無題
松下あや【女子25番】は、洞窟の中でデイパックを抱きしめてすすり泣いていた。
今の時間はわからないが、日はとうに沈み、とっぷりという表現がこれ以上相応しい
状況がないくらいにあたりは暗くなっていた。
何度も「どうしてこんなことになったのだろう?」という自問を繰り返し、昼間の自分の
行動を後悔した。
昼間──たぶん午後2時か3時頃まで──は、クラスメイトの梅野ゆかり【女子4番】と
加納のりこ【女子7番】とともに行動していた。
しかし、飯田かなえ【女子2番】への奇襲に失敗して戦闘となった際、かなえに襲い
かかられてほうほうの体でその場から一人逃げ出してきたのだった。
そこからはどこをどう歩いたのかわからない。気が付いたら陽が傾いており、斜面に
空いた洞窟の中に逃げ込んでいた。
あやの左眉尻には絆創膏が貼られていた。かなえに殴られた際に切ったもの
──幸い出血はそれほどひどくなかった──で、まだシクシクと痛んだ。
「ゆかりちゃんとのりこちゃんは大丈夫かなぁ・・・」
あやは後頭部にできた大きなこぶをさすりながら二人のことを想い、呟いた。
二人の武器はかなえのものよりも強力なものだったから、おそらくは大丈夫だろう。
しかし、ゆかりはかなえに殴られたはずだから、ケガをしているのは確実だ。
最悪・・・・・、そこまで考えてあやは強く頭を振った。大丈夫、明日になったらまた会える。
とにかく猛烈に寂しかった。
昼間の疲れが出てうとうとしかけていると、突然「放送」が鳴り響いた。
あやは、はっと目を覚まして洞窟入口まで這い出し、「放送」に耳を傾ける。
どうやら生存者の名前を読み上げているようだ。
その中にはゆかりとのりこの名前もあった。もちろん自分の名前も読み上げられた。
「よかった・・・」
あやは嬉しくなり、少し涙ぐんでしまった。しかし、すぐにはっとなった。
続いて読み上げられた死亡者の中に飯田かなえの名前があったからだ。
「まさかゆかりちゃんとのりこちゃんが・・・?」
いや、そうと決まったわけではない。
仮にそうだとしても、こんな超非常事態なのだから仕方のないことだ。
あやは襲いかかるかなえの姿を思い出し、自分に強く言い聞かせた。
この島のどこかで二人は生きている。そのことが確認できると、再び疲れが襲ってきた。
あやは洞窟の奥で、体育座りのままデイパックを抱きしめて、小さくなって眠りについた。
翌朝、あやは眠ったときの体勢のまま目を覚ました。
固い地面にずっと座っていたのでお尻が痛い。
中腰に立ち上がり軽く屈伸をすると、低い天井に頭をぶつけないようにそろそろと洞窟から
這い出した。思いのほかぐっすり眠れた。
木が生い茂っているため太陽は直接見えないが、まだ高く上っていない。
空気がひんやりしていることからも早朝だろう。
あやは思いっきり伸びをして深呼吸をすると、自分の中に溜まったもやもやと一緒に
息を吐き出した。これだけでとてもすっきりして、心から抜けたもやもやの替わりに
やる気が漲ってきた。
「はやくゆかりちゃんとのりこちゃんを見つけなきゃ」
そのためにも、いざというときには自分の身を守らなくてはならない。
あやはデイパックにしまったままになっていた革製のウェストポーチを取り出して中を確認した。
長さ15センチほどのダーツの矢が20本納まっている。
これで人を死に至らしめることはできないだろうが、相手に投げつけて逃げる時間を稼ぐ
ことくらいはできそうだ。
あやはウエストポーチを腰に巻き付けると、地図を見て昨日二人とはぐれた場所の見当をつける。
二人とはぐれた場所に戻れば何かの手がかりがあるかもしれないし、近くに止まっている可能性
だってある。
目的地は決まった。
デイパックを背負うと、目的の方角に向けてて歩き出した。
岡島小太郎【男子5番】は小川の川縁にかがみ込むと、脱いだシャツを流れに浸して
乱暴にもみ洗いした。1時間ほど前の戦闘で浴びた大量の返り血が、水の流れにより
浄化されていく。血は大雑把にしか取れず染みが目立ったが、赤黒い血がべっとりと
付いたままよりはいいだろう。
小太郎はシャツを絞るとなるべく目立たないような木を選んで枝に引っかけ、
身を隠せそうな大木の根元に潜り込んだ。
その途端に小太郎は急に眠気に襲われた。そういえば昨夜はほとんど眠っていない。
