無題
このままじゃ玉木が参っちゃう。何とかしないと。
この一時間で何度目かの小休止を取りながら、
春風どれみ【女子21番】は追い詰められていた。
玉木麗香【女子16番】は体の片側をどれみに支えられ、
もう片側をどれみの武器であるレミントンMP700ライフルに支えられることで、
辛うじて歩ける状態だった。
骨折した足を地面にぶつける度に麗香が全身を小刻みに震わせるのを、
体を支えているどれみは肌で感じ続けていた。
あのわがままな麗香がどれみの負担になるまいとして、
苦痛の声を噛み殺しているのだ。
どれみは決意を固めた。
「……もう出発ですの? もう少し休んでいきませんこと?」
急に立ち上がったどれみを、麗香が不安そうに見上げた。
「玉木はまだここで休んでていいよ。
あたし、他にも杖の代わりになりそうなものを探してこようと思うんだ」
「そう……あら、春風さん。あなた銃を忘れてますわよ」
手ぶらで行こうとするどれみを見て、麗香が慌てて声を掛ける。
「いいよ、今はそれが玉木の杖なんだから」
* *
なにか細長い棒のような物が落ちてやしないかと探し回る内に、
どれみは森の奥深くにどんどん踏み込んでいった。
そして、繁みの中でうずくまっている中山しおり【女子18番】を見つけた。
地面に広げたシートの上で、
しおりは長い銃のようなものを組み立てているところだった。
あれを今あるライフルと組み合わせて松葉杖を作れば、
玉木が歩くのがだいぶ楽になるんじゃないかとどれみは思い付いた。
しおりちゃんなら、玉木のケガの事を話せば譲ってくれるかもしれない。
でもあれはしおりちゃんの武器なんだし、
やっぱり貰っていくわけにはいかないかな。
「……どれみちゃんなの?」
どれみが考えあぐねている内に、しおりの方でも見られているのに気付いた。
どれみはしおりの傍に近付き、分解された銃のパーツをしげしげと観察した。
「それ、しおりちゃんの武器なの?」
「まだ組み立ててないの。
説明書が付いてるんだけど、なんだか難しくって……」
「あたし、手伝うよ」
いきなり銃の組み立てを手伝い始めたどれみに、しおりが不審そうに尋ねた。
「どれみちゃんは武器は持ってないの?」
「銃はあったんだけどね、置いてきちゃった」
手に取った部品とマニュアルを見比べながら、どれみは答えた。
「だって、あたしみたいなドジが銃なんか持ち歩いたら、どうなると思う?
きっと転んだはずみにでも暴発させちゃって、周りの誰かに大ケガさせちゃうよ。
だからあたし、武器は持たないことにしたんだ」
「ねえ、どれみちゃん」
しおりがまた尋ねた。
「自分が死んだ後ってどうなると思う?」
「自分が死んだ後?」
それは唐突な質問だったが、今の状況に相応しくもあった。
「そりゃ、もうすぐイヤでも分かるんだろうと思うけど、
やっぱりまだ実感ないよ」
どれみが手を貸したことで、銃は徐々にそれらしい形になりつつあった。
「そもそも死んだ後の事を知ってる人なんて、誰もいやしないんだしさ。
だからあたし、こう思うことにしたんだ。
このゲームで死んだ後は、みんなお星様になってお空に昇るんだってね。
お空の上じゃ、もうみんなで殺し合ったりする必要はないんだよ。
それでね、いつまでもいつまでも、みんなでお話しするの。
殺した人も、殺された人も、恨みっこなしでね。ずっとお話しするの。
……そうそう、そこじゃ毎日ステーキの給食が出るんだよ!」
「どれみちゃんらしいね」
うっとりと天国のイメージを語り続けるどれみの姿に、しおりが小さく笑った。
「でもわたし、死んだ後は本当はどうなるのか知ってるの」
「知ってる?」
「わたし、小さい頃から身体が弱かったから。
遊んでる最中に発作を起こして生死の境をさまよって、
気が付くと病院のベッドの上で目を覚ましたことも、
今までに一度やニ度じゃなかったわ。
だからわたしには、なんとなくわかるの。
死んだ後自分がどうなるのかが」
弾倉を銃身に装填しながら、しおりは淡々と語り続けた。
「死んだあとにはなにもないの。
本当になにもないの。本当になにもよ。
なにも見えないし、なにも聞こえない。
そこでは自分自身さえ残ってないの。
それを知ってるから、わたし、死ぬのがすごく怖い」
そこまで話し終わると、しおりは銃を目の前に取り上げた。
「ああ、ありがとう。これで完成みたい」
どれみはしおりの死生観に圧倒されていた。
だからその時になるまで、
すぐ近くの繁みの脇に転がっている物にも気付かなかった。
あれは……靴? ううん、足もついてるから靴だけじゃない。
そうか、誰かがあそこにいるんだ……眠ってるのかな?
