無題
ひゅう、とミニチュアの衝撃波が万田ようこ【女子27番】の耳朶を叩いた。
発射音がそれに続くと同時に歩兵銃の引鉄を引く。
銃弾は山小屋の土台にめり込んだ。目標から2メートルも下だった。
「あっ…」
ようこが弾切れに気づいた時、それに付け入るかの様な次弾が飛んできた。
銃口が光った瞬間、地へ着けた右膝を支点に身体を投げ出し、伏せる。
背中を逆毛立つ感覚が通り過ぎた──
(今の当たってたかも)
ようこがそんな感想を抱く間も、身体の方は台所のゴキブリを連想させる動き
でクリップホルダを装填していた。
樋口まき【女子22番】が山小屋防衛の軸に据えたのはSSG69狙撃銃だった。
その長射程で全ての武器をアウトレンジし、周辺を実質的制圧下に置く。
侵入者は速やかに排除──勿論、この世から──し、その武器を接収する事で
今後の展開を有利に進める手駒を増やす。
唯一の難点は数を頼りの力攻めに対し余りにも脆い事だ。が、このプログラム
で徒党は組めない。参加者各人の疑心暗鬼がそれを許さないからだ。
狙撃を恐れて誰も来ないか迂回する様になればしめた物だ。
安心して休める。
2人は軍事的専門知識を持たなかったが、その単純かつ明快な指針が正しい事
は本能的に理解していた。実際、最初は上手く行ったのだから。
綻びは妹尾さん達が現れてからだ。
この時期、4人で行動する人達なんて考えてもいなかった。
顔触れを見て理解はしたけど、納得なんて到底出来ない。
なんでこんな!
やっぱり、さちこちゃんと組んだのは失敗だったのかしら?
この状況に至る原因が伊集院さちこ【女子2番】に求められるのも当然だった。
天野こうた【男子1番】と林りょうた【男子19番】の死体を放置せず、何処
かへ遺棄すべきだったのだ。さちこにはそれが出来ず、結果的に決定的な奇襲
の機会を失ってしまったのだから。
直接的脅威の片方を排除し、もう一方は狙撃銃の死角で止まっている。これで
山小屋への突入を防ぐという当面の目標は達成した。そう認識したまきが撤退
準備を考え始めたその時、視界の端に映る2つの影が許容し難い挙動を見せた。
山小屋に回り込もうとしている?見逃しても良かったのに!
窓から出された銃身が大きな角度を取った。
どたまが重い。
耳がじんじん痛い。
耳ん中がわんわん鳴っとる。
景色がでんぐり返っとる。
横倒しの地ベタに横倒しの家。
販売機だけは──ちゃう。アレは最初からOY!COLAの字ぃが横向きに付いてん。
しっかし、えろう古い機械やなあ。
横倒しになっているのは自分だと妹尾あいこ【女子15番】が気づく。そのまま、
何故か脇に転がっていたショットガンを右手で引き寄せる。
奇妙な違和感のある耳へと伸びた左手。それが触れた個所に痛覚。
あいこの全身がビクンと痙攣する。何やこの痛さは?
改めて慎重に、今度は顔全体を撫でる。何か粘着質の物がこびり付いている。
手が左側頭部に回った時、違和感の正体が判明した。
左耳がそっくり無くなっていた。
ああ、さっき1発貰うたんやね。我ながら無茶しよったから、無理ないわ。
まあガワだけで中身が無事なんやから、儲けもんちゃうか。
でもメガネするのには不便やなあ。ゴムバンドで留めるのも格好悪いわ。
ま、今度お母ちゃんと会う時は髪型変えんとあかんな。
そないな事より、もしかして身体傷モンにされたん?
