無題
「少し休みませんこと? 春風さん」
最後の休憩を取ってから十分も経っていないというのに、
玉木麗香【女子16番】の足は早くも限界を迎えつつあった。
「またなの? 玉木」
玉木の体を支えている春風どれみ【女子21番】は、
さすがにげっそりとした表情をした。
「このままじゃ展望台に着く前に日が暮れちゃうよ……。
あたしだって苦しいんだから、
玉木だって少しはガマンしてくれなくちゃ」
麗香はどれみの目をきつく睨み据えた。
「春風さん、わたくし、いつ一緒に連れて行って欲しいなんて、
あなたに頼みました?
そりゃあ、瀬川さんに撃たれそうになった時に、
春風さんに助けてもらった事は感謝してますわ?
でもわたくし、厄介者扱いされてまで、
あなたと一緒にいるつもりなんてありませんから」
麗香の顔を茫然と見つめてから、どれみは急に悲しそうな顔をした。
その表情からは、どれみの傷ついた気持ちが、痛いほどに伝わってきた。
しかし一番当惑していたのは、喋った麗香本人だった。
麗香には自分で、自分の行為が理解できなかった。
どうして自分はこんな言い方しか出来ないんだろう?
どうして足が痛いから休ませて欲しいって、
素直に言えないんだろうか?
どれみは大きく肩を落とし、首を振った。
「ごめん。あたし、玉木の気持ちがよくわかんないよ。
……そうだね、しばらく休もうか。
あたしも、なんだか疲れちゃった」
そう言ってどれみは、麗香の体を路傍に下ろした。
「あたしは、ちょっとその辺を見てくる。
三十分ぐらいで戻るからさ、玉木はここで休んでてよ」
どれみの言葉に、麗香は激しく動揺した。
春風さんはわたしを一人にするつもりなの?
そんなのは絶対に嫌だ。
どれみの足元にすがりついてでも引き止めたかった。
たとえほんのしばらくの間でも、一人でいるのには絶えられなかった。
「……あら、そうですの。まあ、ご勝手にどうぞ」
麗香は不機嫌そうに言い放つと、どれみが残したままの荷物を指し示した。
「ああ、それで春風さん。荷物は持っていきませんの?」
麗香の言葉に、どれみはびっくりしたように答えた。
「いいよ、どうせ戻ってくるんだから」
麗香は心の中で、ひたすらどれみに願い続けた。
ああ、お願い、行かないで。一人にしないで。
ずっと一緒にいて。
麗香は言った。
「別に構いませんのよ? 戻らなくても」
どれみは悲しそうに溜息をついた。
「なんでそんなことばっかり言うの?」
歩み去るどれみの背中を見ながら、
もう春風さんは戻ってこないのかもしれない、と麗香は思った。
でも、今謝ればやり直せるのかもしれない。
そう考えながら、麗香は何も言わなかった。
山道に一人取り残されたまま、麗香は考え続けた。
春風さんは、わたしのようなケガ人を背負い込んでしまったことを、
本当は後悔しているのではないだろうか?
一体、どこの誰が、荷物になることを承知で、
ケガ人である自分をわざわざ運んでくれるというのだろう?
しかし、もはや一人では移動することもままならない麗香にとって、
この状況で春風どれみを失う事は、確実な死を意味した。
じりじりと傾いていく太陽を見上げながら、
もし、このまま春風どれみが戻ってこなかったら、
自分はどうなるのだろうかと麗香は考えた。
春風どれみが戻ってこないまま、夜が来る。
それでも、自分にはここで待ち続けるしかないのだった。
そして、次の放送で、麗香は自分が座り込んでいる場所が、
三時間後の禁止区域に指定された事を知る。
さあ、人間は両手の力だけで、
山道を三時間に何メートル這い進めるだろうか?
山道を這い進む内に、春風どれみが苦心して当ててくれた添木も外れてしまう。
添木を当て直す余裕はない。むき出しの足が地面と擦れ合う。
肉の下では、折れた骨同士がずるりと行き交う。
絶え難い苦痛だが、構ってはいられない。
へとへとになり、泥まみれになりながら、ようやく安全な場所に辿り着く。
そうやって移動した場所が、今度は一時間後の禁止区域に指定される。
もう、動く気力はない。
爪が剥がれ、血に染まった両手の指先を顔に当てて、すすり泣く自分の首を、
首輪に仕掛けられた爆薬が容赦なく吹き飛ばす。
一人でそんなことばかり考え続けていると気が狂いそうだった。
それでも考え続けずにはいられなかった。
ふっと気付いて麗香は腕時計を見た。
荷物が吹き飛ばされてしまった今では、麗香に残されたただ一つの持ち物だ。
春風どれみが約束した時刻から、すでに四十分を回っていた。
春風どれみは自分を見捨てたのかもしれない。
たとえそうだとしても、どれみを恨む気持ちにはなれなかった。
さっきまでの自分の振る舞いを考えれば、当然の行為なのだ。
死ぬのは仕方ない。
自分で選んだ道だ。
ああ、でも神様、もしこの声が聞こえているのなら、お願いします。
麗香は祈り続けた。
ああ、お願いします
もう一度だけ春風さんに会わせてください。
それ以上はなにも要りません。本当です。
私はただ、春風さんに謝りたいんです。
その後なら、たとえ死んだって構いません。
死ぬのは我慢します。
でも、一人で死ぬのには耐えられないんです。
嫌われたままで死ぬのには耐えられないんです。
麗香の背後から足音が近付いてきた。
その足音を聞いて、自分が死ぬのに、
わざわざ禁止エリアの指定を待つ必要はない事に、麗香は気付いた。
たまたま通りがかった「ゲームに乗った参加者」が、
無防備に転がっている麗香をさっさと撃ち殺してしまえば、
それだけ、その参加者にとっては自分が生き残れる確率が高くなるのだ。
ほとんど死を覚悟しながら、麗香は振り向いた。
「玉木、遅くなってごめん」
戻ってきたどれみは、両手に松葉杖を抱えていた。
「あたし、今まで自分の都合しか考えてなかったってことに、さっき気付いたんだ。
――玉木は足をケガしてるのにね。
本当は一歩歩くのだって辛いはずなのに、
ここまで愚痴一つこぼさずについてきてくれたのにね。
……でも、杖になるものが見つかるかどうかまでは、分からなかったら。
さっきみたいに、また玉木をがっかりさせたくなかったんだ」
そう言ってどれみは、紺色の紙箱に入った鎮痛剤を取り出した。
「痛み止めも見つかったんだ。
これを飲んだら、ちょっとは楽になると思うよ」
幸い、自分が泣いていたのには気付かれなかったらしい。
麗香はそっと安堵の吐息をついて、小声で呟いた。
「ごめんなさい」
「え? なに?」
「ごめんなさい、って言ったんですわ」
麗香は早口でまくしたてた。
「別にわたくし、足のケガなんて全然平気だったんですけど、
わたくしが平気だって事をちゃんと伝えておかなかったばかりに、
春風さんに余計な取り越し苦労をさせてしまったみたいですから。
でもねえ、春風さん……
あなた、その時間にルーズなところは、なんとかなりません?
これがわたくしだから良かったようなものの、
他の人だったら、きっと、不安で不安でたまらなかったと思いますわ」
喋りたいだけ喋ってから、麗香はどれみの持って来た松葉杖を取り上げた。
「でもまあ、この松葉杖と薬は、遠慮なく使わせて貰いますわね。
春風さんのせっかくの好意を、ムダにしちゃ気の毒ですし」
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