無題






「はあ〜、さっきはヒドイ目にあったわ」
取っ手のついた木箱を傍らに置き、だらしなく木に寄りかかった加納のりこ
【女子7番】がボソリと洩らす。
「えへ、まふぁか殴りかかっへ来うとは…」
右の頬を腫らした梅野ゆかり【女子4番】が軍用ボウガンを弄びつつ、己の
不幸を呪っていた。
「仕方がないじゃない、一発で仕留めないからそうなっちゃったのよ」
「ふはぁ」
のりこの言う通りだった。小川に出る隘路の手前で飯田かなえ【女子2番】
と遭遇した3人──その時は松下あや【女子25番】も一緒だった──は、
当面の脅威を取り除くべくボウガンで狙撃して──失敗したのである。
必中距離とも言える10メートルで緊張に震えつつ放った矢はかなえの頭髪を
一房千切っただけではなく、恐慌状態からの自棄的な反撃に至らしめたのだ。
次の矢を装填する余裕はなかった。
黒い棒状の何かが振り上げられ、ゆかりの右下顎第一大臼歯を叩き割った後の
記憶についてはかなりあいまいだ。覚えているのは、
「いやああああっ!飯田さんゆるし…」
あやが滅多打ちにされる場面。
「なっ、何よコレ、爆発しないじゃないのっ!」
のりこが(ピンを抜き忘れた)有田焼の手榴弾をかなえの背中に叩き付けた場面。
後はきれいサッパリ忘却した。どうやってこの茂みに逃げ込んだのかも。
茂みは林の端にあった。目の前の、少し離れた間道は10メートル程の吊り橋を
挟んで崖の向こうに続いている。
橋を渡ろう、とゆかりは提案したが、のりこは取り敢えずほとぼりを冷まして
からと言った。松下さんを待つ必要があるし、それにここは待ち伏せするにも
やり過ごすにも向いているから、とも。
「でも、あまり…」
「シッ!誰か来るわ」
間道の方から何か聞こえてきた。

万田姉弟──万田ようこ【女子27番】と万田じゅんじ【男子21番】は森の間道
を歩いていた。体に纏った衣服は小川の水をたっぷりと吸って重く、只でさえ
重い三八歩兵銃を担いだようこの歩みは半ば這っている様な物だった。左上腕
にナイトスティックをギプス代わりに括り付けているじゅんじは、傍らを心配
げに歩いていた。右手に何かポケットサイズの懐中電灯らしき物を握っている。
『ようちゃん、代わろうか』
じゅんじはその言葉を再び口に出来なかった。飯田かなえ【女子2番】の遺体
から使えそうな物品を回収し、じゅんじの傷──一寸した亀裂骨折らしい──
を手早く応急処置したようこがこう言ったからである。
『その手じゃ銃が使えないでしょ。大丈夫、あたし射撃ゲーム得意だから!』
結局、弾盒(だんごう:小銃弾を入れる皮製のポーチ)と歩兵銃から外した銃剣、
それと──
「あっ」
「え?」
ようこが歩みを止め、右前方の間道が曲がった先を指差す。吊り橋が架かって
いる。どうやらその向こうも森らしかった。

「万田、さん?…気付かれたかしら」
視界の端で不意に立ち止まった万田姉弟を目にした加納のりこ
が素直な感想と疑問をつぶやいた。
「ひょうだいで行動ひてたみは…」
脇から顔と口をはさんだ梅野ゆかりは、殺気みなぎる表情で口
へ人差し指を当てたのりこに睨まれる事で不用意な行動のツケを払わされた。
腐っていてもしょうがないので手早く観察する。
小銃を担いでいる方は疲労困憊の様だ。もう1人はどうも負傷しているらしい。
「殺るわよ」
「近づいへ、から?」
ゆかりの問いにのりこは首を振り、黙って釣り橋を指した。あそこなら確か
に行動の自由度が狭まる。こちらは無音で奇襲、あちらは怪我人連れ。勝算
は極めて高い。
2人は茂みの中で万田姉弟襲撃の準備を始めた。

