幕開け
「よく集まってくれた」
岩倉の少し甲高い、よく通る澄んだ声が、しんと静まる広間に響いた。
岩倉は高段になっている上座にちんまりと座り、そこから“形の上だけ畏まる者達”を眺め回しては、憮然としている。
その“形の上だけ畏まる者達”の顔ぶれを見てみると、錚々たる顔ぶれであった。
現十五代将軍・徳川慶喜をはじめ、薩摩、長州、土佐、それに各藩の主要たる傑物たちが所狭しと膝を並べている。
どの顔も自分が何故このような席に呼ばれたのか図りかねている様子で、探るような眼で岩倉を見つめ返していた。
「岩倉様、これはどういうことだか説明していただきたい。
何の説明も無いまま呼び出され、このような方々と膝つき合わせられている理由とは如何に」
まず食って掛かったのは、長州藩士・桂小五郎である。
桂は犬猿の仲と言ってもよい薩摩藩の面々が同じ席に顔を揃えていることが面白くないらしく、
特にその中の西郷隆盛に向かって露骨に嫌な顔をして見せた。
「どういうこと……か。それは私が言いたい言葉だね、桂君」
「それはどういう意味でしょうか?」
「わからんかね」
「申し訳ございません、わかりかねます」
岩倉はジロリと桂を一瞥し、深く溜息を吐いた。
「今この国が置かれている状況を、諸君らは考えたことは無いか」
遠い眼をして岩倉が語り出す。
「今この国は危機に瀕しておる」
「お言葉ながら岩倉様、そのようなこと、今更言われるまでもなく――」
「わかっておると申すか。しかしではどうだ? 一つになるどころか国は真っ二つ割れ、
最早君らが掲げるその二つの思想も、血で汚されておるではないか。気に食わないから人を斬り、己の主張を通すために
また人を斬る。これで本当に危機に立ち向かっていると言えるのかね?」
岩倉の痛烈な批判に、桂も押し黙ってしまう。
「西郷君、君は佐幕派だったな」
「はあ」
膝を揃えて座ることもままならない巨体を揺らせ、西郷が眼を伏せて岩倉の問いに答える。
「私も公武合体論を自ら唱え、和宮降嫁を推進などしてきたが、しかし最近、本当にこれが良いことなのかどうか疑問に思うようになった。
幕府など立てたところで、何も変わらんとな」
それを聞くと、幕府方の伊庭八郎などは顔を朱に染めたが、両脇を勝海舟と山岡鉄舟に挟まれ、動くことは出来なかった。
「慶喜公、悪く思わないでいただきたい。あくまでこれは私個人の意見だ」
慶喜は静かに頷く。
「しかしだ、では倒幕がこの国を変える早道かと言えば、これも怪しい。むろん尊王の志はあるが、
かと言ってあっちが駄目だからこっちというほど私は節操の無い男ではない。実のところ、迷っているのだよ。
そこでだ、私はある方策を思いついた。問題を全て解決してくれるだろう、よき方策をな――」
岩倉はそこで言葉を切り、意味ありげにまたぐるりと一座を眺め回した。
溜めに溜め、それから重々しく言葉を紡ぐ。
「諸君等に、殺し合いをしてもらう」
その言葉を合図に、広間の障子が全て開け放たれ、戦支度で異国人が飛び込んで来た。
彼等は一様にオランダ人だった。彼等オランダ人の武装集団はあっという間に一座を取り囲み、
刀を抜かせる暇も与えず広間を占拠してしまう。その後で、二人の男が広間に入って来、岩倉の背後に直立した。
「スネル……」
河井継之助が驚きの声を上げる。
「知っておる者も居るようだが、彼等はヘンリー・スネル、エドワルド・スネル兄弟だ。此度の改革に、力を貸してもらっている」
「ドウゾ、ヨロシク」
二人揃って頭を下げる。だが、それに呼応する者は一座の中には無く、ほとんど全員が自分に向けられた銃口の行方を注視し続けていた。
中でも所謂『人斬り』として名を馳せている、岡田以蔵や斎藤一などは、着座したままの姿勢で僅かに腰を浮かすと、
人知れず刀の鯉口を切って武装集団との距離を推し量っていた。隙あらば斬りかかるという魂胆である。
だがそんな中、一人の男だけが悠然と構えている。
「それで、その改革とは何だろうかのう。是非とも聞かせてほしいんじゃが」
坂本竜馬である。新し物好きの坂本としては、突然現れた武装集団より、自分に向けられた銃口より、そして怪しさの漂う武器商人よりも、
ここまでして事を成そうとする改革の方に興味をそそられたようだった。岩倉はそんな坂本を少し奇異の眼で見てから、静かに口を開いた。
「話は簡単だ。諸君等に殺し合ってもらう、それだけだ。最後まで生きていた者に、この後のこの国の処遇を決めてもらう」
「馬鹿なッ! 貴方は自分で何を言ってるのかわかっているのかッ!」
ずっと押し黙っていた桂が猛然と食いつく。
「わかっているとも。悩み抜いた末に出した結論だ」
「そのような馬鹿げた真似が許されると思っているのか!」
「許される許されないなど問題の範疇ではない。諸君等は常日頃からこういうやり方を好んできたではないか。
私はその絶好の舞台を用意してやったまでだ」
「ふざけるなッ! そんな理由でこんな――」
「まあまあ桂さんよ、そう熱くなるなよ。話がややこしくなるじゃねえか」
粋な江戸弁で口を挟んだのは勝であった。勝は口許に微笑を湛え、あくまで物腰柔らかく岩倉に問う。
「今後のこの国の処遇を決めてもらうってのはどういう意味でしょうかね?」
「最後まで生きていた者に決めさせてやると言っておるのだ。攘夷でも開国でも、残った者が好きにすればよい。
無駄に多くの者の血を流し、混乱し、迷走していくよりも、主軸となる諸君等が命を張る方が遥かに話が早いではないか」
「そうは言ったって、ここにゃあ将軍様が居られるんですよ?
