無題
近くで鳥が飛び立つ音がした。
枯れ枝を踏みしめる音と茂みをかき分ける音以外では久しぶりに聞いた気がする。
風はほぼ無風状態。
鳥が飛び立った今、近くに音を立てるのは岡島小太郎【男子5番】以外には誰もいない。
小太郎は足を止め、腰を下ろして木にもたれ掛かると大きく一つ息を付いた。
松下あや【女子25番】との戦闘の際に負傷した脇腹が痛む。
幸い行動を大きく制限するような傷は負わなかったものの、足元の悪い山中で
踏ん張るたびに苦痛で顔が歪んだ。
小太郎はこうして歩を止めるたびに数時間前の自分の詰めの甘さを思い返して歯
噛みした。
よもやあそこで逆襲に転じるとは・・・。
・・・いや、違う!
小太郎は強く頭を振り、痛む脇腹を押さえて自分の慢心を恥じた。
完全に追いつめて勝ったつもりでいた自分が悪い。
銃の影に怯え、隙を見せた自分が情けない。
相手だって生き残るために必死なんだ。
こっちの隙を突いてくるのは当たり前じゃないか。
自分が決意したことは何だったんだ。
自分は何のためにここにいるんだ。
自分は何のために生きているんだ。
どのみち明日には死ぬ身だ。
殺意と覚悟だけあればいい。
そう思うと不思議と痛みが和らいだ気がした。
小太郎は額ににじみ出る汗を拭うと、前を見据えて歩き出そうとしたそのとき、
2発の銃声が立て続けに小太郎の耳に届いた。
それを聞いた小太郎は、踏み出した足をすぐに止めた。
再びずきりと脇腹が痛む。
距離は遠そうだが、それは確実に小太郎が足を向けている方から聞こえてきた。
じっと耳をそばだてるが、それ以降銃声は聞こえてこない。
設定された禁止区域のことを考えると、銃声の発生源はおそらく山小屋だろう。
この先に確実に誰かがいる。
それは飛鳥ももこ【女子1番】かもしれないし、そうではないかもしれない。
後者の方が可能性はずっと高い。
引き返すべきか?
いや、さっきまで考えていたことは何だ?
そんなに自分の命が惜しいのか?
片手さえ動けば刀は振るえる。
自分の心の弱い部分は殺意で塗りつぶせ。
臆病な気持ちは覚悟に置き換えろ。
誰かが確実にいる、その事実が自分がこの先に向かうべき理由だ。
もう迷わなかった。
小太郎は、再び前を見据えて足を踏み出した。
「さちこちゃんは先に裏から逃げて。私は向こうを足止めさせておくから」
「いやよ!まきちゃんもいっしょに逃げましょ!」
階段でSSG69を構えながら諭すように話す樋口まき【女子22】に伊集院さちこ【女子2番】がすがりついてくる。
まきは、やっと落ち着かせたのに、と心の中で少し毒づいた。自分だって怖いんだ、と。
「ダメ、二人いっしょに逃げると、たぶん向こうは退却に気付くはずよ。
追撃されたら人数が多い分向こうが有利。最悪、囲まれちゃう。
それに私の武器じゃあ逃げながら戦えないわ」
さらに冷静に考えて、いつ再び恐慌状態に陥るかわからないさちこは足手まといになる可能性が高い。
もちろんこのことは口に出さない。
最優先すべきは自らの生命なのだ。
「でも、それじゃ、まきちゃんは・・・?」
「私は大丈夫。いい?向こうだってもうすぐ禁止区域になるのよ?
いくら私が照準を向けているからって、黙って爆死するわけはないわ。
ギリギリまで足止めさせといて、向こうが動き出したらそれとは別方向に逃げる。
それに、もし下手な行動をしてくれれば一人や二人は殺れるかもしれない。それだけのことよ」
まきはこともなげに言ったが、恐怖に耐えられるリミットに近付いていることは自分自身がよくわかっている。
何度も逃げ出したい衝動に駆られたが、そのたびに自分が生き残らなければならない理由を思い出して耐えた。
既にカウントダウンは始まっている。残りは1時間もない。
この死の宣告から逃れるには、とにかくここから脱出する必要がある。
もっといい方法を考えたかったが、時間がない。
まきがわずか数分で考えた、というより思いついた脱出作戦に命を掛けるしかなかった。
