無題
「きゃんっ!」
小泉まりな【女子10番】はどうという事もない茂みに足を取られ、転倒した。
そのまま仰向けになり、肩で息をし続ける。手にはあの花輪。その花輪で悲惨
な現実を覆い隠すかの様に、顔へと手をやる。
(どうしてこんな…)
青草の生々しい香りがまりなの鼻を突く。
(木村くん)
まりなを糾弾したあの絶望と憤怒に満ちた眼。
(ななこちゃん)
まりなに助けを求めた小動物の様な切ない仕草。
(しおりちゃん)
まりなへ向けた虚無と諦観が支配する表情。
全てがまりなの心を苛む。
そこへ最終点呼と称する声が木村とななこの死を酷薄に告げる。
まりなは、いつしか嗚咽すら漏らしていた。
「おい、小泉じゃないか。今時、こんな所でどうしたんだよ」
頭の上から声。ハッとしたまりなが半身を起こす。
ひょろりとした体躯に乗っかっていた細面の顔と垂れ気味の眼が見える──
クラスメイトの【男子13番・高木まなぶ】だった。
手には蛍光灯の箱を2つ、縦にに重ねた様な銃身に小型のホールケーキ程の
弾倉、木製の銃床という体裁の機関短銃を持っていた。
「高木…くん?」
「それより、もう寝床は見つけたのか?ボヤボヤしてるといい餌食だぞ」
矢継ぎ早の質問にまりなは何も返答出来なかった。
「まあいいや。こっち来なよ」
黙ってうなづいたまりなは、高木に勧められるまま藪の中へ進んだ。
5分も歩かなかった。
「ほら」
高木まなぶ【男子13番】が示したのは丘の麓が一寸した崖になっていた下側
だった。そこにはご丁寧にも何処かで調達してきたであろうビニールシート
が敷いてあった。寝込みを襲われても、機関短銃で応戦する分には困らない。
気が付くと、高木が服を脱ぎ始めている。
(え、ええーっ!?)
「何にしてんだよ、脱ぐんだよ」
驚くまりなに怪訝な表情をした高木は、平然と──しかし、手早く──トレ
ーナーとズボンを脱ぎ、きれいに畳んでいた。
「枕と毛布代わりにするんだよ。それに、服着たまま寝ると明日辛いぞ。」
それも道理だ、と思った小泉まりな【女子10番】はジャンバースカートとブ
ラウスを脱ぎ、下着の上はスリップ1枚というしどけない姿になった。
「それ…じゃあ、おやすみなさい」
半ば泣き疲れた様になったまりなは、たちまち深い眠りに落ちた──
何だろう、体の上で何か動いている。それに少し肌寒い。にしては、近くに
ぬくもりを感じるんだけど──
ハッとしたまりなの視界には高木の姿が一杯に映っていた。どういう訳か、
上半身裸でトランクスしか穿いていない。ひどく焦っている様だった。
翻って我が身は──え、スリップは?ブラジャーは?何でショーツが右膝に?
「な、なぁ、小泉…」
「い、嫌──」
最後まで叫ぶ間もなく、まりなの口を高木の手が塞ぐ。じたばたしても見る。
しかし身体ごと押さえつけられており、ショーツすら何処かへ飛んでしまった。
「静かにしろよ、こんな所見つかったら2人とも殺られちまうだろうが」
何か思い出したかの様に一瞬、まりなの動きが止まる。が、高木の膝が両足
を割って入ろうとすると、再び抵抗を試みる。
「怖いんだよ、こんな事でもしてなきゃ。判るだろ」
なおも逃れようとするまりな。その頬に業を煮やした高木の平手が飛ぶ!