こんなこと言うのも憚られるが、もしここで大樹公が殺されでもしたら、佐幕も開国もねえじゃあありませんか」
勝はギラリと眼を光らせた。
「ならば慶喜公が最後まで生き残っていればいいだけの話だ。慶喜公が最後の勝者ならば、そのまま幕府を存続させるもいいだろう。
好きにしたまえ」
「……随分と強引な話だねえ」
岩倉の決然とした態度に、桂も腕を組んでしまった。
「わしゃ好かんのう」
そこでまたも坂本が言う。
「国を憂いてる気持ちはよおくわかるが、しかしこのやり方は好かんのう」
「坂本君、さっきも言ったが、許す許さない、好く好かぬの話ではないのだ。これはそういう次元を超えた、必要な措置なのだ。
確かに強引ではあるだろうが、時に荒療治というものも行わねばならないことがあるのだよ。腐った足を切り落とすのと同じことだ。
――諸君等はどうもまだよく私の決意が伝わっておらんようだな。ヘンリー、あれを頼む」
「ワカリマシタ」
ヘンリーは一旦広間を出、すぐに戻って来た。が、今度は誰かを連れて戻って来たのだった。
頭に黒い布を被せ、後ろでにきつく縛られたその人物は、両脇を武装したオランダ人にがっちりと抑えられていた。
「連レテ来マシタ」
そう言ってヘンリーは黒頭巾の人物の背をトンと押す。よろめくように、黒頭巾は岩倉の下へ進み出た。
岩倉はその人物の首根っこを引き掴むと、力任せに跪かせ、その後ろに立った。そしておもむろにその人物の黒頭巾を剥ぎ取った。
「これが私の決意だよ」
頭巾の下から現れた顔は、三条実美その人であった。三条は猿轡を噛まされ、苦しそうに口の端から泡を吐いていた。
だいぶ長い時間そのような姿で監禁されていたのか、肌は蒼ざめ、それとは対照的に眼が真っ赤に充血している。
「し、信じられん……なんという惨い真似を……」
一座から驚きとも怒りともつかない声が上がる。
岩倉はそれをあざ笑うかのようにエドワルドから短剣を受け取ると、背後から跪く三条の首を抱き、一息にその首を掻き切った。
あまりの出来事に、誰もが声を失う。
三条の首からはどす黒い血が間欠泉のように噴出し、広間や詰め居る一座を血で汚した。
やがて三条が息を引き取とと、岩倉は氷の表情で一座に言った。
「もう後戻りは出来んのだよ」
「よいか、これに細かい決められ事は無い。何をしても構わん、ただ最後まで生きて居ればそれでよい。それで全てが決まる」
岩倉は淡々と語る。尊皇攘夷の志を持った者――いや、そうでない者も皆、眼の前で起こったことに嘆き、悲しみ、呆れ、
そして怒っているというのに、岩倉はそれを完全に黙殺した。ひどく当たり前のことだというような顔をして。
「詳しいことは後で紙に書いて配るとする。武器やその他備品はスネル兄弟が全て用意してくれたのでな、
それと一緒に配布することにしよう。各々でよく読んでおくといい。君達が次に目覚めたときには、もう戦いは始まっているのだからな」
意味深な言葉を吐くと、岩倉は高らかに笑った。
「それはどういう……」
西郷が問いかけたが、その言葉は最後まで伝えることは出来なかった。オランダ人武装集団が、持っていた小銃の銃底で頭を殴ったためだった。
それは西郷だけではなく、全員が抵抗虚しく殴られ、そして気絶させられていた。
「君らが目覚めたとき、そこはもう異国の地だからさ。
そこで全てを終わらせ、そして新しい国を作るために創世の戦いをしてもらうのだよ」
岩倉の声だけが、静けさを取り戻した広間に響くのだった。
【三条実美 死亡】
【残り45人】
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