「じゅんちゃん、気をつけて」
万田ようこが歩兵銃を構え直し、待ち伏せに対する注意と警戒
を万田じゅんじへ促した。
姉弟は周囲の茂みや木陰に片端から視線を突き刺し、間道をゆっくりと歩く。
軍用ボウガンの銃把に脂汗をにじませたゆかりは内心穏やかでない。ようこ
と目が合った刹那など、僅かながら失禁したほどである。次の瞬間、ようこ
の視線は何事も無く別の方を向いていたが。
のりこは左手でゆかりを制しつつ、右手に有田焼手榴弾を握り締めている。
姉弟は吊り橋の前までたどり着いた。さすがに小銃を構えたままではない。
スリングで右肩に掛け、両手で頼りないロープを交互に掴んでいた。そして、
橋の中程に差し掛かろうとした時──
「今よ」
そう呟いたのりこがゆかりの肩を叩く。無言のまま立ち上がったゆかりは、
ボウガンの狙いを小銃を担いだ方──ようこの背中に定めた。
引鉄を引く。たわんだ板バネが元に戻ろうとするエネルギーは、カーボン製
の矢を無音で飛翔させる運動エネルギーへ還元された。

ようこの後を着いて吊り橋を渡っていたじゅんじは足元の頼りない板と板の
隙間につまづいて体勢を崩すと、思わず左手で脇のロープを掴んだ。
「痛──」
振り向いたようこが目にしたのは、体勢を崩し顔をしかめるじゅんじの姿だった。
「じゅんちゃ…!」
トン、と板へ釘を打つ様な音を鼓膜で認知するや否や、ようこは右脇腹に鋭い
痛みを覚えた。

「くっ…!」
万田ようこが片膝を突くと、何故か痛みが消えた。よく見ると、
三八歩兵銃の銃床を黒い菜箸らしき物が斜めに貫通しており、その先端には
僅かに血糊が付着していた。どうも矢の様だ。
急に姿勢を変えた為に、銃床が盾になったのだ。もし、振り向かなければ──
「梅野さん!」

確実に仕留めた、と思ったはずの相手に名指しされ、梅野ゆかり
はボウガンを構えたまま酷く狼狽した。次の矢を装填するのも忘れている。
(た、確かに当たったのよ〜!)
タァン!
ゆかりは加納のりこに腕を掴まれ強引に茂みへと引き戻された。
直後、吊り橋の上から発射された小銃弾がゆかりの胴体が在った空間を裂く。
「次よ、次撃って」
その言葉にようやく我に返り、ボウガンのバネを引き始めたゆかりだった。

「ようちゃん、早く!」

気が付くと、万田じゅんじが姉を促して吊り橋を渡り終えた。
ようこがその場で射撃を始める。が、3発撃った所で弾切れし、新たなクリ
ップホルダを装填しようと努力する。
それを見たゆかりは次の矢を放ったが、及び腰なので明後日の方向へ飛ぶ。
「梅野さん、どいて!」
のりこが間道に飛び出した。手には例の手榴弾が握られている。ピンを抜き、
万田姉弟をキッと見据えて大きく振りかぶった。
じゅんじが手にした懐中電灯もどきをのりこへ向けたのはその時だった。
のりこの左眼に赤い光点が浮かび上がる──

(何かしら、赤い光が…)
次の瞬間、のりこは左眼に激痛を覚えた。
「──くあっ!」
両手で左眼を押さえたまま、うずくまるのりこ。
取り落とした手榴弾がその足元に転がる。もちろん、ピンは外れた状態だ。
今や危険極まりない物体と化したそれを、ゆかりは思い切り蹴り飛ばした。
そのまま、のりこに覆い被さる様に茂みへと飛び込む。

手榴弾は吊り橋の真ん中まで飛び、そこで炸裂した。爆発は思いのほか小さ
く、板が数枚吹き飛んだだけだった。が、老朽化の進んでいた吊り橋のロー
プはそれに耐えられず、ブチブチと音を立ててゆっくり千切れていった。
吊り橋の崩壊はスローモーション映像の様だった。

「あああああ〜」
のりことゆかりの嘆きがユニゾンする。もう誰も渡れない。
万田姉弟はそそくさとその場を去っていった。



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