無題
岡島小太郎【男子5番】は、ほとんど眠ることができずに二日目の朝を迎えた。
昨日のことは全てが悪い夢のようであった。
突然武器を支給され、クラスメイト同士で殺し合いをしろと命ぜられた。
全てが悪い冗談かとも思った。
現に昨日の昼間は誰とも出会わなかったし、争った痕跡も見なかったからだ。
だから時折聞こえる銃声や爆発音らしき音も何かの演出だろうと思っていた。
しかし、昨日陽が落ちてから急に不安になり、「もしかしたら、これは現実ではないのか?」
という考えが小太郎の裡で次第に大きくなった。
そして夜が完全に更け、疲れてうとうとしていたときに“あの”放送があった。
何人もの級友の、友人の死亡を伝える放送に小太郎は耳を疑った。
その放送以降、次々と思考が頭の中を駆け巡った。
暗闇と静寂が思考に拍車をかけ、結局ほとんど眠ることができなかった。
かすかにかかる朝靄の中で、小太郎は茂みに身を潜めて自らの武器を目の前に掲げていた。
紫色の布袋に包まれたそれはずしりと重く、しかも自分の手にはよく馴染む武器であった。
剣道場の跡取りである自分にとって、布袋の下にある武器、日本刀−−無銘のものであるが−−
が支給されたことには、運命的なものを感じていた。
武器の中には銃器の類もあるようだが、自分に使いこなせるかどうかはわからない。
そういう意味では、小太郎にとってこの日本刀が最上の武器であった。
小太郎はおもむろに布袋から刀を取り出すと、鞘から抜いてその緩やかに湾曲した刀身に目をやり、
一人のクラスメイトを思い浮かべながら自分自身にぼそりと言葉を投げかけた。
「死にたくない。でも、それ以上に飛鳥さんには死んで欲しくない。
だから私は、みんなを殺します」
昨夜から幾度も自問自答を繰り返し、達した結論であった。
小太郎は密かに飛鳥ももこ【女子1番】に好意を抱いていた。
5年生の時にひょんなことから道場対抗戦の助っ人として道場にやってきたときから、
彼女の笑顔をまぶしく感じていた。
その感情が、明るく前向きな彼女(時々ずれた行動をするが)に対しての
恋愛感情だということに気付くのには時間は要さなかった。
小太郎にとっては最も−−自らの命よりも−−大切な存在であった。
「飛鳥さん、私が最後まで守ります」
もう一度決意を胸に刻み込むと、小太郎は刀を鞘に収めた。
そしてディパックを背負い、刀を包んでいた布袋を投げ捨てると、
これから人の命を奪い取るであろうそれを左手に携えて茂みを抜け出した。
小太郎は茂みを抜けてから慎重に緩やかな斜面を下り、
獣道と呼ぶにふさわしい道を見つけると一度周囲を見渡し、
人の気配がないことを確認してから獣道を歩き始めた。
それから小一時間ほど歩いただろうか。
相変わらず周囲に人の気配はない。
獣道にはますます草木が覆い被さり、もはや道とすらも呼べないほどだ。
天を仰いで木々の隙間から覗く空を見上げる。まだ日が暮れるには少し時間がありそうだ。
小太郎はずっと歩きながら考えてきた。
他の人の武器には銃器類がある。
そういう相手との戦闘になったら、自分の武器の方が明らかに不利だ。
一度作戦を考えた方が良いだろう。小太郎は道を逸れ、適当な木陰に腰を下ろして思案した。
銃器類に対して刀で勝つためには、奇襲が最も良い方法だ。
すると、適当な物陰に潜んで、通りがかった人たちを手当たり次第に襲うということになるだろうか。
いや、相手は単独とは限らない。徒党を組んでいたら、一人は討ち取れたとしても残りにやられる。
敵意が無い振りをして仲間となり、隙を見て殺すというのはどうだろうか。
しかし、相手が問答無用で攻撃してきたら?これも良策とはいえない。
やはり物陰に身を潜めて、相手を選びながら奇襲をしかけるというのが最も安全な策だろう。
結論はそれしかない。
しかしこれもまた、大きな欠点があった。
飛鳥ももこを発見するまでに時間がかかり過ぎる可能性が大きい。
小太郎にとって、それは最も大きな欠点であった。
時間が経過すればするほど、飛鳥ももこが死ぬ可能性は大きくなる。
「とにかく、一刻も早く飛鳥さんを見つけださなければ」
その言葉とともに、その他のリスクは頭から振り払った。
自分が生き残っても、飛鳥ももこが殺されては意味がないのだから・・・。