お母ちゃんゴメンな。
あいこはゾンビ──野球中継の穴埋めに使われる米帝製映画では定番だ──の
如くゆらりと立ち上がった。
主観情景もむくりと起き上がる。
腰の辺りまでなだらかな草地。向こうに伏せた格好でじたばたしているようこ。
頭上にOY!COLAの自動販売機。山小屋も半ば隠れている。
窓から伸びる銃身は遥か彼方を狙っているらしい。その先には2つの人影。
何も考える必要は無い。あいこは自販機の陰からショットガンを構え、撃った。
木製の窓枠が砕けるのが見えた。
SSG69狙撃銃が発砲した。だが、それはまきの意思による物では無かった。
その証拠にスコープの中で砕け散る筈だった丸山みほ【女子26番】が山小屋を
避ける方向へ走ったからだ。照準の途中だったのに。でも、まあいいわ。
鈍い痛みを覚えたのはその直後だ。
まきは反射的に狙撃銃を引き揚げ、痛みの元へと視線を落とす。
右腕に3センチ程の細かい木片が突き刺さり、手がピクピクと意図せず動いて
いる。女子の間で評判の悪かったカエルの下半身への通電実験を思い出す。
木片の出所が窓枠なのは一目瞭然だった。銃弾で砕け、飛び散ったのだろう。
(このままじゃ銃が撃てない)
狙撃銃を脇に構えたままで、自分の血で塗装された木片を力任せに抜き取る。
最初の物が小手調べに思える激痛。声にならない叫びを押し殺す。
それがしゃっくりの様な痙攣へと転換されると、再び銃を構え直した。今度は
眼前の2人だけを射界に収め、銃身も突き出さない。
まきは自分の座っている場所から下が即席の水階段になっているのに気づいた。
惨めだ。泣きそうになる。
自分をそんな目に遭わせた物への怒りが湧き上がった。
窓に発砲炎の光。
間を置かず、車が追突したかの様な破壊音。
自販機は一瞬ビクッと震え、腹の中に溜め込んだ缶を次々とひり出した。
(うわ、キッツイなぁ)
たった今、頭上で展開された光景に対して、妹尾あいこ【女子15番】は素直な
感想を抱いた。心なしかショットガンを握る手に汗が滲む。
次の弾が飛んで来た──今度は給食のバケツを階段から転げ落とした音。更に、
破裂音。気化した冷却用触媒がシュウシュウと耳障りに噴出する。
「このっ!」
山小屋の壁が砕け散る。
それに対する返礼は速やかに行われた。自販機の土台が砕け散り、その場へと
伏せたあいこの頭に降り注ぐ。
「くぅ…ようこちゃん!」
苛立たしげに大声で万田ようこ【女子27番】を呼ぶ。殆ど八つ当たりに近い。
あいこが遮蔽物としての意義を誇示しているOY!COLAの自販機の陰で悪戦苦闘
している様子は、遠くからもはっきりと判っていた。だが、現状のようこには
効果的な援護が困難だった。
正式な軍事教練を受けていない児童にとって、完全な伏撃ち(プローン)の体勢
からの迅速な射撃・弾薬装填は炎天下のフルマラソン完走に等しい難業である。
そうした状況に置かれたようこの隙を山小屋の狙撃者が突いたのは明白だ。
(早く、撃たなきゃ)
目前を腕時計がかすめる。
射撃戦の開始から10分しか経っていない。長いのか短いのか判らない10分だ。
そうこうしている内に自販機が又、その身を大きく揺るがせた。
「え?……えっ、えええええっ!?」
間の抜けた破砕音と共に土台から割れ落ち、あいこの肩甲骨を強かに叩く拳大
のコンクリート片。息が詰まる。
(〜〜〜〜っ!)
名状し難い痛み。自分の両目から星が出ているだろうと確信するあいこ。だが、
今の狙撃が引き起こした事態は始まったばかりだった。
キィィィッ、と手入れが悪い校庭の遊具が立てるのに似た金属の軋み。
あいこの脳裏で疑問符が増殖する間にもそれはゆっくりと、しかし確実に一定
方向への加速を進めていた。
一般的に、その加速運動は「転倒」と呼ばれる。
大きく破損した土台が支えきれなくなった自販機、その横に付いたOY!COLAの
ロゴがあいこの視界一杯に広がった。
やられた。
その音は思った程は大きく響かなかった。下が草地だからだろう。
土煙も揚がらない──見えなかっただけ?