そのうえ早朝から森の中をさまよい、クラスメイト二人を殺害した。
その後もずっと歩き通しで緊張が緩むことはなかったのだから、
ここに来て疲れを覚えるのは無理もなかった。
この先、何度戦闘が行われるのかは全く見通しが立たない。今のうちに少しでも
体力を回復させておいた方がいいだろう。そう思った途端に小太郎は深い眠りに落ちた。
あやは歩きながら昨日の記憶を辿っていた。
かなえとの戦闘があったあの場所の近くには小川が流れていたはずだ。
それが一番の大きな手がかりだ。地図には幾筋かの川が記されていたので、
大体の見当はついた。自分の正確な位置がわからないのが、こちらもおおよその
見当はついている。太陽の位置から方角はわかっている。
ゆかりとのりこに出会える自信があった。
それからは黙々と木々の間をすり抜け、茂みをかき分けて先を急いだ。山歩きに
慣れていないあやにとってはこれ以上はないというくらいに過酷だったが、行く先に
ゆかりとのりこが待っていると思うと幾分楽になった。だから途中で昼食を取った
だけで、あとの時間は歩き通した。
その先にはクラスメイトの笑顔ではなく悪夢が待っていることなど、このときのあやは
知るよしもなかった。
小太郎は目を覚ますと、すぐに身支度を整えてた。短時間であったが、心身ともに
休息することができた。
日陰に干していたためシャツは生乾きであったが、今日の天気ならすぐに乾くだろう。
川縁に戻り空を見上げると、太陽が一番高い位置に来ようとしていた。
小太郎はパンと水だけの昼食をとりながら自らの進路について検討した。
どこに行けば飛鳥ももこに出会えるのだろうか考えた。
地図を見ると、今の位置から山の南側に向かうと、いくつかの山小屋に行くことが
できそうだった。山小屋には誰かがいるかもしれない。例えそれが飛鳥ももこでなくとも、
彼女への脅威を一つ取り除くことができるのだ。向かう方角は決まった。
小太郎は飯田かなえの遺体の傍らに立っていた。
小川の川縁から離れ、山の南側へ進路を取ってすぐのことだった。やや開けた場所に
出たと思った瞬間、かなえの亡骸が目に飛び込んできたのだ。
かなえの脇腹には刺された跡があり、側頭部は吹っ飛んでいた。おそらく銃器による
ものだろう。まだ近くに銃を持った敵がいるかもしれないという考えが頭をよぎったが、
すぐに昨夜の放送でかなえの死を伝えていたことを思い出した。
銃撃されたのは昨日のことだ。いつまでも殺害場所に留まっているとは考えにくい。
しかし用心するに越したことはないだろう。
小太郎は再び緊張を身に纏い、神経を研ぎ澄ませて先を急ごうとした、そのときだった。
木々の向こう側に人影を見た。あらかじめ人がいるという前提で見なければ決して
見つけることはできない距離であったが、意識して集中していたために発見が早かった。
誰かまではわからなかったが、単独で行動しているようだ。
素早く身を木陰に隠し、相手がどちらへ向かっているのかを観察した。小川に出る
方向へ歩を進めているようだ。
小太郎は先回りしようとして小走りに駆ける。もちろん武器の刀はいつでも抜ける状態だ。
あやは川のせせらぎを耳にしていた。とりあえずの目的地である小川は近い。
鬱蒼とした木々の間をすり抜け、川縁の開けた場所に出ようとしたときであった。
突然視界の外から躍り出る人影に、あやは叫び声をあげた。
人影は刀を構えた岡島小太郎だった。
小太郎は先回りと奇襲に成功したことに満足していた。
松下あやを完全に攻撃範囲内に捉えていた。背を向けて逃げ出せば一気に間合いを
詰めて斬りつけることができる。あやの生命は小太郎の手中にあった。
「松下さん、あなた一人ですか?」
小太郎は問いかけた。飛鳥ももこについての情報が欲しかった。
しかし、あやはすくみ上がって声を出せない。
小太郎はもう一度質問した。
「他の誰とも一緒ではないのですね?」
あやはコクコクと頷く。
「私・・・、ゆかりちゃんとのりこちゃんを探しているの。二人とはぐれちゃって・・」
やっと声を絞り出した。小太郎は構えたまま反応しない。
「他に誰かと会いましたか?」
「飯田さんと会ったわ。それ以外は誰とも・・・」
一瞬の静寂。
(飯田かなえと会った?すると飯田を襲ったのは松下さんなのか?)