牙を突き立てられた草食動物の様にただ身体を振るわせるのみのまりな。
「…あんまり手荒な真似はしたくねえんだ…」
高木は傍に丸まっていたショーツをまりなの口に押し込むと、自らもトラン
クスを脱ぎ捨てて覆い被さる。
悪寒、恐怖、激痛、そして異物感。
木村を思って編んだ花輪は、無残に散らされていた。
まりなの純潔の様に。
空が白んで来た。
獣欲を満たした高木まなぶ【男子13番】は、用心のため枕元に置いてあった
マンダリン銃を手にすると周囲を見渡した──切迫した脅威は存在しない。
一旦銃を置き、手早く服を着る。股間の汚れは小泉まりな【女子10番】から
剥ぎ取ったスリップで拭っていた。
自分の身支度を終えた高木が振り返ると、全裸で仰臥したまますすり上げて
いるまりなの姿があった。
(手のかかる奴だ。仕方ねえな)
銃を左手に持ち替え、さも面倒そうにまりなの衣服を拾い上げる。そうして
集めた物をまりなの傍らへ無造作に落とす。それらを両腕で掻き抱き、今度
は身体を丸めつつ震わせるまりな。
「先に行くからな。ま、精々男子どもの相手でもして生き延びるんだな」
捨て台詞を残し歩き去ろうとした高木が10歩も進まない内に、物陰から人の
気配がした。えっ、とマンダリン銃を構えるのとほぼ同時に、慌しい足音。
「そこに居るん、誰?」
そして、誰何の声。特徴溢れるイントネーション。該当者は1人だ。
「妹尾、か?高木だ、クラスメイトの高木まなぶだよ」
「そおかー、あたしは1組の丸山さんと一緒や。そっち、行ってええかー?」
高木は妹尾あいこ【女子15番】の言葉に狼狽を隠せなかった。
「い、今は、あ、一寸待って」
散弾銃を構えたあいこと丸腰の分、周囲が気になる丸山みほ【女子26番】が
高木の制止にも構わずずかずかと歩いて来る。
「何や、まりなちゃんも一緒やな、いの…」
あいこの語尾がフェイドアウトした。みほに至っては言葉も無い。
「…ヒ…エック…あい…こちゃん……みほ?…ちゃん…」
2人の姿を認めたまりなは、服を取り落とて全裸のまま歩き出した。その大
腿を伝って“何か”が流れ出るのを見ると、2人は全てを瞬時に理解した。
「高木くん、どないなっとんのか説明してんか」
その台詞を口にしたあいこの顔には『返答次第では、只済まさへんよ』とも
読める表情が貼り付けてあった──殺るしかない。高木は決意した。
右肘だけを起用に曲げ、マンダリン銃の銃口が跳ね上がる様にあいこへ向く。
その引鉄が引かれたのは、まりながふらりと射線上を横切った直後だった。
結果、発射された拳銃弾の殆どはまりなの裸体に遮られ、あいこの靴を削り、
みほのズボンに焦げを作った他は空しく飛び去った。
横っ飛びに転がったあいこが散弾銃を高木に向けて発射したのは、まりなの
裸身が鮮血に包まれた次の瞬間だった。
銃口から硝煙をたなびかせたショットガンを抱えた妹尾あいこ【女子15番】
が、バーゲン会場からこぼれたB反の様に転がる。
マンダリン銃が銃把を握ったままの手ごと、高木まなぶ【男子13番】の右腕
から離れて宙を舞う。
全身に拳銃弾を受けた小泉まりな【女子10番】が、ゴールを切ったマラソン
走者の如く丸山みほ【女子26番】に抱き止められる。
その場の4人全員が上の出来事を高速度撮影で収録された映像として感じた。
あいこが素早く片膝をついて立ち上がり、マンダリン銃が耳障りな音を立て
て落下し、高木が肘の先から消失した右腕を見て絶叫し、まりなが返り血を
浴びたみほに微笑んだ。
「まりなちゃん!まりなちゃああん!」
半狂乱になって叫ぶみほ。致命傷なのは一目瞭然だ。
喧騒をよそにマンダリン銃を拾い上げたあいこは、ショットガンの銃口を高
木へ向けた。
「さあ、手ぇどたまの後ろに組んで這いつくばってんか!」
顔を自らの涙と鼻水と右腕の残骸で汚した高木がその通りにすると、改めて
ショットガンを構えなおす。横目を使うと、そこには死相を帯びたまりなを