妹尾あいこの格好の拠点となっていた自動販売機の土台を連続した狙撃で砕き、
頭上へと倒れ込ませる事に成功した樋口まき【女子22番】は、一連の出来事を
百葉箱の数値でも記録するかの様に見ていた。
SSG69狙撃銃の弾は30発を切ったが、それに見合う「戦果」が得られたのだ。
よく観察すると完全に自販機の下敷きになった訳ではないのが判ったが、まき
は失望しなかった。過大な期待も掛けていないからだ。
高目の銃声。壁が不愉快な音を響かせる。
万田ようこだろう。旧式銃でよくやる。
スコープを覗くと──
(ふー、危ないところやった)
無意識の内に身体を捻ったあいこは、辛くも自販機の下敷きになる事を免れた。
あいこ自身、そう考えていた。
低い姿勢のまま倒れた自販機から離れようとする──が、足を取られて無様に
突っ伏す。
「ぶっ!」何や、コレわ。
左の足首が自販機と地面の間で絶妙に引っかかっていた。
思わず山小屋の方を見る。件の窓からは丸見えもいい所である。
焦りがあいこの胸中を支配した。
みじめな物ね、妹尾さん。
スコープの中で倒れた自販機と格闘しているあいこの姿に対して、まきが抱い
た正直な感想だった。
今後を考えると出来るだけ1発で仕留めたいが、いっその事ようこも始末して
2人の武器を入手しようかとも考えてしまう。取り敢えずは、あいこから片付
けよう。
スコープの中では無意味に近い努力が続けられていた。
脇に転がっていたポカエリアスの缶が破裂した。銃弾の貫通力を窒素充填され
ていた中身が爆圧へと転換したのだ。
あいこは自分の末路を重ね合わせて身震いする。
未だに中身を抱えている自販機は、押せども引けどもビクともしない。呼吸が
荒く、早くなるのが判る。
次の弾は自販機本体にめり込んだ。
いい加減、死んじゃいなさいよ!
まきは狙いを確実にする為、銃身を壊れかかった窓枠に乗せた。
「──っと!」
立て続けに無駄弾を3発撃ち、そして呼吸を整えるようこ。
山小屋の窓に炎が浮かぶ度、自販機に着弾する度、肝が冷える思いを味わう。
(どうしよう、このままじゃ妹尾さんが)
判っているが、それだけではどうにもならない。
手詰まり感に捕らわれようとしたその時、窓から銃身が突き出された。
思わぬ好機に、ようこは何も考えず引鉄を引いた。
三八歩兵銃の弾丸はまきに命中しなかった。だが、考え様によってはその方が
マシかも知れない場所へと当たった。
窓の留め金が粉砕された。
跳ね上げ式の窓は外壁と調和させる為の装飾でそれなりの重量を有していた。
故に急に閉まると、銃身を咥え込んで止まった。衝撃は狙撃銃全体を建物の中
へと押し遣り、スコープにもそれなりの力が加わった。
そこにはまきの右目があった。
まきは自分の右目にスコープが押し付けられる痛みを覚え、うっと呻いた。
窓から銃身を無理矢理抜き取り、両目をしばたかせる。
左右で著しい違和感がある。
もう一度、右目でスコープを覗き込む。
視界が歪んでいた。
眼球の一時的変形による症状で、時間が経過すれば自然と元に戻る物だった。
だが狙撃を続けねばならないまきに取って、時間の経過を待つという選択は決
して有り得ない物だった。
樋口まきの進退はここに極まった。
SSG69狙撃銃を抱えたまきが、よろけつつ階段を登ってゆく。
メゾネット構造の2階には段ボールや木箱が無造作に積まれていた。
ふと、考えて見る。
もしあの2人が脱出を優先するなら、山小屋からの狙撃が無くなった今の内に
逃げ出すだろう。
だが飽くまでも山小屋の──つまり、まきの──無力化にこだわるのであれば、
ここに乗り込んで来てもおかしくない。時間的にまきを殺して安全を確保する
だけの余裕はある。
なら、逃げるか?