と、そこまで考えたときに小太郎は人の気配を感じた。
自分が通ってきた獣道を通ってきているのだろうか、かすかにだが草をかき分ける音が聞こえる。
咄嗟に姿勢を低くする。まだこちらの存在には気付かれていないはずだ。
慎重に茂みをかき分け、その隙間から下を通る道を凝視すると、
木の枝で草を払いながら二人の人間がこちらへ向かってくるのが見えた。
男子が二人、伊藤こうじ【男子3番】と宮前空【男子22番】だ。
どうする?息を殺しながら瞬時に考えた。
二人の武器はここからでは見えない。
奇襲をかけて、もし一人でも銃器類を持っていたらその時点で終わりだ。
それに二人が組んでいるということは、自分も仲間に入れてくれる可能性は大きい。
敵意が無いふりをして近付こう。
幸いなことに二人とは同クラスで席も近く、普段から会話を交わすことも多かった。まず大丈夫だろう。
この程度のリスクはリスクのうちに入らない。
そう思い立つと、小太郎はわざと大きな音を立てて茂みから這い出して叫んだ。
「伊藤君!宮前君!」
二人はぎくりとした様子で一瞬身構えたが、小太郎だと認めるとすぐに緊張を解いたようであった。
「なんだ、岡島君か」
こうじと空は安堵の表情で同時に言い、同じタイミングで「ふぅ」と息を吐く。
それを確認した小太郎は、目的に向かって一つ前進できたことを心の中で喜び、そしてほくそ笑んだ。
「助かりました、一人で心細かったんです」
小太郎は斜面を駆け下り、二人の前で大げさに息を切らしながら話した。
もちろん笑みを浮かべるのも忘れない。
「みんながどうなっているのかわかりませんか?」
二人に問いかける。
「いや、全然。こんなことになってからずっと俺たち二人で誰とも会わずにここまで来たんだ。
昨日も誰とも会ってないよ」
こうじは答えた。
「岡島君は?」
間髪入れず空が問いかけた。
「私も誰とも会っていません。こんなふざけたことが本当のことじゃないんじゃないか?って
思っていたところです。みんなで私をだまそうとしているんじゃないのかって。
でも、銃声や爆発音を聞きましたし、何より昨日の夜のあの放送が・・・」
小太郎はわざと深刻そうな顔をした。
「うん、俺たちも聞いた。でも、本当に本当のことなのか?」
と、宮前。
「私もわかりません。でも、私に支給された武器、これは良く切れる本物です。
他の人は銃や爆弾が支給されていてもおかしくはありません」
小太郎はきっぱりと言い、二人の眼前に日本刀を掲げ、鞘から静かに抜いて見せた。
二人は同時に息を飲んだ。
「伊藤君と宮前君の武器は何ですか?」
刀を鞘に収めながら小太郎が言うと、こうじは指金具(いわゆるメリケンサックというやつだ)を
嵌めた拳を突き出し、空はズボンの後ろポケットから羊羹の半分くらいの大きさの
直方体の物を取り出した。その直方体の先端には金属の突起が二つついており、
それがスタンガンだと理解するには1秒も要さなかった。
二人の武器を見て小太郎は心の中で大きく安堵した。今すぐに襲いかかっても勝算はこちらにある。
そう思った瞬間から、小太郎の心の中で殺意が首を擡げはじめた。
が、それを見透かしたかのように空が言った。
「岡島君も一緒に来ないか?」
小太郎はどきりとしたが、平静を装った。
「もちろんです。私もずっと一人で心細かったものですから・・・。お願いします」
小太郎の言葉を受けて二人から笑みがこぼれた。もちろん小太郎も笑顔を取り繕った。
しかし、小太郎の中で芽生えた殺意は収まらなかった。
周囲に誰もおらず、武器はこちらの方がはるかに有利、そして緊張が欠けた無防備な二人の状態。
これらが確認できたことにより、むしろ小太郎の裡の黒い衝動はますます大きく膨らんでいった。
小太郎は先に歩き出した二人に気付かれないように鍔に指をかける。
二人は空、こうじの順で歩き出していた。
三歩ほど遅れて後を歩き出した小太郎は、二人の後ろに付いて
数メートル草をかき分けたところで堪えきれなくなった。
「伊藤君、宮前君・・・、今、思ったんですが・・」
二人は振り返った。しかし、唐突に話しかけたにもかかわらず、怪訝な表情はしていない。
何も疑っていないのだ・・・、数分後には死ぬことになるというのに・・・。
「最後に生き残ることができるのって、一人だけなんですよね?」