泣き顔で抱きかかえるみほの姿があった。
「…あいこちゃん。ごめん…」
それが最期の言葉だった。凄惨な死様に似合わず、安らかな死顔である。
あいこの中で何かが崩れた。
「なあ、高木くん…西、向いてんか」
主文を後回しにして判決理由から長々と述べる裁判官の様な声だった。
高木は誤解しなかった。身体を捩って逃亡を図る──銃声。
何歩も進まぬ内に背中へ散弾が突き刺さる。その一部が延髄を破壊し、高木
は盆踊りでもするかの様に手足をふらつかせ、右に横臥した。
『もう雁づき、食べられへんなあ』
茶色のトレーナーに食い込んだ散弾が、雁づきの表面の黒胡麻を連想させた。
だが、あいこの口を吐いたのは別の台詞だった。
「何で、人殺す時『西向かす』て言うんやろな」
益体も無い疑問だった。もしも山内信秋【男子27番】が生きてこの場に居た
なら、彼は安らかな表情に両手を合わせてこう言っただろう。
『多分それは、お釈迦様が儚くなられた時の故事による物ですよ』
高木まなぶの死体はご丁寧にも北枕西向に倒れていた。
「…ヒック……まりなちゃ…ック…」
何の躊躇も無く高木まなぶ【男子13番】を射殺した妹尾あいこ【女子15番】
は、右手にショットガンを持ったままそこいら辺を物色していた。その間中、
物言わぬ骸となった小泉まりな【女子10番】の裸身を抱きつつ、丸山みほ
【女子26番】はひたすらすすり上げ続けていた。
あいこが戻って来た。左手には高木のデイバッグ。入り切らなかったのか、
マンダリン銃──高木の右手が付いたままの──が半分以上はみ出していた。
「さ、準備してんか」
「えっ…?」
「いつまでもこんな所に居られへんやろ。出発の準備」
「な───」
最初、呆ける様な生返事を返したみほだったが、遠慮会釈という要素を省略
したあいこの台詞には怒りが沸騰した。
「まりなちゃんが、しっ、死んだのよ!なの、に、そのっ…それはあんまり
じゃないのっ!?」
感情を爆発させるみほを夕暮れの繁華街で意味不明の主張を叫ぶおっちゃん
の如く無視したあいこは、デイバッグの中身を無造作にぶちまけて淡々と整
理し始めた。ペットボトル入りの水、食料(乾パン)、地図、弾倉…
「ねえっ、聴いてるの!あいち…」
バシッ
「やかましわ、泣き言並べるんは後にしてんか。荷物並べるんで忙しいねん」
みほを左手の甲で殴打して黙らせたあいこは、それだけ言って整理を続けた。
たった今、妹尾あいこ【女子15番】に殴打された左頬を腫らしつつ丸山みほ
【女子26番】は時折しゃくり上げるだけだった。
腕の中の小泉まりな【女子10番】の亡骸からは温かみが急速に失われて行き、
背中に穿たれた拳銃弾の弾痕も半ば固まりつつあった。
「ひの、ふの、み…九つ、と」
何かを数え終わったあいこは、立ち上がると傍らの何かをずるずると引っ張
って来た──ピニールシートだ。
「ここに、まりなちゃん置いてんか」
その横柄な物言いに、キッとあいこを睨むみほ。だが、あいこは動じた風も
無い。さらに言葉を繋げる。
「なあ…ずんべらぼんとヲ×コ晒したまんまで、まりなちゃん放かす気ィ?」
赤面物の言い回しで粛々と罵倒されたみほは、何かに促される様にまりなを
静かに、それこそガラス細工でも扱うかの様にビニールシートへ横たえた。
その間にあいこは出発時に支給されたペットボトル入りの水を幾つか、それ
とハンドタオルを荷物の山から持って来ていた。
「みほちゃん、まりなちゃんの服も」
言われた通り、一塊になって落ちていたまりなの服を持って来る。
あいこはペットボトルの中から飲みかけの物を選び、中身を無造作にハンド
タオルへ振りかけて軽く絞る。別の飲みかけを手にして、まりなに刻まれた
陵辱の痕跡を洗い流す。あいこは文字通り指を突っ込んですらいた。
同性として正視し得ない光景に、みほは目を背けた。
「納得せえへんでもええから聞いたってや…大阪におるあたしのお母ちゃん、
身寄りの無いお年寄りの下の世話かてしとるんよ。