小太郎はそこまで思ったところであやのウェストポーチが目に入ってハッとした。
(飯田かなえは銃で撃たれていた。あのポーチの中は、もしかして銃・・・?)
あやのウェストポーチの中が、単なるダーツの矢であることを小太郎は知らない。
小太郎はあやの手の動きに集中してじりじりと間合いを詰める。
あやは小太郎が詰めたぶんだけ後退して間合いを保とうとする。
均衡状態を崩したのはあやの方だった。ついに恐怖に耐えきれなくなったのだ。
後ろを振り向くと、全力で駆け出しながらポーチの中のダーツの矢を取り出そうとした。
小太郎はあや手の動きに集中していたため、突然駆け出したあやの動きに一瞬反応が遅れた。
(しまった!)
あやが駆け出しながらもポーチに手を突っ込むのを見て小太郎はぎくりとした。
駆け出しながらもあやが半身になった瞬間、小太郎は横へ跳んだ。
その横をあやが投げつけたダーツの矢が飛んでいく。
小太郎はそのダーツの矢を目で捉えていた。
小太郎は素早く体勢を整えると、すぐさまあやの後を追った。
武器は銃ではなかった。ダーツの矢程度なら、今の自分には当たらない。
もう、慎重になる必要はなかった。
逃げるあやは完全な恐慌状態に陥っていた。
全速力で前だけを見つめて走ったが、今にも小太郎の刀で斬りつけられるような気がした。
(ゆかりちゃん、のりこちゃん助けて!)
あやは走りながら恐怖で泣いていた。
「きゃっ!」
全速力で走り続けたあやの足は、能力の限界を超えて回転しようとしたためにもつれてしまった。
転びそうになりながらもなお逃げようとするあやの目に、昨日の記憶を呼び起こす
物が飛び込んできた。つやつやした陶器製の、あやの手には余る大きさのそれは、
確かに加納のりこに支給された武器──有田焼の手榴弾──だった。
その場所は昨日かなえと戦闘を行った場所だった。そのときにのりこがピンを抜かないで
投げた手榴弾が、ずっとそこであやに拾われるのを待っていたのだ。
あやは咄嗟に残りのダーツを全て取り出すと手榴弾をポーチの中に押し込んだ。
後ろを振り向くと、小太郎がすぐそこまで迫っていた。
ダーツの矢を次々と投げつける。小太郎に向かって飛んでいく矢は次々とかわされ、
刀でたたき落とされた。しかし、小太郎の動きを止めることができればそれでよかった。
あやはポーチから手榴弾を取り出すと、ピンを引き抜いた。
小太郎が刀を大上段に振りかぶって跳んだのはその直後だった。
あやは足元に手榴弾を転がして後ろに跳んだが、あやの体まで刀が届き、肩から
胸にかけてを切り裂いた。しかし戦慄したのは小太郎の方だった。
着地と同時に大きく右に跳んだ。
次の瞬間、爆音とともに陶器の破片が飛び散る。
ぱらぱらと砂や砕け散った破片が舞い落ちる中、小太郎は立ち上がった。
爆発の直撃は受けなかったものの、陶器の破片が左脇腹を中心に突き刺さっていた。
あと一瞬でもあやの行動が早かったら小太郎は死んでいただろう。
小太郎は痛みを堪えて、爆心の向こう側でぐったりとしているあやの元へ歩み寄った。
右手で左肩の辺りを押さえて小太郎を見上げている。
肩から胸の辺りまで血に染まっていた。細かい破片がいくつか足に刺さっていた。
既に逃げる気力はなくし、涙を流して死を待っていた。
「疲れちゃったよ・・・。ゆかりちゃん、のりこちゃんゴメンね・・・・・」
あやの最期の言葉を聞き届けると、小太郎は胸に刀を突き立てた。
【女子25番 松下あや 死亡】
【残り32人】
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