しかし獲物はこの狙撃銃だけ。やたらと重く弾も20発ほどしか残っていないが、
これから1人で、事実上丸腰で島を歩く事など想像の埒外だった。
だからと言って、狙撃性能と引き換えに運搬性を度外視しているこの銃を屋外
で取り回すのはきわめて困難である。所詮、この銃は待ち伏せ専門なのだ。
何気なく見た姿見。そこにはアイピースの跡が刻まれた右目と、焦燥し切った
まき自身の表情が映っていた。
(隠れよう。隠れてやり過ごそう)
禁止区域発効まで、あと40分強。
ようこが閉じたままの窓から狙撃を受けないとようやく確信した時、あいこは
自販機の上に半身を乗り出し器用に回転する事で左足の自由を取り戻していた。
それを認めたようこは歩兵銃に着剣し、大声であいこを促した。
「ちょ、一寸待ってや」
そう言ってようこを制したあいこは、自販機の取出口に溜まっていた缶を何個
かデイバッグに放り込み、それからショットガンを構えて手を振った。
(ったくもう、時間が無いのに…)
ようこが気にしたのは残り時間だけでは無い。既に迂回行動に入ったじゅんじ
達──丸山みほ【女子26番】と万田じゅんじ【男子21番】の安否も気遣われる。
相手が狙撃者1人とは限らない以上、不測の事態が生じていてもおかしく無い。
それ故、いつまでも目前の山小屋に関わり合っている訳には行かないのだ。
「よう冷えとるわ。後でようこちゃんもな」
左手に持ったOY!COLAの缶を頬に押し当て、何気なく自分へ呼び掛けるあいこ
の姿に、ようこは関西出身者に対する或る種の偏見を強めた。
『このシュワシュワがたまらない』
というOY!COLAの謳い文句に嘘偽りが無い事を、あいこは実感させられた。
何とはなしにジャリジャリする口が気になり一息にあおったのは良かったが、
痛みすら覚える炭酸の刺激に耐えられず、力無く吐き出す羽目になった。
アゴを伝ってだらしなく流れ落ちる褐色の液体に、何か白っぽい物が混じって
いる──歯の欠片だった。転んだ時に折れたか砕けたかしたのだろう。
まさか教頭先生が信じてるみたいに、コーラで歯が溶けた訳やないやろ。ま、
社会の時間にキッツイ格好した人のスライド見せて『コーラ・長髪・電動楽器
は退廃文化の三要素』なんて真顔で言う位やからね。
あいこは飲みかけの缶を山小屋に投げつけた。缶は壁に当たると力無く潰れた。
距離を取って互いの死角を警戒しつつ、あいことようこは山小屋へと近づく。
件の窓は閉じたまま。別の射点から攻撃して来る気配も無い。
「もう逃げちゃったかしら」
ようこが不安げに尋ねる。それは半ば願望でもあった。
「だと、ええけどな。ほら、手榴弾」
あいこが放って寄越したのは、OY!COLAの缶だった。
「え?これ…」
左手に受け取った缶の冷たさに戸惑いつつ、この行動の真意に気づくようこ。
(そう“手榴弾”、ね)
「アタシは」
それだけ言うと、あいこは正面の扉と脇のガラス窓を指差した。
窓から“手榴弾”を投げ込み、注意を引いた所へ正面から突入。そういう事だ。
やはり無言で頷き、中腰になってガラス窓へと近づくようこ。あいこが位置に
つくや否や、ガラスを破ってコーラ缶を投げ込む。
ガシャン、という破壊音と共に何かが転がる。それが部屋の調度か何かに当た
って止まるとほぼ同時に玄関の扉が乱暴に蹴破られ、慌しい足音がそれに続く。
歓迎されざる来訪者がバタバタと部屋中を駆け回る。
2階で半ば段ボール箱に埋まっていたまきは、不安に押し潰されつつ成り行き
を見守る事しか出来なかった。
ガシャン、という音が号砲代わりだった。
妹尾あいこ【女子15番】は蝶番の形状から扉が内開きである事を確認すると、
それを蹴破りヘッドスライデイングの要領で内部へ飛び込んだ。
広くない室内。一寸したテーブル。
メゾネットの2階。に続く階段。
高い天井。
内部を確認した時、ショットガンの台尻が何かそこそこの重量感を持つ物体に
当たり、それを跳ね飛ばしたのを感じた。
その物体──モップ絞り用のペダル式ローラーが付いたプレス板製バケツは、
1メートル程横滑りしてテーブルの脚に当たって横転、中身を階段の上がり口
へ派手にぶちまけた。
「うへ…っ!」
臭気に思わず顔をしかめつつも、立ち上がると改めて室内を見回す。階段とは
反対側にもう一つ扉があり、開け放たれたそこからは小屋の外が見えた。
もう誰もいないのか?