「とにかく、さちこちゃんは先に逃げて。そうね、ちょっと遠いけど、灯台で落ち合いましょう」
まきは素っ気なくそれだけを言うと、すぐにスコープに目を戻す。
さちこが意を決するには少し時間を必要とした。黙ってまきの方を見つめていたが、
「わかったわ、必ず待っているから」
と言って階段を駆け下りていった。
「うん、必ず行くから待っててね。死んだりしたらタダじゃおかないから」
まきはその背中に向かって呟いた。
PPSh41 マンダリン銃を構えた丸山みほ【女子26番】が先頭に立ち、
負傷しているじゅんじ【男子21番】が火炎瓶を詰め込んだデイパックを担いで後ろをついていく。
狙撃の恐怖に気を取られながらも先を急ぐみほとじゅんじの耳に銃声が届いたのは、
迂回を初めてから5分ほど経過したときであった。
連続して鳴り響く銃声にみほは一瞬足を止めて振り返った。それに合わせて頭上のだんごが揺れる。
銃声ならこの二日間でイヤというほど聞いているが、今のうちの何発かは、
先ほどまで一緒にいた妹尾あいこ【女子14番】と万田ようこ【女子27番】を
狙ったものだということを考えると、どうしても不安にならざるを得ない。
「大丈夫だよ、お姉ちゃんと妹尾さんが惹き付けてくれているんだ」
みほが顔を向けた先にいたじゅんじが答えた。
「お姉ちゃんと妹尾さんが組んだら美空小で敵無しだよ。とにかく、僕らは役目を果たさないと」
じゅんじの声は優しい。確かに二人とも物怖じしない性格だし、
妹尾あいこに至っては運動神経で右に出る者はいない。
その声を聴いただけでみほは少し安心できた。
「・・・うん、ちょっとびっくりしただけ。そうね、大丈夫よね」
「先急ごうよ、あんまり時間ないんだし」
じゅんじに急かされたみほは軽く頷き、前を向いて銃口で背の高い雑草を払うと、
それに合わせるようにして銃声が連続して2度鳴り響いた。
そのうち一発は近くに着弾したようだった。
「わっ!」
二人は反射的に身をかがめると、草むらをかき分けながら転がるようにして一気に低木の茂みに飛び込んだ。
ここからでも山小屋は見えるが、角度的に撃たれる心配はないだろう。
「危なかったね」
みほが肩で息をしながら言った。
「うん、まったくお姉ちゃんがしっかりしてくれないと。さっき褒めたのは取り消しだ」
じゅんじは軽口を叩いたが、みほは笑わない。
そのかわりに心の奥に少し苛つきを感じた。
その苛つきは、じゅんじが言う「お姉ちゃん」という言葉に反応していた。
「とにかく慎重に、もっと大きく迂回しよう」
みほの心を知ってか知らずか、そう言って先に立ち上がったのはじゅんじだった。
伊集院さちこ【女子3番】は、二人の人影を認めると反射的に木の陰に身を隠した。
小刻みに震える手で357マグナムを強く握りしめる。
恐怖の原因はほぼ真っ直ぐにこちらに向かってくる。
あれは、丸山みほと万田じゅんじだ。
山小屋に通じる道の所にいたはずなのに、どうして?
さちこには、二人が狙撃を受けたために大きく迂回してきていることなどわかるはずもなかった。
そして、自分が想定していた逃走ルートからはずれていることに気付いていなかった。
自分に二つの不幸が重なっていることなど夢にも思っていなかった。
何にせよ、二人が向かう方向は今自分が通ってきた道だ。すなわちこのまま進めば山小屋に辿り着く。
おそらく正面で撃ち合いをしているのは囮で、背後からの奇襲を狙っているということだろう。
強く食いしばっていないと奥歯がカチカチ鳴った。
止めようもない自分の心臓の音が耳障りだった。
まきちゃんが、危ない。私が何とかしなきゃ・・・。
目の前を二人が通り過ぎていく。
その距離は10mも離れていない。
撃つなら今が絶好のチャンスだ。
しかし、体が動かない。
銃を携えたみほとその後ろを重そうにデイパックを抱えたじゅんじ。
さちこにはその光景を、震えながら見ているしかなかった。
早く撃たないと・・・まきちゃんが・・・。でも、自分にできる?