ここにはしおりちゃんしかいないと思ってたんだけど、もう一人いたんだ。
でも、なんでしおりちゃんは教えてくれなかったんだろ?
「ねえ、しおりちゃん。あそこにいるの誰?」
しおりは何も答えなかった。
どれみは歩み寄って、自分の目で繁みの内側を確かめた。
そこには頭にドライバーを突き立てたまま、
目を見開いて息絶えている柳田すすむ【男子26番】の死体があった。
振り返ると、中山しおりが組み上がったばかりのAK47の銃口を向けていた。
「いつばれるんじゃないかと、ずっとヒヤヒヤしてたの」
中山しおり【女子18番】はそう言いながら、銃のセレクターをいじった。
「だから色々話をしてどれみちゃんの気を引いてたんだけど、
もうこれ以上話す必要はないみたい」
柳田すすむ【男子26番】の死体にもう一度目をやってから、
春風どれみ【女子21番】は声を震わせた。
「しおりちゃんが……殺したの?」
「見れば分かるでしょ? この銃だって柳田くんの物なのよ」
「……やめようよ!
人殺しなんて、しおりちゃんには全然似合わないよ!」
「もう、遅いのよ」
「遅くなんかないってば!
しおりちゃんはしおりちゃんでしょ?
何も変わってないよ!
元に戻ろうと思えば、いつだって戻れるんだよ!」
「たとえ、もし元の自分に戻れたとしても」
AK47を向けたまま、しおりが静かに続けた。
「わたしは何度でも柳田くんを殺すわ。
だって、そうするしか死なない方法はないんだもの。
さっきも言ったじゃない、わたしは死ぬのはイヤなの」
取り付く島もないしおりの態度に、どれみは説得を諦めた。
「わかった、もう止めないよ。
……だから、最後に一つだけあたしのお願いを聞いて」
「なあに?」
「しおりちゃんが死なないために、誰かを殺すのは仕方ないと思う。
それがしおりちゃんの選んだ道なんだから、
あたしなんかがとやかく言ったってしょうがないもん。
……でも!」
どれみはしおりの目を、正面からキッと睨み据えた。
「あたしを撃ち殺した後、
その銃だけは絶対に人殺しに使わないって約束して!
あたしだってその銃を組み立てるのを手伝ったんだから、
それぐらい聞いてもらったっていいでしょ!?」
「……わかった」
しおりはどれみの心臓に狙いを定めた。
「約束する」
どれみはぎゅっと目を閉じた。
銃声と共に、どれみの身体は激しい衝撃を受け止めた。
撃たれたのかと思ったが、違った。
その場を見て駆け付けた誰かが、
射殺される寸前のどれみに飛び付いて組み伏せたのだ。
「どれみちゃん! 大丈夫?」
目を開くと、2組の花田志乃【女子19番】が覆い被さっていた。
どれみを助け起こす志乃の脇腹からは血が滴り落ちた。
どれみを庇った時に流れ弾でえぐられたらしい。
一方、中山しおりもAK47発砲の反動で、
思い掛けない被害を受けていた。
銃を抱えたまま、しおりは背後に跳ね飛ばされてうめいていた。
「志乃ちゃん……ケガしたの? しおりちゃんが……!」
「逃げるのよ! どれみちゃん!」
志乃は強引にどれみの腕を掴むと、その場から連れ去った。
春風どれみ【女子21番】の手を引いたまま、
花田志乃【女子19番】は山道を走り続けた。
最初はどれみを引っ張るようにして走っていた志乃だったが、
逃げ続ける内にどんどんペースは落ちていった。
気が付けば、いつしか志乃とどれみはほとんど並んで走っており、
速度も歩くぐらいの速さにまで落ちてしまった。
そして最後に志乃はがっくりと膝を突くと、
四つん這いになったまま苦しげな声で呟いた。
「ごめん……どれみちゃんは先に行ってて……。
あたし、後から追いかけるから。
……ちょとだけ休めば、元気が出ると思うんだ」
その時背後を振り返って、どれみは背筋が寒くなった。
二人が走って来た道の上を、見渡す限り延々と志乃の血痕が続いていた。
逃げてる間はずっと前だけを見ていたので、気が付かなかった。
しかし、もし中山しおりが二人にとどめを刺すつもりなら、
この血を辿れば簡単に追い着けるに違いない。
そして何よりも、志乃が流した血の量がどれみを打ちのめした。
人間の体って、こんなにたくさん血が入ってるんだ……。
「ウソだよ……。志乃ちゃんはここで死ぬつもりなんでしょ?