あの狙撃者は逃げ去ってしまったのか?
「ようこちゃん!」
時間が気に掛かる。
万田ようこ【女子27番】が山小屋に入ったのは、あいこが突入してから1分も
経っていない頃だった。勿論、大声であいこに呼ばれたからだが、それと別に
早く弟の、万田じゅんじ【男子21番】の元へ急ぎたいという心情があった。
「う…」
やはり部屋の臭気が気になったのか、僅かに左手で口を抑える仕草をする。
「複数…やね」
「え?」
「ここには複数の人間がおったちゅう事や。見てみ」
あいこは狙撃者が陣取っていたであろう階段の途中を指差す。そこは何か濡れ
ている様だった。
「それ用のバケツがあるのに垂れ流しとるちう事は、別に誰かおったんよ」
言われてみればそうだ、とようこは思った。この山小屋は衛生上の都合か何か
で便所が別棟になっていた。だが、そこは自分達にとって格好の的でもあり、
あの銃撃戦の最中に出入り出来る場所でないのは確認済みでもあった。
「ただ逃げたんやったらええけど…」
あいこの顔が曇る。つまり逃亡者が途中でじゅんじ達と遭遇するのでは、と云
う可能性についてである。
「ま、みほちゃんマンダリン銃持っとるから、大丈夫とは思うけどな」
階下から聞こえてきた妹尾あいこの何気ない台詞に、樋口まき【女子22番】は
戦慄した。丸山みほ【女子26番】が持っている、というマンダリン銃──シュ
パーギンPPSh41バラライカの通称──について心当たりがあったからだ。
敬愛する兄・秀三の影響だろうか、まきは活劇物のドラマを好んで見ていた。
『白頭鷲は舞い降りた』という米帝製の戦争活劇がテレビで放映された時も、
ソファに腰掛けた秀三の隣で食入る様にしていたのだ。
筋書きは大した物ではない。米帝の特殊工作部隊が南朝同盟国(と思う)に潜入
するが、腐敗しきった軍上層部の思惑に振り回された挙句全滅、という話だ。
問題はその主人公が途中で調達した銃である。
まきがしがみ付く様に持っている狙撃銃とは大きく異なり、比較的短い銃身に
円形弾倉が付いている。それは一連射で多数の弾丸を撃ち出し、瞬く間に包囲
していた兵士達を倒していた。
丸山みほが使いこなせるかどうかは別としても、伊集院さちこ【女子3番】に
持たせた大型拳銃に対して実用性の点で大いに勝っているのは間違いない。
「妹尾さん、これ…!」
あいこはようこが歩兵銃に装着した銃剣で指し示した場所を見た。
階段の途中に付いた血痕だった。
「居るんじゃない?」
声をひそめたようこに、あいこは目だけで周囲を見回す。
(どないしよか)
居るとすれば2階だ。見逃してもいいが、背中から撃たれるのは好みではない。
乗り込んでショットガンを撃ち込めば、多少の障害物も関係ない。
問題はケリを着けるまでに何発使うか。相手の反撃があるのかという点だ。
あいこが黙って階段に足を掛けようとした──その時。
ぼん。
奥の開けっ放しの扉から、くぐもった銃声が僅かに聞こえてきた。距離的には
少し遠いが、じゅんじ達が迂回したであろう方向と一致している。
「今の…」
「じゅんちゃんっ!」
あいこの後にいたようこが踵を返し、銃声の聞こえた方向へ走る。
「え、あっ、ま、待ってや。ようこちゃんっ」
しばしあっけに取られ、視線を2階とようこが出て行った裏口の間で往復させ
