだけで、すぐに撃
てる状況ではない。
そして、まだこちらの存在に気付いていない。

頭の中で状況を思い浮かべる。
今の距離の半分まで気付かれずに接近できれば、あとは気付かれても構わない。
一気に斬りかかれば、銃を構える暇を与えることもなく切り捨てることができる。
小太郎は刀を握り直し、音を立てずに立ち上がった。


目的の山小屋まではもうすぐだろう。
前方の生い茂った木々の切れ目から、明るい光が差し込んできている。
すなわち山小屋のある空間が近いということだ。
気持ちが逸るが、じゅんじのことを考えると無理にペースをあげるわけにもいかない。
顔色はさらに悪くなり、息のペースだけはあがっていた。
みほは、そんなじゅんじに励ます言葉すらかけられなかった。
じゅんじの右手の冷たい感触がみほの左手に伝わってくる。

 大丈夫、もうすぐようこちゃんのところに戻れるからね。

みほがじゅんじの体温を意識してそう思った途端、不意にじゅんじの足が止まった。
「くぅっ・・・・」
じゅんじは繋いでいた手を離して左腕を押さえ、再び襲ってきた痛みの波に耐えた。
みほはじゅんじの苦痛の声に反射的にそちらの方に顔を向けたが、
そのとき視界の端に映った人影に対して、さらに反射的にそちらの方に顔を向けた。
結果的に後ろを振り向く形になったみほは、一瞬動きが止まった。
そして、その視線の先にいた岡島小太郎の動きも一瞬止まる。
お互いが、予期せずに対峙した次の瞬間には、お互いが瞬時に判断した
行動に移っていた。

小太郎は、距離はやや遠かったが、一気に間合いを詰めて上段に刀を振りかぶる。
みほに銃を構える暇はない。
「きゃっ!」
みほは怯みながらも銃身で何とか日本刀の一撃を受け止めることができた。
じゅんじも咄嗟に横に飛び退いて間合いを取っていた。

小太郎は、初太刀を無理に押すことはせず、じゅんじに気を取られることもなく、
素早く構え直して中段の突きを放つ。
その突きは、切っ先がシャツを切り裂いただけで、紙一重でみほはかわすことができた。
小太郎の3度目の攻撃は、袈裟に構えての斬撃。
しかし、その斬撃がみほに対して振り下ろされることはなかった。
突然小太郎の視野が飛翔物を捉えたため、それに対して振り下ろされたからだ。
飛んでくるものを叩き落とすという動作は、小太郎にとっては条件反射の行動。
しかし、今回はその条件反射が裏目に出た。
飛翔物は、じゅんじが投げつけた灯油入りの瓶だった。
ガラスの破片と灯油が小太郎に降りかかる。
それに気付いたとき、全身に戦慄が走った。

「丸山さん、よけて!」
じゅんじの状態からすると信じられない大声が突然響いた。
その声とともに投じられた第2投目はねじった紙。
火炎瓶の栓にするためあらかじめ用意されていたもので、もちろん火がついている。
放物禅を描いて飛んでくる火は小太郎の足元に落下し、地面にぱあっと炎が拡がった。
小太郎の行動は一瞬遅れて、飛び退く前に炎が小太郎の足を一気に駆け上がってくる。
「うわぁっ!」
半ば以上炎に包まれた小太郎は、堪らず地面を転げ回る。
もちろんみほはこの隙を見逃さない。
地面に燃え広がった炎を挟む形の小太郎に向けて引き金を引いた。
連続して鳴り響く銃声。
銃弾は確実に小太郎を捉えていた。
しかし、炎に包まれ、銃弾を浴びながらも小太郎は転がりながら木の陰に逃げ込んだ。

それを見たみほは一瞬逡巡した。
すぐに回り込んで確実に仕留めるべきか、それとも・・・。
答えは考えるまでもなかった。
「ごめんなさい、じゅんじくん、ちょっと我慢して。早く、逃げましょう!」
みほは、なかば呆然とした様子で片膝をついていたじゅんじの右手を掴むと、
無理矢理立ち上がらせて走った。

 そうだ、今は敵を倒すことが目的じゃない。そんなことは後でもできる。
 でも、じゅんじくんは・・・・早くしないと・・・。

みほの目からまた涙が溢れてきた。
これで泣くのは何度目だろう。
思わずそんなことを考えてしまった。

一気に森が途切れて広い空間に走り出た。
時間にして30分ほどだったが、あまりにも遠く、長かった道程。
しかし、やっと着いた。じゅんじとみほは、心の底からそう思った。



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