あたしは志乃ちゃんといつまでもここにいるよ」
志乃がしゃがみ込んだ姿勢のままナイフを取り出し、どれみの喉元に突き付けた。
「行かないと、刺すよ」
「刺したきゃ、刺しなよ」
その返事を聞いて、志乃はようやく気付いた。
「どれみちゃん、あなたこのゲームで勝ち残ろうという気が……
いや、そもそも生き残ろうというつもりがないんだね?」
どれみはこっくりと頷いた。
「あたし、最初から生き残るつもりなんかなかったよ。
今まで人に迷惑掛け通しの人生だったからね。
せめて最後ぐらいは誰かのためになにかやって、
死ぬ機会が来たらじたばたせずに、そこで死ぬつもりなんだ」
すべてを諦めきったどれみの言葉に、志乃は絶望したように喘いだ。
「ダメだよ、どれみちゃん……あなたは勝ち残らないと……」
「勝ち残れるわけないよ。
人殺しなんてあたしのガラじゃないもん」
「じゃあ、誰も殺さずに勝ち残って」
志乃の言葉はどれみを戸惑わせた。
「誰とも会わないようにじっと隠れてろってこと?
でもあたし、みんなが死ぬのを見過ごすことなんか出来ないよ」
志乃が首を振った。
「違うわ。
どれみちゃんは今までみたいに、みんなを助けてあげて。
そして誰も殺さずに、最後まで生き残るの」
どれみは絶句した。
「無理だよ……そんなことできっこないよ!」
「できるよ、どれみちゃんなら。
……いいえ、これはどれみちゃんにしかできないことなんだから。
誰も殺さない、誰も傷付けない、
そんなどれみちゃんが勝ち残るからこそ意味があるの」
「でも、志乃ちゃんをここに残してなんて行けないよ!」
志乃が突然手足の力を抜いて、地面に突っ伏した。
「どっちみち、あたしはもうすぐ死ぬわ。
だけど、どれみちゃんはここで終わっちゃダメ」
地面に横たわったまま、志乃は何かに憑かれたように喋り続けた。
「そうよ、死ぬのはあたしだけじゃない、これからも大勢の人が死ぬわ。
でも、最後に勝ち残ったのがどれみちゃんじゃなくて、
他の誰かを殺して生き残ったような人だったとしたら、
その人たちの犠牲は全部ムダになっちゃうんだよ?」
志乃の声はどんどんか細くなっていくので、
聞き取るためには耳を口元まで近づけなければならなかった。
「これからどれみちゃんの身の上には、
ここで死んだ方がマシだったと思うくらい辛い事が、いっぱい起こると思う。
だけど、あたしやみんなの死をムダにしたくないなら、
投げ出したりなんかせずに、このゲームを最後までやり通して」
「わかった……あたし、行くよ」
どれみは志乃のそばを離れた。
「でも、志乃ちゃんとの約束は守る。
あたし、これからも誰も殺さない。みんなを助ける。
だけど、ゲームにも絶対に勝ち残るって!」
二度、三度、振り返ってから、どれみは猛烈な勢いで走り始めた。
その背中に、最後の力を振り絞って叫ぶ志乃の声が届いてきた。
志乃が何を言っているのかは、もはやどれみには分からなかった。
しかし、泣きながら叫ぶ志乃の声だけは、
走り続けるどれみの耳からいつまでも離れなかった。
* *
走り続け、駆け続ける内に、
気が付けばどれみは麗香のところまで戻って来ていた。
「……まあ、春風さん。
あなた結局、手ぶらで行って手ぶらで戻ってきたんですの?」
麗香は呆れたような声を出して、どれみの顔を不思議そうに眺めた。
「何かあったんですの? そんなに涙なんか流して?」
そう言われて、どれみは自分がずっと泣き続けていた事に気付いた。
前話
目次
次話