さちこは銃を見つめて自問自答した。
いや、やらないといけないのだ。
二人との距離が離れていく。
まきちゃんだって撃ったじゃない、私を守るために。
窓枠に銃身を固定してスコープをのぞき込むまきの姿が脳裏に浮かび上がる。
そうだ、今度は私が助けてあげるんだ・・・。
さちこはそろりと茂みから這い出した。
こちらには気付いていない。無防備な背中をさらけ出している。
さちこは両腕をゆっくり肩の高さまで掲げた。
まきからの言いつけどおりにしっかりと両手で握りしめられた357マグナムの銃口が、じゅんじの背中を捉える。
足を肩幅に広げ、腰を落として重心を低くする。
まきが「お兄ちゃんからの受け売りだけど」と言って教えてくれた射撃姿勢だ。
やっぱり、まきちゃんに守られているんだなぁ・・・。
滑らかに体を動かすことができたさちこは、まきの加護を感じながら指先にほんの少し力を加えた。
銃声と同時に万田じゅんじ【男子21番】は左の肘に衝撃を感じ、腕ごと前に持っていかれる感覚を味わった。
おそらくバットで思い切り殴られたら近い感覚を受けることだろう。
一瞬遅れて凄まじい焼けるような痛み。
反射的に左手を見ると、肘から先がおかしな角度を向いてぶら下がっている。
撃たれた!そう思ったときには、横へ跳んでいた。
2発目の銃声と丸山みほ【女子26番】の叫び声が同時に上がる。
木の根元の少し土の盛り上がった所に転がり込んだじゅんじは、銃を構えたチェックのスカート姿を確認した。
2組の伊集院さちこ【女子3番】だ。まだ銃を構えている。
なるべく体を小さくしながら首を捻ると、すぐうしろの太い木の影に飛び込むみほが見えた。
3発目の銃弾がじゅんじのすぐ脇の土を削り取っていく。
また、みほの短い悲鳴。
「丸山さん!」
じゅんじはデイパックの中から乱暴にタオルを取り出し、夥しい出血をしている左肘に巻き付けながら叫ぶ。
大声を出した一瞬、意識が飛びそうになった。
4発目の銃弾はこなかった。
おそらく反撃を警戒しているのだろう。
じゅんじはこの隙にデイパックを引きずるようにして、一気にみほの元まで走った。
みほは木の幹に隠れて銃身を抱えて震えていた。
「・・・っ、丸山さんっっ、撃って!反撃・・・、しないと」
しかし、みほは恐怖に顔を引きつらせたまま動かない。
「早くっ!」
じゅんじの怒声にビクッと反応したみほは、慌てて銃を構え直して銃口を水平に滑らせた。
狙いなど全くつけていない。
襲撃者がいるであろう方向への掃射が銃弾が枝葉を蹴散らし、木の幹を叩く。
派手な音をたてたものの、仰角がずれている。おそらく一発も命中していないだろう。
銃声が止むと、わずかな間を置いてから草をかき分けるような音が聞こえてきた。
みほはその音に反応して銃を構え直したが、次第に遠ざかって行くのを確認すると、ゆっくり銃を下ろして溜息をついた。
辺りには、静寂と硝煙と血の臭いだけが漂っていた。
絶対に当たるはずの銃弾は手傷を負わせただけに終わった。
さちこに当たりこそしなかったものの、心を打ち砕くには充分な量の反撃の銃弾を呼んだだけだった。
そうなっては這い蹲って逃げるしかできない。目に涙が滲んでくる。
何で外れたの?まきちゃんに教えてもらったとおりにやったのに。
やっぱりあそこで迷ったのがいけなかったんだ。
ごめんなさい、私には無理だったみたい。
ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・。
さちこは全てから逃げ出すために全力で走った。
景色が視界後方へと流れていく。
そう意識した次の瞬間、黒い影が突然視界に飛び込み、それも鈍い銀色の煌めきが景色とともに流れていった。
腹部に形容しがたい感触。
足が止まる。
ゆっくりと自分のおなかに視線を移動させる。
「え?」
真っ赤に染まったシャツ。切り裂かれて、止めどなく血が溢れてくる。
ピンク色の腸が飛び出している。腹を食い破って出てきた蛇のようだ。
「ああ・・あ・・・ぁ・・・・っ、きゃああーっ!」
さちこは.357マグナムを取り落とすと、そのまま両手で腸を押し込もうとする。
そんなことは無駄な努力だ、と考えることはできない。
全身から力が抜け、前のめりに膝から崩れ落ちた。
足元に形成されつつある血の池とだらりと垂れ下がった腸さえなければ、それは腹痛でおなかを押さえているようにも見えたことだろう。
さちこはゆっくりと首を捻り、景色とともに駆け抜けていった影を確認した。
刀を手に提げた小柄な男子、岡島小太郎【男子5番】が冷たい視線を投げかけている。
どうして?何で?
おなか、切られた?
痛い 痛い
血が、たくさん・・・
まきちゃん、助けて、痛いよぉ
死んじゃう・・・
・・・死ぬ?
死んじゃうの・・・?
いや、いやよ、死にたくない・・・
死にたくない 死にたくない・・・・・
苦痛と着実に近付いている死への恐怖から醜く歪み、涙と鼻水を流したさちこの顔は、
(チャイドルの瀬川おんぷ【女子14番】を別格とすれば)クラス、いや、学年でも1、2を争う美少女のそれではなくなっていた。
そうだ、まだだいじょうぶ
わたしにはまだ、このじゅうがあるじゃない
おかじまをうちころして、
まきちゃんにたすけてもらえば、
だいじょうぶ
まだたすかるわ
はやく、じゅうをとって
うたなくちゃ
しっかりと、ねらいをつけて
こんどこそ、
涙でぼやけている357マグナムに手を伸ばそうとしたとき、不意に首に衝撃を感じ、視界が宙返りした。
さちこの目に、一瞬だけ首のない体が飛び込んでくる。
それが自分の体だということに気付くことは、永遠になかった。
小太郎は、さちこの右手を357マグナムに伸ばし、左手で飛び出た腸を押さえた首がない遺体と、
体から分離された意外にも穏やかな表情をした頭部を見下ろしていた。
一太刀で崩れ落ちたさちこにも隙を見せず、銃に手を伸ばそうとしたその刹那に首を切り落とすことができたことに満足していた。
首とともに切られたさちこの髪が、風に舞って散らばっていった。
【女子3番 伊集院さちこ 死亡】
【残り14人】
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