無題






万田じゅんじ【男子21番】が目覚めた時、既に石油ストーブは消されていた。
傍らに、というより極限まで触れ合っていた筈の温もりが無かった。
それは天井の照明──裸電球の明かりの下、ショーツを尻から引き揚げてい
る所だった。ふと振り向いた万田ようこ【女子27番】は、少し恥ずかしそう
な表情を弟に垣間見せ、おはようじゅんちゃん、と言った。
「おはよう、よう…」
ふらりと立ち上がって朝の挨拶をしようとしたじゅんじの口を、ようこの唇
が素早く塞いだ。一寸した間を取り、口を離す。
「『ようちゃん』じゃなくて『お姉ちゃん』、でしょ?」
初めて体を重ねた女性の言葉に、じゅんじは黙って頷いた。
「また、したい?」

荷造り自体は拍子抜けするほど早く済んだ。朝の放送でこの周辺が禁止区域
に含まれる事となり援退壕から持ち出せる物を選んだのだが、いざ選定して
見ると実際に持ち出せそうな物は大して多く無かった。

灯油は比重こそ小さい物の、一斗缶、即ち18リットル入りともなると相当な
重量だった。それに火炎瓶にするには揮発性が今一つで暖を取る時の焚付け
として使うのが精一杯、ではどうしようもない。
空いたペットボトル2本分に入れただけで済ませた。
救急用品もそれなりの量があったが、ようこの判断で即効性の無い物は諦め、
ガーゼと粘着包帯を多めに持って行く事にした。
嵩張る物を中心に選んだので2人のデイバッグはパンパンに膨らんでいたが、
それでも2リットルの水パックを入れるのは忘れなかった。水の無い所や、
傷口を洗い流す清潔な水が必要となる場面に備えての事だった。もっとも、
その為に乾パンを食い散らかして場所を空ける必要があったが。
持出袋その物も畳んで仕舞う。地が銀色なので何か役に立つかも知れない──

「行こうかじゅんちゃん」
歩兵銃を担いだようこが言った。
「うん、『お姉ちゃん』」
2人分のデイバッグを背負ったじゅんじが応えた。
歩き出す2人。
援退壕の入口を顧みたのは一度だけだった。

とにかく来た道へと戻る──
これまでの禁止区域をチェックした万田じゅんじ【男子21番】が出した結論
である。援退壕周辺は勿論の事、その先も軒並み禁止区域に指定されている
のではどうにも身動きが取れない。それに禁止区域を逆手に取り、そこから
引き揚げたり迂回したりする人間を待ち伏せする者が出ないとは限らない。
じゅんじは吊り橋で梅野ゆかり【女子4番】にボウガンで奇襲された事を、
決して忘れてはいなかった。
「じゅんちゃん…道に出るのはいいけど、先に進むしかないわ」
吊り橋は吹き飛んでしまったから、と言わずもがなの事実を口にするほど
万田ようこ【女子27番】は暇ではない。問題はその先、だった。
「ここからは3つ選択肢があるよ」
ひとつ、間道を進み大回りして山小屋へ行く。
ふたつ、出発地だけを回りこむ。抜けた後の事は又、考える。
みっつ、小川へ降りる道から海辺に行く。
「ぼくたちは多くの荷物を抱えているから、あまり無理な場所は歩けないよ。
だから、この3つしかない」
じゅんじの判断は妥当だった。最初に出発地から大きく離れるルートを取っ
ていた為、初日の戦闘には殆ど関わらなかった。特に、吊り橋が落ちてから
は皆無である。参加者が20時間かそこらで半減した事実を鑑みると、これは
僥倖としか言い様が無い。遠くから機関銃らしき連続した発砲音すら轟いて
来る中で武器が博物館物の旧式小銃だけ、という状況で物資や安全な寝床を
確保さえしたのだから尚更である。
だが今後は違う。新たな禁止区域は間違いなく参加者を追い込む様に設定さ
れるだろう。実際、援退壕を出る事になったのも何らかの作為があったから
に決まっている。そんな物に追い立てられ無軌道な移動を強要されるよりは、
ある程度計画性を持って移動した方がいくらかマシだ。
「じゃあ、山小屋に向けて歩きましょ」
「海沿いには出ないんだね?」
「ええ。山小屋なら大きく回るのも小さく回るのも、途中までは同じだから」
ようこは戦闘を避ける、という選択肢を実質的に選んだ。歩兵銃が得意とす
るのは、ある程度開けた地形──海沿いの道なのだが、相手が機関短銃だの
突撃銃だのを持ち出したらそんな利点は吹き飛んでしまう。ならば、時間を
潰してでも戦闘を先送りする方がいい。2人が山小屋へ着く頃になれば何か
状況が変わっているだろう。もしかすると弾切れしているかも。
ようこは自分の考えを弟に伝えた。
じゅんじは反対しなかった。取り敢えず、禁止区域が設定されても迂回可能
な経路を選んで進む事にした。

間道は途中で途切れていた。というよりも、やや開けた場所を通る獣道へと
変わっていた。
その為、万田姉弟は近くの茂みに注意しながら歩かねばならなかった。
「ん…一寸待って、お姉ちゃん」
先に進む姉を静かに呼び止めた万田じゅんじ【男子21番】は、その場にしゃ
がんで耳を潜めた。あの向こうに誰か居る──
小声で警戒を促す弟に応え、万田ようこ【女子27番】は歩兵銃を構える。
用心して近づくと、誰何の声が挙がった。
「誰!?」
語尾が上がっている。ようこには誰か判った。
「妹尾さん?」
「ようこちゃんか…1人?」
「じゅんちゃんと一緒よ」
「丁度良かったわ、手ぇ貸してぇな」
ホッとした様にショットガンの銃口を降ろした妹尾あいこ【女子15番】が繁
みから半身を乗り出した。その後には顔を泣き腫らした丸山みほ【女子26番】
が立っている。ようこも歩兵銃の銃口を降ろす。

「…ちう訳や。やり切れんわ」
吐き捨てる様に呟くあいこに、万田姉弟は何も言えなかった。
たった今、繁みの中へ運ばれた小泉まりな【女子10番】が味わったであろう
恥辱と苦痛。それを考えると、互いに思いを遂げられた自分達がいかに幸せ
だったか──例え、異常な状況下で忌むべき物とされる間柄だったとしても。
「放送で聞いたと思うけど、もう半分死んどる」
あいこは現状の確認を始めた。長門かよこ【女子17番】がSOS達を鏖殺し
た事や、花田志乃【女子19番】が何者かに射殺された事。時折、爆発音すら
聞こえた事も。
「あたし達は手榴弾、投げられたわ」
ようこは加納のり子【女子7番】の事を言った。
「昨日の寝床が禁止区域になったんだ」
地図を広げるじゅんじ。これから山小屋を目指すんだけど。
あいことみほは万田姉弟と同行する事にした。

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【現状確認:0930時現在】

島中央部の繁み:
 妹尾あいこ【女子15番】ショットガン(ポンプアクション式?:弾80発?)
 丸山みほ【女子26番】マンダリン銃(機関短銃:弾130発)
 万田ようこ【女子27番】三八式歩兵銃(弾90発)
 万田じゅんじ【男子21番】レーザーポインタ(乾電池式)
  左腕を負傷/現在はポーター状態



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