小太郎と二人の間を風が駆け抜け、
まるで見えない糸を張りめぐらせていったかのように瞬時に空気が張りつめた。
「何を言ってるん・・ッッ」
空は小太郎に言いかけたが途中で息が詰まり、「ヒッ」という声しか出せなかった。
こうじは恐怖と驚愕の表情のまま固まっていた。
小太郎が背負っていたディパックを草の上に投げ捨て、感情を捨てた冷たい表情で刀を抜いたからだ。
「私は死ぬわけにはいかないのです・・・」
小太郎はその言葉とともに鞘も投げ捨てて上段に構えてこうじに斬りかかった。
振り下ろされる刀をこうじはすんでのところで後ろに飛び退いてかわしたが、
その拍子で空にぶつかって二人とも転倒してしまった。
小太郎はなおも襲いかかる。
剣道の試合とは違うのだ。相手が転倒していても止める必要はない。
小太郎の刀は、立ち上がるのが一瞬遅れたこうじに向かった。
こうじにのしかかるようにして刀を突き立てにかかる。
こうじは首を捻って何とか襲いかかる二度目の殺意から逃れたが、
小太郎に馬乗りの体勢を取られてしまった。
刀を逆手で構え直し、再びこうじに突き立てようとしたところ、こうじが組み敷かれながらも
まさに必死の抵抗をしてきた。
真鍮の指金具が小太郎の左こめかみを捉える。
小太郎の動きはその衝撃で一瞬止まったものの、全く怯まなかった。
小太郎の三度目の殺意を乗せた剣先が、こうじの喉に突き刺さる。
恐怖の表情が瞬時に苦悶の表情に変わり、目を見開いて痙攣しながら、こうじは絶命した。
小太郎は、切断したこうじの頸動脈から吹き出る血を顔面に浴びながら、
道を逸れて斜面下り方向の茂みの中へ逃げ込んだ空の背中を目で捉えていた。
目の所だけ返り血を拭うと、すぐに走り出した。
巨大な衝動が突き動かしていた。恐怖も躊躇も全くない。
眼前の木の枝や背の高い草を、既に一人の人間の血を吸った刀でなぎ払いながら追う。
逃げる空は、恐怖で足がもつれ思うように前に進めない。
木の枝や蔦に引っかかり、小太郎との差は徐々に縮まる。まるで水中で藻掻いているようだった。
次の瞬間、彼をさらなる絶望が襲った。
茂みに隠れて見えなかった窪地に転落してしまったのだ。
腰ほどの高さしかない窪地であったためケガをすることはなかったが、
追いつかれる時間を作るには十分であった。
顔と坊主頭、上半身を血に染めた小太郎が刀を構えて段差を飛び降り、空の前に対峙した。
空は完全に恐怖に取り込まれていた。
武器のスタンガンを構えていたが全身が恐怖に震え、
歯が鳴らすカチカチという音がはっきりと聞こえるほどであった。
「ヒッ、うわぁっ、よっ、よ、寄るなぁ!」
空は叫んでスタンガンをスパークさせた。電気火花の青白い光と音が響く。
しかし小太郎には威嚇の効果はない。
冷静に摺り足で半歩分間合いを詰め、一気に跳んで空の小手を打った。
剣道の小手とは違い、やや引き気味に振り抜く小手だ。
スタンガンを構えた空の右手首がいとも簡単に切断され、鮮血がほとばしる。
「ああっ!」
右手首の切断面を見てあげた叫び声が、空の最後の言葉となった。
手首を切り落とした次の瞬間、瞬時に構え直した小太郎の突きが空の心臓を正確に捉え、
体を貫いたからだ。
空の左手が突き刺さった刃を掴み、手を失った右手が空しく宙をさまよう。
口がわななき、ひゅうという空気が漏れたのが、空の最後の生命活動となった。
小太郎はそれを確認すると、刃を掴んでいた空の左手の指を刎ね飛ばしながら
空の体から刀を引き抜きいた。
空の肉体は前のめりに倒れ血溜まりを作ったが、
小太郎は元来た方向に振り向くと、二度と振り返ることはなかった。
小太郎は元の獣道まで戻ると落ちているディパックの所に腰を下ろし、
中からミネラルウォーターのペットボトルを取りだしてその水を被った。
手拭いで顔の返り血を拭い刀の血と脂を拭うと、
生命二人分だけ重くなったそれを近くに投げ捨てられていた鞘に収めた。
感慨は何もない。
血に染まった手拭いを鉢巻きにして立ち上がると、初めてこうじから殴られたこめかみが痛んだ。
心は痛くなかった。
「飛鳥さん、待っていてください」
小太郎は囁くように言うと、傍らのこうじの死体に目もくれずに獣道を歩き出した。
伊藤こうじ【男子3番】死亡
宮前空【男子22番】死亡
【残り33人】
前話
目次
次話