大切な友達がこんな目に遭うて死んでもうたんからには、せめてこの程度は
綺麗にしとかんとあかんよね」
一方的に淡々と語り、ハンドタオルで黙々とまりなの遺体を清めるあいこ。
「さ、綺麗になったわ。それ着せるん手伝うて」
2人は下着から何からまりなに着せて行く。その間、みほは幾度も鼻を鳴ら
しそうになったが、ぐっと堪えて見せた。
全てが終わり、まりなの遺体は少し血の気に欠けているのと背中に血が滲み
出している事を除けば、そこそこ見られる様にはなった。
(あっ、これ…)
土と血にまみれて半ばボロボロの花輪を見つけたみほは、それがまりなの手
による物と直感的に感じ拾い上げた。
「あい、ちゃん…これ…」
辛うじてそれだけ言い、みほはまりなの胸の上に花輪を置いた。堪らず嗚咽
が洩れる。
だが、そんなみほにあいこは何も言わなかった。
グキッ、という神経に障る音がした。妹尾あいこ【女子15番】がマンダリン
銃の銃把から高木まなぶ【男子13番】の右手を無理やり引き剥がした音だ。
腱か骨がどうかなったかも知れないが死人に口無し、気にしない事に決めた。
(ちいと短うなったけど、コレ返しとくわ)
そのまま、地面に転がっている高木のそばへ放り投げる。
「さて、と」
ショットガンを片手にあいこが荷物の整理を再開した。BGMは丸山みほ
【女子26番】のすすり泣きだ。
小泉まりな【女子10番】の遺体を清めるのに使った水の残りは4本。2人で
2本ずつ等分する。
食料──と言っても軍用乾パンだが──は全部で21食分と充分過ぎる量だが、
どうも納入業者か在庫整理の都合で見事なまでに同じ製品が無かった。一目
で味も硬さも違っていそうなのが判るのには閉口物ですらあった。
仕方無いので似たような物を可能な限り等分、みほには1食多く分ける。
その他の装備も極力等分に、そうならない物はみほの分を多くした。
そして武器──
「なあ、みほちゃん。今生の別れは済ましたか?」
みほは何も言わない。そこへあいこはマンダリン銃の本体を無造作に置いた。
「ここにあるんはソヴィエト民主主義連邦軍、往年の名作機関銃PPSh41や」
あいこはPPShを「ペーペーシャー」と発音した。昔、マンガか何かで見聞
きしたのを何故か覚えていたのだ。
「引鉄引きっぱなしにするだけでペストルの弾がようさん出て来る、っちう
代物や。この30発入りのドラムマガジン」
ごしゃん、と金属音を立てて円形弾倉がみほの前に落ちた。
何言いたいのか判んない、と言わんばかりに涙に潤んだみほの視線を無視し、
あいこは売り口上──そう、紛れも無く口上だ──を続けた。
「もれなくコレが付いて来るだけでもゴッツイのに」
どぎしょん。円形弾倉がもう1つ、転がる。
「交換用にドラムマガジンがもう1つ!こらオトクでっせ、奥さん!」
口上にも関わらず相変わらず平板な物言いに、みほはあっけに取られている。
「しかも今回は」
ぐてんっ。学校でよく見かける白墨入りの物より二回りほど小さい、ボール
紙の箱がマンダリン銃に寄りかかった。
「このペストルの弾が100発付いとる。100発言うたらマガジン3個分で釣り
が出まっせ。ま、さすがに弾込めは自分の手ェでせなアカンけど」
あいこはその場にしゃがむと、目の高さをみほのそれと合わせた。
「この機関銃3点セットに予備の弾をお付けして、大東亜通販価格はなんと
タダ!よそでは考えられまへん、ちうか勉強しすぎ!」
黙ってみほの手にマンダリン銃を押し付けるあいこ。
「…ええかみほちゃん、もし何やったらあんた、後ろから撃ってもええよ」
打って変わり、凄みすら感じられる口調であいこは言った。
「そんな事…」
「これからどうなるか判らんけど結局は自分だけが頼りちう事、忘れなや」
【女子10番・小泉まりな 死亡】
【男子13番・高木まなぶ 死亡】
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