たあいこだったが、忌々しげな唸りを挙げ慌てて後を追った。
────────────────────────────────
あれから何分経ったのだろうか。もう時間の感覚が無い。
あの銃声の後、何かが破裂する音が聞こえた様な気もする。
ああ、アレがマンダリン銃って奴の音なんだ。
そう言えば最初に妹尾さんを狙撃した時、何かで撃たれたっけ。
何で今まで忘れてたんだろ。
なかなか向こうが攻めて来なかったのも、こちらも似た用な武器を持っている
と思っていたのかしら。
やっぱりさちこちゃん、ダメだったのかなあ。判り切っていた事だけど。
これからどうするの。私、もう一度兄さんに会いたい。
絶対に。
もう誰も居ない山小屋の2階で、狙撃銃を男根信仰の崇拝物の如く抱きしめて
いた樋口まきは、まどろみすら覚えつつ取り止めも無い考えを弄んでいた。
そして、朦朧とした頭で何とはなしに腕時計を見た。
3時42分。
禁止区域発効まで、あと18分だ。
まきはむくりと起き上がった。まだ左右の視界の歪みが残っている。
デイバッグを背負い直し、残り少なくなった弾倉を装填した狙撃銃を天秤棒の
様に担ぎ、慎重に階段を降りる。
ふと、裏口の方に目が向く。特に変化は無い。
(戻って来る訳ないか)
少し考えて、あいこ達が蹴破った入口から出る事にした。何か引っかかる物が
あったかも知れないが、脱出するのが先決と脳裏から追い出した。
外は依然として明るい物の、ちらほらと見える雲と傾きつつある太陽のせいで
眩しさは感じなかった。進む予定の道に目を遣ると──
(ああ、アレがあったわね)
まきが手に掛けた天野こうた【男子1番】と林りょうた【男子19番】の死体。
蝿がたかり始めた虚ろな表情のこうたと目を合わせてしまった。
山小屋を出る直前の漠然とした不快感はそれだった、と今更ながら気づく。
それを叱るかの様に、首からピッピッという電子音が聞こえた。
『いいですかぁ、皆さんの首に装着されている“ガダルカナル改II型”わぁ、
指示に従わない悪い子にオシオキするためだけの物、でわありませぇぇんっ。
禁止区域に近づいたり、指定時間近くになっても指定区域にいたりするとぉ、
警告音と共に赤い警告灯がぁ、点灯する事になっておりむあすっ』
あの梅尾とかいう自称・担任教師の説明が思い出される。急がないと。
まきは地図を取り出して広げ、禁止区域に指定されていない場所を確認した。
さちこや他の人達が行った方向からなるべく離れる為には、途中で道を外れて
藪の中を通り抜けるしかない。果たして狙撃銃を背負ったままで行けるのか?
もう何も考えない。
走る。走る。走る。
まきは走った。普段からは想像も出来ない位遅いが、道無き道を荷物を抱えて
滝の様に汗を流して走るのだから仕方ない。
首輪の警告音は既に連続音へと替わっている。
早鐘を打つ心臓は精神的にも追い込まれていた。
不意に警告音が止まった。
ヤッパリダメダッタノ、ニイサン。
樋口まきは依然としてこの世に在った。
しばらく走り続けていたが、息切れすると狙撃銃を地面に置き大の字になる。
あはっ、私まだ生きてる。
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