夜は明けない






助けて、と。
その少女は、そう言った。

ざ、と梢が鳴く暗い森の中。
村山斬が見たのは、ぼんやりと夜空を見上げる、一人の少女の姿だった。
木々の合間から差し込む月光の下、その姿は儚く消えてしまいそうで、
目覚めれば忘れてしまう夢のように、綺麗だった。
思わず、口を開いていた。
何を言ったのかは、よく覚えていない。
大丈夫、とか危ないよ、とか、そんなことだったように、思う。

「……ありがとう、優しいのね」

そう言ってゆっくりと振り向いた少女の微笑みは、ひどく蟲惑的で。
ゆらゆらと揺らめく灯火に金色の髪を照らしながら、その少女は。
ねえ、と青い眼を細めて、

「私を助けて」

と、口にした。


 † † † 


「ちょ……ちょっと待って、それって……」

きらきらと輝く髪が、月光を弾いて美しい。
これまでに見たこともないような美少女が、目の前で助けを求めている。
それはまるで、御伽噺のようで。
跳ね上がりそうな心臓の鼓動を抑えながら聞き返した斬の耳を打ったのは、

「殺してほしい人がいるの」



ひどく薄暗い、言葉だった。

「……え?」
「天野瑞希と、高村大っていう名前が、名簿に載ってるの」

斬の困惑をよそに、少女の言葉は続く。

「私のたいせつな人を殺した、仇。
 ……でも私は弱いから。だから復讐を、手伝ってほしいの。
 そのためなら何だってするわ。
 あなたが助けてくれるなら、してほしいこと全部、してあげたっていい」

饒舌に語る少女が、ふいに手を伸ばす。
白い指と赤く塗られた爪は、どこかチロチロと舌を伸ばす蛇を連想させて、

「わ……わあっ……!?」

斬は頬を染めながら、飛び退く。

「だ、ダメだって!」

頭に浮かぶ妄想を払うように首を振って、膨らみかけた男性自身に気づかれないよう距離を取りながら、
斬が慌てたように口を開いた。

「駄目……?」
「ふ、復讐とか殺すとか、君みたいな子がそんなこと言っちゃダメだよ!」

俯く少女は月明かりの下、ひどく白く、綺麗で。

「……だけど、」
「君の大切な人だって、きっとそんなことを言ったら悲しむよ!」



その細く脆そうな手を血で染めるような、そんな言葉は、似合わない。

「……」
「だから、そん―――」

ぱん、と何かが弾けるような、軽い音がした。
何の音だろう、と思って。
そこで、声が出ないことに気づく。

「……どうして、」

少女の声が聞こえる。
ひどく遠く、冷たい、声音。

「どうしてあなたが、彼を口にするの?」

小さく呟いた少女が、ゆっくりと顔を上げる。
否、少女が顔を上げたのではない。
少女は俯いたままで、しかしその凍りつくように酷薄な色を浮かべた瞳が、斬を見据えていた。
自分がいつの間にか地面に倒れていることを、斬はようやく理解する。

「ねえ、」

ぱん、と乾いた音が、もう一度。

「私にだって、分からないの。誰にも分からない。それが当たり前でしょう?
 だってあの人はもう帰ってこないのだから。だから、気持ちなんて分からないの」

少女の声を、既に斬は聞いていない。
襲ってきたのは、猛烈な寒気。

「和くんの望みなんかじゃない。ねえ、これは私の望みなの。


 私は私のために、もう帰ってこない時間を贖わせるために、あいつらを殺すの。
 復讐って、そういうものでしょう? 違う?」

冷たいのは、声。
冷たいのは、見下ろす視線。
冷たいのは、世界のすべて。

冷たさが、村山斬から意識を奪い去っていく。
腹を押さえた手にまとわりつく、赤くどろりとしたものの温かさは、彼自身の命の温度だった。


 † † † 


少年の命が消えていく。

「あなたの大切な人が」

引き金を引けば、ぱん、と軽い音がする。

「誰かの単なる気まぐれで、命を奪われたとしても」

びくんと、少年の身体が跳ねた。

「あなたはそれを、忘れられる?」

少年から流れ出す血が広がって、靴を汚す。

「誰かが何の気なしに振るう暴力が、あなたのすべてを壊しても」

べったりと粘つくそれは、夜の闇のように黒い。

「いつか訪れるはずだった幸せが、永遠に喪われても」

ぱん。

「明日は今日よりいい日だと、そう言える?」

少年の身体が、もう一度跳ねた。
さっきよりも、弱く。

「幸せの全部を奪っていったものが」

ぱん。



「面白半分で笑いながら私たちを選んだとして」

少年の身体は、

「あなたはそれでも、希望を口にできる?」

もう跳ねない。

「生きている限り、今日よりマシな明日なんて、来ない」

少年は、

「だって、私の幸せはあの夜、踏み躙られたのだから」

浅はかな優しさを振りかざした少年は、

「私の生きる意味の、全部」

もう、

「壊れてしまったのだから」

死んでしまった。


 † † † 


空を見上げる。
そこにあるのは、青白く輝く月。

見下ろす。
そこにあるのは、横たわる身体。

少年の名前は知らない。
だけどその名前を、私は知っている。

「だから、殺すんだよ」

倒れているのはきっと、姫月ゆうこと呼ばれていた少女だ。
名簿に刻まれているのは、月の一文字。

「あの人を殺した全部を―――私は、殺す」

お笑い種だ。
本当に、タチの悪い冗談のよう。

「天野瑞希と、高村大と、遊佐明仁と―――姫月ゆうこを」

あの夜の、生き残り。
生き汚いヒメを、誰かが代わりに殺してくれたかのように。



「なあ……聞いてるかい?」

返事など、ありはしない。
残るのは、抜け殻みたいなカラダと―――偽物の、月だけだった。

―――ざわ。

返事など。
ありはしない、はずだった。

「―――面白い」

ざわ、と。

「面白いな……アンタの話……」

梢の向こうに、瞳があった。
飢えて死のうとする獣のような、光届かぬ深海のような。
稚気と覇気と狂気とを滅茶苦茶にかき混ぜて、眼窩の中にぶち撒けたような。

「聞かせてみろよ……続きを……!」

瞳が、囁く。
立ち尽くす私を哂うように。

ざわ、ざわ、と。
森が、鳴いていた。



【村山斬@斬 死亡】
【残り43人】


【F-4 鬱蒼と茂った森/一日目深夜】

【名前】ユエ@特攻天女
【状態】健康
【持ち物】SIG Sauer P232SL(残弾3/8)ディパック(基本支給品一式、不明ランダム支給品0〜2)
【思考】0:天野瑞希・高村大を殺害する。
【備考】第19巻168話の後より参戦。

【名前】赤木しげる(若)@アカギ
【状態】健康
【持ち物】ディパック(基本支給品一式、不明ランダム支給品1〜3)
【思考】1:ユエに興味がある。
【備考】参戦時期は後続の書き手氏にお任せします。

村山斬のデイパック及び支給品(内容不明、1〜3)は死体の側に放置されています。



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